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ゼロから知りたい障害者権利条約 ~前編~

記事公開日:2020年12月24日

 12月は障害者制度を考えるうえでとても大事な月です。12月3日~9日は、障害者週間。12月3日は「国際障害者デー」、12月9日は1975年に国連で「障害者の権利宣言」が採択された日だからです。そして、いま、障害者にとっていちばんの柱となっている、障害者権利条約が国連で採択されたのも、2006年12月13日でした。この機会に、あらためて、障害者権利条約をふり返ります。

私たちぬきに決めないで ~障害者権利条約の重要概念~

 2006年8月、特別委員会で条約の内容がほぼ固まったとき、NGOの代表キキ・ノルドストロームさん(全盲・前世界盲人連合会会長)が語ったスピーチが多くのひとの心をとらえました。

「私たちぬきに私たちのことを決めないで!(Nothing about us, without us!)」

 この言葉は、障害者権利条約を考える上で、重要なフレーズとなっています。

 日本は、140番目の締結国となりました。ずいぶん遅いと思われるかもしれませんが、早期批准に「待った」をかけたのは障害者団体でした。条約は、憲法と国内法の間に位置するものです。当時、日本の国内法は、条約の精神とはほど遠いものだったのです。その後、障害者基本法の改正、障害者総合支援法の制定、改正障害者雇用促進法、そして障害者差別解消法の成立といった国内法が次々整備されて、はじめて批准、となりました。

 国連が障害者権利条約の議論をはじめていた2004年に、条約の批准を目指して日本障害フォーラム(JDF)が設立されました。それまで、身体、知的、精神、といった障害の種別などで主張が異なりばらばらに活動することが多かった障害者団体が、権利条約の制定、そして批准という同じ目標のもと一つにまとまり行動をともにしました。それまで、団体間での意見の違いを傍観していることが多かった政府は、JDFの意見を尊重せざるをえなくなったのです。国会で条約の締結が審議された2013年12月4日はちょうどJDFの会合が開催され多くの障害者団体が集まっていたのですが、全会一致で承認されたことが伝えられると会場が感動の渦となりました。

 障害者権利条約は、全部で50条あります。難しそうに思うかもしれませんが、障害者の権利として何か特別なことを主張しているわけではありません。障害のある人もない人も同じように、好きな場所で暮らし、行きたいところに行けるといった“当たり前”の権利と自由を認め、社会の一員として尊厳をもって生活することを目的としています。そのために何が必要か、どういう考えでのぞむべきかが示されています。

障害の定義がない障害者権利条約 ~医学モデルと社会モデル~

 障害者権利条約には、障害の定義がありません。なぜでしょうか?実は、前文に「障害が発展する概念であることを認め」とあります。つまり、障害というのは、かわりうる、ということです。機能障害がある人と、環境による障壁・まわりの人たちの態度、との間の“相互作用”こそが問題だとしているのです。

 たとえば、コンタクトレンズを使っているひとがいるとします。もし、コンタクトレンズやめがねがない時代、たとえば狩猟時代に生きていたとしたら、遠くの獲物や木の実を見つけられず、生活に困難をかかえる障害者であったでしょう。聞こえない人たちは、音声を使う今の社会では生きづらさを感じますが、音を使わず手話でコミュニケーションをとるコミュニティがあったとしたら何も障害はないのです。様々な機器、環境、ひとびとの理解・・・といったことで、障害というのは変わりうる、“発展する概念”なのです。

 このように条約では、障害を、その当事者個人の心身の問題とする「医学モデル」ではなく、社会との関係で考える「社会モデル」としてとらえている点が、重要なポイントです。

 そして、おそらく、それぞれの障害が個別でごく少数であるがゆえに困難をかかえている“障害者”とよばれる人たちが、「他の者との平等を基礎として社会に完全かつ効果的に参加する」ためにどうしたらよいかを決めたのが、この条約なのです。繰り返しますが、障害者に特別な権利を主張しているのではなく、「他の者との平等」を言っているだけなのです。

あなたも意図せず差別しているかも ~「合理的配慮」ってなに?~

 「合理的配慮」という言葉は、障害者差別を考える上でとても大切な考え方です。障害者を差別してはいけない、というのは、誰にでもすぐわかることです。しかし、意図的に差別はしていない、というだけでは、不十分なのです。ホームまでのエレベーターがないから車椅子のひとは電車に乗れない、点字の資料がないから目が見えないひとは会合に参加できない、など、結果的にやりたいことが制限される、社会参加できないことは、差別につながります(「間接差別」とよぶ場合もあります)。障害者権利条約では、障害に基づく差別として「あらゆる形態の差別(合理的配慮の否定を含む)」という書き方で、合理的な配慮がなされないときは差別とする、としています。

 では、「合理的配慮」とはどういうものでしょうか?条約では、第二条に定義が書かれています。少し長いのですが、引用してみましょう。

障害者が他の者との平等を基礎として全ての人権及び基本的自由を享有し、又は行使することを確保するための必要かつ適当な変更及び調整であって、特定の場合において必要とされるものであり、かつ均衡を失した又は過度の負担を課さないものをいう

 “特定の場合において必要”、“過度の負担を課さない”といった表現でわかることは、それぞれ個別な対応である、ということです。

 “合理的配慮”は、2011年に成立した改正障害者基本法で、日本では初めて法律に明記されました。第4条に「差別の禁止」が新設され合理的な配慮がされないことが差別につながるとしました。そして、この“合理的配慮”を実現するためにルールを定めたのが、2013年6月に成立した「障害者差別解消法」「改正障害者雇用促進法」です。

 内閣府では、「『合理的配慮』を知っていますか?」というリーフレットを出しています。「不当な差別的取扱いは禁止されています」のタイトルのもと、「障害のある人に対して、正当な理由なく、障害を理由として、サービスの提供を拒否することや、サービスの提供にあたって場所や時間帯などを制限すること、障害のない人にはつけない条件をつけることなどが禁止されます」とあります。あわせて、合理的配慮の事例集もあります。「合理的」というのはどういうことをさしているのかがわります。

合理的配慮の出発点は当事者が声を出すこと ~これからの課題~

 全盲の弁護士の竹下義樹さん(現・視覚障害者団体連合会会長)が、合理的配慮についてまだあまり語られていなときにNHKの番組で語った、印象的な言葉があります。竹下さんは、今から40年ほど前に、司法試験に点字受験を認めてほしいと支援者とともに運動し、点字は目で読むことと比べて時間がかかるので試験時間も長くしてほしいと訴えて、点字受験の扉を開いた方です。その竹下さんは、こんなことを話していました。

「“合理的配慮”の出発点は当事者が声をだすことだ」

 これまでの、バリアフリー法などの法律は、障害者のために環境を整えてあげましょう、という法律でした。そうではなく、一人ひとりがどういう配慮を望んでいるかを伝えてその対応を考えること、それを法律できちんと守ることが大事なのだ、ということでした。

 障害者権利条約の理念に近づけるために国内法を整備して批准にこぎつけた、と先ほど書きました。それでも、まだまだ課題はあります。障害者差別解消法における合理的配慮の提供が、行政機関等は法的義務となっているのですが、民間の事業者は努力義務にとどまっていることもその一つです。障害者差別禁止法案として議論されたものが“差別解消法”となったことで強制力が弱まったのではないか、という指摘もあります。そして、この間、障害者施設殺傷事件、障害者雇用率の水増し問題、精神科病院での身体拘束・虐待事件、など障害者だけではなく社会全体をも揺るがす大問題も続きました。社会をよりよくするためにも、障害者権利条約を知り、その精神を実現するための努力が求められています。(参考:障害者の権利に関する条約

執筆:ジャーナリスト 迫田朋子

ゼロから知りたい障害者権利条約
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