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ひきこもりVR 親子対談(3)親子の悩み「働くこと」について

記事公開日:2020年12月18日

「ひきこもり当事者と仕事」。これは親子間で最もぶつかりが生まれる、デリケートなテーマです。
ハートネットTVでは、VR(バーチャルリアリティ=仮想現実)の空間で、ひきこもりの子を持つ親と当事者がアバターとなり、自由に発言できる場を作りました。
「働くこと」について、面と向かっては言えなかった本音で語り合います。

「働いてほしい」親の気持ち

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ひきこもりの子を持つ親のみなさん

VR親子対談、最後のテーマは「働くこと」について。当事者からは「親はなぜ働くことばかり求めるの?」という悩みが寄せられています。

ぼそっと:トトロさん、これはどういうお話でしょうか。
トトロ:私はいま40ですけれども、一時期、私が大学をやめることになって、4~5年ガチにひきこもったんです。その当時、「なんで働かないの?」「なんでこうしないの?」ということを、特に母親からすごく言われたんですね。すごく苦しかった理由を、特に母の価値観の刷り込みで私自身の考え方がなくなっていたからと思っていて、働かなければいけないとか、こうしなければいけないっていう価値観をすごく押しつけられていたというのが、当時を振り返ってみると思うことがあるんです。
学歴コンプレックスとか、働けないけれど働きたい、働きたいけど働けないという自分自身の葛藤を誰にも言えず、親からは「働け、働け」と言われていたので、正直、すごくつらかったんですね。なんで働かなければいけないのかもわからないし、自分がどう生きていけばいいかもわからないところで苦しんでいるのに、なんでそういう価値観ばかり押しつけるのか。それなのに、私がこういうことをしたいということについては親は耳を貸さないので、すごく悶々とした葛藤の時期があったんですね。
なので、今回こういう機会に、親御さんは、なんで子どもに働いてもらいたいのか、働くことを求めるのか。子どもの生き方を認めることができないのかというところをぜひお聞かせいただけるとありがたいです。
ぼそっと:ありがとうございます。「なぜ働くことを求めるの?」っていうのは結構、ド直球の問いかけですけれども、どうでしょう。
ローズ:私は働くことって当然のこと、当たり前のことというふうに親から刷り込まれてきたというか、ずっと迷いもなくそう信じていました。でもいま、いろいろな思いや経験をして、それだけではない。学校を卒業して働くことが当然ではないというのを感じています。その人なりの働き方ができればいいと思っていますし、お金だけがすべてではないと思っていますし、自分自身もいま現在も働いていますが、働くことによって得るものというのは人とのつながりであったりするんですね。そこが働くっていう意味かなって思います。人を通して、いろいろなことを学ぶことができたのが、働くっていうことかなって私は思いました。
ぼそっと:なるほど。働くことで得られるのはお金だけじゃない、人とのつながりもあるからだということですね。
フク:私もそう思うんですよ。親が亡くなったとして、生きていくためにはお金も必要だし、それから先ほど言ったつながりというのも必要だし、そういうものは働くことによって得られると。働くって、何も素晴らしいことをやれということを言ってるわけじゃないし、働く術というのはいろいろあると思うんですね。同僚と一緒に働くことになっていきますから、人との関係性もそこで認識できるわけですよね。よさも、逆に悪さも抱えちゃうかもしれませんけれども。ただ、ずーっとやってない子がいきなり働けというのは、なかなか難しいですよね。言うのは簡単だけど。
実は私の息子に、1か月ぐらい前、ある機関のチラシ、それは働くためのスキルだとかそういうものを全部教えて、カリキュラムのあとに就職先を探す、お金も一切かからないという、行政の支援が入ってるものらしい、その機関のチラシを持っていきましたらね、うちの息子はそれを見ただけで拒絶反応を示しましたね。それからしばらく口も聞きませんでした。いまはだんだんおさまってきましたけどね。
ヌヌカ:トトロさんが「なぜ?」って言われたことに対しては、率直な意見がなかなか浮かばないんですけど、生きるための手段みたいなものじゃないかなって思うんですね。その中で切磋琢磨して、得るものがあるんじゃないかなと思います。うちの息子の場合なんですけど、うちは就活で失敗してうつみたいになっちゃって、外の関わりを遮断しちゃったので、元気になったら、いつか就活を始めるって思っていたんですね。そんなときにうちの息子は「ひきこもり」の定義に入ってることを知って。
いまの息子を見ていて、バリバリ働けるとは思えないし、もちろん働けとも言えないし、言うこともないと思います。いまは、なんとなく働くということがタブー視されているような感じがするんですね。でも、いつか働いてほしい、いつか働くだろうという希望みたいなものを私は彼に持っていて。彼に寄り添って、彼を見守っていられるんじゃないかなって思うので、せめて希望として、働いてほしいっていうことは、その気持ちだけは持ってていたいな、持ってていいでしょって、持っててもかまいませんよねって皆さんにお聞きしたいなって思います。
ぼそっと:なるほど。いまタブー視されているとおっしゃいましたけども、それは働くことを目的する支援、いわゆる就労支援というのがタブー視されているんじゃないかっていうご意見ですか。
ヌヌカ:そうですね。頭から働くことを目的とするんじゃなくて、ある程度の段階がいると思うんです。彼を見ていてすぐに働くなんていうことは無理っていうか、体力的にも無理だろうなって思うんですね。だから、とりあえずいまは外との関わりを持って、そして何かしらアルバイトをするとか、居場所の中で皆さんとコミュニケーションを持つとか、そういうことから始まっていくんじゃないかなと思います。で、また働くっていうことが出てくるんじゃないかなと思いますので、頭から働けということはちょっと違うんじゃないかなとは思っています。

親子で違う?「働く」定義

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当事者のみなさん

ぼそっと:“働く”というテーマに関しては、親御さん側の意見と子ども当事者側の意見がまるで立体交差してる道路と線路みたいに、違うところで行き交うことが多いんですけれども、今度は、当事者の皆さんに聞いてみましょうね。働くことについてはどう感じていらっしゃいますか。
タカシ:まず私の個人的な状態を説明しますと、私の家はちょっと特殊で、「おまえなんて働けるわけがない」と言われ続ける家だったんです。そういう家だったので、働くことが幸せとか、いいとかも最近までわかっていなくて、むしろ先ほどのローズさん、フクさん、ヌヌカさんのお話を聞いて、僕がおぼろげながらに思っていたとおりなんだなと思って、話を伺えてよかったなって思いました。
で、働くかどうかについてなんですが、ひきこもったままで働かないでい続けるのも寂しい人生かなと思うので、僕は40代後半という年齢ですけれど、これから働きたいなと考えています。だから親御さんにも、働いてほしいなという希望は持ち続けてほしいし、その幸せが得られるよう応援してほしいし、あと働ける場所を、最近はひきこもりの人が働けるネット上のサイトとかもありますが、本当に作ってほしいなって思っています。
働くことの怖さへの原因の一つとして、ひきこもっていた人は社会の最後尾、最低辺として働きに出るという面があると思うんですね。ただでさえ人づきあいに難のあるひきこもりの人が、職場で本当に働けるのか、それが幸せのゴールであると自分が思えるかというと、なかなかそうは思えないし、不安と恐怖でいっぱいいっぱいだろうと思うんです。
トトロ:私は、親御さんが息子さんに社会に出てもらいたいとか、親の思いとして持っている分にはかまわないと思うんです。でないと、親もいつまで待てばいいというか、親も親で辛いと思うので、持ってもらうことに関しては僕は否定はしないなというふうに思います。ただ、それを押しつけていくとか、絶対これで行けとかやるっていうのは、ちょっと違うかなというふうには思います。
というのが一点と、もう一つ矛盾になるんですけど、私が動けたきっかけというのは、いま思えば親のおかげなんです。先ほどの機関のように、私の親が新聞広告で「こんな求人が出ていたから応募しなさいよ」とか、いろいろ手をかえ品をかえ言ってきてくれたんです。その当時は、私にはすごく重かったし、「そんなことわかってるよ。それよりも働きたいけど働けないこの気持ちをまずは受け止めてよ」というところがすごく強かったんですけれども、今回こういう機会をいただくにあたって、いま一度振り返っていくと、こんなに自己肯定感が低かったり、体験がなかった息子であっても、そういう期待を寄せてくれるというか、待っててくれているんだということは、ある意味、希望にもなるかなと。そういう意味でも親が思うことを本音で言ってもらえると、本人も聞く耳を持つタイミングであればいいのかなと。ただ、それを選択するかしないかは本人次第。だけれども、周りがそういう環境を整えていくということは、私は大事なんじゃないかなと思います。
父が亡くなるときに最後、父と電話で話した時期があるんですけど、そのとき父が言ってましたね。なんと「働け」と。親が、具合が悪いなかでも働くことを期待するというか、これが親の思いなんだというところもちょっと私は触れた部分があって、いやだなとか、面倒くさいなとかと思うことありますけど、それが親というものなのかなっていうふうに思いました。
あつこ:私の場合は、ご両親が仕事をしてほしいと思ってていい?っていうすごいやさしい投げかけにすごいびっくりしたっていうか、働けとか、もっと乱暴な言い方をするのかなって構えてたんですけど、「働くと思っててもいいの?」っておっしゃってて。私は働きたいと思ってるので、その気持ちはすごくうれしいなと思いました。
しもニキ:私の場合は、そもそもなんで自立しなきゃいけないの?っていう感じになって。小さいときから親に虐待されて育ってきて、いま両親から言われてるのは、「いつになったら働くんだ?」っていうことが一つと、私、ピアサポーターという活動をしてるんですけと、社会活動という形でやってるんですけど、「金にもならないことをするなよ」ということです。
働くっていうことに私はイメージがわかないし、働きたくて働けない葛藤が現在も二重にからみ合っているんですけど、私が母に「働くってどういうことなの?」って聞いても、「給料をもらって働くことが働くっていうことなんだよね」とは言うんですけど、私の中では、お金をもらってっていうことではなくて、例えばお金もらったならば、生活して食べていかなければならないっていう両方がきちんとセットになって詳しく説明してくれればわかるんだけど、ただ「働け、働け」って言われるもんだから、私の中では働くことに関してすごいプレッシャーになって、そこから身動きがとれない状況です。
ぼそっと:なるほど。お金にならないなら働いてることにならないっていう親御さんと、お金になんなくても働いてるんだというしもニキさん。そういう対立があるわけですね。
しもニキ:はい。
ぼそっと:こういうことは、親御さんの立場の方はどのように思われますか。
ローズ:お金だけがすべてではないと思います。働くっていうことの中には、人のためになるっていうことも含まれると私は思います。
フク:うちもお金をもらうという働きはしてませんけれども、いわゆる家事をかなりやっていますね。ですから、親がそれをどう評価してあげられるかどうかですね。仕事をやって動くようになるというのは、非常に大変なことですよね。親が亡くなったときにどういうふうに生活ができるかということは考えておかなくちゃいけないことだなと思うんですね。ですから、働かないとしょうがないよということじゃなくて、働くは働いてるんだと。家事でも働いているんだと。ただ親が亡くなったあと、どうするんだということを親が考えざるを得ないんじゃないかと。
いろんな仕組みを作って、そういう子どもにも働く場を提供できるようなことになってくればいいわけですけれども、いまはまだちゃんとしたものがないわけですから、そういうところまで親が考えておく必要があるんだろうなと思います。それは行政もからめなきゃいけませんよね。行政の仕組みがどういう形でそれができるかどうか。そういうふうに話を持ち上げていかないと、働けといって、いや、働けないという子どもたちを考えた場合には、日本は大変なことになっちゃうと思うんですね。
ぼそっと:この問題、先ほどの親亡きあとの問題にもかかわってくるということですね。
フク:そうなんです。
ヌヌカ:私は、自分の生活をまかなえるぐらいにはなってもらいたいなと思っています。でも、そのために彼自身が何かしらの支援とか手段みたいなものを得なければならないなら、それも受けながら自分の生活ができるぐらいになってほしいな。それはしもニキさんのようにピアサポーターとか、そういう人のためになるような手立てでも私はかまわないと思っています。だから、ローズさんがおっしゃったみたいにお金がすべてではないと思います。働く方法は、いろんな手段があるんじゃないかなと思っています。

「働く」前に決着をつけたいこと

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司会のぼそっと池井多さん

ぼそっと:なるほど。私はひきこもり当事者、子どもの立場なんですけども、この年齢ですから、よくひきこもりの親御さんに間違われるんですね。いまの親御さんの方々が育った時代に私も育っているので、その時代というのは高度成長期でどんどん生活がよくなっていって、そしてお金を稼ぐということの意味も違っていたし、働きがいというものも違っていたと思うんですね。そういう時代の価値観でいまの若いひきこもり当事者の人たちの働き問題を考えると、どうしてもズレが出てきてしまうと私なんか思うんですけども。
それともう一つ、私が思ったのは、私がひきこもりになったときは、うつで動けなくなったんですけども、よく「働きたいけど働けない」というフレーズがありますが、私の場合うつで動けなくて働きたいけど働けなかったんですが、働く能力がなくて働けなかったのかと問い直してみると、必ずしもそうは言えないと思うんですよ。いま現在、私も働いてないわけですけども、働けるけど働かないという当事者もいると思うんですね。なんで、働けるけど働かないかというと、働く前にやっておかなくちゃいけないことがあるだとか、考えておかなくちゃいけないことがあるだとか、決着つけなくちゃいけないことがあるだとか、そういうことがあるもんだから、働くという人生に踏み出せない。そういう当事者の方、結構多いと思います。
私もその一人なんですけども、どういう問題に決着つけるかというと、親子問題にかえっていくんですね。私ももちろん意識してやってるわけじゃないんですけど、働かない人になったというのは、私なりに親に対して修了証書を出さないっていう行為だったんじゃないかなと思うんですよ。親が例えば謝ってくれるなり説明してくれるなり何かしてくれない限り、こっちは大人にならないぞみたいなね、そういうことが私の心の奥深くで起こっているんじゃないかなと。そういうことが働かないということに関係してるんじゃないかなと思うんですが、結局、就労がゴールじゃないということがよく当事者の皆さんから言われますけれども、そういうことに関してほかの当事者の皆さんはどうでしょう。どのようなことをお考えになりますか。
タカシ:就労はゴールではないという点ですが、私も同じような気持ちを実は抱いております。いまの自分は、就職活動をすればどこかで働けるかもしれない状態なのですが、働こうとすることの条件的なハードルが、経歴の穴が大きくて厳しいですし、もう一つは自分の心の整理という点でもまだ動きたくないなという気持ちが、僕にも正直言ってあります。ひきこもってきた時間をどう自分で取り扱うのか、その期間にやりたいなと思っていたことに対して決着をつけたいという思いがすごくありまして、それが就労へのハードルの一つに私はなっています。
ぼそっと:なるほどね。決着をつけたい。あつこさん、いかがでしょう。
あつこ:ちょっとだけ話が違うんですけど、私も就労の件についてちょっとお話したいんですけど。私の場合ですと、いま36で、3年前ぐらいから当事者会とかにいろいろ通いだしてから、一人でこもってて考えていたころよりも、ずいぶんメンタル的にも知識だったりとか考え方が広がっていって、一人で家の中で落ち込んで考えていたときよりは、ずいぶん世界が広がって勇気も出てきて、そんななかで最近、一緒に遊ぶというか、一緒にご飯を食べたりとかして、どっかに出かけたりとかして、一緒に楽しい体験をできるっていうことに気づいたんですね。というのは、私は今までどちらかというと生きてる実感がずっとなかったんですよ。30ぐらいまで。で、生きてる実感が全然なかったのに、少しずつ当事者会に参加して努力していたら変化して、自分を大切にしたいって思えるようなふうに気持ちが変化していって、そしたら当然、自分の人生をちゃんと生きたいっていうふうに思ったときに、生きるということは働くことだっていうふうに何も恐怖はなくスライドすることができて、アルバイトに行きだしたんです。私は。
だからきっかけというか、働くっていうのを深くもちろん考えるというのも昔の私もそうでしたけども、働くっていうことは苦しみばかりじゃなかったんだなと思って。自分が楽しい生活を得るためにお金が必要だから当然働く、生きるために働くっていう感じに私は考えがすごい変わって、就労に対してもすごい意欲的にいまはなりました。
ぼそっと:なるほど。就労がゴールというよりは、ゴールしたら、そこに就労もあるみたいな感じですかね。
あつこ:ええ。ひとまず何段階かのうちの一個にたぶん。
ぼそっと:ありがとうございます。しもニキさんはいかがですか。
しもニキ:いまから2年くらい前から、ひき仲間と日本各地を旅して出かけるようになって、親が言う働くっていうか就労っていうイメージよりも、旅をすることでいろんな人とつながっていられるっていうか、そういう感覚に陥って、まず1週間とか2週間親から離れるんですけど、ものすごい楽しいです。だからうちにいるときよりも、旅をしているほうが、これからのことを考えられる。働くことにも自分なりの勘が働きだして、いまキテいる最中ですね。だからすごく楽しいです、そのときは。

親も子も「今できること」「今つらいこと」に目を向けて

画像(VR空間の様子)

すべての対談を聞いた精神科医の斎藤環さんとジャーナリストの池上正樹さんは、いまできることをする大切さ、そして、親が自分を追い詰めないことについて、話してくれました。

斎藤:すごく学ぶところが多い議論でしたけれども、私の経験から言いますと、押しつけられた仕事はトラウマになったりという危険があります。一方で、自分から見つけた仕事でも嫌いになることもあって、なかなか一概に言えないところがあるんですが、一度、仕事は義務という発想から本人も親御さんも自由になってほしいなとは思っています。さっきの皆さんの意見で言うと、仕事はゴールという発想からも解放されて、むしろそれは過程であり結果であるという発想で考えたほうがいいのかなと思いました。
先ほどから、ピアサポートグループとか、自助グループ的な活動とか、いろんな活動が非常に役に立ったというお話が出ましたが、ある哲学者に「人間にとって大事なことは、労働よりも活動である」という言葉があるんですけれども、私もそう思うんですね。自分が関心を持てる活動、自分が楽しめる活動、もしくは今の自分にしかできない活動ですね。これを大事にしてほしい。その活動の延長線上に、ひょっとしたら就労もあるかもしれないし、それはわかりませんけれども、まずは自分が今やれる活動に没頭していくことが一番大事じゃないかなと思って聞いていました。

中野:ありがとうございます。池上さん。親御さんの中には、やっぱり働いてほしいという思いを漏らした方もいらっしゃいましたけれども、どう受け止めましたか。

池上:さっきヌヌカさんのお話の中で、いつか働いてほしいということを願ってはいけないんでしょうかという話がありましたけれども、親御さんも疲弊している、焦っているところがあると思うんで、親御さんのグチを言える場というのも必要だと思いますし、聞いてくれる人も必要かなと思います。そういうなかで、しんどいんだったら行ってほしくない、行かなくてもいいんだよということを、親御さんもそういう呪縛から解放されることによって、本人も心が救われていくということにもつながっていくんじゃないかなというふうにも思いますね。

司会を担当した「ぼそっと」さんは、対談を終えてこのように話してくれました。

ぼそっと:自分の親と自分のことを話すと、真正面からぶつかっちゃうから、なかなか話せないわけですね。これがこういうふうに、同じ立場であっても違う親御さん、違う子どもさんと斜めで対論すると、お互い話すことの中にヒントが散りばめられていて、それを拾うのは自分次第というふうに、強制されない感じがあるので、そういうのはいいかなと思いました。
ひきこもりに関する親子の対話、対談、対論というのは、本来ずーっと奥深くまで続いていく、連綿と続いていくもんであって、きょうはそのほんの入り口だと思うんですね。大河ドラマっていうのに例えますとね、きょうは第1回目に過ぎないっていう感じがしていまして、続きはまたどこかでできればというふうに思いました。即効性はなくても、こういう対話をすることで気づきやきっかけが生まれて、停滞していた家庭内の空気が動き始めるということは期待できると私は考えております。

すぐに答えが見つかるものでなないながらも、誰かの考えを1つでも知るということが一歩になるかもしれません。お互いの考えを分かち合う場を、私たち「ハートネットTV」ではこれからも作っていきます。

※この記事はハートネットTV 2020年12月8日放送「ひきこもりVR『親子対談』」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

ひきこもりVR 親子対談
(1)親子のコミュニケーション
(2)親以外の「人とのつながり」
(3)親子の悩み「働くこと」について ←今回の記事

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