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「私だから出来る事 私しか伝えられない事 妹と私の共存四年目」山田結心さん
第55回NHK障害福祉賞・優秀

記事公開日:2020年12月09日

障害者と健常者が共存するように、自分の中に「天使の私」と「悪魔の私」が共存すると書く、小学生の山田結心さん。発達障害のある妹が今年一年生になり、サポートの日々の中、イライラする、優しさにも限界がある、という気持ちと向き合っています。
今年度のNHK障害福祉賞、第2部門は「障害のある人とともに歩んでいる人」からの応募作品です。
いま通っている学校で妹を支えられる期間は残り少ないと感じ、結心さんは将来、発達障害の子どもたちを診る医師になりたいと考えています。第1部門優秀賞・山田永菜さんのお姉さんです。


「私だから出来る事 私しか伝えられない事 妹と私の共存四年目」 山田結心


障害をもつ人と、健常者は今、互いを思いやり、一緒に歩みを進めていけているだろうか。
私の妹は自閉、感覚過敏、注意欠じょを伴う発達障害がある。今年小学一年生になった。知的障害はないので通常学級になった。
発達障害と聞いても、今ではめずらしくもない。母と発達障害に関する講演会に行ったら一クラスに三人はいるだろうと言われていたし、妹の行っている病院も待ち時間は長く、患者さんであふれている。
保育園に通っている時から小さい困り事はたくさんあった。一番困るのは感覚過敏だ。感覚過敏は目に見えない。見えないから助けを求める事も、こちらが配慮する事も難しい。
妹の場合、匂いや音が大の苦手でこれこそ
「目に見えない苦痛」
だった。ただ感覚過敏は保育園の頃からあったので、母が二年も前から学校の先生と相談していた。給食の時間などにどう対応するかを入学するまでに考えていくためだ。
いざ学校に入って困ったのは忘れ物だ。注意欠じょの部分が大きく出た。毎日のように何かしらを忘れ、毎日のように母は届けた。
妹に新しい薬が処方された。
すぐに効く訳ではないので、毎日毎日、一緒に時間割をそろえて、朝は持っていくものを玄関に全部置いた。それでも忘れて、弟が中ズックを持って走って届けてくれる事もあった。分かってはいた。覚悟もしていた。一緒に学校に通うのは私だから、私が妹を守り、サポートしていくと決めていた。それでも限界があった。えん筆や消しゴムは一体何個無くしただろう。マスクは何枚無くしただろう。障害のせいだと分かってはいても悪びれる事もない態度をとられると私もイライラするし、母や姉弟も、どんどん疲れていった。
祖母も、優しく教えてあげてよ、というけれど、一緒に暮らして二十四時間共に生活している私からしたら、優しさ、にも限界があった。一方で妹の事を分かってもらうにはどうしたら良いのか、と考えている私もいた。
障害者と健常者が共存するように、私の中では
妹の事を常に考えている天使の私
毎日妹にイライラしている悪魔の私
が共存していた。どちらも私だ……。
妹の病院の先生は私にも話をしてくれる。それが私のイライラをおさめてくれていたのだと思う。
感覚過敏は誰にも分からない。音が大きく聞こえて心臓がドキドキするとか、ブレーキの音で頭が痛くなるとか、レストランに行ったら吐くとか、感覚過敏の人になってみましょうと言われても、それは出来ない。唯一、聴覚過敏の音声体験がネットにあったり、感覚過敏の子のVR体験が出来るという画像が出た。ただそれは本当の感覚過敏を一体どの位再現しているのだろう。妹の苦しみは一体どの位の人が分かってくれるのだろう。
感覚過敏の人達は服の素材や、しめつけ、タグも苦手だ。その中で多かったのがマスクが苦手だ、という事だ。コロナで、外出でも、学校でも、マスクは必須になった。でも私の妹も苦手で頑張ってつけても、鼻の所をずらす、とか工夫をしていた。
そんな中、自分自身も感覚過敏をもつという中学三年の男の子が自分で会社をおこして、その中で、感覚過敏があるのでマスクをつけられません、というバッジを作った、という記事を見た。やはり当事者でなければ分からない事がある、と思った私はその記事のコメントを見てショックを受けた。
「コロナなんだからマスクが出来ないなら外に出るな」
「感覚過敏は何でも許されるのか」
「店に入る時に手や袖で口をおさえればいい」

認知がされていない。それが私の第一印象だ。人より過敏だからマスクが出来ませんではない。マスクが口元にある事で息が出来ない錯覚になるという。実際パニックで過呼吸になる子もいるという。口を覆われている事でおきるのだから、手でおさえていても袖でおさえていても、口元をおさえられるという事は感覚過敏の人にとって
「息が出来なくなる恐怖」
と同じ事だ。もちろん、それを分かってほしい、とは言わない。健常者に分かるはずがないのだ。だから私の母は
「理解はしてもらえないと思う。でも知っててもらう事は出来る」
といつも私達姉弟に言っている。私だって妹が発達障害でなければ、ここまで発達障害について勉強する事も、いろんな手段で伝える事もなかっただろう。当事者とその家族でなければ分からない事はたくさんある。

画像(イメージイラスト。天使の私と悪魔の私)

母が私や姉弟にいつも言ってきた事は、
「骨折をした事がない人に、その痛みも不便さも分からない。大変そうだなとは思っても痛みやどの位不便かは分からない」
と言っていた。
発達障害や感覚過敏は目にも見えなければ痛いわけでもない。私は春に骨折をして、松葉杖を使う事になったのだが、骨折があんなに痛く、松葉杖がこんなに体力を使い、不便なものだとは当事者にならなければ分からなかった。
発達障害が先天性のものだという事も、大人になれば健常者と変わらない生活が出来る人もいるとは知っていても、私は妹が毎日毎日忘れ物をする事や、朝の準備にはルーティーンがあって、その順番通りじゃないとダメなので一つずれると、やり直しになるから学校に遅れそうになって
「早くしてよ!」
とイライラする事もほぼ毎日だ。
一つ一つやる事を伝えなければいけないという事も、急(せ)かしても良い事など何もない事も分かってはいる。
妹の事を分かっていて上手に伝えられるのは母だけで、母は私達姉弟にも、こう言うと分かりやすいみたいだよ、と説明はしてくれるし、
「ゆい達だってまだ子供なんだから、そんなに上手に相手が出来なくてもいいんだよ」
とは言ってくれる。
妹は今年、一年生になって集団生活での共存が始まった。家の中でも、まだ上手に共存出来ていない所もあるのに大丈夫なのだろうか、と思った。様子を見に行きたくても、私の学年は四階、妹は一階、骨折している私が行き来するのはなかなか難しい。
保育園の頃より今の方が、困った事、難しい事がどんどん増えた。聴覚過敏もあるので先生の声が聞こえない。聞こえないから何をやっているのか分からない。やる事が分からないから集中出来ない。四月、五月は、ほぼ毎日のように保健室に行っていた。
「保健室は熱のある人とかケガをした人とかが行く所だから、行ってはいけない訳ではないけど、頑張れる時は行かないで頑張ってみようね」
母はそう声をかけていた。
耳からの情報が入りにくい事は聴覚過敏の診断でも分かっていたし、検査をした時にワーキングメモリーが低かったので、どう妹に伝えるか、が家族の課題だった。
ホワイトボードに朝の流れを書いてみたり、毎日持っていくものや、その日の流れを書いた。なぜかというと検査で知覚推理の力がとても高かったからだ。目から入る情報には強いと分かった。思い当たる所はたくさんあった。
妹とトランプで神経すい弱をすると、妹はあっと言う間に覚えてしまうので、姉弟の誰も妹にはかなわない。出かけた先の風景を覚えていて上手に絵で再現出来た。だから、書いて目に見える所に貼っておぼえさせる作戦だ。心理士の先生が
「健常者は記憶を映像、ビデオのように動画で記憶しています。でも、永菜ちゃんのように知覚推理が高い発達の子は、記憶は全部写真のように静止画です。だから健常者が忘れているような事を覚えているのです」
と言っていた。
強味(つよみ)が分かったのだから、なんとか伸ばしていきたいね、と母と姉と話していた。学校のみんなと共存していく。大人になったら社会と共存していく。でも妹は友達に
「一年生なのにそんな事も出来ないの」
と言われる事もあった。言葉で上手に気持ちを伝えられないので、クラスメートとうまくいっていないのかもしれない。母が学校に用事があって行った時、ちょうど休み時間で一年生が校庭にいたそうだ。妹もその中にいたのだが、その輪から抜けて、中ズックにはきかえて、教室に戻ろうとした所を声をかけたという。いつもは妹は母が来ると安心感とあまえで、泣いたり、一緒に帰ると言うらしいのだが声をかけると、
「どうしているの?」
と笑顔になり、学校に用事があって来たんだよ、と話したあとに
「みんなと遊ばないの?」
と母が聞くと妹はこう言ったという。
「永菜ちゃんとは遊ばないって言われた。だから教室で本を読もうと思ったの」
いつもいつも泣いている妹が、この時だけは泣かずに母に話をしたのだという。母が
「あの中にママが知ってる永菜のお友達はいる?」
と聞くと二人いたので
「じゃあみんなじゃなく、二人に一緒にあそぼうってさそってみたら? お天気もいいし」
というと、
「うん!」
と言ってまた校庭に戻っていき、また母の所に戻ってきて
「あやかちゃんとさちかちゃんがいいよって言ってくれたよ。遊んでくる!」
と言って校庭に戻っていったのだと、後から私は母から姉と一緒に話を聞いた。
「いじめられてる訳でもないし、永菜はパニックになるから、みんなどう接したらいいのか分からなかったんだと思う。パニックを見たらこわいって思う子もいるだろうし。でもみんなの輪にいたのに、たった一人で昇降口に戻っていく永菜の姿を見たらいたたまれなくなった。永菜の事を分かって、知って、とも、まだ六歳や七歳の一年生の子には言えない。それでも一人で中に戻って、泣いてくれたら良かったのに、笑って遊ばないって言われた、って言ってる永菜を見るのはつらかった。ふつうに、ふつうに話すのが大変だった」
私と姉は、ただただ怒りで頭がいっぱいだった。わざわざ傷つける事をいわなくてもいいじゃないか。だれか一人位、一緒に遊ぼうっていってくれてもいいじゃないか。でも、母の言うように、一年生にそれを求めるのは無理だ。先生にも迷惑はかけられない。家で何とかするしかない。でも私だって家で毎日妹にイライラするのに、妹に何が出来るのだろう。
私は今、休み時間に妹の様子を見に行く事くらいしか出来ない。児童会に入っているので副会長の仕事があって毎日は行けない。妹に
「待ってたのに」
と言われた事もある。
「毎日行かなくていいよ。毎日じゃない方が自分でクラスの子と遊ぼうって行動してみるかもしれないからね」
と母に言われた。
妹のクラスの事ではないけれど、大人の人によっては、妹のような子とは関わらせたくないという大人もいるだろう。それはその家庭の自由だ。障害があるから優しくしなければいけないルールもない。
家族である私自身が妹にまだ寄りそえていないのに他の人に何かを言えない。病院、療育、学校、全てに走り回っているのは母だ。
四月、母は仕事を全てキャンセルしていた。コロナでほとんど何も出来なかった。私の住む岩手では、この頃感染者はゼロだったので、学校も毎日あって、いつもと変わらない毎日が続いていた。母は一学期は週に三回は学校に行き、妹の連絡帳は一学期で全部埋まりそうだった。だから母はエナノートを作った。母、担任の先生、保健室の先生で情報を共有して書いて、一か月に一度、診察の時に病院の先生にそのノートを見てもらって、アドバイスを受ける。
病院の先生はもちろん、担任の先生や周りの人達も、母に
「お母さんはとてもよくやっています」
と言ってくれていた。でも、そこには想像を絶する母の苦労がある。私や姉には妹に何か出来る訳ではないので、ご飯を作ったり、洗たくをしたりして家の事を助ける。
障害にはたくさんの不便が伴うと思う。妹は目に見えない障害をもっているから、ただのワガママだとか、しつけがなっていないという大人の心ない言葉は嫌という程言われてきた。それに反論もせず今まできた。反論する位なら、妹に何が出来るのか考えたかった。
今、私は妹と一緒に学校に通っているけれど、あと一年で卒業し中学へ行く。私が支えていけるのはあと一年だ。
妹はクラスのみんなと共存していけるのだろうか。みんな
「まだ一年生だから」
と言ってくれる。でも、いつになったら落ち着くのだろう。二年生? 高学年? 中学生になったら? 先はまだまだ見えない。
私は将来、妹を支えながら生活していこうと思っている。将来、発達障害を抱える子供達を診れる医者になり、自分がいろいろ悩んだ経験を本に書いて啓発していきたいと思っている。

永菜、大丈夫。だって私がいるから。
姉弟がいるから。

お母さんがいつも私達の側にいるから。

永菜、家族で共存していこう。私もなるべくイライラしないようにするからね。

母は周りの大人の人達にたくさんいろんな事を言われてきた。何かをしてほしいとは思わないけど、何も望まないから悪口や陰口をコソコソと言わず何も言わないでほしかった。母につらくないのかと聞いたら、
「そんな事を考えてるひまはない。だったらあなた達の事を考える事の方が大事だよ」
と言った。
母のような大人にはなれないかもしれない。でも、私は母を見ているから、妹には優しさも、ダメな所はダメと言える、妹の自まん出来る姉でありたい。
健常者だって生きていくのに悩んだり、迷ったり、苦しんだりしているのに、障害をもつ人が、健常者より生きづらいのは確かだ。でも、きっと人一倍頑張っている。どう手を差し伸べればいいか、私達は分からない。その人によってもちがうと思う。でも、障害や人一倍大変なのだから、
「大変ですね。お手伝いしましょうか」
よりは
「いつも頑張っていますね。お手伝い出来る事があったらいつでも声をかけて下さい」
と言えたら、ちょっぴり寄り添ってあげられてるのかな、とも思う。
私にはまだ、出来ていない所もある。
担任の先生、保健室の先生、病院の先生、そして家族で支えていきたい。
障害者は害ではないので障がい、と表記するようになってきているが、私はあえて障害者、といつも表記する。
障害者は世の中の害ではない。だけど、その障害で、その人が生きづらさや、社会の中で苦しい思いをしているのなら、その障害は、その人にとってやはり
「害」
だと思う。
だから私はあえて障がい者を、
障害者
と表記している。


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