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【特集】京都ALS患者嘱託殺人事件(4) 生きる希望の支援へ

記事公開日:2020年11月30日

2019年11月に京都で起きたALS患者の嘱託殺人事件。この事件で亡くなった林優里さんは生前から“安楽死”を望んでいました。人が耐えがたい状況に置かれたとき、安楽死を選ぶというのはどういうことなのでしょうか。海外の事情や、実際の医療現場で行われている取り組みとともに、病気や障害に苦しむ人が生きる希望を持てる支援について考えます。

海外で起こる“すべり坂”問題

今回の事件によって注目された安楽死。海外に目を向けると、死が間近に迫っていない人に対しても、積極的安楽死や医師ほう助自殺を合法化する国や地域は増えています。

画像(“安楽死”を法的に認めている国や地域)

フリーライターの児玉真美さんはこうした海外の状況が、今回の事件と無関係ではないと考えています。
児玉さんのインタビュー全文はこちら

画像(フリーライター 児玉真美さん)

「真っ先に頭に浮かんだのが、海外で安楽死とか自殺ほう助とかが行われているという情報がまだここまで知られていない状態だったら、たぶん、死にたいという思いでとどまっていたものなんじゃないのかなって。だけど、それが自分にももしかしたら手が届くかもしれないリアルな選択肢だとして意識される時代になった。そうすると死にたいという“思い”が“欲求”に高まってしまう。それが何かのはずみで現実の死に結びついてしまうっていう、時代性みたいなものをすごく感じましたね」(児玉さん)

自身も重度の障害がある子どもを育ててきた児玉さん。海外の事例を調べる中で懸念していることがあります。

いわゆる“すべり坂”の問題です。一歩足を踏み出したとたん坂道をすべり落ちるように、安楽死の対象が当初想定した人たち以外にも広がってしまうという現象です。

画像(“すべり坂”の懸念について)

「ここ数年ですけど、オランダで法制化に尽力してきた中心的なお医者さんたちの一部に、『“すべり坂”は起きた』と警告を発している人たちがいるんですね。自分たちは当初、終末期で耐えがたい苦痛のある人のために、その救済策として積極的安楽死を合法化した。だけど、それが時間経過とともにどんどん対象者が広がってきている、こんなはずじゃなかったと警告している方があるんです。実際オランダでは今、認知症の患者さん、精神障害者、知的障害者、発達障害の方にも対象者が広がってきていて、『終末期の人で耐えがたい苦痛のある人』だったはずの議論が、だんだん『救命できない人』から『QOL(生活の質)が低い人』に指標が移り変わってきたところがある。それに伴って、生きるに値する命と、生きるに値しない命という線引きが、だんだん社会に広がって共有されていく、そういう“すべり坂”の形もあるんじゃないかと思います」(児玉さん)

海外のこうした状況を受けて、児玉さんは日本にも危うさを感じています。

「日本でこの事件が起きたために、ALSの患者さんの安楽死をデフォルト(基準)にして議論が始まるなら、それこそもう議論の前にすべってると思うんですよ。大半の人間、とくに障害のある人たちは、ときに死にたいと思うこともあるけど、それだけじゃないし、かといって、私はこんなに幸せですって言い切るには日々つらいことも多いよねって、揺らぎながら暮らしている。そういうところにある小さな生きづらさみたいなものに、丁寧に耳を傾けることが必要だと思うんですね」(児玉さん)

自己肯定感を引き出すサポートグループ

難病を発症した患者に、医療はどのような支援ができるのでしょうか。

国立病院機構新潟病院では、難病を発症しても、患者が生きる意欲を失わないように取り組んできました。院長の中島孝さんは、従来の健康への見方を改めていくことが大切だと考えています。
中島さんのインタビュー全文はこちら

画像(国立病院機構新潟病院長 中島孝さん)

「例えばWHOは、健康を“完全に良い状態(Complete Well-Being)”として規定しています。でも実際に完全に良い状態の人なんて存在しませんよね。ちょっと頭痛があったり、慢性頭痛があったり、腰痛があったり、めまい感があったり、アレルギーがあったり。人間は完全に良い状態で生きていません。ですから、本来なら健康で生きている人っていうのはいないんですけれど、難病になったりするとすごく本人が落ち込んじゃうんですね。『自分はもう健康になれないんだから、人生終わりなんじゃないか』『生きるに値しないんじゃないか』『人からも捨てられるんじゃないか』って思うわけです。私たちはいろんな問題、いろんな症状に出会ったときに、そこに適応して、それを乗り越えていく能力っていうのがなくなっているんですね。症状をゼロにするんじゃなくて、症状を乗り越えていく能力を活性化していく医療に、もう少しシフトすればいいんだと」(中島さん)

病院では、患者が肯定的な気持ちになれるための支援に力を入れています。月に2回、ALS患者が集まって行う「サポートグループ」という取り組みです。

画像(サポートグループの様子)

患者の本音がファシリテータの言葉で引き出されると、お互いの発言の中に、前を向くきっかけを見つけられるといいます。

後藤(ファシリテータ/臨床心理士) Aさんはどうだろう?

Aさん 強く生きたいときもあるし、泣いてしまうときもある。

Bさん ときどき死にたいと思うけど、自分じゃどうすることもできないから、自殺できることをうらやましく思ってしまう。よくないことだけどね、って。

Cさん いろいろあるけど、人生2回あればいいなと最近考える。

後藤 なるほど、2回あったらどう生きるかな?

Cさん 2度目はあっさり生きたい。

Dさん ぽっくり死ねたら楽なのに。できればぽっくり逝くのが周りにもいいんでしょうね。

この日は、ある男性の一言で、場の流れが一変します。

画像(サポートグループで意見を言う男性患者)

後藤 Eさんは?

Eさん みんなぽっくり逝かないで、やり残したことやろうよ。

後藤 Eさんがみんなで生きようよって言ってくれたけどどうだろう。Aさんは?

Aさん そうなんだよね。何があるかな。この身体で。頭はまだはっきりしてるから。

Fさん 54年連れ添った妻のためにも1日でも長く生きる。

―サポートグループの良いところは?

Dさん 同じ境遇にある方たちと意見を交わすと、同じ問題で話題になり和む。

Eさん グループのある日がいつの間にか楽しみになってきた。

Bさん この集まりをなくさないでほしいし、他の病院でもぜひ取り入れてほしい。

院長の中島さんは言います。

「患者さんのお気持ちとか根底にあるところを聞き取ると、自分は否定されているんだと。社会から否定され、職場からは否定され、そして医療からも実は見捨てられているんじゃないか。そして、自分も自分のことを見捨ててしまわなくちゃいけないんじゃないかなと思っている。まず、どんなにスモールなグループであっても、そこでは対等に生きられることを証明してあげなくちゃいけないんですよ。人間として、対等であることは間違いないことなんですけども、現実の社会はとってもつらい社会で、競争社会になってますから、そうじゃないっていう空間を作る。毎日症状をコントロールして、楽しく、または問題点も解決しようとして、努力していく、または工夫していく。そうすると患者さんは必ず感じます。『あっ、自分は変わったんだな。昨日の自分と今日の自分を比べると変わってる』。そうして、またすごい気持ちが良くなります。そのようなものをつないでいけば、病気を乗り超えていく。患者さんはみんな能力を持っていますのでそこを活性化していく。それが重要だなと思ってます」(中島さん)

社会にさまざまな波紋を投げかけた今回の事件。私たちはここから何を考えればよいのでしょうか。最後にALS当事者の岡部宏生さんに尋ねました。

画像(岡部宏生さん)

「今回の事件で死ぬ権利を認めるべきだということを言っている人たちは、たくさんいてもおかしくはないと思います。ALSに発症した私もそう思っていたくらいですから。でも、そう言っている人の何割が、当事者として考えているでしょうか?死を認めるべきだということで危険を背負うことになるかも知れない人たちがいることも知ってほしいです。障害者や病気の人たちに圧力になるかも知れないこともわかってほしいです。死ぬ権利というのは、自殺のことですが、自殺は人が得た権利なのでしょうか?ほかの生物で自殺はないと思います。それが可能なことによって人間の尊厳が守られるというのでしょうか?私はそうは思いません。もし体が動かないことが尊厳を失うことというなら、私は尊厳を失った人間です。死ぬ権利は人に与えられた特権ではないと思います。人間の尊厳は人それぞれに違うのです。それをわかってほしいです」(岡部さん)

【特集】京都ALS患者嘱託殺人事件
(1)「生きたい」と「死にたい」のはざまで
(2)実行された嘱託殺人
(3)“安楽死”をめぐる声
(4)生きる希望の支援へ ←今回の記事

※この記事はハートネットTV 2020年11月4日放送「シリーズ京都ALS患者嘱託殺人事件 第2回 “安楽死”をめぐって」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

【関連リンク_健康チャンネル】
ALSをはじめとする「脳・神経の病気」についてのまとめページがあります

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