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【特集】京都ALS患者嘱託殺人事件(3) “安楽死”をめぐる声

記事公開日:2020年11月30日

2019年11月に京都で起きたALS患者の嘱託殺人事件。この事件で亡くなった林優里さんは生前から安楽死を望んでいました。この安楽死について、私たちはどのように考えればよいのでしょうか。番組に寄せられた視聴者の声や専門家の話など、安楽死をめぐるさまざまな意見をみていきます。

ALS当事者が考える“生と死”

すごく辛い。早く楽になりたい。
助からないと分かっているなら、どうすることも出来ないなら、本人の意識がはっきりしていて意思を明確に示せるなら、安楽死を認めるべきだ。
(生前の林さんの言葉)

画像(林優里さんの写真)

徐々に体が動かなくなっていく難病・ALSを患っていた林優里さん。2019年11月、死期が間近でなかったにもかかわらず、自ら依頼して、面識のなかった医師2人に殺害されたと見られています。

この事件について、番組にはさまざまな意見が寄せられました。
番組に寄せられたみんなの声

亡くなった林さんと同じALSの当事者は、今回の事件をどのように受け止めているのでしょうか。

14年前にALSを発症した、岡部宏生さんです。文字盤を通して心境を語ってくれました。(岡部さんのインタビュー全文はこちら

画像(岡部宏生さん)

「私は今回の事件をとても衝撃的に受け止めています。その理由を申し上げます。ひとつは患者である林さんと、嘱託殺人を問われている医師たちには面識がなくて、SNSだけでつながっていたことです。林さんが死にたいと思った気持ちは分かるつもりです。私も発病初期も、発病してから何年も経過してからも、死にたいと思ったことが何度もあるからです。でも、林さんの死に方については、本当にこんな死に方をしてよいのだろうかという気持ちがぬぐえません」(岡部さん)

―ALSの方は、発症したときに、少なからず死を考える方が多いと聞きます。岡部さんの場合はどんなときに死にたいと思ったことがあったのでしょうか。

「私は治る見込みがまったくなくて、近いうちに、何も自分ではできなくなってしまうと知ったときに、死んだ方がよいかなと思いました。だんだん病気の期間が経過していくと、生きることと死にたい気持ちのせめぎ合いとなりました。私は呼吸器をつけて生きようとは思っていませんでした。妻に死なれたときは1年以上死ぬことについて考え続けました。具体的な方法を何度も考えました。そんなときに、私もスイスに行けば死ねるのだと知ったときは、本当に安堵感を感じました。自分も死を選択できるのだと、分かったときの安堵感は今も忘れられません。でも、具体的にスイスに行こうと検討を始めたら、一体誰が連れていってくれるのだという壁に当たったのです。私の介護をしてくれている人たちに、そんなことを頼めるはずはありません。そこで、自分はやっぱり死ねないのだと思って、生きるしかないのだと思うようになりました。踏みとどまって頑張れる理由はALSによって発信ができなくなった患者です。『あなたはまだ発信できるでしょ?私が発信をできたらどんなにつらくても頑張るよ』と言われている気がするのです。私は今そうした思いで自分を支えて『死にたい』から『生きたい』に自分を変えています」(岡部さん)

“死ぬ権利”はあるのか?

番組には、生きるか死ぬかは個人の選択を尊重すべき、という声も多く寄せられました。

鳥取大学准教授で生命倫理が専門の安藤泰至さんは“安楽死”という言葉の意味を、見つめ直す必要があると考えています。(安藤さんのインタビュー全文はこちら

画像

鳥取大学准教授 安藤泰至さん

「ここで注意しないといけないのは、安楽死は本当に安楽なのか、尊厳死は本当に尊厳があるのかということ。たとえば、すごく安楽でない状態、苦痛でどうしようもない状態は、ある部分は薬のようなものでその苦痛を和らげることができるわけです。そうしたときに、表情が柔らかくなったとか、今まで会話ができなかったのが、会話がスッとできるようになったとか、笑顔が出たとか、患者さんの苦痛が和らいだと証明ができるわけです。ところが、その人を死なせることによって苦痛から解放するというのは、それは本当に問題を解決したのかというと、私は全然違うと思うんですね。つまり死んでいく瞬間にその人が本当に安楽かどうかっていうことは、分からないわけです。死んでしまってから、それが死ぬという選択をして正しかったのかと証明されることは、絶対にないわけです。逆にそこで思いとどまったときに、あとから『あのときに思いとどまって良かったな』と思う人は一般的な自殺でいくらでもあること。そういう可能性を絶ってしまうこと、それを安易に肯定するっていうのは、自分で選んだ死であっても、やはり命をすごく軽んじていくようなことになってしまうんじゃないかと思います」(安藤さん)

死の自己決定や死ぬ権利という考え方についても、安藤さんは慎重な立場をとっています。

「よくこういう問題を論じるときに、個人の死生観はそれぞれ違うんだから、同じ状況になっても死にたいと思う人もいれば、生きたいと思う人もいると。死にたいと思う人の死ぬ権利を認めることは、生きたいと思う人に対しては何も言わないんだから、勝手じゃないかって言う人が結構いるんです。私はそうは思わないんですね」(安藤さん)

そこで安藤さんが挙げるのが、とある遊園地にあるレストランでのたとえ話です。ほかに食べるところがない状況で、そのレストランのメニューは500円のカレーライス、3000円のAランチ、5000円のBランチ、10000円のCランチしかありません。そこに家族連れで入った人は、ほとんど全員がカレーを食べるでしょう。それはカレーがすごくおいしいからでも、カレーが好きだからでもありません。他のメニューを選んだときに経済的な負担が大きすぎるから、というものです。

「つまり、ある状況に陥ったときに、死にたくなるか生きたくなるかは、もし生きようとしたときに、生きるための負担が自分にものすごく全部かかってきて、人の助けが得られないっていうような状況の中でその選択をさせるのは、結局、その人は死になさいと言っているのと同じことだということです。だから、そういうところで自由な選択とか自分の価値観に合わせた選択っていうことはあり得ないんだと。そういうマイナスの情報だけを聞くと、人は誰でも落ち込んでいきますし、生きることにまったく自信がなくなってしまって、非常に不安が強くなっていく。そこをやっぱり考えないといけないと思うんです」(安藤さん)

人が死を選ぶのは、支援がない中で追い詰められた結果だという安藤さん。(4)では、海外の安楽死の事情や、実際の医療現場で行われている支援の取り組みを見ていきます。

【特集】京都ALS患者嘱託殺人事件
(1)「生きたい」と「死にたい」のはざまで
(2)実行された嘱託殺人
(3)“安楽死”をめぐる声 ←今回の記事
(4)生きる希望の支援へ

※この記事はハートネットTV 2020年11月4日放送「シリーズ京都ALS患者嘱託殺人事件 第2回 “安楽死”をめぐって」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

【関連リンク_健康チャンネル】
ALSをはじめとする「脳・神経の病気」についてのまとめページがあります

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