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【特集】京都ALS患者嘱託殺人事件(1) 「生きたい」と「死にたい」のはざまで

記事公開日:2020年11月30日

2019年11月に京都で起きたALS患者の嘱託殺人事件。この事件について、亡くなった林優里さんが“安楽死”を望んでいたことばかりが注目されていますが、ツイッターやブログでは趣味について語ったり、同じ難病の患者を励ましたりするなど、“安楽死”以外の内容が多くつづられていたことはあまり知られていません。残された言葉から、林さんの心の軌跡をたどります。

ALS発症後の心の葛藤

2018年4月25日、林さんは“tangoleo(タンゴレオ)”というハンドルネームでツイッターを始めました。

画像(林さんのツイッター画面)

はじめまして。tangoleo(タンゴレオ)です。
ALSを発症して7年になります。
この度、勇気を出してツイッター始めました。
海外で安楽死を受けるため始動します!
色々乗り越えなくてはならない壁がありますが、挑戦しようと思います!!

私達は弱い立場だけど、ここで位は不満や愚痴、どんどん言っても良いと思います。
分かり合える人が居るだけで救われます。
そうでもしないと心壊れてしまいます。

私はもう身体を動かすことも食べることも話すこともできない。
ツイートも視線入力のパソコンを使ってるのですごく時間がかかる。
もっと言いたいこといっぱいあるのに。。。

1968年に生まれた林優里さん。大学を卒業後、東京のデパートに勤務していましたが、建築を学ぶためアメリカに留学。帰国後は東京都内の設計事務所で働いていました。

画像

林優里さん

2011年にALSを発症し、父親の暮らす京都に戻ります。

病気がわかった時 東京で仕事をしていたが、焦りと不安で実家(関西)に戻ることしか考えられなかった。
それが正しかったのかどうかは今でも疑問だけれど。
ケアマネさんや相談員さん、リフォーム屋さんなど
みんなで実家にエレベーターをつける案や色々考えたが
結局私は父に無理を強いることができず、生活保護を受けて一人で暮らすことを選んだ。
今考えると、自立していたかったというのもあったのだろう。
決断したはいいも、苦しめられたのは部屋探し。
地域を選ばなければ良いのだろうが、父に買い物くらいは頼みたいし、当初は何かあった時に実家に近い方が良いということで 街中の家賃高めの地域で探すことになった。
あとはバリアフリーが条件。
生活保護受給者に貸してくれる物件はそうそう無い。

ヘルパーからの介助を受けて、一人暮らしを続けていた林さんですが、常に人手不足に悩まされていました。

私は24時間介護が必要。独居で家族がいないので
常時ヘルパー不足のピンチに陥っていながらもこれまでやって来れたのが奇跡に感じる。
事業所が変わっても続けて来てくれる人や自分で事業所を立ち上げて戻って来てくれる人や
たくさんのヘルパーさんに助けられてここまでやって来れた。
でも万年のヘルパー探しはかなりのストレス。
いつ穴が空くか分からない不安にいつもさいなまれている。
始めは男性は拒否してたがすぐにそんなことも言えなくなった。
だがやはり難しい。

私がもう早く終わりにしたい、と言ってるのを知ってるヘルパーさん達はALSのニュースを見つけると知らせてくれる。
そして諦めるなと諭してくれる。
気持ちはとてもうれしい。
でも、、、私の気持ちは変わらない。

画像(文字盤のやりとり)

私はもう何年も前から話せなくなったので、文字盤というものを使ってコミュニケーションを取っている。
苦労を減らすため自然と必要最小限のことしか話さなくなった。
今では慣れたヘルパーさんとは用事以外のことも話すが、感情表現をすることはまれだ。
だから口では簡単に1秒で言える「ありがとう」が文字盤では異常に照れくさい。
だからたまに言うと何か感情が込み上げる。
「ありがとう」のとこでヘルパーさんと視線が合うと泣いてしまうことがある。
感謝と世話をかけてることへの思いがこみあげる。
ヘルパーさんももらい泣きしてしまったり、「照れる!」、「らしくない、ヤメテ!」、「どうしたん?!」と言われたり。
でもやっぱりみんな笑顔で嬉しそう。
だから「ありがとう」を増やしていけるようになりたい。

生の希望と安楽死のはざまでゆれ動く気持ち

林さんはSNSを使って、ほかの難病患者とも交流を重ねていました。ある難病の女性と交わした言葉が残っています。

勇気と覚悟をもって、病状を詳しく伝えたあと、
「(自分も別の病気を治せたから)気合いで治せる!」とか「気に病むな」とか言われると、がくーってくる。
(難病の女性)

画像(林さんのツイッター画面)

やっぱり当事者にしかわからない気持ちって多いですよね。
修行だ!とか運命を受け入れろ!とか言われてもねぇー。
(林さん)

ねね、ほんとそうですよね。
受け入れろって言葉で言うのは簡単だし、自分でもそうしなきゃなというのはあるけど、気持ちなんてコントロールできないですよね。
(難病の女性)

やりとりを交わした女性がインタビューに応えてくれました。

画像(林さんとSNSでやりとりをかわした女性へのインタビューの様子)

「タンゴレオさんと私は働いて、障害がない中で生きていた時間がわりとあって、病気が発症して、どんどん体が動かなくなっていくっていう、同じようなプロセスを経ているので、どんどん体の自由が奪われて、生活ができなくなっていくのは恐怖でもありますし、そうした中でポジティブな気持ちを持って生きていくのは、すごく難しいことだなと思っています。そうした中でタンゴレオさん(と私は)非常に近い悩みを持っていて、やりとりをしていても気持ちをわかってくれる。共有できるっていうことだけでもすごく救いでしたね」(ある難病の女性)

“安楽死”を受けることを追求していた林さんですが、治験のニュースを見て、死への望みを先延ばししたこともありました。

ここ数ヶ月の間に次々とALS関連の治療法や新薬のニュースが出て来ている。
来年にも治験が始まるかも、、、というのだ。
そこで、このブログのテーマに掲げている「スイスで安楽死を受ける」と言う挑戦をしばらくお休みさせてください。
来年の様子を見てみたいのです。
ここまで7年も耐えてきたのだから。

3日前にご報告させてもらった「安楽死を受ける挑戦へのしばしの休戦宣言」。
私ははっきりした目的を掲げてこのアカウントを立ち上げたので、自分の立ち位置をみなさんに伝える責任があると考えたのですが、意外にも友達から「嬉しい」という声が寄せられて、とてもありがたくも複雑な気持ちです。

残された言葉からは、林さんの心情が「死」一辺倒ではなかったことがうかがえます。

発症して1年ほど経った頃の友人にあてたメールが見つかりました。

少しでも希望が湧くような話題は何ひとつなく、逃げ出したくなる事がよくある。
でも自分の体の事なので
自分が責任を持たなくてはならないと思うので、
逃げないでちゃんと聞いて
考えるようにしなくてはならないと思ってる。
それでもやっぱり
時々もう
いっぱいいっぱいになって、
おかしくなったように泣き叫んでしまう。
その後少し心が静かになると、
希望をもってがんばっている患者さんのブログ等を読んで、
私も奇跡を信じてがんばらなきゃ。って
少しまた思えるようになる。
ねっ、今日はなんだかとっても前向きでしょ?
この調子で元気を出せたらいいんだけどなぁ。
でもたまには思いっきり泣いて
また立ち上がれればいいなと思います。

画像(イメージ)

ネコが大好き。 でも自分の世話も他人にしてもらってるのに飼えるわけがない。
見かねた訪問看護婦さんのネコ好きの方が
私のとこに連れて来るために保護ネコの子猫、おとなしそうな子を引き取ってくれた。
でもケチをつけられ、大事になってしまった。
私達重度障害者の生活は思わぬ制約が多いのだ。
なんで?!と納得がいかないこともしばしばある。
特に危険(怪我)だと思うと誰かが言い出せば(個人の主観によるものであっても)、禁止事項になってしまったりする。
酷い時はたった1週間入院した病院の看護婦さんが意見したことがまかり通ったりする。
私は、自分で納得いかないことにはことごとく戦ってきた。
誤嚥の危険があるからと食事介助を訪看に頼むと言われた時も、一人介助の排泄はベッド上で、と言われた時も、、、。

林さんの投稿には、周囲との温かなやりとりが読み取れる一方で、ALSの厳しい現実も赤裸々につづられていました。(2)では林さんが死ぬまでにどのような心情の変化を経ていったのかをたどります。

※文中に掲載した林さんの言葉は、本人のツイッターとブログから引用したものです。内容を一部省略した箇所があります。

【特集】京都ALS患者嘱託殺人事件
(1)「生きたい」と「死にたい」のはざまで ←今回の記事
(2)実行された嘱託殺人
(3)“安楽死”をめぐる声
(4)生きる希望の支援へ

※この記事はハートネットTV 2020年11月3日放送「シリーズ京都ALS患者嘱託殺人事件 第1回 視線でつづった586日」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

【関連リンク_健康チャンネル】
ALSをはじめとする「脳・神経の病気」についてのまとめページがあります

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