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“安楽死”をめぐって(1)NPO「境を越えて」理事長・岡部宏生さんに聞く

記事公開日:2020年11月04日

去年11月、ALS患者の女性が面識のなかった医師2人に殺害を依頼したとされる、京都ALS患者嘱託殺人事件。女性は生前SNS上で、日本でも“安楽死”(※注)を受けられるようになることを求めていました。この“安楽死”について、私たちはどのように考えればよいのか。14年前にALSを発症し、現在は重度障害者の介護者育成を進めるNPO法人「境を越えて」の理事長・岡部宏生さんに聞きました。

注:いわゆる「安楽死」には、
① 医師が致死薬を投与する「積極的安楽死」 
② 医師が処方した致死薬を患者自身が服用する「医師ほう助自殺」 
③ 延命治療を手控えたり、中止して死を待つ「消極的安楽死」
などがあります(他にも様々な分類や解釈が存在します)。この記事では①と②を合わせて“安楽死”と表記します。

報酬によって殺人を請け負う医師がいたという衝撃

──今回、同じALS患者の方がなくなった事件について岡部さんはどう感じていますか。

岡部:私は今回の事件をとても衝撃的に受け止めています。その理由は患者である林さんと、嘱託殺人を問われている医師たちには面識がなくて、SNSだけでつながっていたことです。しかも、事前にお金が支払われていたことです。報酬によって殺人を請け負う医師がいたということになります。彼らの発信したものを読んでみると、それはそれなりに意見を持っています。でも、注視しないといけないのは、考えよりも何が実際に起こったかという事実です。解釈は無限にありますが、事実は1つです。林さんが亡くなったことと、それを実行した医師がいるということです。私はその事実に衝撃を受けました。
林さんが死にたいと思った気持ちは分かるつもりです。私も発病初期も、発病してから何年も経過してからも、死にたいと思ったことが何度もあるからです。でも、林さんの死に方については、本当にこんな死に方をしてよいのだろうかという気持ちがぬぐえません。

──ALSを発症すると少なからず死を考える方が多いと聞きます。岡部さんご自身の場合、どのようなときに死にたいと思ったのですか。

岡部:私は治る見込みがまったくなくて、近いうちに、なにも自分ではできなくなってしまうと知ったときに、死んだ方がよいかなと思いました。それとネットでいろいろALSのことを調べてみると、自ら死を選んだ方のことを、読むことができました。やっぱりそう思うのだなと思ったものです。初期のころは、そういう感情で死にたいと思ったのですが、だんだん病気の期間が経過していくと、生きることと死にたい気持ちのせめぎ合いとなりました。
私は呼吸器をつけて生きようとは思っていませんでした。その気持ちに迷いが生じたのが、先輩患者で、明るく前向きに生きている人を見たからです。その先輩患者はこんなに過酷な病気なのに、ほかの患者の支援をしたり、患者全体の療養環境の向上のために厚労省や国会議員などに働きかけ続けていました。本当に驚きました。その姿をみて、自分もあんなふうに生きられないかと思ったことが、生きてみようかなと思ったきっかけです。それをきっかけにして生きることを決意して、在宅療養の介護体制を築いたのです。

それなのに、つらいことがあると、死にたくなってしまうのです。例えば、事業所の人間関係に悩んだときとか、同じ病気の方に「これから先どうやって生きていこうか」という相談をされて仲良くなった方が、亡くなってしまったときなどです。中でも妻に死なれたときは1年以上死ぬことについて考え続けました。具体的な方法を何度も考えました。呼吸器を外せないか、何かトラブルを起こせないかと毎日考えたのですが、無理でした。そんなときに私もスイスにいけば死ねるのだと知ったときは、本当に安ど感を感じました。自分も死を選択できるのだと、分かったときの安ど感は今も忘れられません。
でも、具体的にスイスにいこうと検討を始めたら、一体誰が連れていってくれるのだという壁に当たったのです。私の介護をしてくれている人たちに、そんなことを頼めるはずはありません。そこで、自分はやっぱり死ねないのだと思って、生きるしかないのだと思うようになりました。少しだけ林さんのことに触れますが、林さんは普段から自分に関わってない人だからこそ、頼めたのではないかということです。

「死にたい」という思い、踏みとどまる理由

──生と死のせめぎあい……今でも死にたいと思うことはありますか。

岡部:死にたいと思うことはあります。思ったようにならないことがたくさん重なるときは、今でも死にたくなるようなときがあります。具体的な例を挙げてみます。私は現在4つの患者団体の役員と法人2つの代表をしています。内心は相当がんばっているつもりです。それこそ、命がけで頑張っているつもりなのに、病気は進行していきます。どんなに頑張ってもダメなんだなと思うときは死にたくなってしまいます。

でも踏みとどまって頑張れる理由は、二つあります。
1つは私と目標を共有してくれている仲間がいることです。「境を越えて」(注:岡部さんが理事長をつとめるNPOで、重度障害者を支えるための特殊な技能が必要とされるヘルパーを全国で増やすために活動している)というNPOの活動の仲間もそうですし、私の毎日を支えてくれている介護者は私のために自分の生活をかけてくれています。そういう人たちに死んだらあわせる顔がありません。
もう1つ私を支えてくれているのは、そこに写真がありますが、ALSによって発信ができなくなった患者です。私も相当コミュニケーションは不自由ですが、ALS患者の約1割はまったく自分から発信ができなくなります(注:TLSという、眼球すら全く動かない完全な閉じ込め状態)。私はそうなるのが怖くてなりません。そういう患者仲間に「あなたはまだ発信できるでしょ?私が発信をできたらどんなにつらくても頑張るよ」と言われている気がするのです。私は発病したときに、もしALSが治るならどんなにつらくても治療やリハビリをすると思いました。死ぬほどつらくても、絶対やると思ったのです。きっと発信ができなくなった患者はそう思っているでしょう。どんなにつらくても、発信できるならすると。私は今そうした思いで自分を支えて「死にたい」から、「生きたい」に自分を変えています。

画像

文字盤で語る岡部さん

「死ぬ権利」は認められるべきか

──事件を受けて「死ぬ権利を認めるべき」「自己決定を尊重すべき」といった意見が多く見られました。自分の死は自分で決められるべきだという意見に対してどのように考えていますか。

岡部:発病したころになんで死ぬ権利を認めてくれないのかと強く思っていました。生きる権利を認めるべきだというのは分かるけど、あまりに社会資源が必要になって、実現はなかなか困難です。だったら生きられる社会を目指しつつも、死ぬ権利を先に作ってもよいのではないかと思ったのです。今回の事件で死ぬ権利を認めるべきだということを言っている人たちは、たくさんいてもおかしくはないと思います。ALSに発症した私もそう思っていたくらいですから。でも、そういっている人の何割が、当事者として考えているでしょうか?
自分は元気で生きて死ぬときは長く患うことはなくて介護も受けずに、いわゆるピンピンコロリで死にたいと思う気持ちは分かります。でも、そうはいかないのです。日本人の約8割の人が最後の約10年、介護を受けて亡くなります。男性は9年間、女性は12年だそうです。安易に、死にたいから死ねる仕組みを作ったら、そういう人たちは、みんなどういう道を選ぶでしょうか?たくさんの人が、死を選ぶでしょうか?老人になることは障害者とよく似ているところがあります。障害者も死を選ぶ人が増えるでしょうか?とくに中途障害者はそう思う人も多いかも知れません。そういう世の中になるかも知れないことを分かって意見を言っているのでしょうか?とてもそうは思えません。
また、よく言われることですが、死を認めるべきだということで危険を背負うことにかも知れない人たちがいることも知ってほしいです。障害者や病気の人たちに圧力になるかもしれないことも分かってほしいです。もっと言えば、死ぬ権利というのは、自殺のことですが、自殺は人が得た権利なのでしょうか?他の生物で自殺はないと思います。それが可能なことによって人間の尊厳が守られるというのでしょうか?私はそうは思いません。命に尊厳はあっても、それは全ての生物の生命についての尊厳です。人間の尊厳は人それぞれに違うのです。それを分かってほしいです。もし体が動かないことが尊厳を失うことというなら、私は尊厳を失った人間です。死ぬ権利は人に与えられた特権ではないと思います。

人との関係性を作りやすい社会へ

──今回のような事件が起きないために、どんなことが必要だと思いますか。

岡部:私は人との関係性が作りやすい社会を目指してほしいと思います。ある人に言われたのですが、「私や岡部さんのように人との関係を結ぶのが得意な人はよいけど、苦手な人はどうしたらよいのかな?」という問いが私に考えさせてくれました。死ぬまでに介護や支援を必要とする人は、日本人の8割にのぼるのです。しかも、介護をするのは良いけど、介護を受けるのは嫌だという考えを、多くの人がずっと昔から有しているのです。でもそうはいかないのが現実です。どうか人が人に関わる社会を目指してほしいと思います。人と関わることが苦手な人は、同じように人と関わることが苦手な人と関わってほしいと思います。コロナで直接人と関わりにくくなってしまっています。でも、それを乗り越えて私のところに来てくれている人たちには、前より感謝の気持ちが強くなりました。少しくらいの失敗なんて、されてもよくなりました。
どうやって人との関係性を深めていけばよいのでしょうか?時代に逆行する中で、ますます難しいことになっていきます。1つは経済合理性を価値の尺度にしすぎないようにすることだと思います。これは大変難しいですが、教育と環境だと思いますよ。「生きていればよいじゃん」ということを、なんとか伝えられないでしょうか?死ぬ権利の逆の話です。生きていくのがつらいこともありますが、それは人間の思考によるところが大きいです。生物も食糧確保で苦労していますが、そういう意味でなくて、生存しているという、生命である命と、その上で人がどうやって生きていくかについて、しっかり分けて考えていけばよいと思います。コロナでボロボロになった経済も乗り越えようとしています。私たち人間の生き方も思考と仕組みを考えていければと思っています。

特集 京都ALS患者嘱託殺人事件
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※この記事は、11月4日放送のハートネットTV「特集 京都ALS患者嘱託殺人事件(2)“安楽死”をめぐって」の取材内容を加筆修正したものです。

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