2020年4月から始まった「#隣のアライさん」プロジェクト。第3回のテーマは“てんかん”です。「みんなの声 『てんかん』あなたの体験を教えてください」には、“偏見”や“差別”を感じたことがあるという投稿が多数寄せられました。古くから知られた疾患であるにも関わらず、なぜ症状や治療の現状についての理解が広がらないのか?日本てんかん協会・理事の田所裕二さんにお話を伺いました。
田所裕二さん 日本てんかん協会 理事・事務局長
大学時代のボランティアをきっかけに、てんかん支援に携わる。30年に渡り当事者・家族との相談業務、てんかんを巡る政策・制度への提言を続けている。
てんかん外科手術を受けた看護師です
10代の頃、けいれんを初めて起こし、てんかんと診断されました。薬を飲み続け、何年も発作が起きていなかったため調子がいいと思い、社会人を経て看護学校に進学しました。そこで環境を変えたことをきっかけに周囲がけいれん以外の症状に気づき、病院を変えたところ複雑部分発作(※)が主な発作で、けいれんは二次性のものであったことがわかりました。100人いれば100通りの発作があると言われています。てんかん専門医と出会い外科手術をして発作がなくなり無事資格を取得することが出来ました。てんかん患者は看護師になれないという欠格事由はありません。てんかん患者に対する差別や偏見がない理解ある社会を望んでいます。
manamiさん / 熊本県 / 女性 / 20代 / 本人
※複雑部分発作…意識が徐々に遠のいていき、周囲の状況がわからなくなる発作。 急に動作が止まりボーっとした表情になる症状、フラフラと歩き回る、手をたたく、など、動作を繰り返す症状がみられる。
―てんかんの発作というと“けいれん”や“泡を吹いて倒れる”というイメージを持つ人がいるかもしれません。でも実際には、manamiさんのような他の症状を示す方もいます。100人いれば100通りの症状とはどういうことでしょうか?
田所:てんかんは脳神経の病気ですので、脳のどの場所に原因があるかで、症状が違います。たとえば、目を司るところで発作が起きれば光って見えたり、幻覚が見えたりする。鼻を司るところの発作なら、匂いに影響がある。てんかんは「必ず脳のここで起きる」と限定しているものではないので、一人ひとり発作の症状が違う、というのが実際です。ただ発作の形は国際的に決められていて、そこに分類されます。
―分類にあてはまらない症状や、お医者さんが「これ何だろう?」と首をかしげる症状もある、という投稿も寄せられました。
田所:確かに、分類不能の症状、類似しているけれどもてんかんとは違う心因性の症状などもあります。ですが、最近は検査がかなり精密になってきたので、はっきりと診断がつきやすくなってきたのではないかと思います。特に現在は長時間ビデオ脳波同時記録が一般的に導入されています。これは今までは脳波の波形で判断していたところにビデオを同時に撮ることで発作が、手から始まっているのか、右半身から始まっているのかなど、発作症状の経過も確認することができるというものです。この検査を数日、数時間かけてやることで、かなりの精度でてんかんの型や発作の分類ができるようになってきました。
苦しみを突き抜けて
発病は3歳の時です。5歳の時の重積発作(※)の際、周囲の大人たち(医師も含め)の不適切な対応と強すぎる注射の後遺症で左半身に障害が残りました。両親が私の障害を受け容れようとしなく、私は健常者として生きることを強いられたのでした。このことは、病気や障害以上に辛いことでした。また、職場で発作を起こし、解雇されたこともあります。職場に一人でも、この病気を正しく理解している人がいたら、と思いました。その後、専門病院での治療を受け、まさに人生が変わりました。現在は、てんかん啓発活動に取り組んでいます。
ひろりんさん / 栃木県 / 女性 / 50代 / 当事者
※てんかん重積発作…発作がある程度の長さ以上続くか、または、短い発作の場合でも繰り返し起こって、その間の意識の回復がないもの
―ひろりんさんのように親が子どものてんかんを受け止められない、という書き込みも複数ありました。このような例は多いのでしょうか?
田所:ほとんどがそうだと思います。よく問題になるのが「うちの家系にはいないはずだ」というもの。てんかんは昔からある病気ですが、「神がついた」「キツネがついた」などと言われて、治せないもの、奇っ怪なものというイメージを持たれてきた歴史がありますから、なかなか適切な情報が入ってこなくて「うちにはこんな人はいなかった」となる。もちろん、それは誤解です。遺伝はほとんどありません。 親御さんもきちんと勉強していかないと、いつまでもネグレクトしてしまうような形か、逆に過保護になって「この子は何もできないんだから」と子どもがいろんな経験をさせてもらえずに社会性を失ってしまう。いわば二次障害です。せっかく発作が治まったのに、社会に出たらコミュニケーションがとれないという人も出てきます。だから家庭の中できちんと理解をしていくのはすごく重要です。
―この方は50代なので、その親となると70、80代だと思います。年代によって、てんかんの受け止め方に違いはあるのでしょうか?
田所:私の親の世代は80、90代ですが、その頃は小学校などで発作に接する機会が今より多かったようです。「強直間代発作」と言われる、声を出してガクガクとなり、バタンと倒れる発作です。てんかん全体からすると割合は少ない発作ですが、それを学校で見ると、子どもたちとしては印象が強い。それで、てんかんは「大変な怖い病気だ」「治らない、おかしな病気だ」という誤ったイメージが先行してしまった時代だったのではないでしょうか。
ところが、私たちの時代になると、医療が進んで、当事者が症状をコントロールしやすくなってきているので、日常では見なくなってきました。たぶん私も子どもの頃、学校でてんかん発作を起こしている人は見たことがないと思います。「てんかん」っていうのは確かに聞いたことあるけども、よくわからないや、と。これが20代や30代といった今の若い人たちの世代に意識調査をやってみると、「てんかんって何?」っていう人が増えてきているんです。
―若い世代には病気そのものが認知されていない?
田所:そうです。何となく聞いたことはある。たとえば事故の報道とかがあると、「なんかてんかんって危ないよね」っていう印象は持っているけど、本当のところは何のことかよくわからない。脳の病気だっていうのは聞いたことがある、とか。当事者も症状をコントロールしやすくなって、てんかんを“隠せる”状況が出てきたので、よけいに認知度が低くなってきた。そういうことがあって、てんかんを正しく知る機会がなくなってきた、というのはあるんじゃないかと思います。
「過剰な配慮」が怖い
「てんかん」といえば「あぶない」「運転するな」と考える人が多いようです。本当は「心臓病」「肝臓病」くらいに大雑把なくくりでしかないのに。
「精神分裂病」が「統合失調症」という聞き慣れない名前になり、病気のイメージが変わったように。「てんかん」も「不整脳波症」とでも名前を変えて、染みついたイメージを払拭したいです。そして、本当に必要な配慮だけを受けられる病気になってほしいです。
麦みそさん / 長野県 / 女性 / 40代 / 母親
―てんかんという名称は、精神に異常が生ずるという意味の「癲(てん)」とひきつけを意味する「癇(かん)」の組み合わせから来ているので、漢字そのままのイメージが付きまといがちです。
それが必要以上の配慮にもつながってしまうのかもしれません。麦みそさんが言うような名称変更の動きはあるのでしょうか?
田所:長年、意見が寄せられている話題ですが下火ですね。ただ、私たちは名称を変えることをまったく無意味とは思っていませんが、てんかんのことがわからない世代が増えてきている現状では、きちんとした情報を伝えることが先かな、と考えています。
てんかんのメカニズムは、わかっていないことがまだいっぱいあるんですよ。発症してからの治療はすごく進んでいますが、どうして起きるのかが、いまだに大多数がわかってない。そういう中で名前だけ変えたとしても、結局「これはよくわからない病気だから」と、また別のイメージが出てくる可能性があります。
日本てんかん協会が発足した1976年頃は、まだ「癲癇」という漢字が世の中で使われていた時代でしたが、漢字はイメージが良くないということで、協会の名前は「てんかん協会」にしました。また国やメディアに対して「ひらがなを一般名にしてほしい」という働きかけも行い、「てんかん」というひらがな表記が一般化していった経緯があります。
正しい理解を
幼少時に罹患しました。友人や主治医にも恵まれ、睡眠、服薬以外は健康な人と変わりなく過ごすことができました。大学卒業後、就職し海外赴任も楽しく過ごしてきましたが、頑張り過ぎてしまうと発作、もっと頑張りたい気持ちとの葛藤が常にあります。私は基本的にはクローズで過ごしてきましたが、もしオープンにして今まで経験してきたことが同じ様に出来たか?といえば、出来なかったと思います。能力があっても、てんかんという時点で、切り捨てられることがあるというのが現状です。
ベーテルさん / 女性 / 30代
―ベーテルさんの、オープンだったら同じようなことができなかった、という気持ちが気になりました。オープンにするか、クローズにするかという問題は当事者が深く悩むことだと思いますが、どうお考えですか?
田所: 6割~7割の人が隠していると思います。もし身近で活躍している上司とか、すごく尊敬している人に、実はてんかんがあったということ知っていたら、もうちょっとてんかんに対してのベーテルさんの理解も変わっていたかもしれません。しかしベーテルさんの職場はそれをたぶん許さない環境だったのだろうと想像します。オープンかクローズかという相談があったら、個人的には、「少なくとも家族とか、職場の仲間には話したほうがいい」と話していますが、家族にすら言えない人がいます。ある大企業の部長にてんかんがある方がいて、そうした要職に就いている方でも奥さんにも話せず、「不安だった」と言っていました。言うことで、生活が全部変わるんじゃないか、奥さんに嫌われるんじゃないか、と。
難しいのは採用面接ですね。雇われたあとなら権利が発生するので、てんかん協会に相談があれば会社の皆さんには説明や情報提供をする機会もありますが、採用面接は権利が発生し得なくて、私たちが働きかけることは難しいです。また、てんかんと診断されると、2002年までは自動車の運転免許すら取れませんでした。生命保険にも入れなかったので、協会では保険会社と協力して、てんかんを告知しても入れる商品を作ってもらいました。それまではたぶん隠して保険に入っていたんです。告知をしなければ入れるわけですから。もし事故を起こして問題が起きたら、本当は不履行事例として保険がおりません。
―差別や偏見というよりは、てんかんの実情が知られていないことが、当事者の不安につながっているということでしょうか?
田所:根底にはたぶん、本人が自分の発作を知らないというのがあるんだと思います。発作のときは意識がない人が多いです。発作を起こしたときに何秒、何分か意識が混濁していて、発作が終わって続きをやろうと思ったときに、相手の対応や自分へのまなざしが変わっている。それがショックなんですと。
そのため私は親御さんに「発作を撮って、子どもたちに見せてあげて」と言っています。あんまり小さいとショックがあるかもしれませんが、「これがあなたの症状なんだよ。でも薬を飲むことで、これは抑えられるんだよ」と。そうすると、今度は「自分の症状ってこうなんです」と伝えられる。そういうことがコミュニケーションにつながっていくし、本人の自信につながっていくと思うんです。あたらずさわらずというか、本人には伝えず・・・みたいなのが多かったのが、たぶん今までの歴史につながってるんだろうなと。
私が私を苦しめている
大学に通う学生です。在学中にてんかんと診断されました。ただ診断がついただけなのに私を取り巻く世界は大きく変わりました。両親は一人暮らしを許可しなくなり、就活ではオープンにした途端、表情が曇る。おまけに授業中の居眠りは友達に心配されすぎる。
自分自身もてんかんへの偏見が払拭できず、持病を受け入れられません。
本当はたくさん相談してよりよく暮らしたいのに、知られることが怖くなり、病気について体調について話さなくなりました。でも、知っています。これは私が私を苦しめているだけ。もっと自分から発信できるようになりたいです。
たんぽぽさん / 東京都 / 女性 / 20代 / 当事者
―たんぽぽさんは周囲に告知していますが、「自分自身もてんかんへの偏見が払拭できず、持病を受け入れられません」とあります。当事者自身の苦しみを少しでも減らすのには、どうしたらよいでしょうか?
田所:たぶん、たんぽぽさんのような気持ちを持つ人は多いと思うんですけれども、やっぱり、他の当事者と接することですよね。みんな苦労しながらも、今は告知する人が増えてきています。当事者同士がコミュニケーションを取って、「自分もそうだったんだよ」「あなただけじゃないよ。みんな一緒だから」と話をする。「でも、こうやって頑張ってる人もいるよ」っていうのを当事者本人が伝えてあげるっていうのがいちばん効果があるんじゃないかなと感じます。
―近年はインターネットで個人の情報が発信しやすい時代になりました。田所さんがてんかんと関わるようになった頃とくらべて、人とのつながり方に何か変化はありますか?
田所:協会や学会を始め、製薬企業・医療機関・行政などが適切な情報を発信するWebサイトが今、増えてきたんですけども、検索すると、それよりも先に個人のサイトやSNSが先に出てくることが多くあって、「あ、この情報が先に入っちゃうんだ」という怖さはあります。一方で、ウエスト症候群(※)やドラベ症候群(※)といった、本当に数の少ない難治のてんかんのお子さんの親同士で、濃密にコミュニケーションをとりたいという人たちが協会とも連携をしてくれながら別組織を作って活動しています。そういう意味では勇気になるんじゃないかと思います。
※ウエスト症候群…通常1歳未満の乳児に発症する治療の見通しの立たないてんかん症候群
※ドラベ症候群…通常1歳までに発症し、全身あるいは半身のけいれんを繰り返す指定難病
理解者を増やすには
私は、てんかんであることを、職場、友人、親戚にも公表しています。特に同世代の方からは、差別的な反応を感じた事はほとんどありません。話してみたら、「自分の親戚、同級生にもてんかんの人が居たよ、何かあったら教えてね」と言ってくれる方、気にかけてくれる方がほとんどです。
これまでの差別の経験や世間のイメージから「てんかん」であることを隠す方は多いです。でもそれは、これまで患者が「てんかん」を隠さざるをえなかったから、隠してきたからだと思います。
てんかんの研究も進み、新薬も開発され、時代は少しずつ変わっています。私たち当事者が、「てんかん」を周囲に話し、少しずつ理解者を増やしていく必要があるのではないでしょうか。
みかんさん / 千葉県 / 女性 / 20代 / 当事者
―とても前向きな声ですね。みかんさんは、もしかしたら、誤解や偏見、差別というのは当事者の中にあるんじゃないか、というような見方をされていますが、どう思われますか?
田所:みかんさんのような人が増えたら、もっともっと世の中変わるんだろうなと思います。こうした気持ちはてんかんだけじゃなく、ほかの病気や障害の分野でも、今風というか、とってもいいなと思います。みかんさんご本人のキャラクターもきっと良かったのだろうなと思うのですが、自分のことは自分で伝えるっていうのが、すごく大切なことだと思います。とてもいい例だと思います。
てんかんの国際組織では、患者さんのことを英語で「people with epilepsy」という表現をします。ウィズです。一方、日本国内では、「てんかん患者」「てんかんを持つ人」「てんかん者」など、てんかんが主なんです。私たちは団体の性格上、てんかんのある人をひとくくりにして活動していますが、一人ひとりを見たときに、「こんな活動、生活をしている人に、たまたまてんかんがある」というふうに見ていかないといけないと思います。支援する私たちも、てんかんがあることが前提じゃなくて、その人の能力のすばらしさをいかして、「そのためにはてんかんの治療ができるようにこういう環境をつくったら?」というサポートが必要なんだろうなと考えています。
ただ、日に何十回と発作を起こすような病気の症状が重い場合には、そんなことは言ってられません。ただ、そうした人には医療をもっと充実させて、「社会参加は難しいけど、この人のQOLを高めるためにどうするか」をみんなで考えればいいと思うんです。その人の今の幸せはどこなのか、それを考えるのは本人と家族が中心ですね。
―最初の声のmanamiさんがおっしゃった、「100人いれば100通り」というのはこういうことですね。発作も状況も100通り。
田所:そうだと思います。だから「てんかんのある人がみんなこうなんだよ」じゃなくて、基本的には一人ひとり見ていくしかない。大変ですけども。 ただ、本人が何を発していくか、伝えていくかっていうのがいちばん大事なんだろうな、と。その伝えられないものを私たちのような組織がどうサポートできるかっていうことが重要だと思います。
当事者本人が情報を発していくことの大事さを語り続けてくれた田所さん。
さらに当事者層ひとりひとりの個性を活かしたサポートを目指すべきという提言をしてくれました。
(2)では、てんかん当事者の多くが抱える特有の“生きづらさ”について伺います。
てんかんの困りごと・お悩み 支援者からのアドバイス
(1)理解が広がらない病と向き合う ←今回の記事
(2)当事者の生きづらさに向き合う
※この記事はハートネットTV 2020年9月23日放送「#隣のアライさん これだけは知ってほしい!てんかんのこと」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。