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これだけは知ってほしい!“てんかん”のこと 後編

記事公開日:2020年10月14日

様々な疾患や障害・特性を持った人の「アライさん」(味方・理解者)を目指す「#隣のアライさん」プロジェクト、第3回のテーマは「てんかん」です。けいれんのほかにも、意識がない状態で歩き回る、一点を見つめてぼんやりするなど、一人ひとり様々な種類の発作があるてんかん。後編では、制限や禁止をしたくなる周囲の人の不安や、当事者がどんな人を“アライさん”と感じるかについて考えていきます。

アライさんとは

制限・禁止をしたくなる周囲の人たち

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(左から)チョコさん、ユーリンさん、熊谷さん

てんかんがある人と周囲の人との関係で、悩みになりがちなのが、やりたいことへの制限や禁止の問題です。
番組にはこんな声が寄せられています。

「親は『危ないから1人でどこもいかず家にいろ』『けいれんすると爪でひっかくから短くしておけ』など、てんかんに偏見をもっています。今は意識を失っても倒れる事はないです。知ったかぶりの判断で思い違いをしてほしくないです」(K・Tさん 30代女性)

親から納得できない制限を受けているという声がいくつも届いたことについて、チョコさんは子育てをしている立場から親子の関係を語ります。

「親の心配が先に立って、子どもの自由を奪ってしまうという話は仲間のあいだでもけっこう聞きます。私も子育てをしていて、子どもと親は別の人格だし、親の所有物ではないと思っています。制限するのではなくて応援して助けてあげて、子どもの方から『助けて』と言ったときにサポートできる関係が素敵だと思います」(チョコさん)

熊谷さんは、この投稿のケースは両親の側に少し過剰な反応があるのではないかと考えます。

「不安な気持ちをバーンとお子さんに向けちゃっている印象を受けました。対処できる不安もあるので、親子間で話し合って、きちっと対処していけたらいいのかなと。自分も子の立場として、両親とは今も関わっていますけど、地方の大学で一人暮らしをしていたときにちょうどてんかんになりました。その後も何回か発作を起こしてそのたびに両親が実家から3時間くらいかけて来てくれたのですが、発作が収まって落ち着くと、両親は帰っていくわけですね。その時の一人暮らし先に置いてくる両親の不安感というのも、最近振り返ってみるとすごく言いようのないものがあったと思います。一人暮らしをするしないにしてもコミュニケーションを図るのが大事だと思います」(熊谷さん)

親の不安も分かりますが、一方的になると本人の気持ちが苦しくなってしまうというのが当事者の思いです。そこで必要なのは“情報”だと評論家の荻上チキさんは考えます。

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荻上チキさん

「情報や知識がなくて困っている親御さんとか、身近な方もいらっしゃると思うんです。ですから、そうしたところに情報が届きやすい状況を作ることが必要だと思います。他方で、どれだけ説明しても伝わらないのなら、そこには、てんかんに限らず『こうあるべき』とコントロールしてしまう関係性がある。それもまた別の問題として、傷つけあったりしてしまうこともあるので、2つの問題を分けながらそれぞれ改善していきたいですよね」(荻上さん)

チョコさんは、周囲の人の不安に対して、寄り添うメッセージを伝えてくれました。

「発作がおきたのを見たときに、怖いとか、そういうふうに思うのはごく自然なことだと思っていて。そう思ったときには、私は直接伝えてほしいです。伝えてもらってからお互いに話をすることで、そんな不安をどうしたら取り除けるか、一緒に考えていけたらなっていうふうに思ってます」(チョコさん)

当事者の何気ない日常

ここまでさまざまな声をもとに、てんかんがある人の“アライ”(ally:味方・理解者)を目指してきました。しかし、「てんかん患者」ということだけが3人のすべてではありません。他の側面を知るために、てんかんにこだわらないおしゃべりをしてみました。

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ユーリンさんと荻上さん

ユーリンさんは「ハマっているもの」を聞かれると、しばらく照れてから答えてくれました。

「NEWSから脱退した手越祐也さんが好きです。私がてんかんの影響でうつ病になってしまって、そのときにすごくポジティブなところに惹かれました。おかげでうつ病から脱することができました。それ以来、娘と一緒にライブに行ったり、グッズを買ったり楽しませてもらいました」(ユーリンさん)

「『推し』がいると、いろいろと人生の酸いも甘いもありますよね」(荻上さん)

熊谷さんは、趣味の整理整頓をするなかでも、ずっと手放さずにいるものを見せてくれました。

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パンダのぬいぐるみを紹介する熊谷さん

「恥ずかしいんですけど、パンダのぬいぐるみです。1歳のときにもらった誕生日プレゼントで、ずっと一緒に寝ていました。ボロボロになったら、おばあちゃんに縫ってもらって。今日まで大切に持っています」(熊谷さん)

「こういったぬいぐるみも実は心の中のアライになるかもしれないですね」(荻上さん)

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チョコさん

チョコさんには、最近できた夢があるそうです。

「いつか製菓の学校に通いたいなと思っています。夫も、やってみたらいいんじゃないっていう感じで、応援してくれていて。高校のとき、調理実習の時間に初めての発作がおきて、先生から『料理の道は難しい』と言われてしまって、そのときは『そうなのか』と思って諦めたんですけど、今は全然できるなって感じています。最近、米粉でパンを作るのにハマっていて、パンのなかにいろんなフレーバーを入れて焼いています」(チョコさん)

憧れのタレント、幼少期のプレゼント、打ち込める目標。
3人それぞれが、日常のなかに大切な時間を持っていました。

経験者が語る「私にとっての“アライさん”」

最後に、3人がどんな人だと安心できたり、その人間関係を大切だと感じたりするかを聞くため、自分にとっての“アライさん”を紹介してもらいました。

熊谷さんの“アライさん”は、大学時代の学友。
進路の悩みに寄り添ってくれたそうです。

「もともと循環器内科とか救急とかテレビドラマなんかにも出てくるような生活が不規則な科を目指していたんです。今から思えば何が何でもそういうところに行かねばならないと思い込んでいたような気がします。そういうときに、大学の図書館で勉強していて、閉館時間になって、隣にいた同期の学友と『進路どうする』みたいな話になったんです。そのときふと、夜に寝られなきゃ発作がおきるのに、不規則な生活になりそうな科でやっていけるのかっていうことが、すごく不安になってきたんですね。それで、『循環器内科と救急やるって俺、言ってるけど、てんかんあるのに本当に大丈夫なのかなあ』ってポロッと本音が出ちゃったんですよね。でもそしたら、その学友の彼女が『そうだよー、クマダン』って。一言、言ってくれたんですね。クマダンっていうのは当時そう呼ばれていたんですけど。」(熊谷さん)

熊谷さんは、その一言が、「できないこと」との向き合い方が変わっていくきっかけになったと感じています。

「たった一言だったんですけど、それを言われた時に少しだけ自分の中で、凝り固まっていた何か漠然とした不安とか、諦められない気持ちっていうのが少しだけ楽になった気がしたんです。その後から自分の進路を冷静になって最初から考え直すようになったんですけど、この時の一言が、自分に無理やり課していたものを一つずつ手放していくきっかけを与えてくれたように感じますね。で、実際に循環器内科とか救急と言わなくなってから、すごく気持ちが楽になったんですよね。ダイビングとか水泳みたいに、てんかんに『むしりとられた』って思っていたのと、自分の意志で『手放す』っていう感覚とは、ぜんぜん違う感覚ですね。だから今から振り返ると、やっぱり当時の学友のその彼女が私の気持ちを共有してくれたのが、ホッとしたんだと思います」(熊谷さん)

ユーリンさんの“アライさん”は、今の夫。
「話しても分かってもらえない」という疑心暗鬼のなかでも、話してみようと思えた相手でした。

「夫はもともと、前に私が勤めていた会社で、隣に座っていた上司だったので、発作が起きると真っ先に気づかれてしまったんですね。『変』って思われるかなと思っていたら、『大丈夫?』って言ってくれたんですよ。『調子悪かったら、休憩室で休んできていいよ』って言ってくれて。そういうことが何回か続いて、この人になら言えるかもしれないと思って、実はてんかんの発作があるんですっていう話をしたら、彼はてんかんのことをあまり知らなかったんですけど、驚いたことに、調べてくれたんですよね、てんかんのことを。『こういう種類の発作なんだね』って話してくれたり。彼が先頭を切って『休んでいいよ』と言ってくれたので、周りの人もそう言ってくれるようになって、すごく仕事がしやすくて、その職場だけは発作で辞めるのではなくて、彼との結婚退職という形で終われました。」(ユーリンさん)

ユーリンさんは当時のことを思い返して、なぜてんかんのことを言いづらいのか、考えが変わり始めています。

「『世間にてんかんの理解がないから私は言いづらいんだ』とか、『芸能人の方がどなたかてんかんを告白してくれたら認知が広がって、私も言いやすくなるんじゃないかな』って思って、世の中が変わるのを待っていたんですけど、夫はてんかんのことを知らなかったのに言えたんですよね。それ、何が違うんだろうと思ったら、信頼が感じられたら言える。普段の会話のなかでも、一方的に話してくるとかではなくて、私の気持ちを受けとめてくれていたり、気遣ってくれているって感じられたりしたら言えるんだと思います」(ユーリンさん)

チョコさんの“アライさん”は高校時代の友人。
いつもチョコさんのことを気にしてくれたといいます。

「高校のときはまだてんかんとは分かっていなくて、でもその子は、私が初めて発作で倒れたのを見たときに離れずにそばにいてくれました。家も30分くらい離れているんですけど、遊びに行くときはうちに寄って連れていってくれて、帰りも絶対、連れて帰ってくれて」(チョコさん)

特に記憶に残っているのが、修学旅行のスキーです。

「1日目の夜に発作をおこして、2日目は、リフトに乗るから危ないというふうに先生が言って、みんなと一緒にスキーがやりたかったんですけど、諦めたんです。スキー場の待機室で待っていたら、その友だちが『雪に触れんかったじゃろう』と言って、部屋に雪だるまを持ってきてくれました。一番の思い出です。みんなと一緒に滑れなかったのは残念だったけど、そうしたかった気持ちに寄り添ってくれて、とても温かい気持ちになりました」(チョコさん)

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スタジオの様子

気持ちを受け止める存在であること。それが、「できないこと」と向き合いながら生きている人の“アライさん”として、大切なことなのかもしれません。ハートネットTVでは、これからも一緒にアライさんを目指していきます。

※てんかんについてもっと詳しく知るためのクイズはこちら

これだけは知ってほしい!“てんかん”のこと
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※この記事はハートネットTV 2020年9月23日(水曜)放送「#隣のアライさん これだけは知ってほしい!“てんかん”のこと」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

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