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【特集】相模原事件から4年(2)多様な選択肢を増やしていくために

記事公開日:2020年10月06日

※この記事は2020年10月6日放送の番組を基に作成しました。
相模原の障害者殺傷事件から4年あまり。事件のあった「津久井やまゆり園」の建て替え工事が進む中、現在入所者に対し、次の生活の場をどうしたいか意思確認が進められていますが、家族が地域での暮らしを希望したのは少数にとどまります。重い障害のある人の暮らしの場が限られている現状と課題について考えます。

限られてきた暮らしの選択肢

入所者19人が殺害され、職員を含む26人が重軽傷を負った、相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」。事件のあった建物は取り壊され、新しく建て替える工事が行われています。工事の完了を来年に控え、神奈川県では今、入所者と家族に次の生活の場をどうしたいか、意思確認を進めています。

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建て替え工事が進む「津久井やまゆり園」

入所者およそ120人のうち、家族が地域での暮らしを希望しているのは、現在10人程度にとどまります。施設以外の選択肢がなぜ難しいのか。その理由は、日本の障害者福祉がたどってきた歴史にあります。

全国で大型の障害者施設が次々と作られ始めたのは1960年代。重い障害がある人への福祉がほとんどなかった時代、追い詰められた親たちが、安心して預けられる場を求めたのです。

当時は、施設の中で一生を送ることが、障害者にとっての幸せだと考える人も少なくありませんでした。

転機となったのは、1981年の国際障害者年。欧米から持ち込まれた「障害者も地域で暮らすべき」という考え方が広がりはじめます。

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国際障害者年のパレード 1981年

2000年代に入ると、国も障害者政策を大きく転換します。グループホームを整備し、地域での暮らしに力を入れることを打ち出したのです。

こうした中、地域生活への移行を積極的に進めた施設もありました。長野県駒ケ根市にある障害者支援施設「西駒郷」です。かつては400人以上の入所者がいましたが、2003年からの取り組みで、半数以上の人が施設を後にしました。

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西駒郷 入所者の様子 2004年

多くの人が生活の場を移したのが、家庭的な雰囲気のもと、少人数で暮らすグループホームでした。

しかし、限界もあったといいます。障害の重い人たちの中には、グループホームでの生活が難しい人もいました。西駒郷所長の塩沢総夫さんに話をうかがいました。

画像(長野県西駒郷 所長 塩沢総夫さん)

「グループホームもやはり共同生活ですから、対人関係で問題を起こす方が数年に1度くらいます。円滑なグループホームの生活ができなくて、再入所、西駒郷へ戻ってくるという方もいます」(塩沢さん)

施設には、今もおよそ100人が残り、多くは入所歴が30年を超える人だといいます。

「長年施設生活をしていると、高齢の人たちに多いパターンとでもいいましょうか、『もうここでいいや』っていう部分も、多くの高齢の人たちに見られる傾向は感じています。『地域がいいのか施設がいいのか』という、いわゆる“選択肢”を自分たちが意識できていない、そういう方たちがいま現在も多く残っていらっしゃいます」(塩沢さん)

“手がかかる人”は行き場がない現実

障害が重い人の中には、施設にもグループホームにも受け入れてもらえない人もいます。

神奈川県茅ケ崎市に住む、ひまわりさん(仮名)には重度の知的障害がある息子がいます。息子はまもなく20歳になります。体にマヒもあり、着替えや排泄など、24時間の介助が必要です。

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ひまわりさんの息子の写真

今は障害児施設に入所していますが、原則として18歳までしか利用できません。次の行き先が見つからないため、特例で在席しており、施設からは早く出るよう求められています。

「(成人の施設を)7か所ぐらいいろいろあたって、見学とか体験とかしたんですけどもう全部お断りされてしまって。すごく手がかかるわけですよ、うちの息子は。マンツーマンでつくっていうのは施設にしたら職員がすごく少ないので、『やっぱりちょっと厳しいですね』っていうお断りが多いんですよね。あとグループホームもいくつか見させていただいて、やっぱり『ちょっと無理です』みたいな感じでね。だから、見て『ああ、この子はちょっと大変だな』っていう判断をしたんだと思います。もう、重度の子って、そこ(体験)さえ行き着かないんです」(ひまわりさん)

本人を中心にした新たな支援の考え方を

重い障害がある人たちにとって、受け入れてもらえる施設やグループホームを見つけることさえ困難という現実。一人一人が望む暮らしを選択できるようにするためには何が必要なのか、障害者の自立生活に詳しい早稲田大学教授の岡部耕典さんに聞きました。

画像(早稲田大学文化構想学部 教授 岡部耕典さん)

「よく言われるのが『当事者の意思を確認する』ということ。どこで暮らしたいかを選んでもらう。それは当然大事だと思うんですよね。だけどそのときに、実際その選択肢ってあるのかな、と。現実問題として、日本の今の福祉政策だと、知的障害者が親元でも入所施設でもなく地域で暮らすといったら、グループホームということになるわけですよね。じゃあそれを選べない人はどうするのか、いくら選べと言っても、選べない選択肢だけだったらしょうがないですよね。だからやっぱり選べるような選択肢がもっと増えなきゃいけないんじゃないかと思います。あと、もうひとつ必要だと思うのは、そういう制度があるだけじゃなくて、ちゃんと当事者の人が体験するということ。実際にそういう経験を持てることが、とても大事なことだと思うんですよね」(岡部さん)

「施設か、地域か」という議論が続いてきた日本の障害者福祉。しかし岡部さんは、「一人一人に合った暮らし」を実現するためには、新しい仕組みが必要だと言います。

画像(パーソナル・アシスタンスの説明をする岡部さん)

「“パーソナル・アシスタンス”という仕組みが、本人中心の支援にあたるんじゃないかなと僕は思っています。制度としては、重度訪問介護なんかもその一種といえると思います。これは欧米で主に、身体障害、肢体不自由の人たちが、自分たちの支援をするときに、お仕着せのヘルパーじゃなくて自分のアシスタントを使って自分の支援をしたいということで始めた支援ですけれども、知的障害の人たちについては、一緒に決めて、一緒にやっていって、その責任を取るというというかな、そんな関係ですかね」(岡部さん)

長い間暮らしの場を限られてきた重い知的障害のある人たち。それは、彼らが何を望んでいるのかをくみ取ろうとせず、向き合ってこなかった社会の責任ではないでしょうか。一人一人にあった多様な選択肢を増やしていくために、私たち一人一人の関わり方が、今こそ問われているように思います。

【特集】相模原事件から4年
(1)“パーソナル”な暮らしをつくる
(2)多様な選択肢を増やしていくために ←今回の記事
(3)“ともに暮らす”は実現できるか?

※この記事はハートネットTV 2020年10月6日放送「特集 相模原事件から4年 “施設”vs“地域”を超えて 第1回 “パーソナル”な暮らしをつくる」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

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