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【特集】相模原事件から4年(1)“パーソナル”な暮らしをつくる

記事公開日:2020年10月06日

※この記事は2020年10月6日放送の番組を基に作成しました。
相模原の障害者殺傷事件から4年あまり。裁判は今年3月に終わりましたが、事件をきっかけに問われた「重い障害のある人たちの暮らしの場をどうつくり、ともに生きていくのか」という問いは残ったままです。事件のあった「津久井やまゆり園」を出て、新たな生活に踏み出した元入所者の姿を通して、いま何が必要なのか考えます。

“一人暮らし”に踏み出した尾野一矢さん

8月、神奈川県座間市のアパートを訪ねました。事件で重傷を負った被害者の一人・尾野一矢さん(47)が、この夏「津久井やまゆり園」を出て、新たな生活を始めたと聞いたからです。

迎えてくれたのはヘルパーの大坪寧樹さん。一矢さんは、大坪さんの支援を受けながら、一人暮らしの体験をしている最中でした。

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アパートで大坪さんからひげ剃りをしてもらう一矢さん

事件のあった「津久井やまゆり園」は現在建て替え工事が進められており、入所者は横浜にある施設で仮住まいを続けています。

工事の完了を来年に控え、神奈川県では今、入所者と家族に次の生活の場をどうしたいか、意思確認を進めています。そうしたなか、施設を出て一人暮らしをさせたいという両親の意向で、アパート生活を体験してみることになったのです。

こうした暮らしを本人が望んでいるかどうか。言葉でうまく伝えられない一矢さんに、実際に体験してもらい、およそ1か月かけて見極める予定です。

長い間、施設の中で決められた通りの生活を送ってきた一矢さん。ここでは、自分のペースで思うように過ごすことができます。

大坪さんによると、一矢さんは予想以上に早くアパートの生活になじんだ様子です。

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自室でくつろぐ一矢さん

「この体験を始めて2日目の朝から、『向こう(津久井やまゆり園)やめとく』って言い始めたんですよ。今はもう、『一矢んち来たの』『ここが一矢んち』『一矢んちにしたの』って聞いて。『そう、一矢んちにしたの』って。何度も確かめるんです」(大坪さん)

「重度訪問介護」との出会い

一矢さんの両親の家は、アパートから歩いて20分ほどのところにあります。父親の剛志さんと母親のチキ子さんは、被害者家族として、事件直後から取材に応じてきました。

当時の剛志さんは、一矢さんを、落ち着いて暮らしていた元の場所に帰したいと語っていました。

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一矢さんの父・剛志さんと母・チキ子さん 2016年

「穏やかにね、ずっと亡くなるまで、一矢がそれこそ命をまっとうするまで、何の苦労もなくて暮らしてくれることが一番だから。ほかに何も望まないわけですよ。とにかく一度帰してください、あそこにと」(剛志さん)

両親が長い間、息子は施設でしか暮らせないと思ってきたのには理由がありました。

重い知的障害と自閉症がある一矢さんは、10歳を過ぎたころから、自傷行為などがひどくなっていきました。

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写真 子ども時代の一矢さん

自宅で育てることが難しくなり、障害児の施設に入所。16歳になったとき、職員に言われた言葉が、今も忘れられないといいます。

「この子は家に帰って親と子で(生活)できるかどうかっていう審査があって、主任の先生に呼ばれて行ったら、『お父さん、一矢はもうお父さんたちとは暮らせないよ』ってはっきり言われたんですよ。『障害が重たいよ』っていうふうに言われて。だから一矢は一生施設暮らしをすることを、お父さんもお母さんも覚悟しなさいって言われて、本当にそのときはショックでしたよね」(剛志さん)

成人した後も、津久井やまゆり園へ20年以上預け、終の棲家だと考えてきました。

転機となったのは、あるドキュメンタリー映画との出会いでした。2019年に公開された『道草』(監督:宍戸大裕)です。重い知的障害がある人たちが、まちなかで一人暮らしをする様子が描かれています。

散歩や買い物など、自由に出かける主人公たち。こうした生活を可能にしていたのが、「重度訪問介護」という福祉サービスです。重い障害のある人に長時間ヘルパーが付き添い、家事援助や身体介護、移動支援など、さまざまなサポートを一括で行います。

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映画「道草」より 重度訪問介護の様子

「えっ、そんなのあるの?!っていう、本当にガツンですよ、頭たたかれたの。まるっきりそんなの感じたこともなければ聞いたこともない。施設と全然違うじゃないですか。これって僕ら普通に考えると、普通の生活だ、暮らしだよねって。重度の知的障害があっても、それってしてもいいじゃない?平凡だけどそれが本当の幸せだと僕自身が思っているので、そういう暮らしを一矢にはさせてあげたいと思って」(剛志さん)

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一矢さんの父・剛志さんと母・チキ子さん 現在

両親はさっそく市役所に問い合わせました。しかし、座間市にはヘルパーを派遣できる事業所がなく、利用は難しいと告げられました。

重度訪問介護は、国の報酬単価が低く、長時間働けるヘルパーの確保も難しいことから、全国的にも広がっていないのです。

あきらめきれなかった両親は、映画に登場する事業所を訪ねました。東京都西東京市で障害者の自立生活支援に取り組むNPO法人「自立生活企画」です。国の制度に先駆けて、自治体に24時間介護を受けられるよう要求し、重い知的障害がある人の暮らしの選択肢を広げてきました。

「自立生活企画」介護コーディネーターの末永弘さんは、一矢さんの支援を引き受けた理由をこう話します。

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自立生活企画 介護コーディネーター 末永弘さん

「もし、アパートで自分の介護者が一対一でつくというようなことを、少しでも経験できれば、『こっちの生活のほうがいい』と選ぶ方は、本当は多いんだろうと私は思ってるんですよね。(今回は)地元の事業所が見つけきれないなかで、まずはちょっと大変なんですけど、基本的にはうちの事業所の介護者を中心に始めるしかないなっていう感じでしたね」(末永さん)

関わりながらつくる「その人らしい暮らし」

こうして派遣されることになったのが大坪さんです。一矢さんがゆっくりと慣れていけるよう、まずは週に1度会って、関係を築くことから始めました。

アパート生活の体験が始まってからは、大坪さんを含めた8人のヘルパーがシフトを組んで24時間支援にあたっています。

大坪さんと近所のスーパーに出かける一矢さん。これまでは、人生の大半を施設の中で過ごし、買い物も、外出も、自由ではありませんでした。

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スーパーで買い物をする一矢さんと大坪さん

自分の思いを受け止めてもらい、やりたいことを実現できる。そうした経験を積み重ね、意思表示がはっきりしてきたといいます。

大坪さん「かんちゃん(一矢さん)、納豆とか食べる?」
一矢さん「納豆やめとく!」
大坪さん「わかった、じゃあやめとこう」

一矢さんがいま何を望んでいるのか。気持ちをくみ取るには、言葉だけでなく、その様子を丁寧に見ていくことが欠かせません。一方で、ヘルパーが本人の意思を尊重するだけでは難しいこともあります。

この日の昼食は、一矢さんの大好きなカレーです。おかわりをして、2杯をあっという間にたいらげました。ところが・・・

一矢さん「おなか痛い」
大坪さん「おなか痛い?大丈夫?」
一矢さん「げー出る」
大坪さん「げー出る?(トイレに)行っといで」

ヘルパーが本人の意思をどこまで受け止めて、どこでストップをかけるのか。やりとりを重ねながら、折り合えるところを探り、その人らしい暮らしを一緒につくり上げていきます。そうした関わり方は、一対一の関係でなければ、なかなかできないことだと大坪さんは言います。

「(一矢さんの)表情がね、どんどん豊かになってくる。やっぱ会ったころと比べたらずいぶん表情が豊かになったし、自分をどんどん出してくる感じがあります」(大坪さん)

9月、津久井やまゆり園の職員や神奈川県、座間市の担当者などが集まり、一矢さんの今後の暮らしの場を話し合う会議が行われました。

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会議の席に着いた一矢さんと両親

「体験を通じたご本人の姿だったり、今まで確認してきた希望する生活、それに近づけるのがやっぱり一人暮らしというのが、チームとしてまとまった答えかと思います」(津久井やまゆり園 相談支援専門員)

体験を通して、一矢さんの意思が感じられたとして、アパートでの一人暮らしに移行する結論になりました。そして、今後も津久井やまゆり園とは連携を続け、関係者が協力して、一矢さんの選択を支えていくことを確認しあいました。

9月中旬、「津久井やまゆり園」を退所し、新しい生活に踏み出した一矢さん。それは、これまでになかった「体験」の機会と、そこで表出された「こうした暮らしをしたい」という本人の意思を、周囲が受け止めたことによって実現しました。 はたして、重い知的障害のある人たち誰もが、そうした選択肢を用意されているでしょうか?記事「【特集】相模原事件から4年(2)」に続きます。

【特集】相模原事件から4年
(1)“パーソナル”な暮らしをつくる ←今回の記事
(2)多様な選択肢を増やしていくために
(3)“ともに暮らす”は実現できるか?

※この記事はハートネットTV 2020年10月6日放送「特集 相模原事件から4年 “施設”vs“地域”を超えて 第1回 “パーソナル”な暮らしをつくる」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

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