東京・世田谷にある都立松沢病院は、全国最大の精神科病院です。4月以降、精神疾患のある新型コロナ感染者専門の病棟を作り、治療にあたってきました。そんな中、都内の精神科病院でクラスターが発生し、患者受け入れのため現場はひっ迫します。コロナと闘う医療現場の2か月に密着し、見えてきた精神科医療の課題とは。
病床数898床。東京・世田谷にある全国最大の精神科病院、都立松沢病院は今年4月、新型コロナ患者の専用病棟を設置しました。20床ほどを用意して、重い精神疾患のある感染者を東京都中から受け入れています。
精神科医に加え、感染症の専門知識のある医師や看護師らがチームを組み、治療にあたっています。
内科医が患者に人工呼吸器の治療する様子
患者「痛い 痛い」
内科医「ごめんね、呼吸が悪くなっちゃったから、ちょっと人工呼吸器の治療をしますね」
患者の多くは、重い精神疾患があるが故に、一般の医療機関では受け入れてもらえない人たち。松沢病院はこうした患者の「最後の砦」として、コロナの回復までを支えているのです。
松沢病院は、都内の精神科救急の拠点として機能している病院のひとつ。救急外来には毎日、急に精神症状が悪化した人たちが搬送されてきます。こうした中、新型コロナウイルスの感染が拡大したことで、コロナの陽性者や疑いのある患者も運び込まれることになり、受け入れ体制はひっ迫していました。
救急外来の廊下に突然響き渡る悲鳴。
ストレッチャーで運ばれてきたのは、若い女性です。
女性はコロナの影響で恋人と会えなくなり、精神状態が悪化。
入院して治療を行うことになりました。
すぐ隣の診察室には、「暴れている」と通報された男性の姿がありました。
「統合失調症じゃないですよ、私。警察の任意同行に応じただけで なんで・・・」(男性)
精神科への通院歴があったことから、警察官が医師の診察が必要と判断し連れてきたのです。
モニター越しに見える、コロナの疑いがあり搬送された男性
そして、コロナの疑いのある患者も運び込まれました。
「この人は37.5℃の発熱をしているし、脈拍も180あるし、せん妄状態といって言っていることがよくわからない。3人しか救急外来の看護師がいないのに、コロナ疑いが3例、興奮状態の患者が4例目5例目ってなってパンクしちゃいますよ」(医師)
5月下旬、病院の医療体制をさらにひっ迫させる事態が起きました。東京・小金井市の武蔵野中央病院で起きたクラスターです。
精神科病棟の職員1人の感染が判明。その後、同じ病棟の職員や患者が次々と感染していきました。精神科が主体の武蔵野中央病院には感染症の治療に対応できる体制や設備はありません。
最終的に61人が感染。患者の多くが、松沢病院に運び込まれることになったのです。
その一報を受けたのは、都立松沢病院・院長の齋藤正彦さんです。
「患者が2人、職員2人が陽性になった。患者さんがこれから増えてくるわけだよ。それにどう対応しようか考えないといけない」(齋藤さん)
コロナ病棟は、このときすでに満床。どう対応できるのか、急遽、話し合いが行われました。
齋藤さん:武蔵野中央病院が心配だったので、院長に電話したんです。『大丈夫ですか』って。そうしたらまあ大丈夫じゃなくてですね。『じゃあ松沢病院で』と申し上げたら、院長は『そうしてくれるのは夢みたいな話だけど、(行政から)もう満床だと言われたので、松沢はダメだと思ってはなから声をかけなかった』と。
精神科部長:いま、保護室が2床空いています。そこで2人は受け入れられます。あとは無理をすれば、患者さんを4人部屋に移して個室を空けて受け入れるということができなくはない。
松沢病院が受け入れなければ、精神症状の重い患者は十分な治療を受けられない可能性があります。なんとか病床をやりくりして、受け入れることを決めました。
受け入れを検討する医師たち
「先生こられますか?いま」
この日、コロナ病棟にこれまでにない緊張が走りました。
緊張が走るコロナ病棟のナースステーション
武蔵野中央病院からきた78歳の女性が死亡したのです。唯一の肉親はコロナが重症化しても積極的な治療を望まず、電話による面会も望まなかったといいます。
「武蔵野中央にずっと長く入院されていた方なので、家族とも疎遠で、生活保護で、遺骨をとってくれるかな、っていうところです。この方、亡くなったのは78歳なんですけれど、入院したのが20歳のとき。・・・58年(入院していた)」(看護師長)
武蔵野中央病院から運ばれてきた患者の多くは、30年以上入院している人たちでした。
なぜ入院をし続けているのか。コロナから回復した人に、話を聞くことができました。
仲村アリサさん(仮名・62歳)は、30年間入院生活を送ってきました。かつては、夫と子ども2人と4人で暮らしていましたが、夫に浮気され、離婚。統合失調症を発症しました。いま、症状は落ち着いていますが、自宅に帰ることはできないといいます。
「子どもが言うには、『病院にいろ』って。『病院にいて過ごしなさい』って言う。もう何年、何年間も会ってないです。長男とは会ってないです、1回も。私はあそこの病院しかないんですよ。帰る場所だね。私のね。自分の部屋と一緒。おうちと一緒」(仲村さん)
日本にある精神科病床は、およそ33万床。入院患者の6割が1年以上の長期入院です。戦後、精神障害者の病院への収容は国策として進められ、病床数は増加の一途をたどりました。
出典:OECD Health Data 2000/2016
他のOECD加盟国と比べても、日本の精神科病院の病床数は突出して多い状態が続いています。一方で、患者の社会復帰に向けた支援策は不十分で、家族にも地域にも引き受け手のない患者たちは、長期入院を余儀なくされてきたのです。
「患者さんを退院させるときに1番の抵抗勢力は社会だからね。『そんな人を退院させるんですか』って。自分の問題とは考えたくないんだよね、みんな考えたくない。見たくないんだよ。自分が怖いものを。病院の精神医療というのは、僕はそういう構造を持っていると思います」(松沢病院院長 齋藤さん)
今回、武蔵野中央病院から運ばれてきた患者の多くが、高齢で持病のある人たちでもありました。松沢病院にやって来てから、がんなどの深刻な病気が発見された人もいました。
重症化リスクの高い患者たち。その治療は医師たちにとっても難しい判断の連続です。
武蔵野中央病院から来た赤池良雄さん(仮名・63歳)は統合失調症に加えて、糖尿病などの持病があります。
運ばれて3日後に、コロナの症状が急激に悪化。回復の兆しは見えません。
コロナ病棟の医師や看護師らは急遽、赤池さんの対応について話し合いを行いました。
赤池さんについて話す医師・看護師ら
医師はのどを切開して呼吸器を気管に直接つなぐ「気管切開」の手術を提案しました。しかし、身寄りもなく、本人の意思が確認できないなかでの手術に、反対の声もあがります。
看護師:患者さんが一番心配。その状況を、彼が目覚めてある程度自分の状況が見えるようになったときに、受けとめられるのかな。調子はたぶん崩すだろうし。
さらに、気管切開をするとより手厚いケアが必要になるため、元の病院には戻れなくなる可能性もあります。
内科医:うーん、まあ、難しいですね。
精神科医:どっちにしろ、いまの体の治療のために気管切開が必要な状況なわけですよね。
内科医:そうですね、間違いなく。
精神科医:だからまあ、その辺まで覚悟しつつやるしかないですね。
命を守るため、気管切開を行う決断がなされました。
6月中旬、依然として武蔵野中央病院からは患者が運ばれ続けていました。一向に収まらないクラスターに、現場では疲労と不安が募っていきます。
松沢病院では、感染の拡大を防ぐための準備を進めていました。
新たに用意したコロナ専用病棟を歩く齋藤さん
ほかの病棟を空け、新たなコロナ専用病棟を増設。武蔵野中央病院で陽性者と同じ病棟にいた患者をここに移してケアする計画です。
医療者への感染も拡大するなか、重症化リスクの高い患者を守るための緊急対策です。
「(武蔵野中央病院にいて)少なくなってしまった医師や看護師で診るよりは、ずっといいケアができる。それから、もし陽性患者が出たときも、同じフロアで移せばいいだけの話だから、そうしたいと思ったんです」(齋藤さん)
しかし、計画は実行されませんでした。松沢病院によると、患者の移送費をめぐって行政との調整がつかなかったためだといいます。
その間にも、武蔵野中央病院での感染は別の病棟に飛び火。患者は増え続けました。
「だから我々がコントロールできるうちに手を打ちたかった。手を打つ準備をしたんだよ。精神障害であるが故に(患者自身が)誰もこうしてくれって言えない。言えないものを外から見ていて、感染した順に引き抜いて、隣のベッドで寝ていた人も、『いや、陽性になるまで待ってください』って話でしょう。感染病棟に残って、最後まで運良く陰性であったとしてもさ、誰も(患者に)説明しなきゃ誰も謝罪しないでさ。元へ戻るんだよね。そんなふざけた話があるかって」(松沢病院院長 齋藤さん)
武蔵野中央病院には感染防止のため、東京都と保健所、そして国のクラスター対策班などが指導にあたっていました。
武蔵野中央病院への感染防止のイメージ図
移送しない判断は適切だったのでしょうか。保健所の担当者はこう話します。
「保健所としては感染症法に基づく対応ですので。陽性の確認がされていない方をこちらのほうで主導して他の病院に移すということは、やっておりません。保健所で対応するべき方に対しては対応しております」(保健所の担当者)
東京都やクラスター対策班は取材に対し、「個別の案件についてはお答えできない」と回答。
武蔵野中央病院は、「自分では感染対策ができない患者も多く、拡大を防ぐことは難しかった。移送については行政の判断に委ねた」と話しています。
患者自らは声をあげることができない中拡大したクラスター。その詳細は明らかにされていません。
6月下旬。武蔵野中央病院から運ばれ、治療を受けていた女性が退院することになりました。
「退院第1号です。」(拍手)
拍手で見送られ退院する患者
女性は、家族にも地域にも引き受け手がないため、まだクラスターの収まっていない病院に戻らざるを得ません。
「今回、この病院にコロナウイルス感染症のために送られてきた人は、社会的にすごくパワーのない人ばかりだった。守ってくれる家族もいないし、家もない。長いこと精神科の病院にいて、社会からまったく根を切られちゃったというかね。他の地域で精神科の病院の中でクラスターが起こったら、多かれ少なかれ武蔵野中央病院のようなことになっただろうと思う。世の中に何かが起きたときに、ひずみは必ず脆弱な人のところにいく。社会には弱い人たちがいて、僕らの社会はそれに対するセーフティーネットをどんどんどんどん細らせているのだということを、もう一度思い出すべきなんです」(齋藤さん)
7月上旬、61人の感染者を出した武蔵野中央病院のクラスターは収束しました。
しかし、それも束の間、また別の精神科病院で患者が発生しました。
精神科医療の“最後の砦”。その闘いは続いています。
※この記事はハートネットTV 2020年8月3日(月曜)放送「精神科病院×新型コロナ ~最前線からの報告~」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。