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摂食障害の困りごと・お悩み 支援者からのアドバイス(2)

記事公開日:2020年08月07日

4月から始まった「#隣のアライさん」プロジェクト。第2回のテーマは摂食障害です。「みんなの声 『摂食障害』あなたの体験を教えてください」に寄せられた声に、摂食障害経験者で自助グループ「NABA」代表の鶴田桃エさんが優しく丁寧に応えてくれました。(2)では発症のさまざまなきっかけと、医療などのサポートを受けることについて考えます。

※NABAでは普段、相手の話を解釈したり、求められていないときにアドバイスをしたりすることはありません。また、会話のやりとりを大事にしているため、メールでの相談は受け付けていません。今回は当事者の方々へ広く届けるためということで、ご協力頂きました。

画像(鶴田桃エさん)鶴田桃エさん 自助グループ「NABA」代表、精神保健福祉士
自身も摂食障害を経験し、摂食障害の本人・経験者の自助グループ「NABA」を仲間たちと運営。27年にわたって本人や家族等の相談をうけてきた。

発症のさまざまなきっかけ

きっかけ
子供3人専業主婦歴30年。妊娠がきっかけで体重管理が厳しくて、検診ごとに体重計られました。
母親教室でも10キロ以上増加はだめだと言われ、朝晩計るようになりました。
それからだんだん体重の増減に一喜一憂するようになりました。
それから20年以上。子供たちも成人し、自分の役割も終えた今、夫も気持ちが通じずただただ消えてしまいたいと思うようになり、拒食やアルコール依存がひどくなり、拒食がきっかけで橋本病になりなど…。家族には言えません。
60近くにもなって摂食障害の方っているのでしょうか?
もうとにかく早く死んでしまいたいと思っています。
かこ / 千葉県 / 女性 / 50代

―妊娠中の体重管理がきっかけで摂食障害になったとありますが、こういうことはあるんですか?

鶴田:本当に人それぞれですけど、体重を気にしなければいけない状況が摂食障害のきっかけになることはけっこうあります。体重管理ということだと、スポーツやバレエなどのいきすぎた指導がきっかけという人もいます。でも、それはあくまできっかけに過ぎないな、と思います。あと、「60近くにもなって」って書いてあるけど、NABAには60代の仲間もいますから、ひとりじゃない、ということをお伝えしたいですね。

―きっかけに過ぎないというのは…?

鶴田:摂食障害の人の多くが、「べき」思考が強いと思います。「こう生きるべき」「ああするべき」っていうところに凝り固まって、その価値観で生きているので。(1)のすとひーなさんのときも話しましたが、ジェンダーもあいまって、女だったら、妻だったら、母だったらこうあるべきという問題が摂食障害に大きくつながっていると思います。かこさんも妊娠や体重管理はきっかけに過ぎなくて、もともとは性役割に縛られたりとか、人間関係のなかで受け止めてもらっている感覚が少なかったりする方なのでは、と想像しました。

―そうした「べき」とは、どう付き合っていくといいのでしょうか。

鶴田:生まれたときから「べき」思考が強いなんて子はいないと思うんですよね。世の中の価値観、環境、身近な親、出会っていく人間関係のなかで、「べき」って刷り込まれていくんじゃないかな。女性が多い摂食障害の場合、「女性はやっぱり痩せているべき」「女性ならこうでなくちゃいけない」というのが含まれていると思いますから。私はNABAにつながって、仲間たちの話を聞いて、そこに問題があったんだ、と気がついたので、そこから少しずつ距離を取ってこられたと思うんですよね。「べき」は癖だからしょうがない、と。癖をなくそうと頑張るんじゃなく、「癖があるんだな」と。あぁ、また「べき」って言っちゃったな、と自分に共感してあげる。そして「べき」じゃなくて、今の自分はどうしたいのかな?何ができるかな?と新しい癖をつけていくなかで、古い癖が少なくなっていきました。

サポートを受けること

毎日
拒食からの過食嘔吐3年で今も毎日寝ている時と仕事以外の時間は食べ吐きを繰り返してます。3年間吐かなかった日はほぼありません。やめたいのにやめられない。治りたいのに太りたくない。病院にいったら?入院したら?治るのでしょうか。専門機関や専門医が殆どないのでどこに頼ればいいかわからず気付けば3年。身体は常にだるく歯もボロボロ。過食費用で借金と隣り合わせの毎日。一生このままだと思うと時々死んでしまいたくなります。
にゃんこ / 女性 / 20代

―にゃんこさんは「どこに頼ればいいかわからず」と書いてくださっていますね。サポートについてお聞きしたいと思います。まず、病院ではどんなことができるのでしょうか?

鶴田:「薬」と「検査」と「入院」の3つは病院でしかできないことです。まずその1つ目は、眠れないとか、電話の1本もかけられないほどうつが強い状況のときは、少し気持ちを安定させるためにお薬が必要ですね。それから2つ目に、低体重や様々な合併症がみられるとき、まれにほかの病気が隠れていることもあるので、検査が必要ですね。3つ目は低体重による身体の危機や希死念慮がひどいときには命を守るために病院のベッドを用意してもらう。こういうときには、ぜひ病院につながっていってほしいと思います。

ただ一方で、病院で解決することもあるけど、ここまで話してきた人間関係の生きづらさや自己否定感の問題というものは、1対1の診察室の中で良くなっていくかというと、やはり限界もあると思うんですね。だから、お医者さんとの出会いをきっかけにして、自助グループだったり、このことを安心して話せる場を増やしていってほしいですね。

―自助グループについては、あとで紹介する「声」のところで詳しくお聞きしたいと思います。サポートを受けるとしたら、まずは病院か自助グループなのでしょうか?

鶴田:そうとは限らないですね。その人の状態によります。身体の危機が重要なのか、症状がある程度落ち着いていて人間関係に悩んでいるのか、社会的な活動を求めているのかなどによって必要な場所は変わってくると思います。病院や自助グループ、カウンセリングの他にも、例えば皆さんの地域にある「保健所」とか「精神保健福祉センター」、「男女共同参画推進センター」とか、電話や面談で相談を受けてくれるNPOなどもあります。でも、大切なのはひとつの場所にあまり期待し過ぎないことです。気の利いた言葉や対応がもらえなくても、まずは誰か、どこか、人を求めて最初に行動をするということに意味があります。1人の人との出会いが次につながっていく可能性があるので、社会資源のなかで何か使えるものがあったら、そこから少しずつ人を広げていくということをぜひ知ってほしいなと思いますね。

にゃんこさんは過食費用についても書いていますが、私も昔そうでしたが摂食障害の人たちって過食費用にはバンバン使うけど、自分を大事にするためにお金を使うことはすごくケチる(笑)。だからNABAでは、過食をやめなくていい、だけど過食代の10分の1でいいから、人に助けを求めるためにお金や時間やエネルギーを使いましょう、って言っていますね。

―もうひとつ、にゃんこさんの「治るのでしょうか」という問いについては、どうでしょうか?

鶴田:私がNABAにつながった頃に、「治りたい治りたい」と言っていたら、仲間たちから「桃エちゃんにとって治るってどういうこと?」って聞かれたんですよね。当時の私は、それまでかかっていた専門医から、たとえば学校に行けたりとか、就職ができたりとか、結婚して子どもを生むことができたら回復だよとしか教えてもらえていなかったので、治るっていうのは、3食きちんと食べられて、きちんと規則正しい生活ができて、ひいては学校に行けて、就職、結婚、出産みたいなことを思い描いていたんです。それから少しずつ、自分にとって治るというのはどういうことか、と考えていきました。

―そして、どうなっていったんでしょうか?

鶴田:症状よりも「このままの自分じゃ生きる価値がない」という自己否定感のほうがよっぽど病的で根本的な問題だったと気づけました。それで、治るというのは私にとっては、自分が自分と仲良く付き合って、折り合っていけることってたどりつけました。しかも、ときどきケンカしながら。親友とか相棒って、いつでも仲がいいわけじゃないですよね。自分を全部受け入れるんじゃなくて、やっぱりこういうところは受け入れられないと思うところもあって、「受け入れられない自分」を受け入れるっていう(笑)。私の場合、そういうふうに価値観や行動が変わるなかで、過食などの症状は自然に治まっていきました。

治るということは、その人それぞれ。さっき言った結婚・出産なども、その人にとって大事なことだと思えばそれを目指せばいいと思います。ほかにも、症状がまったくなくなることが「治る」ことだと考える人がいてもいいし、それとは逆に「こんなつらいことがあったらたまには過食でもしてやっか!」みたいな感じで過食と仲良くつきあえるようになることも一つの治り方だと、私は思います。あと、いつも焦っている人たちが多いので、NABAでは「家でゴロゴロ、外でブラブラ」っていうのが治るイメージだと言うと、皆からよくウケます(笑)。

専門の治療ができる病院がもっと増えたらいいな
大学受験時のダイエットによる拒食から、過食嘔吐に移行しました。大学を卒業して、看護師になりました。夜勤もあり、仕事以外は過食嘔吐が中心。仕事の疲れを過食嘔吐で癒しているという感覚でしたが、ヘロヘロでした。藁にもすがる思いで昨年、摂食障害の治療を受けられる他県の病院に入院しました。食事を適切にとることで、体が癒されたのはもちろん、食事や外見に対する捉え方、ストレスコーピングの方法など、入院中は沢山の生きるすべを学びました。3ヶ月間入院し、まもなく退院して一年経とうとしています。摂食障害行動はおさまり、外来通院、時々アルバイトをしています。摂食障害から少しずつ自分が離れていることを感じます。入院が大きな転機だったと思います。しかし、他県に行くことはハードルが高かったです。専門的な治療が受けれる入院施設、退院した後のフォローができるような外来施設がもっと充実するといいなと。
わかな / 東京都 / 女性 / 20代

―看護師をしていたわかなさんからの声です。

鶴田:実は看護など援助職に就いている人はけっこういます。専門職だから恥ずかしい、バレたら怖い、という気持ちが一般の人以上に強いと聞きますので、わかなさんはよく病院に行けたと思います。いまは常勤をやめてアルバイトをしているというのもすごいな、と思います。無理して元のままを続けようとするのではなく、まずは降りられた。摂食障害の人ってのぼることは得意でも、降りるっていうのは難しいんですよね。

―わかなさんは、専門機関がもっと充実したらと書かれています。他にも(1)のメイプルさんはストレスで病院に行けなくなった、とありました。病院については、皆さんいろいろな心配事があるようですね。

鶴田:「他県に行くことはハードルが高かった」とありますね。しんどい中、他の県まで行くのは大変ですよね。命を守るだけでも、引き受けてくれる病院がもっとできてほしいなと思っています。いま全国で4つ、宮城・千葉・静岡・福岡に「摂食障害治療支援センター」があります。でも、1つの県に1つの基幹病院というふうになってほしいなと本当に思いますね。

ただ、NABAとして言いたいのは、必ずしも専門医にかかることが必須じゃないということです。仲間たちの多くは、上下関係の上と思う人、たとえば親とか先生と言われる人たちに対して「見捨てられ不安」が強くて、怒られそうで本音が言えなかったり、逆に先生が自分のために一生懸命だからこそ、それに従えない自分を責める悪循環にはまっていたりしていることもあります。私自身も、すごく有名な専門医にかかっていたけど、先生に申し訳ないと思って、「先生のおかげで良くなっています」とか「先生に従ってがんばります」みたいなことを言っては自己嫌悪で、病院からの帰り道なのに過食のはしごをしていた時期もありましたから(笑)。一方で、専門ではない町のクリニックのお医者さんでも、行ったら歓迎してくれたり、「何かつらいことあったらまた来てね」って言ってくれたりして、「ここに来ていいんだ」と安心感をもてたっていう方も多いから、相性がすごく大事です。

―「拒食がなんで駄目って、本能に逆らうことだからねえ」という言葉にさげすみのニュアンスを感じたなど、医療従事者の偏見について書いてくださっている方も数人、いました。

鶴田:もっと理解のあるお医者さんが増えてほしいですね。ただ、傷つきを繰り返しながらも、その傷つきを一人で抱えているだけでなく、次の人と出会っていくうちに安心・安全な人と必ず出会えるっていう希望はもちたいですね。私が昔、仲間にいわれたことですが、「安心な場や関係はどこかにあるんじゃなくて、自分で作っていくものだよ」という言葉も思い出しました。

色んな種類の人間と繋がると生きやすくなるよ!
拒食で強制入院。家では◯点とったら~させてあげる、病院では◯キロになったら~させてあげる…同じ地獄だった。どこにも私の居場所はない、いっそ殺してくれと叫んだ。退院後、過食へ移行、パニック障害と強迫症も併発。長年ひきこもって、家族関係の本を貪るように読んだ。幼少期からのモヤモヤに名前をつけて引っ張りだしてもらえたような解放感で涙が止まらなかった。今振り返っても、長年渡り歩いてきた精神医療機関に答えはなかった。でもある精神科医の言葉が忘れられない。「今までだって、親は常識、教師は勉強だけで、一番大切なことは友達が教えてくれたでしょ?だから入院したって治らないし、僕に君を治すことはできない。自助グループへ行っておいで!」…当時は無責任だと怒り狂ったが、今はこれ以上ない愛に感謝している。自分の無力さを認めて、多くの人に助けを求めること…それが本人にも家族にも精神医療にも必要だと思う。
スペランザ / 女性 / 30代 / 子供

―精神科医の「僕に君を治すことはできない」という言葉はどう感じましたか?

鶴田:大事なことですね。摂食障害は必要があってやっている病気であって、冬に着ているコートをとにかく脱がせればいいんだ、みたいな発想では難しいと思います。自助グループを紹介してくださったということで、「自分にはできることもあるけど、限界があるから、他のところに求めていきましょう」と背中を押してくれるというのは、すごく素晴らしい先生だと思います。

―自助グループというのはどんなところでしょうか?

鶴田:摂食障害の本人や経験者が、対等で安心・安全な場で、出会い、経験や気持ちを分かち合うことで一緒に回復や成長をしていく場です。多くのグループは公民館とか教会とかを借りています。クローズドとオープンというのがあって、クローズドは摂食障害のある本人と経験者だけ。中心になる活動が、それぞれが経験や気持ちを語る「ミーティング」です。グループによって少しずつやり方は違いますが、「言いっぱなし、聞きっぱなし」というルールを使っているグループが多いです。自分が話したいことを話して、仲間の話を聞くときは、質問や意見をはさまず黙って聞く。また、そこで見たことや聞いたことは外に持ち出さないというのが基本です。ミーティングは本名でなくても、名乗りたい名前で参加できます。

―安心して話せる場、という位置づけですね。

鶴田:そうですね、安心や安全を大切にしています。ただ順番としては、私は聞くことのほうが大事なんじゃないかと思います。自分のことってわかりそうでわからないから、仲間の話を聞くなかで、「わかる。自分も同じだ」とか。それと、私の場合も「もっとひどい目に遭った人たちがいるなかで、私のこんなことぐらいで暴力とか虐待とか性被害とか言っちゃいけない」と、ずっと自分の体験に名前がつかなかったんです。スペランザさんも本を読んで名前がついていった、とありますよね。自分の問題に名前がつくってすごいことなんですよね。だらしなく食べているだけだと思っていたのが、「これって、過食症なんだ」とわかると、人とつながる、分かち合えるきっかけになるんですよ。仲間の話を聞くなかで自分の問題に名前がついて、そういうふうに思ったり感じたりしてもいいんだ、と幅が出てきたり、価値観が広がっていく。そのなかで勇気を出して自分のことも正直に語れるようになることが大きいと思います。

家族や援助職の人は「自助グループに行くことで客観性をもつのが大事です」ってよく言うんですけど、客観はもうちょっと後で、最初は主観なんですよね。一般の常識とは逆で、摂食障害のある人は自分の主観的な感情を大事にするのが苦手だから、仲間の話に共感するなかで、まずは主観を大事にできていくということが重要なんです。それと、仲間同士ならではの“あるある”で笑いあえたりすることも大事です。自分ひとりではみじめで暗い話でも、また一般の人からは大ひんしゅくの話でも、自助グループでは自然とユーモアに変わることもあって、ホッとしますから。

摂食障害を治すということは、ときどき自分とケンカしながら、自分と折り合いをつけていくこと。「治り方は人それぞれ」という鶴田さんの言葉に、気持ちが軽くなる人もいるのではないでしょうか。(3)では、他の「やめられないこと」の併発、症状との長い付き合い、一人一人の回復について向き合います。

摂食障害の困りごと・お悩み 支援者からのアドバイス
(1)さまざまな心の苦しみ/人間関係への影響
(2)発症のさまざまなきっかけ/サポートを受けること ←今回の記事
(3)他の「やめられないこと」の併発/症状との長い付き合い/それぞれの「回復」

※この記事はハートネットTV 2020年6月24日放送「#隣のアライさん これだけは知ってほしい!摂食障害のこと」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

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