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【特集】水俣から考える(2) 建具職人・緒方正実さん

記事公開日:2020年06月24日

新型コロナによる偏見や差別が広がる今、かつて同じような対立と分断を生んだ水俣病。建具職人の緒方正実さんは、一族20人以上が水俣病におかされるなか、自身もまた壮絶な差別や偏見を経験します。今は語り部として、水俣病の教訓を若い世代に語り継ぐ正実さんのメッセージをお伝えします。

水俣病を隠し続けた人生

かつて、熊本県水俣市の海は水銀によって汚染され、多くの生き物たちが犠牲になりました。水俣市には、水銀により汚染された魚やヘドロを埋め立てた場所があります。ここに繁る「実生の森(みしょうのもり)」は、地域の再生を願う市民が種から育てた森です。緒方正実さんはこの森を通して、水俣病と向き合ってきました。

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水俣市の実生の森

正実さんは水俣病による感覚障害を抱えながら、長年、建具職人として仕事を続けています。
漁師の網元の家に生まれた正実さんは、2歳の時に祖父を原因不明の病で亡くしました。祖父は町で最初の急性劇症型の水俣病の患者でしたが、水俣病は発生当初、「奇病」・「伝染病」として恐れられていました。こうしたなか、緒方家は、正実さんや、胎児性水俣病患者の正実さんの妹を含む一族の20人以上が水俣病を発症。偏見や差別にさらされていきます。

水俣病は後に、チッソの工場排水に含まれる有機水銀が原因だと判明。しかし、地域に根付いた差別や偏見がなくなることはありませんでした。

そのため、正実さんは水俣病であることを隠し続けていたと振り返ります。

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建具職人・緒方正実さん

「私は20歳で結婚しましたが、妻に自分の水俣病のことは話しませんでした。家庭が壊れてしまうと思ったのですね。結納が済んだ日の夜、妻の所に一本の電話があり、『あなたが結婚しようとしている人の家族は、水俣病で全滅よ』と言われたそうです。妻は心配しましたが、それを口に出せないほどの心配だった。そういうなかで暮らしは始まりました。やがて子どもが生まれて、普通の幸せな家庭生活が始まったわけです。水俣病のことはもう忘れたというか、忘れなければという思いも同時にあったのです。テレビや新聞で水俣病の話題が取り上げられたら、意識的に避けていたのを記憶しています」(正実さん)

闘うことを決意

水俣病から逃げ続ける人生を送っていた正実さんを変えたのは、娘の言葉でした。

幼い頃から「将来は学校の先生になりたい」と希望していた娘に、正実さんは夢を叶えてあげたいと思い、「学校の先生になりたければ、起きた出来事から目をそらさずに、正直な気持ちで生きることが大切」と伝え続けます。

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正実さんと娘

やがて、高校を卒業して福岡の大学に進学することになった娘は、正実さんに感謝の気持ちを伝えたあとに、こう付け加えます。「お父さんこそ、正直に生きてね」。その瞬間、正実さんは自分自身のことに気が付きます。

「『正直に生きることが大切だ』と言う、その私がどうだったのかと、自然と気付きました。『差別されるからごまかそう』と思うこと自体、私が水俣病被害者を差別していたのだと」(正実さん)

そして、正実さんは水俣病と向きあうことを決意します。

「当時の娘が私の水俣病の被害事実を知っていたかどうかはわかりません。今も聞いていません。聞く必要もないと思っています。私はその娘の一言によって、自分の水俣病の被害事実を形として国家に認めさせる目的で、認定申請をしたのです」(正実さん)

正実さんは水俣病の被害者であるとして、県に書類を提出します。2歳の時に受けた水銀被害の検査で、正実さんの髪の毛からは一般成人男性の平均値の100倍以上の水銀が検出されていました。医師の所見からも水俣病であることは明らかでした。

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県に提出した書類

しかし、半年後の審査結果は、正実さんは水俣病に該当しないというものでした。

「まさかの内容です。私は1か月ほど、夜中に床についてから泣き通しました。水俣病の被害に遭い、いろいろな人生があったけれども、それでも私の人生だった。私の存在など認めてくれない行政に対しての怒りだったのです。ですから、私は一人の人間として認めてほしいという視点に立って、ある決断をしました。闘いです」(正実さん)

訴えを取り下げられた後、正実さんは認定を求めて国や行政と直接交渉を始めることにしたのです。

年月とともに起きた心境の変化

正実さんの闘いは、10年にわたって続きました。その間、行政との向き合い方が徐々に変化していきます。

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行政と交渉する正実さん

「行政の中にいる一人一人と向き合いたいという気持ちが起きていたのです。それまで行政は組織だから、人として言葉を交わしても、人としての言葉は返ってこないと言われていました。私はそうではないと思うようになりました。組織が最初にあるのではない。人が最初にいて、組織を作っているわけだから、そのようにこちら側が見てしまえば何も変わらない。『あなたたちを人として見ているのだ』と言い続ければ、人は変わってくれる。組織と闘っているつもりはない。人と闘っていると強い思いを持ち続けて、認定申請を繰り返していきました」(正実さん)

認定申請を行うなかで、正実さんは行政の人たちに自ら筆を執った手紙を送り続けました。そこには、当時の思いが包み隠さず綴られています。正実さんは何度退けられても再び申請を行い、手紙を書き続けました。

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正実さんが書き続けた手紙

相手と人として向き合うことで解決の方法を模索してきた正実さんは、そのときの経験を次の世代の人たちに語り継いでいます。

学生からの「公権力を前に、果たして正直に生きていく事が本当に可能なのか?」という質問にも丁寧に答えます。

「一般的に、組織に対して個の思いは伝わらないと言われています。水俣病では特に言われていました。それを変えていくのは、相手に期待を持つのではない。私が努力しなければならない。ですから、こちらが何も変わらないと言っている間は何も変わらない。担当職員の一人一人と、私は人として向かい合ったのです。そうすると相手も変わってくれました。どんどん変わってくれました」(正実さん)

「祈りのこけし」に込めた思い

行政との闘いが始まって5年が経ち膠着状態が続いていたある日、正実さんはかつて水銀に汚染された魚やヘドロが埋め立てられた埋立地に育つ「実生の森」を訪れます。正実さんはここの木を切る許可を得て、自分の思いを託した作品を作れないかと考えました。

「実生の森は水俣病の爆心地です。多くの生命が失われているのです。そういった生命の思いがこの木には凝縮されていると思っています。水俣病で亡くなった人間や鳥や魚は、いったん失われた生命ですけれども、再び生まれ変わるという思いも込められているのです」(正実さん)

正実さんは実生の森の木から顔のないこけしを作り、「祈りのこけし」と名前をつけて行政や国の担当者に手渡しています。

「自分のことばかり強く訴えても、人は耳を傾けないことを知った。犠牲で亡くなった人たちにまず祈る気持ちを持つことが大切だと。『祈りのこけし』を多くの人たちに渡しながら、自分のことも伝えていけば耳を傾けてくれるという意味もあったのです」(正実さん)

闘いから10年がたった2007年3月、熊本県知事から一通の手紙が正実さんのもとに届きます。正実さんを水俣病患者として認定するという内容でした。そこには、10年間訴えを退け続けたことへの謝罪の言葉も綴られていました。

画像(熊本県知事からの手紙)

「私は熊本県知事の心からのお詫びに対して、人として許したいと思ったのです。謝るという素晴らしさを私は体験させてもらったのです。私はさらに、人間は正直に生きることの大切さを身にしみて自分の中で捉えることになったのです」(正実さん)

さらに数日後、正実さんは町のお店で声をかけられます。

「緒方正実さんですね。私はチッソの社員です。緒方さんに長い間大変苦労をかけて、本当に申し訳ありませんでした。これから私たちが働いて、緒方さんに一生償いますから許してください」(チッソの社員)

突然の言葉に、正実さんはこれまでのことを(ゆる)す気持ちになりました。

(ゆる)してあげたいと、自然体に思ったのです。多くの人たちはいったん恨んだことをゆるせないと思ってため込んでしまうから、どんどん自分が苦しくなっていくわけです。人を恨み、あるときは自分が苦しみ、そのなかでひとつひとつの問題が解決していったら、そのひとつひとつに対して(ゆる)すことはできるということに気が付いたのです」(正実さん)

語り部として経験を語り継ぐ

今、正実さんは語り部として次の世代の若者たちに語りかけます。

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若者たちに語りかける正実さん

「これほどの屈辱を味わった私が、相手を(ゆる)すまでの力を身につけたということを知ってもらいたいのです。10年間の闘いの中で気付かされました。私は人を恨むためにこの世に生まれたわけではない。水俣病という出来事と出会い、チッソを恨み、行政を恨み、世の中を恨んでしまったけれども、恨みを取り除く方法だってある。人に正直に生きるのではなくて、自分自身に正直に生きるということです。水俣病になって良かったとは決して思いませんけども、水俣病になったことを私は後悔していません」(正実さん)

正実さんは、出会う人たちに顔のない「祈りのこけし」を手渡しています。

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正実さんが作った「祈りのこけし」

「水俣病をみなさんの人生に少しでも役立てて教訓につなげたときに、思いの中で目や鼻や口が描かれていきます。みなさんの思いの中で完成させてください」(正実さん)

対立をこえて一人一人と向き合うことで人生は大きく変わっていく。正実さんが思いを託して彫り続ける「祈りのこけし」は今、4000体を超えています。

【特集】水俣から考える
(1)漁師・緒方正人さん
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※この記事はハートネットTV 2020年6月23日(火曜)放送「水俣から考える 第2回 建具職人・緒方正実さん」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

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