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コロナの向こう側で(3) 1億分の1としてできること 湯浅誠さん

記事公開日:2020年06月17日

新型コロナで大きく変わってしまった社会。この10年で社会は“やさしく”なったと言うのは、30年近く貧困問題に取り組んできた湯浅さんです。一方で、自己責任を問う風潮も広がっており、社会の分断が深刻化しています。コロナ禍によって困窮する人が急増し始めている今、分断を防ぎ、危機を乗り越えるために必要なことを伺いました。

社会は意外とやさしくなっている?

社会活動家の湯浅誠さんは、30年にわたって貧困問題に取り組んできました。リーマンショックで起きた派遣切りの際は、住まいを失った人たちに食事や寝る場所を提供する「年越し派遣村」を組織し、失業者の支援に奔走。その実行力を買われ、内閣府の参与として国の政策決定にも関わりました。

湯浅さんは今、新型コロナの影響で再び困窮する人が増え始めていることを危惧しています。

「リーマンショックを超える経済・社会・生活へのダメージが生じていますから、大変な状況下にある人が増えていることは間違いないと思います。コロナは医学的には、お金持ちも低所得の方も等しくリスクがある。感染リスク自体は医学的には万人平等ですが、生活に対する影響は低所得や、ゆとりのない方ほど深刻に受ける。そういう意味ではダメージは弱者ほど強く出る。今回も例外ではないと思います」(湯浅さん)

長年、貧困問題に取り組んできた湯浅さんは、このコロナ禍では世の中の意識は変化してきたと感じています。

画像(“やさしさ”に対して“やさしく”なった)

「“やさしさ”に対して“やさしく”なったという感じがします。今回のコロナ危機で数多くの方たちが、自分のできることを、より大変な人たちに向けてやろうとしている。このありようは、やさしさに対してやさしくなったなと思う。そこは隔世の感がありますね」(湯浅さん)

このやさしさをもたらしたと考えているのは、私たちがここ10年ほどで繰り返し見舞われてきた数々の災害です。

「大きな要因として挙げられるのは、リーマンショック、その3年後に東日本大震災、そして2010年代に私たちは毎年のように大きな災害に見舞われたこと。さまざまな形の災害を毎年のように日本の中で誰かが経験している。こういう状態というのは、私たちの暮らしが実は非常に危うい、日常生活って結構もろいものだという意識を浸透させていると思います」(湯浅さん)

「コロナは誰がかかるか分からないからこそ、対処してくれる医療従事者、福祉関係者、そうした“エッセンシャルワーカー”と言われるようになった仕事や活動に従事されている方たちに対する感謝の念が広がっている。今はそうしたことを表明できるし、行動できる。それをやったからといって、『そんなこと言ったって世の中は渡っていけないんだよ』と、冷ややかに受け止める人が、かつてほどには多くないというところに、やさしさに対してやさしくなったなと感じます」(湯浅さん)

自己責任論に未来はない

度重なる災害に見舞われた日本では、共に助け合う“やさしさ”が広がってきたと感じている湯浅さん。しかし、コロナの感染者が謝罪に追い込まれたり、ネット上でバッシングしたり、感染を「自己責任だ」とする空気も広がっています。

画像(自己責任論とは、あなたの問題)

「自己責任論というのは、用法としては『それはあなたの問題でしょ』と使います。『お前が選んだのだから、それはお前の責任でしょ』という言い方ですよね。これは、より正確に言うと“他己責任論”です。これはあなた個人の問題だよ、私は関係ないよと言いたいんですね。それは、残念ながら社会のつながりを失わせる方向に働きます」(湯浅さん)

そして、湯浅さんは自己責任論が広がる社会に警鐘を鳴らします。

「同じ社会に暮らす私とあなたをあえて分けて、『それは俺の問題じゃない、お前の問題だ』ということに、生産的な未来は開けてこない。いわゆる自己責任論、実質的には他己責任論の一番の問題は、それが未来を切り開かないことにあります。私は『やさしさに対してやさしくなった』と言いましたが、コロナに感染した人に対する厳しい心ない差別も広がっている。そういう意味では二極化してきている面もあるのかなと思います」(湯浅さん)

分断を防ぐには「目線を合わせる」こと

かつて、失業者の救済にあたってきた湯浅さん。道を切り開くため、行政や企業に対して批判的な発言をすることも多々あったといいます。しかし、深刻さを増す社会の二極化が心境の変化をもたらします。

画像(二極化する社会)

「私は誰かを批判するのは止めたんです。それは、相手が政府であっても。2013年くらいから止めました。最大の理由は、世の中の格差とか分断という状況がかつてよりも深刻になってきていると感じたからです」(湯浅さん)

このような思いに至った理由は、2009年から3年間務めた内閣府参与の経験からです。

「私は1990年代からホームレス支援をやってきましたが、2006年あたりから賛同者が増えた。私の感覚値で言うと100万人くらいですね。でも、参与になって税金を使って政策を作る側になって痛感したのは、100万人は人口の1%しかいないということです。1%の人だけが賛成しても、99%の人が目を向けてくれなければ、政策は作れません。税金というのは全員のお金を使うからです。100万人では駄目だと痛感したのが、あの参与の3年です」(湯浅さん)

今では他者と「目線を合わせる」ことに注力しているといいます。

画像(他者と「目線を合わせる」こと)

「言ってみれば、私は便所の窓から日本社会を見てきました。しかし、3階の東側の窓から日本社会を見ている人もいるし、屋上から日本社会を見ている人もいる。そういう人たちに、『みんな便所に来い』と言うだけではなく、私が3階の東側、屋上に出向いて同じ景色を見て、『きれいな景色ですね。ところで別の景色もありますけど見に来ます?』と言ったほうが、多くの人が見に来てもらえるのではないか。今必要なことは、分断に乗って誰かを叩くことではなく、なるべく目線を合わせていくこと。ただでさえバラバラになりかねない世界状況、日本の状況では、より多くの人たちが目線を合わせることに力を使うべきだと思います」(湯浅さん)

つながりを守り続ける子ども食堂

試行錯誤を続けながら、ひとりも取りこぼさない社会の実現を目指してきた湯浅さん。今、力を入れているのが、子ども食堂のネットワーク作りです。

画像(子ども食堂の様子)

子ども食堂は地域の子どもたちに食事や居場所を提供するなかで、困っている家庭ともつながりを持っています。全国くまなく広げることができれば、取りこぼされる人をすくい上げられると湯浅さんは考えました。

しかし、今年2月27日、新型コロナの感染拡大防止のために出された全国の学校へ出された休校要請により、子ども食堂の風景は大きく変わりました。

子ども食堂の9割は閉鎖せざるを得ない状況に置かれました。その一方で、半数近くのこども食堂では、食材の配布や弁当の配達という形で継続。コロナ感染のことを考えれば休止もできましたが、やめられないという強い思いがあっと、湯浅さんは考えています。。

「コロナ以前から、子ども食堂に来る方たちとつながっていたからだと思います。ここでやめたらあの子どうするんだ、あの家庭どうなってしまうんだというのが見えていたからです。この機会を活用して家庭の困りごとを聞き出したり、1人じゃないよと伝えたり、愚痴を聞いてあげたりしている。そこから相談に発展する例もあります。接点を持てているというのは貴重だと思います。そこに私は希望を見ています」(湯浅さん)

1億分の1としてできること

コロナによって足下に広がる経済的な危機。私たち社会が乗り越えていくためには、これまでの発想を変えることが必要だと湯浅さんは考えています。

「東日本大震災のときに経験したように、災害時には復興の立ち上がりのスピードが異なる“復興格差”が起こります。今回も地域差に加えて個人差があり、個々の事情が見えにくいなかで大切にすべきは小さな接点です。
全部はカバーできないという前提の下で、みんなの見えている部分を足し上げていく。1%カバーしている人がいる、2%カバーしている人がいる。それを足し上げていって、100%に近づけていく。どんなわずかな接点でも、持っている人たちの接点を最大限尊重する。『あんたがつながっているのは、たった10人でしょ』ではなく、その10人とのつながりを持っていることが助かるという発想になれるかが、今回のコロナ危機の分かれ目になるでしょうね」(湯浅さん)

格差を越えて、共に立ち上がるために大切なこと。それは、一人一人が1億分の1として、できることから始めることだと湯浅さんは語ります。

画像(できることから始める)

「こうした緊急時には“できる人が、できることを、できることから”が鉄則です。お金での支え、ボランティア活動での支え、応援メッセージだけでもいいかもしれない。多くの人たちが自分のできることを、できる範囲で、できることからやっていく。そのために、いろいろな団体が微力を足し上げるための窓口としての役割を果たしている。それが、社会の進歩、発展というものだと思いますね」(湯浅さん)

大変な状況下にあるなか、困窮している人たちに向けて湯浅さんからメッセージがあります。

「抱え込まず相談に来てください。人生で初めての困難であればあるほど、(相談は)難しいことだと思います。だからこそ、相談したくなるような社会的な雰囲気を作りたいですね。それが、やさしさに対してよりやさしくなることです。言っても怒られない、言っても誰か受け止めてくれると思えたら、その人は相談に来てくれます。私たちは社会的な雰囲気づくりを頑張ります。共に頑張りましょう」(湯浅さん)

コロナの向こう側で
(1)“全員が障害者”で見えたもの 熊谷晋一郎さん
(2)“会話”よりも“対話”を 斎藤環さん
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※この記事はハートネットTV 2020年6月3日放送「インタビューシリーズ『コロナの向こう側で~湯浅誠さん~』」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

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