家族や知人を無償で介護したり、看病したりなど、ケアをする「ケアラー」の人たち。ケアする相手も内容もさまざまですが、たまっていく疲労や、思うようにならない人生設計に悩み、孤立しがちです。ケアの大変さや悩みごとなどを共有しながら、どうすれば適切な支援につながれるのかヒントを探ります。
日本ではケアラーへの支援はどうなっているのでしょうか。ケアラーを支援する団体の代表で、自身もケアラーの持田恭子さんは、日本には社会制度としてのケアラーへの支援はまだ確立していないと言います。
「ケアラーが集まって話をしたり、情報を共有したりする場を提供している民間の団体はありますが、それもまだまだ数はそんなに多くなく、十分とは言えません」(持田さん)
そうしたなかでも、介護保険や障害者福祉のサービスなど、今ある公的な制度を使うことで、ケアラーの負担を減らすこともできると言います。しかし、ケアラーがそうしたサービスを利用するには、さまざまな壁があります。
認知症の母親を介護する長田寛子さん(36)。6年ほど前、母親のヨネさんに、スーパーで何度も同じものを買ってきてしまうなど、異変が現れましたが、病院を受診しようと決意するまでに1年かかったと言います。
「(母が)認知症だと思いたくないという、自分の心の整理もあったと思います。今まで“お母さん”という存在だったものが少しずつ変わっていくのは、子どもの心情として、なかなか受け入れるのは難しいと思います。また、診断後も、介護に行き詰まるたびに相談窓口に行ったんですけど、介護がつらいとなると、言われるのは『じゃあ次は施設ですね』とか、そういうことばかり。相談に行って、ただ話を聞いていただけるだけでいいのに、どうしても解決策を提示されて、取り合ってもらえない感触がありました」(長田さん)
難病のため医療的ケアが必要な長男をケアする奥山梨衣さん(41)も、同じ思いを抱えてきました。
「市役所の窓口に障害福祉課とかそういう名前がついていると、それだけでもうハードルが高い。自分の子どもを障害児と思いたくないところもあって、制度を使うのに時間がかかりました。また、障害児、医療的ケアをわかってくださる専門の方も少ないことに加え、今まで乳児健診などで何度も心ない言葉をかけられて傷ついてきた過程があるので、また同じようにつらいことを言われるんじゃないかと、窓口に行きづらい状況はありました」(奥山さん)
介護や福祉などのサービスはあっても、ケアラーが使うにはハードルが高いという現状。持田さんはケアラー当事者のニーズと、行政の役割にすれちがいがあると指摘します。
「行政側は、どんな相談をしたいのかを明確に持っていないとどこにつなげていいのかわからないということがある。でも、ケアラーとしてはまず自分の気持ちを聞いてもらいたい。ケアラーと行政の間のクッションとなるものが必要だと思います」(持田さん)
一方で、そもそも自分がケアラーだと思うことができず、支援を求めるのが難しい、という声もありました。高次脳機能障害のため、注意力や記憶力に障害のある母親をケアしてきた髙橋唯さん(22)もその1人です。
「ケアという言葉から想起されるのは高齢者介護。排せつや入浴の介助といった身体的な介護をケアと呼んでいると思っていて、母の場合は身の回りの世話は極力自分でやっているため、当てはまらないと思いました。それに、親のことは親、自分のことも子どもとしか思っていなかったので、“ケアしている人”と“ケアされている人”と呼ばれると、私は子どもではなく、ケアしている人という立場にならなきゃいけないし、母のことも私のケアがないと生きられない人と見下しているような感じがして、言葉として受け入れにくいなと」(髙橋さん)
なぜ、自分がケアラーだと認識することが難しいのでしょうか。持田さんはその理由を「ケアラーにとって、ケアは特別なことではなく日常の一部で当たり前のこと。改めて自分のことを『ケアラー』と客観的に認識することはなかなか難しい」と説明します。
では、どうすればケアラーは適切な支援につながることができるのでしょうか。
医療的ケアが必要な長男を育てる奥山さんは、同じような境遇にある親と出会ったことが支援につながる大きなきっかけになりました。
奥山さんが母子入院した際に出会ったみなさん
「そのときに仲よくなったママから『しんどかったね』と言われて、初めて共感してもらえた。そして、てんかん発作を自分が1日中、たとえば10回見るのと、デイサービスに預けて『発作ありましたよ』って言われるのとずいぶん違うよって、教えていただきました。それがきっかけで自分も使っていいのかなと。使うまでには5年かかりましたけど、やっぱり受け入れて前に進むためには、時間と仲間が必要なんだなと思いました」(奥山さん)
奥山さんが自宅で開いている集まり
自分も同じような場を提供したいと、奥山さんは今、医療的ケア児の親たちが集まる会を自宅で開いています。ざっくばらんに情報交換をしながら話を聞き、孤立している人を支援につなげることもあります。
統合失調症の姉をケアしてきたヤマトさん(仮名・26)も、同じ立場の仲間と話せる場がほしいと、きょうだいケアラーの集まりを開いています。きっかけは、東京のきょうだい会に参加したときに、のびのびと自然に話せたことでした。
「最初、地元の家族会に参加したんですけれども、そこは親の立場の方が9割とか8割で、ぼくが話をすると『若いのに弟さん、偉いね』と褒められる。そんな状況でぼくがほんとは姉に対してこうしてほしいと思っているとか、ああいうことに傷ついたということを話せる場ではなかった。それで初めて、東京まで行ってきょうだい会に参加したら、ものすごくのびのびと自然に話せたんです」(ヤマトさん)
こうした同じ立場の人が互いの思いを話し合う、聞き合う仲間の場をピアサポートと言います。ピアは仲間という意味です。
「仲間同士で集う場はとても重要な役割を果たしています。自分がケアラーである、家族に障害がある、介護領域に踏み込みそうだ、そういったことを受け入れる場にもなります。そして、生活を再構築するとか、生活の工夫や知恵というものを共有していくことで、漠然とした不安や恐れも解消していくことができます」(持田さん)
一方、ケアラーのために周りにいる人ができることはあるのでしょうか。
高校2年のときに、父親が倒れ、介護を続けてきた池田千恵さん(29)にとって、当時、唯一心が休まる場所は学校の保健室でした。
「何も聞かずに、ただいることを許してくれる場所でした。ある日、授業中に感情が高ぶって泣いてしまいそうになって駆け込んだんです。周りにほかの生徒もいたので、先生は何も言わずにティッシュを渡してくれて、隣のカウンセリングルームを『しばらく使う予定ないから、好きにしていいよ』と言って、トイレットペーパー1ロールと私だけをその部屋に入れてくれました。そこでしばらく声を上げて泣いたこともありました。『お父さん最近どう?』って言われるでもなく、ただ『日焼けしたね』とか、そんな形で先生方が私の変化に目をとめて見守ってくれる。大人がうちの状態のことを知ってくれている。それが自分にとって苦しくない接し方だったことは、とても大きかったなと思います」(池田さん)
ほかのケアラーのみなさんは、周りの人のどのような声かけに安心できたのでしょうか。
ケアラーのみなさん
「訪問看護師さんやヘルパーさんの『疲れてない?見ててあげるから寝ておいで』という一言がすごくありがたいと思ったことはありました。自分がつらかったことを認めてもらえると、安心するというか、ほっとします。お母さんは頑張って当たり前と思われがちですが、そこは普通の子育てと違うので、『すごく頑張ってるね』と認めてもらえるだけでもすごく安心します」(奥山さん)
「介護に行き詰まったときに、主治医につらいということをお伝えして、施設のことも考えたいと言ったときに、ソーシャルワーカーとの面談をその日にセットしてくださいました。そのとき『ここまで考えつくには相当大変だったんじゃない?』と声かけがあって、初めて泣くことができました。誰にもわかってもらえないところを言っていただけたと思います」(長田さん)
「『弟としてどうしたい?』って聞かれた経験はほぼありませんでした。僕が本当はどう思っているとか、親じゃないけど弟としてこう関わりたいとか、姉に対して伝えていきたいということは、必要とされてないという感覚がどうしてもありました」(ヤマトさん)
「ケアがつらくて宿題をやってこられない子どもが結構いるらしいのですが、そういうときに責めるんじゃなくて、『宿題が提出されてないみたいだけど、どうしたの?』って聞いてもらえたら、ケアが原因の子どもも話しやすくなるのかなと。私も振り返ると、態度の悪さや給食の時間に勉強していることを『どういう理由があるの?』と優しく聞いてもらえたら、何か話したかもしれないなと思います」(髙橋さん)
持田さんは、周りの人はケアラーに共感すること、やってきたことを認めることが大切と言います。
「アドバイスはいらない。同意することは、ケアラーにとってはとても大きな力になると思います。『つらくていいんだよ』『頑張ってきたね』と、自分がやってきたことを認めてもらうことは、とても大切なことです。もし『そんなに深く考えなくていいんだよ』とか『それは考え過ぎだよ』と、励ますつもりで言った言葉が逆に否定と捉えられてしまう場合もあります。自分とは異なる経験をしていたとしても、『そういうこともあるんだ』と共感することがこれからは本当に、とても大事なことだと思います」(持田さん)
最後にどうしても一言言いたいと、池田千恵さんから手があがりました。
「このケアの経験っていうのが今この時代にできていることって、とても強味かな、と思うんですね。そう思い込もうとしている部分もあるんですけど。なんか暗いね、大変だねっていうような、かわいそうだねではなくて、『これが強味なんだね。大切な人を守り抜いたんだね。自分も犠牲にせずに』って言えるような経験にできるように、まずはそれを自分ができるようになりたいな、と思ってます」(池田さん)
ハートネットTVでは引き続き、ケアラーの支援について考えていきます。
もしかして、“ケアラー”?
(前編)介護や世話で疲れていませんか
(後編)孤立しないためのヒントとは ←今回の記事
※この記事はハートネットTV 2020年5月13日放送「もしかして、“ケアラー”?~介護や世話で疲れていませんか~ 後編」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。