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もしかして、“ケアラー”?(前編) ~介護や世話で疲れていませんか~

記事公開日:2020年05月28日

家族や知人の介護、看病などのケアを無償で行う「ケアラー」。18歳未満で病気や要介護の家族をケアしている「ヤングケアラー」、子育てと親の介護を同時にこなす「ダブルケアラー」など、さまざまなケアラーがいることが分かっています。疲労感を抱え人生設計に悩みながらも、ケアする日常が当たり前すぎて自分が“ケアラー”だと気づかず、助けを求められない人も多いそうです。今回は、当事者の本音や悩みをオンラインで聞き、ケアラーが孤立しないためのヒントや必要な支援を探りました。もしかしてあなたも、“ケアラー”かもしれません。

育児や仕事と両立させる難しさ

ケアラーとは、ケアが必要な家族や友人、知人などを、“無償で”介護、看病、療育、世話などをする人たちのことを指します。

(ケアラーとは?(イラスト))

一般社団法人日本ケアラー連盟のホームページより

難病のため医療的ケアが必要な長男のケアをしているのは奥山梨衣さん(41)です。長男の哲平さん(14)は、成長や発達に影響が出る難病「CFC症候群」を患っています。たんの吸引や、胃につないだチューブから食事をとる「胃ろう」など、医療的ケアが欠かせません。

画像(奥山梨衣さん)

奥山さんの1日は、哲平さんが学校に行っている間以外、ほとんどすべての時間が哲平さんのケアやほかの兄弟の世話で過ぎていきます。

画像(奥山さんの1日のスケジュール)

「ふだんはたんの吸引が大体10~15分に1回、寝てからも大体30分~1時間に1回は最低でもあるので、朝まで14~15回は吸引しています。それに加え、注入のポンプが止まってしまったり、発作があって嘔吐があったり、おむつ替えもありますし、夜勤の看護師さん並みにやることはあります。慢性睡眠不足になりますし、医療的ケアがあること以前に(CFC症候群という)病気ですので、風邪などをひくと人工呼吸器が必要になってしまい、そのつど、救急搬送を頼むことになります。気が休まらない、いつも気を引き締めないといけないのが精神的にもつらかったですね」(奥山さん)

画像(長男・哲平さんを介護する奥山さん)

働きながらケアすることの大変さを語るのは、ワーキングケアラーの長田寛子さん(36)です。

画像(長田寛子さん)

母親のヨネさん(73)は5年前に認知症の診断を受け、現在は要介護4と認定されています。長田さんは仕事をしながら在宅でケアをしてきました。

画像(長田さんの1日のスケジュール)

毎朝、ヨネさんに「だあれ?」と言われて起こされるという長田さん。その後も、ひとつひとつの動作に声かけが必要なヨネさんのために、家にいるときは常に見守りながら暮らしています。

画像

母 ヨネさん

外資系のIT起業で派遣社員として働く長田さんはこれまでに3回転職するなど、介護しながら働く難しさを感じ続けてきました。

「母の変化を受け入れながら自分自身の仕事も続けるとなると、自分の感情のコントロールが難しかったり、それによって職場の人とのコミュニケーションがなかなかうまく取れなかったり・・・。理解してくださって時短勤務になったんですが、介護していることを会社でオープンに言ったとしても、自分の抱えている精神的、物理的大変さを、職場の方に同じように理解はしていただけない。少しギャップは感じていました」(長田さん)

ケアラーを支援する団体の代表で、自身もケアラーの持田恭子さんはワーキングケアラーの悩みについて、次のように話します。

画像(持田恭子さん)

「仕事や職場はコミュニケーションがとても大事なので、そのなかで自分の感情のコントロールができなかったり、介護の経験談を共有する人がいなかったりというのはとても寂しいことです。なかなか理解してもらえないことから、無意識のうちに孤立したような状態になっていくのではと思います」(持田さん)

若くしてケアラーになった人の悩み

ヤマト(仮名・26歳)さんは、精神疾患の姉をケアしてきた「きょうだいケアラー」です。

画像(ヤマトさん(仮名))

ヤマトさんが小学5年生のとき、元気だった3歳年上の姉が学校でいじめにあい、「周囲が悪口を言っているように聞こえる」など、統合失調症の症状が出るようになりました。

「姉が不安からかんしゃくをおこして、よく両親ともめ事を起こしていました。私が高校のときも学校から帰宅すると取っ組み合いのけんかになっていて、父が姉の髪を持って振り回していたり、逆に姉が物を投げたり包丁を持ち出したり、すごく緊張感のある毎日でした。具体的に僕が物理的なケアをしていたという感覚はないんですけど、精神的なところで何かやらなければという気持ちは抱えていたと思います」(ヤマトさん)

画像(ヤマトさんのこれまで)

ヤマトさんは大学生のとき、「姉と一番長くつきあうのは、きょうだいである自分だ」と覚悟を決め、姉の“保護者”となることを決意します。

「両親と『将来どうしたいの?』という話し合いの機会をたくさん持ったんですけれど、父は感情的なコントロールが得意なタイプではないので、姉の問題は前に進まないだろうなというのは、薄々分かっていました。だったら問題を先送りするよりも、僕が前向きに介入して、何か前進させるべきなんじゃないかなと思いました。なので、就職先も地元に決めたという経緯があります」(ヤマトさん)

画像

ヤマトさんと姉

地元に就職してからは、働きながら、姉が落ち着いて生活できる場所を探しました。4年かけて地元のグループホームを見つけ、ようやく生活が安定しました。

「新卒の周りの人はやっともらえた有休を自分の遊びとかに使えるなか、自分は姉のために施設の見学だったりサービスの手続きだったりいろんなものに使わなければいけない事実を当初、不満に思って両親に言うこともありました。でも、姉のせいだと思いたくない、自分で選んだと思いたい自分もいました。0か100かという問題ではなくて、曖昧な状態でいいんだと思えたのは、大人になってからかなと思います」(ヤマトさん)

親子関係が逆転してしまったと語るのは、物心ついたときから母親のケアをしてきたという髙橋唯(22)さんです。

画像(髙橋唯さん)

母親の純子さん(51)は高校生のときの事故が原因で、右半身のまひと高次脳機能障害があります。脳の一部が傷ついたことで、記憶するのが難しい、注意力が続きにくいなどの症状があります。

画像(髙橋さんの1日のスケジュール)

「冷蔵庫を開けると大体、飲み物やソースがこぼれたまま。とにかく何か1つやるために1個以上片づけをやらないと次に進めないというような状況。夕飯を作らせると、お肉に火が通ってない。子どもがいたずらするのを『やっちゃだめだよ』と言っても止められないような、そんな感じに似ていますね」(髙橋さん)

画像(母 純子さん)

幼いときから、常に母親の様子を気にかける毎日。しかし最もつらかったのは、ケアそのものではありませんでした。

「小さい頃から、母よりも自分のできることのほうが多くなってしまって、『自分のお母さん』という気持ちで頼ったり甘えたりすることができなかったのがつらくて。母に母であることを期待してもそれは難しいことなのに、勝手に期待したり、勝手に喜んでほしいと思ったりしているだけなのかな、と。普通の母と娘としてのコミュニケーションが取れないというつらさはありました」(髙橋さん)

髙橋さんは、やり場のない気持ちになる度に、その心境をノートに書き綴っていたといいます。

画像(髙橋さんが心境を書き綴った高校時代のノート)

「いちいち怒ったりですとか、空しいなって思ったりするのが嫌で、感情を動かされたくないなっていうふうにすごく思っていて、自分が感情をなくしてロボットみたいに生きたいし、自分からも母からも感情を失いたいな、っていうふうに思っていました」(髙橋さん)

10代の頃からヤングケアラーとして父親を介護してきたのは池田千恵さん(29)です。

画像(池田千恵さん)

高校2年にあがる春休み、父親の泉さん(73)が脳梗塞で倒れ、左半身がまひ。介護生活が始まりました。学校から帰ると、食事や入浴の手伝いなど、寝るまでさまざまなケアに追われました。

画像(池田さんの1日のスケジュール)

「父は体が思いどおりにいかなくて、粗相をしてしまうことがあるんですね。そのときに、下着をいったんお風呂場で洗って、それから洗濯機にかけるので、私と母が代わり代わりで洗っていました」(池田さん)

画像(父 泉さん)

家族の前ではなるべく笑顔を作り、気を張り詰めていたという池田さん。この洗濯をするときにだけ、ひとり泣いていたと言います。

「学校とかで嫌なことがあった日は『何でこんなことを。みんなが楽しく女子高生ライフを楽しんで、受験勉強しているなかで、私は何で父親のお漏らしした下着を洗ってるんだ』と思ったこともありました。でも、母にも妹にもその思いをさせたくないと思ったので、歌を歌ってみたり、いい匂いがするボディソープを秘密で使って洗ってみたりとか工夫はしていました」(池田さん)

そんな池田さんが1番つらかったのは、自分は「無力だ」と感じ続けたことでした。

「車を運転して父を病院に連れて行くこともできない、母が風邪をひいてつらそうなのに、『お願い、運転頑張って』と病院に連れて行ってもらうしかない。あとは銀行や市役所とかの手続き関係ですね。印鑑とか、まだその権利がない、自分が未成年という立場で何も知らないっていうことが、当時は不安でふがいない気持ちでした」(池田さん)

ケアラーの3つの共通点

持田さんはケアラーには3つの共通点があると指摘します。
「1つ目は、ケアラーは自分自身の人生と家族の人生、その両方を同時に背負っているということ。2つ目は、ケア役割が非常に多岐にわたっているということ。そして3つ目は、人生設計をケアラー自身がなかなか立てにくい、見通しが立たないということ。ケアラーのみなさんは、自分自身の人生を自分らしく生きていいんだということを前提に、家族以外の人に助けを求めていいと気づけるチャンスが必要だと思います。そして、ケアラーからのSOSをしっかりと受け止めるためには、それぞれの家庭の事情に合ったケアを複数の人が分散できる仕組みづくりをしていかなければいけないと思います」(持田さん)

画像(持田恭子さんとケアラーの皆さん)

後編では、どうすれば孤立せずに支援につながることができるのか、ヒントを探ります。

もしかして、“ケアラー”?
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(後編)孤立しないためのヒントとは

※この記事はハートネットTV 2020年5月12日放送「もしかして、“ケアラー”?~介護や世話で疲れていませんか~ 前編」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

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