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盲ろうの教授 福島智 障害者殺傷事件を考える

記事公開日:2020年05月12日

2016年7月、相模原市の障害者施設で19人が殺害され、26人が重軽傷を負った事件が、今年3月、死刑判決によって1つの区切りを迎えました。盲ろう者の東京大学教授・福島智さんは、社会に衝撃を与えたこの事件を自分の問題としてとらえ、向き合ってきました。事件がわたしたち社会に問いかけるものとは?福島さんとともに考えます。

犯行の真意を知りたい 福島智さんの思い

東京大学教授の福島智さん(57)は、目が見えず耳も聞こえない盲ろう者です。障害のある当事者の視点で、バリアフリーなどの研究をしています。

画像(東京大学 教授 福島智さん 57歳)

2016年7月26日、神奈川県相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」に施設の元職員が侵入。入所者19人が殺害され、職員を含む26人が重軽傷を負いました。

画像(知的障害者施設 津久井やまゆり園)

福島さんは当初から、この事件を自分の問題として考え続けてきました。

「私自身、目がまったく見えなくて耳もまったく聞こえないという2つの障害を持っていますので、障害を否定するということは私も否定されたんだと思いますので痛い感じ、苦しい感じがしました。彼が行ったことは差別の究極的な形である殺害という形態での障害者の排除ですよね」(福島さん)

犯行に及んだのは、施設の元職員、植松聖死刑囚。「意思疎通できない障害者は生きる価値がない」という理由からでした。

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植松聖死刑囚

福島さんはなんとも言えない不快な気持ちに襲われたと言います。

「事件の根底にあるものとして私が最初に思ったのは、これが『二重の殺人』だということですね。生物学的な肉体的な殺人という側面と、そうではなくて、この人が憎いからとか特別な理由があって殺したのではなくて、ただ単に重度の障害を持っているという属性がゆえに殺したという、その2つが合わさった二重の殺人だと思いました」(福島さん)

福島さんは、生後5か月のときに目の病気を発症。3歳で右目の視力を、9歳で左目の視力を失います。18歳のときに聴力も失い、身近な人との会話も難しくなりました。

恐怖と不安にさいなまれる日々。当時の思いを福島さんは著書に綴っています。

画像(福島智さんの著書『ぼくの命は言葉とともにある』)

「この苦渋の日々が俺の人生の中で何か意義がある時間であり、俺の未来を光らせるための土台として、神があえて与えたもうたものであることを信じよう。俺にもし使命というものがあるとすれば、それは果たさねばならない。そしてそれをなすことが必要ならば、この苦しみのときをくぐらねばならぬだろう」
(著書『ぼくの命は言葉とともにある』より一部を抜粋)

福島さんは人とコミュニケーションをとるため、母親とともに点字の組み合わせを指でタッチして、言葉を知らせる「指点字」という方法を考案します。

その後、盲ろう者として日本で初めて大学に入学。障害者福祉やバリアフリーを専門とする研究者となり、当事者の視点から発信してきました。障害者としての使命を果たそうとしてきた福島さんにとって、事件は自分の存在の根底をもゆるがす出来事でした。

なぜこのような犯行を起こしたのか?その真意を知りたい。

2018年9月、福島さんは拘置所にいる植松と接見しました。

「重い障害を持った人たちに対してどうしてあのような犯行を行ったんですかと尋ねました。すると彼は『あの人たちは人間ではないですから』と言って、人間じゃない根拠として意思疎通の問題を話しました。なぜ殺害する必要があるのかと尋ねると『そうしないと伝わりませんから』と言うので、誰に伝わらないのかと尋ねたら『社会の皆さんにです』と。重い障害を持った人は社会にとって不要だし殺さなければいけないという彼の思想、彼の考えを世の中に伝えたいということでした。」(福島さん)

福島さんは続けて、植松の印象をこう語ります。

「会ったときの印象で言うと、彼はエリートではない。しゃべり方や語彙や言葉の使い方などを見るかぎり、そこらへんにいる中途半端に勉強した、あるいはしてないような若者という印象です。犯行がヒトラーの政策との類似性を指摘されたときに彼はそのことに気付いていなかった、あるいはわからなかったみたいなこともあるので、そう考えるとより恐ろしいのかもしれない。彼は借り物の何かじゃなく自分自身で考えたり思ったりする直感から、この障害者を殺すという発想を出してきたのかもしれません。すごく恐ろしい感じですよね。やはり人間として思っていないんでしょうね」(福島さん)

見えてこない人物像

2020年1月に始まった公判では、植松を知る人たちの言葉からいくつかの事実が明かされました。

小学校教師の父親と、母親のもとで育ち、クラスメイトからは『さとくん』と呼ばれるなど、陽気で明るい性格だったと言います。

私立大学の教育学科に進みましたが、教師になることは叶いませんでした。運送会社に半年ほど勤めた後、津久井やまゆり園で働き始めます。

裁判では、次第に様子が変わっていったことが証言されました。施設で働き始めたころの証言です。

「仕事は金のためじゃなくてやりがいだと思う。障害者の人たちはきらきらした目で接してくれる。自分にとって天職だ」(大学の後輩女性の調書)

しかし、事件の1年ほど前から差別的な主張を繰り返すようになります。地元の友人の証言です。

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植松聖(法廷画)

「夏ごろから『意思疎通できない障害者は安楽死させたほうがいい』と言うようになりました」(地元の友人の証言)

裁判で明かされる植松の背景。福島さんは、文字情報を点字に変換する機器を使い、裁判に関するメディアの情報をできるかぎり拾いました。

「友人の証言だとかある程度の背景は法廷に出されたと思いますが、みんなが知りたいと思っていること、すなわちなぜこんなことをしたのか。彼はなぜこんなことをする人間に育っていったのかそれがわからない」(福島さん)

被害者の父親、尾野剛志さん(76)も福島さんと同じように事件の本質がわからず、もどかしい思いをしてきました。23歳から20年間、やまゆり園で暮らしてきた息子の一矢さん(47)は、首や腹など4か所を刺されたものの、なんとか一命をとり留めました。

尾野さんは、職員だった植松と面識がありました。なぜ犯行を起こしたのか、その理由を知るためすべての公判を傍聴しました。

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尾野剛志さん

「(植松が)新しく入ってきたときにすごくすがすがしい挨拶して、そういうふうにして働いていた姿しか僕は知らないので。顔を見て彼の心をのぞきたいという気持ちがすごく強い」(尾野さん)

なぜ、意思疎通できない障害者は生きる価値がないという考えになったのか。尾野さんは被害者が参加できる制度を利用して直接問いかけました。しかし、具体的な答えは返ってきませんでした。

犯行の動機に迫りたいと植松の生い立ちや家族についての質問も希望していましたが、裁判の争点は責任能力の有無。尾野さんの質問は直接関係ないとして、退けられました。

さまざまな命を守る社会を作るために

植松は、本当は何を考えていたのか。法廷に通い続けた尾野さんがそこで何を感じ取ったのか聞くため、福島さんは尾野さんの家を訪ねました。

画像(福島智さん)

福島さん「植松被告というのがどんな人間なのか、どんな人間として尾野さんに映ったか、その印象を伺いたいなと思っています」

尾野さん「初公判の日から植松の顔を一挙手一投足見てやろうと思って、本当に彼をにらみつけながらずっと見続けたんですが、その中で1度も私の目には反省の色とか何か謝罪の気持ちが一切見えませんでした。障害を持った人たちはいらないという考え方がどこから来たのか、僕らにもわからない。心の中で偏見みたいなものがあったのか、それを隠して勤務したのかということは本当に今の私たちにはまるっきりわからないんです」

福島さん「いずれの日か刑が執行された場合、それで何が残るのか。この事件についてどのように考えるのかが非常に難しく、つらい作業になると思います」

尾野さん「そうですね。簡単に言うと、彼は有名になりたかったのかな、歴史上の人物になりたかったのかなっていう」

福島さん「ああ、それはあるかも」

植松は、犯行前、衆議院議長に手紙を送っていました。そこには、経済の活性化のために障害者を殺害すると書かれていました。

「経済的な理由にしろ何にしろ、それは全て後からひっつけたものであって。とにかく手のかかる重度障害者を殺すといいですよみたいなことが彼の本音かもしれない。自分より弱い存在、自分よりなにがしかの能力で制約がある人たちを殺すことによって、自分がその人たちよりも強く優れていると自分で思いたい。彼の犯罪というのは植松の存在証明をするために彼がやったんだろうと思っています」(福島さん)

19人もの命が奪われた凄惨な殺人事件。しかし、インターネットなどでは植松の考えに同調する意見があふれていました。そのことは、何を意味するのでしょうか。

「差別は人間の本性の1つだと思いますね。つまり自分と違うものを危険だと考えて排除するというのが本能的な部分だろうと思います。それは結局他の人と自分とをてんびんにかけてどっちがいいか悪いかって考えているんですね。しかしそれは意味がない。なぜなら自分の人生は自分が生きるしかないので他の人と比べたって意味がないと言うふうに私は思っています。私たちは、あの人は存在する価値がある、この人は存在する価値があんまりない、向こうの人はほとんどないみたいな、そういう序列を心のどこかで持ってしまっていて。それが極端に現れたのが彼の犯行かもしれない」(福島さん)

3月16日、裁判所は植松の責任能力を認め、「19人もの命を奪った結果は、ほかの事例と比較できないほど、はなはだしく重大だ」として、検察の求刑通り、死刑を言い渡しました。

「その量刑自体は予想通りではあったんですが。予想していなかったことは、一区切りついたなという思いとか、これまでさまざまな方が展開してきた被告への批判とか糾弾というものが1つの形として実ったなという感覚が少しもしませんでした」(福島さん)

3月21日、ラジオ収録に臨んだ福島さんは次のように話しました。

画像(ラジオ番組で話す福島智さん)

「3つのことを思いました。1つは忘れないこと。この事件を決して忘れないこと、19人が殺害されたことを忘れないこと。2つ目は考えること。そもそも彼はなぜ19人もの重度障害者を殺してしまったのか、殺さずにいられなかったのか、あるいはそういう彼をなぜ私たちは生み出してしまったのか。そして3つ目は命を守ること。さまざまな命を守る社会を作っていくためにはどうすればよいかをしっかり考えるべきだろうと思います」(福島さん)

※この記事はハートネットTV 2020年4月20日放送「盲ろうの教授 福島智 障害者殺傷事件を考える」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

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