薬物問題へのアプローチとして、各国で成果を上げている“ハームリダクション”(Harm Reduction=被害の低減)。薬物がやめられない人たちが次々と支援につながっている一方、日本では、多くの当事者が孤立したままという現実があります。その背景には何があり、社会はどう向き合うべきなのか。専門家や当事者とともに考えました。
日本の薬物使用をめぐる現状はどうなっているのでしょうか。2017年の調査を見ると、「これまでに一度でも違法薬物を使ったことがある」と答えた人の割合は2.3%となっています。
出典:平成29年度厚生労働科学研究 薬物使用に関する全国住民調査(2017年)
長年、薬物依存症の治療・研究に携わっている精神科医の松本俊彦さんは、この割合は海外に比べると非常に低いと言います。その一方で、薬物問題が多くの人にとって「縁遠いもの」「よく分からないもの」となっていることが、薬物依存に苦しむ当事者を孤立させることに繋がっていると指摘します。
「日本は『ダメ。ゼッタイ。』のスローガンに代表されるような啓発活動や厳しい取り締まりによって、薬物を使う人の数をおさえる、つまり最初の1回を使用することをおさえるのには一定の効果を出しているんだろうと思います。しかし、薬物の問題を抱えている方たちが『犯罪者』というレッテルを貼られてしまうことによって、地域の中で孤立してしまう。困った問題があっても誰にも相談できなくなってしまう。さらには自分自身が『どうせ犯罪者だから』というセルフスティグマ(内なる偏見)を抱えてしまって相談に行きにくくなることなども問題になります。さらに言えば、医療関係者をはじめとした支援者が『あの人たちは困っている人たちではなく、悪い人だ』という認識をもつことにより、当事者たちが偏見にさらされて、通常受けられる医療・保健・福祉などのサービスが受けられなくなってしまう問題があるかと思います」(松本さん)
実際に薬物を使用した人たちに関する数字を見ると、こうした課題が浮き彫りになっています。例えば、2017年の1年間に覚せい剤取締法違反で検挙された人のうち、再犯者の割合は66.2%。捕まっても繰り返してしまう人が半数以上いることが分かります。
出典:平成30年版 犯罪白書
「他の犯罪に比べても、非常に再犯に及ぶ率が高いのです。この数字は、刑罰にあまり効果がないということを意味していますし、実際、薬物問題で刑務所に入っている人たちを調べると同じ方が繰り返し入っている。しかも、その年齢がどんどん上がっているんです。つまり、全然回復に向かわないまま、いたずらに年をとって刑務所と地域を行ったり来たりしているという現実があります」(松本さん)
薬物依存の女性の回復施設を運営し、当事者でもある「ダルク女性ハウス」代表の上岡陽江さんも、こうした課題を実感しているといいます。
「私は28年間にわたって施設を運営してきて、利用者たちと付き合いながら、ずっと地域の中で見つめてきたんですけど、その問題は本当に繰り返されています。本人の状態はより悪くなっていくし、家族の負担も大きくなりますよね。また、例えば、精神障害がある方で、普段は普通に働いていらっしゃったりするんだけれど、何年かに一回、状態が悪くなった時にたまたま薬物を使って、それで刑務所に行ったりする方もいます。そういう人が刑務所に行って、はたして治るんだろうか?と思ったりもします」(上岡さん)
専門家も当事者も「刑罰では減らせない」と言う薬物依存。改めてどういうことなのか、松本さんに伺ってみました。
「薬物依存は、けっして道徳心や意志の強さ弱さの問題ではなく、そうしたことではどうにもならない、国際的な診断基準もある『病気』なんです。薬物の薬理効果が脳の快感中枢に作用して、快感をもたらすと言われているのですが、もっと正確に言うと、快感というよりは、ずっと心の中に巣食っていた痛みとか悩みが一時的に消えて楽になる、ホッとする。『苦しいときにはこれを使えばいい』という、いわば短絡回路ができてしまうんですね。それで止まらなくなってしまう。だから意志や根性ではどうにもならないのです」(松本さん)
これに対し、「そうは言っても最初の1回は自分の意志でやったではないか」といった反論もよく聞かれます。その点についても、多くの人が誤解していると松本さんは指摘します。
「痛みを抱えた人にとって、最初の1回を勧めてくる人は、その人にとって一番大切な人だったり、ものすごく憧れている人であったりする場合が多いのです。家庭や社会に居場所のない人たちに、初めて自分の存在価値を認めてくれた人が『仲間になろうよ』『友達になろうよ』というふうにして、薬物を差し出しているんだということは強調しておきたいです。そして、WHO(世界保健機関)の調査によれば、違法薬物を生涯に1回でも使ったことがある人のうち、依存症の状態にまでなる人は、だいたい1割程度なんです。その1割の人たちは、薬を使う前から、さまざまな生きづらさや、痛みを抱えている場合が多い。薬を使うことによってその痛みが治まったり、あるいは心にぽっかりと開いた穴が埋まったりするわけです。だから、決して快感を得るとかっていうプラスになるんじゃなくて、もともとマイナスだったものが、やっとゼロになるという感じなんですね。これは『自己治療仮説』(※1)といって、40年近く前から提唱されている、非常に有名な理論なんですけれども、このことも多くの方たちに知ってほしいと思います」(松本さん)
(※1)1985年に心理学者エドワード・J・カンツィアンが提唱した理論。人が依存症になるのは、無意識のうちに自分の抱える困難や苦痛を一時的に緩和するのに役立つ物質を選択した結果であり、究極の「自己治療」であるという考え方。
番組にも、こうしたことを裏付けるような体験談が寄せられました。
親からの虐待もあり、将来の夢や希望は持てず、約25年前に興味本位から覚醒剤に手を出しました。すぐにやめられると思った。気分は良くなるし、痩せられる。ただ、友人関係が崩れ、仕事もできず、ドン底に落ちた。何度やめようと思っても、脳は快楽を招きたがる。やめられるまで約2年かかりました。(ぴのこさん 女性 40代)
うつ病で悩んでいた時に知人からすすめられ、覚醒剤に手を出しました。3年ほど使用し、クスリから逃げられない苦しさから自殺未遂。最後に覚醒剤を打ってから10年経ったくらいですが、いまだに無性に欲しくなります。フラッシュバックも起こります。そんな時は苦しくて死にたくなります。(はるさん 北海道 女性 40代)
(みんなの声「依存症からの回復について、ご意見・体験談・メッセージ」より)
上岡さんも当事者として、また多くの女性たちを支援してきた経験から、薬物使用の背景に痛みや生きづらさがあることを実感しているといいます。
「自分のことを振り返ってみると、15歳くらいで死にたかったんです。でも、一番つらいときって、大人に言えないっていうか、言葉にならないの。それを19歳くらいの時まで、ずっと隠しながら、何とか死なずに生き延びたっていう感じ。当事者の女性たちと話をしても、『もし薬物を使ってなかったら死んでた』っていうふうにみんな言ったりするのね。うちに来るようなメンバー、つまり女性の薬物依存症の人って、85%が暴力の被害者なんです。話を聞いてみると、当時は保健室とか行けなくって、例えば先輩から『痛み止まるよ』って言われたり、『眠れるようになるよ』って言われたりとかして、薬を使い始めてる。そのことを両親や家族に知られることが自分の身の安全にならなかった、って言うんです」(上岡さん)
さまざまな痛みや生きづらさを抱える人たちの一時的な“自己治療”となっている薬物依存。回復に必要なことは何なのでしょうか。松本さんは、次のように指摘します。
「ただでさえ、(薬物使用者の)多くの人が『どうせ自分なんか』という自分に対して非常にネガティブなイメージを持っています。そして、刑罰によって、刑務所に入ったりすると、身近な人たちとのつながりがどんどん途切れていき、社会に居場所がなくなってしまう。その中で、やめ続けるための意欲とか希望を持つということは、本当に難しいんです。実は、刑罰を繰り返せば繰り返すほど、回復しにくくなることは、少なくとも我々医療の現場では、患者さんを見ながら感じています。大事なことは責めることではなくて、そもそも持っている痛みや生きづらさを少しでも和らげる。そのために一番必要なことは、人とのつながりです。人に対する信頼感をどうやって回復していくのか。つまり支援や治療につながることが、刑罰以上にはるかに大事だということです」(松本さん)
こうした「支援につながる」という点を重視しているのが、薬物問題への新たなアプローチとして、いま世界で主流になっている“ハームリダクション”です。記事「薬物依存を考える “ハームリダクション”の現場から(2)」で取り上げたカナダの民間支援団体では、利用者に対して指示をしたり否定をしたりすることなく、まずは受け止めるというスタッフの姿勢が貫かれていました。
以前、 “ハームリダクション”の視察でオーストラリアのシドニーに行ったことがあるという上岡さんは、その意義を次のように語ります。
「初めて注射室(記事「薬物依存を考える “ハームリダクション”の現場から(1)参照)を見た時は、すごく驚きました。きれいで、当事者がリスペクトされるような環境で。そして、一緒に視察に行った薬物依存の男性たちが、『こんなに明るくて話を聞いてくれるところだと薬をやりたくなくなる』と言ったことが大変興味深かった。つまり、当事者って、怒られたり、なじられたり、責められたりすると、薬物を使いたくなるんだけど、『あなたは何が必要?』とか『喉乾いてません?』とか『疲れてません?』というような言葉をかけられると使いにくいということなんです」(上岡さん)
一人の人間としてリスペクト(尊重)されることが、薬物使用から本人を遠ざけることに繋がっていくと語る上岡さん。一方、日本の支援現場では、何よりも「薬物をやめる」ことが優先されます。この点について、2人はそれぞれ次のように課題を指摘します。
「私自身のことを振り返ってみると、薬物をやめられない年月って10年くらい続いたんです。初めに薬物をやめることがあったんじゃなくて、人に相談に行くとか、仕事や住む所の相談をするとか、そういったことを通して日常が変わっていく中で、結果として、一日一日と薬物を使わない日が増えていった、という感じなんです。いろんな出会いの中で、“結果として”薬物をやめていった。だから、支援というのは、住居や仕事や家族の関係を直すことが先かもしれないですよね。例えば、うちの施設のスタッフで、『初めて病院に行ったときに、実は借金の相談をしたかったんだけど、突然治療の話をされて驚いて帰ってきた』という人がいるんです。『今日来た理由は何ですか』って先生が聞いてくれたら、次に会う時にまたお話しましょうってなったかもしれないのに。人によっては、(その時に困っていることは薬物そのものよりも)体の病気かもしれないし、家族の病気の問題かもしれないんです」(上岡さん)
「どんなにひどい依存症の人でも短期的に薬をやめることはできるんですけど、難しいのは“やめ続けること”なんです。なぜ難しいかというと、心の『松葉杖』として機能しているから。当事者にとって、薬物は一時的に心の『松葉杖』として生きづらさを助けてきたんだと思うんです。『人に相談すると裏切られる、怒られる。でも薬は絶対に裏切らないし、自分を否定しない』というふうに薬に頼りながらやってきた。だから、やめる続けるためには代わりの『松葉杖』が必要なんです。それはやはり人間としてリスペクトされること、人とつながること、拒絶をされない、排除されないことなんだろうと私は思います」(松本さん)
薬物の取り締まりにおいては世界でトップレベルと言われてきた日本。しかし、回復支援に関しては、先進国の中でも最も遅れているとされています。また、違法薬物の使用は抑えられている一方、医療機関で処方される「処方薬」や、薬局などで購入できる「市販薬」の乱用が依存症につながっていることも見過ごすことのできない問題です。
薬物依存からの回復に必要なことは何なのか、支援のあり方や社会の意識も含め、根本的な問題に目を向ける時が来ているのではないでしょうか。
【特集】薬物依存を考える “ハームリダクション”の現場から
(1)薬物をやめることより「支援につながること」を重視
(2)「尊厳を大切にされること」が回復につながる
(3)いま日本に必要なことは? ←今回の記事
※この記事はハートネットTV 2020年4月8日放送「特集 薬物依存を考える② 生放送・薬物依存とどう向き合う?」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。