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“あいまいな喪失”を抱えながら生きる

記事公開日:2020年03月11日

東日本大震災から9年。行方不明者の数は未だ2529人を数えます(2020年2月/警察庁)。なお悲しみを抱えている家族は少なくない中で、いま「あいまいな喪失」という考え方が注目されています。いったいどんな考え方なのでしょうか。

“解決がつかない”喪失感が、ある

まずは、「あいまいな喪失」について編著書がある、龍谷大学短期大学部教授の黒川雅代子さんに話を伺いました。

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龍谷大学短期大学部 教授 黒川雅代子さん(社会福祉学)

Q:まず、あいまいな喪失というのは、どのようにして生まれた考え方なのですか?

黒川:あいまいな喪失理論は、アメリカのミネソタ大学の名誉教授で、心理療法家である、ポーリン・ボス先生が、積み上げてきた考え方です。ベトナム戦争で行方不明になった方の家族の心理療法を行う中で、それまでの心理学や精神医学で目標と考えられてきた「問題を解決する」ということが非常に困難なケースに直面し、「解決がつかないこと対して、どう対処したらいいか」を考える中で、生まれてきた理論になります。

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震災の翌年に、ボス博士を招いて被災地で開かれた事例検討会には、専門家、カウンセラー、行政担当者などが数多く集まった

Q:具体的には、どのような喪失を指しているのでしょうか。

黒川:あいまいな喪失とは、喪失そのものが不確実で、失ったかどうかがはっきりしない喪失のことを言います。死別の場合は、その人が亡くなってしまったということで、確実な喪失と言えます。
あいまいな喪失は、2つのタイプがあります。タイプ1は、「さよならのない別れ」と言います。例えば東日本大震災で大事な人が行方不明である、町や家はあっても、原発事故等でそこに帰ることができないと言った例です。その人にとっては、喪失が認めがたいものではあるけれど、現実的・物理的には、いなくなってしまっていることを指します。
タイプ2は、「別れのないさよなら」と言います。例えば、原発事故によって避難していたが、解除されて町に帰ってきたけれど、コミュニティが元に戻っておらず、以前の町ではなくなっている、「故郷であって、前の故郷とは同じではない」と感じてしまうというようなケースです。
震災に限らず、より一般的には認知症や依存症になった方の家族が、「その人は存在するけれど、私の知っているその人とは変わってしまった」と感じてしまうケースなど、様々な場合に用いられる考え方です。

Q:病気で亡くなる場合など一般的な死別にも、喪失感はあります。それと「あいまいな喪失」はどう違うのですか?

黒川:死別後の遺族には、正常な反応として悲嘆反応があります。例えば悲しくて涙を流す、怒り、茫然自失といった反応です。遺族はそう言った反応と向き合いながら、徐々に日常生活に適応していくプロセスをたどると言われています。
しかし、あいまいな喪失では、喪失自体が不確実なため、そういったプロセスが止まってしまいやすいと言われています。そこが通常の喪失との大きな違いになります。
例えば、遺体が見つかってないので、生きているかもしれないと思っている状況の中で、お葬式をあげる、お墓を作ることについて、罪悪感を覚えるといったことが生じてしまうこともあります。一番難しいのは、家族や親戚の中でも考え方が違うので、「まだ行方不明のままでいいのではないか」、「お葬式は出さなくてもいいのではないか」と、それぞれの考え方の中で、いろいろな葛藤が生まれてしまうようなケースです。そのため生活の中で、決定すべきことを先延ばししたり、家族の行事が中止になったりすることもあります。

画像(あいまいな喪失に関する書籍)

参考文献:「あいまいな喪失と家族のレジリエンス」(編著/石井千賀子、瀬藤乃理子、中島聡美、黒川雅代子)「あいまいな喪失とトラウマからの回復」(著/ポーリン・ボス 監訳/中島聡美、石井千賀子)

“あいまいさ”“矛盾”を抱えながら 人生を歩む

Q:では、あいまいな喪失を抱えたとき、どうすればいいのでしょうか。

黒川:あいまいな喪失については、解決をつけるというよりは、その問題に耐える力を発展させていくことが大事だと言われています。「レジリエンス(復元力・回復力)」と言われていますが、その人が本来持っている力を高めていくことで、あいまいな喪失に向き合っていくということです。レジリエンスとは、バネのようなものがあった時に、ぎゅっと圧迫されると一旦縮むけれども、元に戻ろうとする力が働くと思います。そういった伸びようとする力、それをレジリエンスに例えることが出来ます。元に戻ったとしても、以前とはまったく同じ状態ではありません。レジリエンスには成長という意味も含まれています。
レジリエンスを高める方法としては、まずは「このような状況のなかで、よくやっている」と自分たちを労わってみてはどうでしょうか。「大きなため息をついてみる」ことも出来ます。そして何がストレスになっているのかわからず、混とんとした状態にあるものに「あいまいな喪失」と名前を付けてみます。名前を付けることで、これらはあいまいな喪失によって起こっているストレスであると考えることができ、不必要に自分や周囲を責めなくてもよくなります。そのことは当事者が感じている罪悪感や罪責感を軽減させ、自己肯定感を高めます。それがレジリエンスを高めることにつながります。

画像(イメージ映像 海から上がる朝日)

Q:まわりの人は、「あいまいな喪失」を抱えている人を、どう見守ればいいのですか?

黒川:被災地には、ずっとあの時のまま時計が進んでない、時間が経過しても、ずっと何かモヤモヤとしたやりきれない感じが続いていると思っている人がいらっしゃるかもしれません。周囲の人は、ずっと説明のつかない混とんとした思いを持ち続けている人に対して、無理やり解決をつけるように勧めるのではなく、その状況を持ちつつも、目標をもったり、生活を楽しんだりできるように、つながりを持ち続けていくことが大切です。必要な場合には、共に時間を共有したり、自分の意見を押し付けずに話を聴いたり、役に立ちたいと思っている気持ちを伝えてみてはどうでしょうか。長期の歩みの中で、行方不明の方との新しい関係性を築いていく、以前と異なる故郷に対して新しい愛着の形を見出す等、その人たちなりのレジリエンスで、あいまいさを持ちつつ、より豊かな人生を送っていけるよう、ずっと心を寄せていくことが大切だと思っています。

犠牲者の1/3が行方不明の町で

被災地では、行方不明者の家族に接する立場にある人たちに、「あいまいな喪失」という考え方への共感が広がっています。その一人、岩手県大槌町の吉祥寺住職・髙橋英悟さんに話を伺いました。

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吉祥寺 髙橋英悟住職

大槌町は犠牲者1286人のうち、行方不明の方が413人ほどいらっしゃいます(2020年2月時点)。他市町村に比べても、行方不明の数が特に多いです。その中で、やはりご遺体が見つかった方と行方不明の家族の方、その心の状態には、少し差があるような気がしています。

行方不明のご家族の方には、「私たち家族に何か悪いことがあったから」「私たちが悪い事をしたから」、ご遺体が戻ってこないのではないかと、自分を責められている方がいらっしゃいます。また、人前では元気に振る舞おうとしている人が多いような気がします。自分の苦しみや悲しみを表に出せない方が、ほとんどではないかと思います。

今、残念ながら、あまりにも急いで答えを求められてしまいます。マルかバツかで、素早い決断を求められるケースが往々にしてあります。でも、私たち人間が頭の中で考えてすぐに出る答えが、本当に正しいことかどうか、一旦立ち止まって考える必要があると思います。この傷というのは、何年かで癒されるものではないし、かなりの年数が必要になると思うんです。その悲しみから、少しずつ楽になっていくには。

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吉祥寺にある、亡くなった方と行方不明者をともに見守るお地蔵さま

あいまいな喪失については、震災のあとに知りました。その理論を意識したわけではなく、目の前で苦しんでいる人や悲しみを持っている人と向き合いながら、とにかくこれ以上悲しみを増やしてはいけないとの思いで過ごしてきました。ですので、あいまいな喪失の話を伺えたのは、少しほっとするところがありました。

今すぐに、とは言えません。あいまいでいいんです。ゆっくりでいいんですけれども、この自分が大切に思われている存在なんだ、この私を必要とし、支えてくれる人が、たくさんいるんだということに目を向けて頂くと、心に空いた穴も含めて、少しずつ前向く力や元気が出てくるのではないかなと思います。同じような喪失感で、辛く悲しい思いをしている人を助けられるような、応援できるような生き方ができるようになった時、本当の意味での一歩踏み出せるってことになるのかもしれないですね。

東日本大震災の取材に限らず、「解決」「乗り越える」という言葉をつい使いたくなってしまうことは、少なくありません。その中で、「あいまいさ」を抱えながら長い人生の道のりを歩いて行くことを肯定する、という考え方への共感が少しずつ広がっています。行方不明者だけでなく、様々なケースで思い当たる方もいらっしゃるのではないでしょうか。こうした考え方を一人でも多くの方が知ることで、その渦中にいる人が、苦しみから少しでも解き放たれることがあれば、と思います。

※この記事はハートネットTV 2020年3月11日放送「あいまいな喪失」に寄せられた反響をもとに作成しました。情報は放送時点でのものです。

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