2019年10月に日本列島を襲い、各地に甚大な被害をもたらした大型台風19号。人知れず不安を抱えていたのが、日本語が分からない外国人たちです。外国人が急増する茨城県常総市では、初めての台風に戸惑う人が少なくありませんでした。そんな中、地元のNPOが外国人を支援しようと動き出していました。迫り来る台風に、どう立ち向かったのか。嵐のような数日間を追いました。
茨城県常総市にある、はじめのいっぽ保育園 は2018年に開園。ここに通っているのは、ブラジルやフィリピンなど外国籍の子どもたちです。飛び交うのはポルトガル語や英語。ここでは日本語と母国語で子どもに接します。
この地域では、ここ数年外国人が急増しています。保育園の隣には、小学生たちが通う学童保育があります。家庭では、会話のほとんどが母国語。学校の授業についていけない子どものために補習を行っています。
保育園と学童を運営するのは地元のNPO法人。代表の横田能洋さんは外国人が増え続ける中、子どもたちの言葉のサポートが欠かせないと考えてきました。10年以上前から日本語の学習支援をはじめ、これまで10か国以上、およそ200人の子どもの支援をしてきました。さらに、外国人と日本人の交流の場を作ることで、町の活性化を目指すプロジェクトも始めています。
「中学校で不登校になる子も何人も見てきたので、そのまま引きこもってしまったらもったいないですしね。日本語が分からない、授業が分からないという状況に少し何か関われないか、と始まって。
いろんな国の人がお互いにいろんな文化をね、交換するっていうのも是非やりたいですし、いま、命があって、時間があって、そこに人が居て、仲間がいれば出来ることはたくさんあるんですよね」(横田さん)
横田さんの活動の軸にあるのは防災です。2015年9月、台風の影響で記録的な豪雨となり、常総市を流れる鬼怒川の堤防が決壊しました。濁流が一気に住宅街へと流れ込み、市の3分の1が浸水。2人が死亡、住宅5千棟以上が全壊・半壊の被害を受けました。横田さんは、当時のことを振りかえります。
「海みたいになった町があって 人が誰もいない異様な光景でした。みんな町からいなくなってしまった何ともいえない静けさがある」(横田さん)
2015年9月10日の鬼怒川決壊の様子
水害後、多くの人が家を再建することをあきらめ、市外へ引っ越していきました。
水害から4年間で、市の人口は2900人減り、その隙間を埋めるように増えているのが外国人です。水害後1200人の外国人が増加し、その割合は、市の人口の8%に上っています。理由の1つは、水害の後、アパートなどの家賃が下がったこと。外国人を歓迎する大家も増え、常総市で暮らす外国人の多くは、製造業や食品加工などの工場で働いています。
横田さんの保育園に通うジオンくん(5)は姉2人と両親の5人家族。
ジオンくんの父親は日系3世。祖父はフィリピンで戦った日本兵でした。憧れの地、日本に定住するため、2019年にフィリピンから子どもたちを呼び寄せました。
「私たちは生活のために頑張って働かなくてはいけません。親たちの生活も支えているんです」(ジオンくんの母 サルバシオンさん)
保育園が大好きなソフィアちゃん(3)の母親のビビアンさんは、日系ブラジル人3世です。家族が来日したのは、2018年2月。治安の悪化が深刻なブラジル。子どもが犯罪に巻き込まれる事件も多く、日本への移住を決めました。
「子どもたちに良い教育を受けさせたかったんです。私がいう教育とは勉強のことだけではありません。社会の環境のことです。私たちはこの常総が好きです。ここは子どもたちにとってとても環境のいい場所です」(ソフィアちゃんの父 フェルナンドさん)
2019年10月11日 午後4時、保育園で帰りの準備が始まります。スタッフは少し緊張ぎみです。台風19号が強い勢力のまま関東に接近し、常総市はその進路にあたっていたのです。
横田さんとスタッフは、災害に不慣れな外国人のためにポルトガル語や英語、スペイン語で台風に備えるための手引きを作成。窓ガラスを補強することや、外に置いたものを固定すること、そして川の水位が上がったら避難する必要があることを書きました。子どもの迎えに来た父親にスタッフが母国語で対応します。
スタッフ「お父さん、この中にお知らせが入ってます。台風や洪水、地震などの情報よ。ポルトガル語で話せる電話番号がこれよ」
父親「(日本語で)どうもありがとう」
台風上陸当日の10月12日午前10時、異国の地で暮らす外国人は不安をつのらせていました。テレビを食い入るように見つめているのは、ブラジル人のソフィアちゃんの家族です。母親は日系3世ですが日本語が分かりません。横田さんの学童に通う息子が頼りです。
ソフィアちゃんの母親「何て言ってるの?」
ソフィアちゃんの兄「台風が近づいてるって。雨や風が強くなったら避難所へ行かなきゃいけない。おなかが痛くなった」
ソフィアちゃんの母親「少し怖いです。心配ですね」
フィリピン人のジオンくん一家もテレビで台風の状況をつかもうとしていました。しかし、ジオンくんの母親も日本語はほとんど分かりません。
ジオンくんの母親「(地図が)よく分からないわ。茨城はどこなの?」
ジオンくん「洪水になるの?」
ジオンくんの母親「まだ分からないわ。(台風は)まだ遠いけど準備しておかないとね」
ジオンくんの家に、父親のおばが訪ねてきました。心配して声をかけに来たのです。
「兄弟や息子に(台風に)備えなさいって連絡をしたわ。フィリピン人の知り合いにもね」(ジオンくんの父親のおば)
いつ避難するのか、近所に住む親戚どうしで何度も声をかけ合います。避難する準備のために参考にしたのが、横田さんが作った手引きでした。
「すべて(横田さんの)手紙に書いてあるとおりにしています。食べ物や服、子どもの薬など必要なものは荷造りしました」(ジオンくんの母親)
午後3時、常総市ではすでに自主避難所が開設されていました。
市内には、鬼怒川以外にも過去にはん濫を起こしている川があり、警戒が必要です。台風が到達する予想時刻は、午後11時ごろ。横田さんは、外国人たちが何か困っていないか避難所の様子を見に行きました。横田さんはこれまで関わったことのない家族にも積極的に声をかけます。
午後10時には、台風が茨城県に迫り、大雨特別警報が発令されました。このとき降水量は1時間で30ミリ近くに達していました。夜の間も鬼怒川の水位は上昇し続け、はん濫の危険がせまっていました。
翌日の10月13日の朝方、雨が止みましたが、川の水位は上がり続けていました。午前4時、常総市に避難勧告が出されました。横田さんは急ぎ、水害の危険が迫っていることをメールします。
外国人たちはみんな無事に避難できているのか、横田さんは避難所に向かいました。外国人が多く住む地域を回ります。ジオンくんたちは親戚と一緒に、無事に避難していました。
ジオンくんの母親「何を準備したらいいか1つずつ書いてあってよく分かりました。本当にありがとう」
午前5時、避難指示のサイレンが鳴り響きました。
市民は緊急に避難する必要に迫られました。鬼怒川の水位は上がり続け、河川敷の野球場は水没。体育館には、続々と避難者がやってきていました。その中に、ソフィアちゃんの母親の姿がありました。家族は、横田さんのメールで危険だと判断、避難してきたといいます。
「災害の情報は(横田さんから)メールでたくさんもらっています。子どもたちの安全が大事なので必要なだけ避難所にとどまります」(ソフィアちゃんの母親)
鬼怒川は、午前10時ごろに最高水位を記録し、はん濫危険水位を超えていましたが、ぎりぎりのところで水害をまぬがれました。早めの避難を実践した外国人たちは全員が無事でした。
「日頃から親戚づきあいが濃い人たちですよね。ちゃんとグループでまとまって行動するのも彼らのパターンというかね。日本人も見習う部分あるんじゃないかな、と思いましたね」(横田さん)
台風が過ぎ去った翌日、横田さんたちは、外国人と日本人の交流をめざす日常に戻っていました。
「あきらめなくていい、ってことなんですよね。時間を持っている人もたくさんいるし、空き家もたくさんあるし。外国の方もいろんな可能性を持っているし。それをくっつけていくだけで地域は良くなると思うので。やるか、やらないかだと」(横田さん)
誰もが安心して暮らせる町へ、外国人と日本人の垣根を越える試みは続きます。
※この記事はハートネットTV 2019年12月17日放送「台風から命を守れ ルポ・外国人家族」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。