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インクルーシブな避難所とは~「熊本学園モデル」から考える~

記事公開日:2019年12月05日

2016年4月、2度に渡り震度7の強い揺れに襲われた熊本地震。その直後に、熊本の障害者が集まった“民間”の避難所があったことを知っていますか。舞台となったのは熊本学園大学。地震発生直後から任意で避難所を開設、一時は一般の避難者700人、障害者60人、車中泊者100人が集まる避難所となっていました。

「インクルーシブな避難所」づくり

のちにこの避難所は、東日本大震災を経て支援に来ていた研究者から「熊本学園モデル」と呼ばれ、現在では「インクルーシブ(排除も隔離もしない)な避難所」の代表的な事例になっています。

NHKでは熊本地震の本震の2日後から熊本学園大学の避難所を取材していました。
被災直後の記録を振り返ってみましょう。

大学に集まっていたのは、脳性まひや難病などの車いすユーザーや、全盲など様々な障害のある人たち。ほとんどの人が、一度は一般の避難所に身を寄せたのちに、熊本学園大学にやってきていました。

なぜ彼らは、ここに集ったのでしょうか。
障害のある当事者たちが、異口同音に訴えていたのは、「一般の避難所で過ごすことの過酷さ」でした。

たとえば、ある全盲の女性は「水の配給にしても食べ物にしても並びにいかないといけないが、(一般の避難所では)情報も何も入らない」と語り、脳性まひで車いすユーザーの男性は「(一般の避難所では)トイレ介助など周りの方が手伝ってくれなかった。みんな自分のことで精一杯なんでしょうね」と語っていました。

避難所で中心的な役割を果たしていたのは自立生活センター、ヒューマンネットワーク熊本。
メンバーの安全と避難先を自ら確保しようと本震の直後から動きはじめ、以前から付き合いのあった熊本学園大学とともに、独自の“福祉的な避難所”を立ち上げたのです。

ヒューマンネットワーク熊本の代表、日隈辰彦(ひのくま たつひこ)さんは、自らも車いすユーザー。
避難所運営のきっかけは地震発生以降、障害者が厳しい状況におかれたからだといいます。

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ヒューマンネットワーク熊本の代表・日隈辰彦さん(真ん中)

「障害があるから(避難所に)受け入れができないと断られて自宅に戻った人がいます。2カ所転々としてここにきた人もいます。学園大の配慮で空間を与えてもらってありがたい」(日隈さん)

熊本学園大学社会福祉学部の講師、吉村千恵さんは「たぶん“いていいんだよ”っていえることってすごく大事で。とにかく障害者の人達とか高齢者でケアが必要な人を排除しませんよっていうメッセージの一つが、この空間かなと思っています」と語りました。

運営上の壁となったこととは

大学側が障害者用の避難所として提供したのはバリアフリーのホール。
すぐそばに車いす対応トイレもありました。シーツでおおまかに男性と女性を分け、体育用の厚いマットを敷いて、障害のある人も自由に動けるような環境を作りました。さらに広いスペースを確保することで、介護ヘルパーの支援も受けやすくしていました。

本震直後は、被災した地域全体で食料不足が広がっていました。
そんな中、食料はまず、ヒューマンネットワーク熊本が提供。メンバーが各家庭にある米などを持ち寄りました。それに加え、大学で行われた炊き出しでしのいだのです。

しかし、避難所の運営は大きな壁にぶつかりました。
熊本地震では本震から数日間、ずっと余震が続いたため、避難所に来る人は日に日に増えていきました。さらに他の避難所から移ってきた人もいたため、障害者は60人近くにふくれあがっていました。

一方、介助に当たるヘルパーはわずか8人程度。
ケアを必要とする人の中には、自分で身体を動かせない人もいて、昼夜問わず、体位交換やトイレ介助などに追われていました。

そこで、社会福祉学部の教員と学生ボランティアも、障害のある人や介助の必要な人への支援も動き出しましたが、ほとんどの人は介助の経験がありません。本震から2日後。自らも被災者であるヘルパーの疲労は限界に近づいていました。

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ホールでの避難生活の様子

このままではヘルパーたちが潰れてしまう―。
危機感を感じた日隈さんたちは、まず行政にヘルパーの派遣を求めます。熊本地震では福祉避難所も開かれましたが、あまり機能していませんでした。

「熊本学園大学に来たのは、他の避難所には居場所のなかった人達であり、そのサポートは本来行政の役割なのでは」と訴えたのです。しかし、よい返事は得られませんでした。

深刻さを増す人手不足…。
日隈さんたちは次に、全国の仲間にSOSのメールを送ります。

「人員が圧倒的に不足しており、ヘルパーがつぶれてしまうのも時間の問題です」

メールを発信した二日後、早速反応がありました。
この呼びかけに呼応して、全国から介助ヘルパーが応援で来てくれるようになったのです。

その後「ヒューマンネットワーク熊本」では、避難所運営と並行して、自宅で孤立している人たちのニーズを掘り起こしサポートに動き出しました。

「インクルーシブな避難所」のモデルケース、熊本学園の避難所運営は45日間続きました。

熊本学園モデルが伝える“メッセージ”

2019年5月、熊本地震をもとに災害と人権を考える講演会『人権を保障するインクルーシブな避難所とは』が東京都人権プラザで開かれました。

熊本学園の避難所を象徴するのが、障害者や介護の必要な高齢者、ペット連れの避難者など、多様な人の受け入れと、過ごしやすい場所づくり。そして避難所では細かい役割分担や厳密なルールをあえて設けない「管理はするが配慮はする」という原則でした。さまざまな問題に柔軟に対応していくことで、“誰も排除しない”避難所運営を実現したのです。

自身の勤める熊本学園大学を民間避難所に変えた、同大社会福祉学部教授の花田昌宣さん。
熊本学園では障害のある学生が学内につねにおり、こうした災害時に「障害のある人をどうしよう」という意識を学生、職員、教員が共有できていたことも大きいと言います。そして、インクルーシブな避難所を実現するために欠かせないことを次のように話します。

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熊本学園大学 社会福祉学部教授 花田昌宣さん

「障害のある方も、要配慮者、要介護者と言われる方も含めて、『福祉避難所へ』という考えをとらないことがインクルーシブな避難所であることの条件だと考えます。たしかに車いすユーザーなどを受け入れるためにはスペースも必要ですし、配慮も必要です。でも、それは受け入れてから整えていけばいいことです。当の本人が何が必要かは一番よく分かっておられるはずなので、相談して進めていけばいいことです。『福祉相談所などに行ってもらおう』『専門家のところへどうぞ』ではなく、一般の避難所に居場所を作るのが大切です。『余裕があれば障害者も受け入れる』などという発想では何ともなりません」(花田さん)

自身も車椅子利用者である、同大の社会福祉学部教授で弁護士の東俊裕さん。内閣府では障害者制度の改革担当室室長を務めるなど、障害者問題に対して知見を活かし活動されています。そんな東さんも、熊本地震を通して、数々の社会的な壁を感じたと話します。

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弁護士・熊本学園大学 社会福祉学部 教授 東 俊裕さん

そして、日本社会において抜本的に必要なのは、小中学校の精神的・環境的なバリアフリーだと話しました。

「おおかた、避難所に指定されるのは小中学校です。しかし“障害者は特別支援学校へ”という分離教育があると、子どもたちは少なくとも義務教育の間の9年間、あたかも障害者がいないかのように育っている。成長してから障害者がいることを知っても、遠い存在でしかない。我が身に関係するところに障害者が入ってくるところがないんです。こうした社会自体を、どうつながりのあるものに変えていくかが大事なんだろうと思います。防災訓練ではなくて、日頃の地域のなかで、障害者や高齢者とどうつながりを作っていくかです」(東さん)

熊本地震のような緊急災害時はもちろん、いざという時に困らない社会をつくる鍵は、「人々のつながり」であることを、今一度、見つめ直す必要があるのかもしれません。

※この記事の小見出し1と2は、2016年4月24日(日)バリバラ「現地報告 熊本地震 被災地の障害者をどう支える?」の取材をもとに作成しました。情報は放送時点のものです。
※小見出し3は、2019年5月「熊本地震をもとに災害と人権を考える講演会」の取材をもとに作成しました。(取材・文 奥田高大)

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