多くの犠牲者を出した東日本大震災では、障害のある人の死亡率が全住民の死亡率の2倍に達していました。避難をするときに誰かの手助けが必要な「要支援者」の人たちが逃げ遅れ、亡くなっていたのです。NHKでは、2016年に障害のある人を対象にしたアンケートを実施しました。寄せられたおよそ1800の声から明らかになったのは、災害への備えが十分にできていない現実でした。
2011年3月11日の東日本大震災で、宮城県石巻市では3052人の住民が亡くなり、このうち障害者手帳を持っていたのは397人です。障害のある人の死亡率は、全住民の死亡率の2.6倍にのぼっていました。震災当日、障害のある人に何があったのでしょうか?
狩野由紀さんは、当時17歳だった長男を亡くしました。今は夫と次男、そして長女と暮らしています。長男の悟さんは生まれたときから重い障害があり、生活のすべてに介助が必要でした。当時は特別支援学校の高等部2年生。人工呼吸器などが手放せなかった悟さんを家族全員で支えていました。
震度6強の激しい揺れが石巻を襲ったとき、悟さんは母の由紀さんと弟と3人で海から1キロほど離れた自宅にいました。由紀さんがまず考えたのは、ベッドから動けない悟さんを家具から守るということです。
「タンスが2つあったんですよね。もうそのタンスを必死におさえる感じ。自分に倒れてきても、とにかく悟だけは守らなくてはということで。タンスを押さえていた感じです」(由紀さん)
余震が続く中、どのように悟さんの安全を確保するか。由紀さんの頭に、「避難させる」という選択肢は浮かびませんでした。理由のひとつは、人工呼吸器をはじめ、さまざまな医療機器を運ぶ必要があったこと。さらに、避難先で電源を確保できるかも分からないからです。
そして、地震発生の40分後に津波が自宅を襲いました。
「隙間からもの凄い黒い濁流がどーっと来たのが見えて。あっ、これはだめだと思って。悟をベッドに上げて。私も乗って」(由紀さん)
水はベッドの際まで上がってきます。なす術もなく、3人は孤立。機械は壊れてしまいましたが、悟さんは自力で呼吸を続けていました。
「もう体も冷たい状態になってきて。でもどうしようもないし。このまま3人でだめになるのかなと思いながら。9時ちょっと前くらいに、また波が入ってきたんですね。それで亡くなってしまったんです。(悟の最期の顔は)私の中ではね、『ありがとう』って言ってくれたなのかなと思って。その顔は今でも忘れられませんね」(由紀さん)
番組が行ったアンケートには、障害当事者の切実な声が届いています。
「本心は…ひと思いに命が絶たれてしまえばいいと思っています。車椅子の盲ろう者が避難、そして避難生活、とにかく大変過ぎますので」(盲ろう・肢体不自由・46歳・女性・神奈川)
「東日本大震災では、支援者の民生委員など多数犠牲になった。自分一人のため他人を巻き込み犠牲になることに遠慮があり、『諦める』心構えも必要かと思っている」(肢体不自由・69歳・男性・岩手)
国立障害者リハビリテーションセンター研究所の硯川潤さんは、自らが被災した場合に置き換えて語ります。硯川さんは事故でけい髄を損傷し、災害から避難をするにも周囲の支援が必要です。
「例えば私が住んでいる自宅周辺でなったら、避難所に行く決断ができたかどうか。家のドアは電動でリモコンで開くんですが、恐らく電気が切れちゃうだろうと。そうすると、たまたま家族がいない瞬間だったら出れなくて、(波を)かぶってるかもしれない。本当にいろいろな状況を想定しても、生き延びることって、そんなにたやすいことではないなと」(硯川さん)
28歳のときに失明した蔀(しとみ)より子さんは、阪神・淡路大震災を経験しています。
「状況がまったく見えない中で、どう動くかということは、まったく意識から飛んでます。だから、下手に動いたために命を失うこともあるし、じっとしていたために命を失うこともある。助かるかどうかというのは、自分のそのときの判断なんですけど、なかなか難しいし…」(蔀さん)
こうした中、国は災害対策基本法を改正。
大きな柱のひとつが、各自治体に対して要支援者の名簿作りを義務づけたということです。同志社大学教授で福祉防災学が専門の立木茂雄さんが法改正の狙いについて解説します。
「いざというときに、自分ひとりでは難しい。周りの人たちが安全なところにお連れするとか、そういった手配をするためには、どこにどういう方がいるのかを分かること。次の段階として、そういった方々にどのような支援を提供したらいいのかを地域で考える。そのための出発点なんですね」(立木さん)
各自治体に対して義務づけられた要支援者の名簿作り。実際の災害にはどれくらい機能しているのでしょうか。
2015年9月、関東・東北地方を襲った豪雨災害。鬼怒川が決壊するなど、およそ1万7千人が避難を余儀なくされました。
被害が特に大きかった茨城県・常総市では、大規模な災害に備えて東日本大震災の前から要支援者名簿作りを進めてきました。協力したのは、市内216地区の民生委員。1人暮らしの高齢者や障害者など、1300人が登録されています。
斉藤哲雄さんと妻の純子さんは夫婦で名簿に登録。純子さんは生まれたときから目に障害があり、両目ともまったく見えません。夫の哲雄さんも事故で脳を損傷し、目の前のものが正しく認識できない、視覚失認という障害があります。
鬼怒川が決壊したとき、2人は自宅にいました。1階がまたたく間に水没しましたが、いくら待っても助けは来ません。斉藤さん夫妻が登録していた要支援者名簿は、どのように活用されたのでしょうか。
2人が暮らす地区の民生委員は、市から名簿作りの依頼を受け、斉藤さん夫妻を含む10人のリストをとりまとめました。しかし豪雨災害の日、自身の自宅も浸水。斉藤さんたちの避難を手助けすることはできませんでした。
「顔がね、浮かんできましたね。斉藤さんはどうしたかなって思ったんですけど、家から出ることはできないし、どうすることもできなかったですね。自分の身を守ることでいっぱいでした」(民生委員の女性)
震災のあと改正された災害対策基本法では、名簿の情報を民生委員だけでなく、社会福祉協議会や自主防災組織などで共有することを求めています。さらにこの名簿を活用して、避難をどのようにサポートするか、地域で適切な計画を立てるよう推奨。しかし常総市では、名簿は作ったものの、その具体的な活用までは詰めきれていませんでした。
常総市社会福祉課の担当者は、行政だけで対応するのは限界があると語ります。
「(被害が)地区の広範囲に広がった場合、(行政だけで)全部に対して声かけできるかというと、それは不可能な部分ですし。障害のある方の避難誘導については、どうしても近所の方とか、あとは民生委員に頼らざるをえないというのが現実の姿になってしまうのかと思います」(常総市福祉課担当者)
斉藤さん夫妻は、災害の日の夕方に自衛隊のヘリコプターに発見されて救助されました。しかし、今後も災害が起きたとき、どのようにして避難をすればよいのか、答えは出ていません。
要支援者の名簿を作ったものの、活用されていないという現状。同志社大学教授の立木さんも問題を指摘します。
「みんな、どう進めていったらいいのかが、全体像が見えてないんですね。リストは何のために作っているかといったら、これは存在を知るという第1ステップなんですよ。それで訪問に行って、どんな支援が必要なのかという支援情報の入ったリストにしていかなきゃいけない。しかし、みんな存在情報のリストだけ作って安心しているというところが多い」(立木さん)
具体的にどんな支援が必要かなど、支援に直結するような情報は名簿に記載されていません。意味のあるリストにするためには、さらに一歩進めていく必要があります。
誰も取り残さない防災 要支援者1800人の声から
(1)災害時の備え ←今回の記事
(2)避難所生活への不安
(3)大災害に備え、一人一人ができること
※この記事はハートネットTV 2016年3月5日放送「誰も取り残さない防災~要支援者1800人の声から」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。