学校に行かなくなった子どもたちがとくに不安に感じるのは将来の進路のこと。希望する進学先に行けるのか、ちゃんと仕事に就くことができるのか・・・。そこで、学校に行かなかった経験がある社会人の経験談を聞き、いま学校に行っていない10代の不安を解消するヒントを探ります。
いま学校に行っていない10代のみなさんは、進路についてどんな不安を抱えているのでしょうか。
現在、学校に行っていないアオイさんやれつさん、あかりさんは、働くことへの不安を口にします。
アオイさん「集団の中にいるのが得意じゃなくて、学校に行ってたときも休憩時間にすぐ教室を飛び出して、トイレにこもるっていう感じ。そういう人って働けますか」
れつさん「就職とか大学とか行くときに、学校に行ってない時期があったことで『また来なくなるんじゃないか』みたいに、不利になったりして。どうやってうまく就職するのか気になります」
あかりさん「やりたい興味のある分野に関しては、たくさんあるけれど。そこに向けてどのような取り組みをすればいいのかがわからない」
では、学校に行かなかった経験がある社会人のみなさんは、どのような進路だったのでしょうか。
小学5年生から中学3年生まで学校に行かなかった たいがさん。
そのあいだ、おもちゃの改造とアニメにはまり、工芸高校の夜間に入学。卒業後は千葉工業大学に進んでロボット制作に打ち込み、その後、オートバイメーカーに就職しました。
「SFもののアニメを見ているとつらい気持ちを考えないですんだので、それでどんどん没頭していって。実際にロボット展で本当にロボットを作っている人たちがいっぱい展示しているのを見て、こういうものを作るっていいなって思って。それがもうずっと、いまも続いているのかな」(たいが さん)
小学1年生で学校に行かなくなり、家で過ごしていたけんさんは4年生になってフリースクールに通いはじめ、その後フリースクールが母体となった中学校に入学。高校は公立高校に進み、京都大学へと進学しました。
「15歳ぐらいのときに、先生や友人にはじめて数学で自分の発言が認められた。自分の居場所はここにあるんだなとすごい実感したのかな」(けんさん)
ゆうきさんは、中学1年生のとき1年間ひきこもり、その後フリースクールに17歳まで通いました。再び2年間ひきこもったあと、専門学校に進み、IT企業に就職しました。
「ゲームが得意で、フリースクールに入っていたときにずっとやってたら、ゲームを通じていつの間にか友だちもできて。専門学校に入ったきっかけも、僕にとって何が好きなのかって考えたときに、ゲーム、そしてパソコンかなと思って、ITの専門学校に行こうと思って」(ゆうきさん)
3人とも学校に行かない期間がありましたが、そのあいだに自分の好きなものを見つけたのです。
高等専修学校の佐賀星生学園で教師として働いているしいなさんは、不登校の経験がある子どもたちも多く通っている学校で、生徒をサポートしています。
しいなさんは、小学4年生のとき、友だち関係に悩み学校に行かなくなり、13歳のころには、家族との接触も一切絶って、自分の部屋にひきこもってしまいました。苦しくて、感情をコントロールできなくなり、ひとり部屋で暴れたこともあります。家族は足音で様子を伺うことしかできず、食事に短い手紙を添えるなどして、根気強く見守り続けてくれていました。そんな日々が1年ほど続いたころ、突然しいなさんの気持ちが変わる出来事がありました。
部屋でテレビを見ていたときのこと。サッカーの試合で日本代表の選手がゴールを入れる瞬間が目に飛び込んできました。2002年、日韓共催のワールドカップの試合でした。
「そのときまでサッカーにも韓国にも何も興味なかったんですけど、ゴールが入った瞬間にすごく感動を覚えて。そこから、サッカーが好きになり、共催の韓国にも興味を持つようになったり、国際交流にも興味を持つようになったりして」(しいなさん)
その日から、しいなさんは、部屋にこもったまま テレビの韓国語の講座を観て、ひとり勉強を始めました。その後、中学校にはほぼ通わないまま卒業し、進学はせず、国際交流ボランティアを始めました。空港で通訳をしたり、情報誌を作ったりしながら、いろいろな年齢・国籍の人と関わるうちに、人と接するのが楽しくなり、働いてみたい気持ちがわいてきたと言います。
そして、21歳で通信制高校に入学。さらに短大に進み、教員免許を取得。高等専修学校の教師になりました。
「じっくり充電をしたのがよかったのかなと思っています。ひきこもっていた時期はつらくはあったんですけど、そのぶん人と会いたい反動が大きいのかなと。何がきっかけになるかわからない」(しいなさん)
企業に就職しなかった人もいます。棚園さんは、小学1年生から中学3年生まで学校に行かず、専門学校と予備校を経て、20歳で大学に入学。26歳で漫画家になりました。
学校に行かなかった経験を漫画『学校に行けない僕と9人の先生』にして出版。13歳のとき、たまたま母の知り合いだった漫画家の鳥山明さんに、自分の漫画を見てもらったことが大きな転換点になったと言います。
「お会いしたときに、『学校に行かないと漫画家になれませんか』っていう質問をしたら、自然な感じで、『学校に行ってたら、学校が出てくる漫画も描けるし、行ってた方が便利かもね』みたいに答えてくれて。でも僕からしたら、たったそれだけのことかって思ったんです。そのとき、つきものが取れたような。それをきっかけに、そのあと大検予備校に行っていろんな考え方の人と出会って、だんだん変わってきたっていう感じです」(棚園さん)
農業・カフェ経営のげんきさんは、学校以外の学びの場を選び、学校に通った経験がほとんどありません。
げんきさんが5歳のときから通ったのは、デモクラティックスクールとよばれる学校外の学びの場です。
ここでは、勉強も運動も、大人から指示されることは一切なく、何をするかはすべて自分で決めます。みんなで過ごすためのルールも自分たちで決めます。
その後、げんきさんは14歳でデモクラティックスクールをやめ、飲食店でアルバイトを始めました。働いてみて、「自分のことは自分で決める」という経験が、生きたと言います。そして飲食店で働いているうちに、日々触れる食材に興味がわき、「農業をしてみたい」と、農業研修を受けました。しかし、そのまま農業の道に進むかどうか迷っていました。そこで何をすればいいか考えようと、世界一周の旅に出発。1年3か月かけて、45か国を回りました。
2018年からは、兄の農業を手伝うようになったげんきさん。最近は、移動式カフェの経営も始めました。いまはいろいろなことをやってみながら周りの人が喜んでくれることを探しています。
「僕は信頼されて、安心できる場所ならどういう状況でも生きていけると思いますけど、安心が得られない場所だと、どこでも生きていけないんですよ。ただそこにいる人たちに自分が貢献できて、そこにいる人たちを信頼できている。そういう場所で働きたいなと思っていますね」(げんきさん)
学校に行かなかった経験がある先輩たちの多種多様な経験談。
いま学校に行っていない10代のみなさんはどう感じたのでしょうか。
「げんきさんの話を聞いて、悩むことも大事だけれど、一度、一歩踏み出してみることも大事かなって、何も考えずに。やってみようかなって思いました」(アオイさん)
「自分で動けなかった自分がいたけれど、みなさんの話を聞いて、いろんなやり方があって、人それぞれっていうことも再確認して、ちょっとやってみようかなと思いました」(あかりさん)
教育学が専門の熊本大学教育学部准教授、苫野一徳さんは「人の力を借りる力」の大切さを訴えます。
「進路って自分1人で切り拓くものみたいな気持ちになっちゃうんですけど、助けるとか助けられるとか、協働するっていうことだと思うんですよね。我々は人の力を借りる力を、もっと育んでいかなきゃいけないと思いましたね」(苫野さん)
教育評論家の尾木直樹さんは、先輩の話を聞くことが進路に悩む当事者の助けになると言います。
「100人が100通りの進み方がある。親御さんも、彼ら先輩を見て、こんなふうにして成長していけるんだって、子どもの成長を信じるっていうところをしっかり見据えてほしいなとすごく思いました」(尾木さん)
方向もあゆむ速さも人それぞれ。先輩たちが大事にしていたのは、「学校に行くかどうか」ではなく、「何をしたいか」ということでした。人と違っても、自分なりの道を見つけることが大切かもしれません。
「学校に行かない」という選択
経験者と語る不登校 前編
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※この記事はウワサの保護者会 2019年9月7日放送「学校に行かない!~進路はどうする〜」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。