「学校に行くのがつらいときは、行かなくてもいい」そんな言葉を耳にすることが増えた一方で、「行かなくなったら どうするか」という、不登校に対する悩みや不安の声はまだまだ多くあります。「学校に行かない」選択をした子どもたちは、実際にどのような思いを抱いているのでしょうか。いま学校に行っていない子どもたちと、学校に行かなかった経験がある社会人の声から、多様な学びの場の可能性について考えます。
ななこさんは9年前、友人と会社を立ち上げ、デザイナーとして働いています。いまは仕事が好きで楽しい、と言うななこさんですが、学校に行くことも働くこともできない苦しい時期を長く過ごしました。
ななこさんが学校に行かなくなったのは、小学校2年生のころ。スクールカーストのあるクラスに居心地の悪さを感じ、いじめなどを目にするのが耐えられなかったといいます。体の不調を訴えては、学校に行かなくなったななこさん。最初は戸惑った両親も、やがて、「学校に行かなくてもいい」と言ってくれました。しかし、近所の大人には批判され、同級生にはいじめられることもありました。
「そうやって受け入れられないと、結構、自尊心が崩壊するというか。不登校している、っていう時点で、私が私のことを認められないから、それがつらかった」(ななこさん)
外に出るのが怖くなったななこさんは7歳からの7年間、多くの時間を家で過ごしました。せめて働こうと15歳でアルバイトを始めましたが、些細なミスで怒鳴られたり、学校に行かなかったことを否定されたりして続けられませんでした。働けない自分はダメだと責め、とうとう「死にたい」という思いが湧いてきました。
「自分の生きていくお金ぐらい、自分で働いて稼がないと。親に迷惑かけてるし、迷惑どころじゃないっていうか。むしばんでるというか。仕事は人間としての証明、生きてていい人の条件かな。何か申し訳ない、もう私なんか死にます、みたいな」(ななこさん)
自分のことを否定的にとらえてしまったななこさん。
12歳から学校に行っていないアオイさん(14)も、ななこさんの気持ちがわかると言います。
「出たいけれど出られないっていうのはすごくよくわかりました。父には学校に行かないのは甘えだって言われて。そのときは父と対立しちゃって。つらかったです。できれば見守ってほしかったです。何も言わずに。家族にも『甘えている』って思われているんじゃないかと思うようになっちゃって。怖かったです」(アオイさん)
12歳から19歳の間、学校に行かなかったIT系企業社員のゆうきさんも、自分を責めた経験があります。
「母親が、いわゆる世間一般の小中高大に行かせたい、強く学校に行かせたいっていうところがあって、僕も追い詰められて。窓から飛び降りようとしたら母が泣いて止めてくれて。そこらへんから母の考え方も変わってきて、フリースクールとかも探してきてくれて僕のいまがある。やっぱり社会に不適合なんじゃないかと、自分が悪いというほうにどんどん責めていっちゃう。そこが一番つらいところかなと思います」(ゆうきさん)
「学校に行かないこと」ことで自分を責め、つらい思いをする子どもたち。その背景には、「学校には行くべきだ」という大人や社会の否定的な目線が影響しているようです。
「私たちも『学校に行かなきゃいけない』と思っているんですね。『学校に行かないこと』を受け入れるのがすごく大変なのは、社会の価値観を内面化しているので、そういう社会の中で生きているから、自己否定せざるをえない。なかなか自分を肯定する社会の仕組みがないと思いますね」(ななこさん)
19歳になったななこさんは、フリースクールが運営する大学に入学。そこで、自分自身の過去に向き合いはじめました。
どうして「死にたい」と考えてしまうのか知るために、頻繁に頭に浮かんでくる言葉を書き出し、それを分類して並べました。
「甘えて生きている気がする」
「お金が人の価値」
「死にたくなっちゃう」
そしてそれぞれの言葉がどう関連しているのか、矢印でつなげてまとめてみると、すべての言葉は、「生きるための選択」という言葉からはじまっていたことがわかりました。
自分の一番中心にあるのは、「生きたい」という思い。不登校は、生きるために選んだことだったのです。
「『死にたい』から自分がはじまってると思っていたから、まさか『生きたい』からはじまって、『死にたい』に全部矢印が入ってるとは思わなかったので、すごい衝撃で。私って生きたかったのか、生きたいように生きられないから死にたかったんだと、その表を見てすごいはっきりしたので、自分を認められる感じがして、すごくそこが変わった」(ななこさん)
自分の思いとしっかり向き合うことで、自分を認めることができたななこさん。「まだ自分を認められない」と言うアオイさんに対し、こうアドバイスします。
「誠実に生きてるから苦しいのであって、何かが弱いとか足りないから苦しいんじゃないとすごく思いますね。だから、そういう自分を許してあげてほしい。そこまで頑張っているから疲れるのであって、疲れる人間だから疲れているんじゃないと思います」(ななこさん)
学校に行かない子どもたちを苦しめる「学校に行かなければ」という思い。しかし、経験者の多くは、学校ではなく、家や、ほかの場所で経験できることにも価値があるという実感を持っています。6歳~15歳の間、学校に行かなかった漫画家の棚園さんは、学校に行かないことも大切な経験になると話します。
「行かないなら行かないなりに、(学校に行くのと)同じぐらい大切な経験ができて。行った人に負けないぐらいすごく貴重なものだから、そんな卑下することもないと思います。いろいろ悩んでワーッて思ってたことが全部宝物になってます。何かしなきゃなっていろいろ考えてること、もうすでに行動してると思うので、焦る必要もないかなって」(棚園さん)
教育学が専門の熊本大学教育学部准教授・苫野一徳さんは、不登校の問題は、いまの学校教育のあり方と関わりがあり、学びの場の多様性と変革が求められていると言います。
「みんなで同じことを同じペースで同じようなやり方で、同質性の高い学年学級制の中で、出来上がっている答えばかり勉強する。その中で空気を読み合い、サバイバルをしなきゃいけない。その苦しさがもう限界を迎えてると思いますね。もっと個の学びやペースが尊重されて、ゆるやかに共同性で支えられながら、自分で問いを立てて自分でその答えを見つけていくような、探究を中核にした学びのあり方に構造転換していきたいなと思います」(苫野さん)
2017年には教育機会確保法が施行され、学校外の学びの場を保障し公的な支援もするという動きがみられます。
2019年、東京・世田谷区は無料で通える学びの場「ほっとスクール希望丘」を新たに開設しました。運営を担うのは民間のフリースクール。公設でありながら、フリースクール同様の学びを得られます。
神奈川県・川崎市では、全国に先駆けて、自治体と民間が連携して、学校外の居場所を提供しています。子ども夢パークに設置されているフリースペース「えん」です。
市が設立した施設を、NPO法人が運営し、学校に行かない子どもたちの居場所として使用しています。いつ来ていつ帰るか、過ごし方のルールは子どもたちが決めます。勉強がしたいときには、スタッフに教えてもらえます。
昼食はスタッフと子どもたちが一緒に作り、1人250円で食べられます。利用料は無料で、保護者の経済的負担は少なくてすみ、何より学校復帰を目標にしていないことが、子どもたちに安心感を与えていると言います。
「学校に戻りなさいと言われると、戻れない自分を責めて、結局自分って価値がないダメな人間だとなる。その前に1人の人間として尊重されたら、『ちょっと勉強したくなったよ』『社会に出たいよ』といったいろいろな思いがたまってきて、充電されたら自分で考えて学校にまた行ったり社会に出て行ったり、つまり社会的な自立に向かうんですよ」(NPO法人フリースペースたまりば理事長 西野博之さん)
教育評論家の尾木直樹さんも、学校外の学びの場に希望を感じています。
「一人一人がいろんな意味で伸びていける、輝いていける体制を作っていくことがすごく大事。現場の先生方やあるいは元気よく行ってる子どもたちも、こういう問題があるんだということをつかんで、そしてみんなが安心して住めるような学校や地域にしていく1人の主体になってほしいなと思います」(尾木さん)
学校に行く子も行かない子も、学びの機会が保障される社会へ。新しい取り組みは少しずつ広がりを見せています。
「学校に行かない」という選択
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※この記事はウワサの保護者会 2019年8月31日放送「学校に行かない!~子どもたちの思い~」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。