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【特集】がんと共に生きるAYA世代(5)がんとの向き合い方

記事公開日:2019年10月11日

10代後半から30代のAYA世代(=Adolescent and Young Adult 思春期・若年成人期)と呼ばれるがん患者たちは、たとえ治療が終わっても、社会復帰がうまくいかず、孤立しがちになる現実があります。身近な人ががんになったとき、家族や友人、同僚はどう受け入れていくべきか、AYA世代のがん患者から寄せられた「声」 から考えます。

「がん患者」以外の“自分”の見つけ方

AYA世代のがん患者が社会に復帰するとき、病気のことを周囲にどう伝えるか、がんにとらわれ過ぎず、どう向き合っていくかも大切になってきます。

「去年の9月に乳がんが分かりました。治療が一段落して考えたのは、周りから『乳がんの○○さん』ではなく、『○○さんは乳がん』と、自分を主体に見てほしいということでした。もちろんがんとは一生つきあっていかなくてはいけませんが、私の人生はがんだけではないのです。今まで関わってきた人、培ってきたことを無しにはできないのです。がん患者である前に人として社会とつながっていたいのです」(はなさん/30代女性)

「がんではなく、自分という人間を見てほしい」と周囲の人に願う一方、AYA世代のがん患者・サバイバーにとって、「がん患者」である自分を受け入れ、客観的にみることはやさしいことではありません。

そんな悩みを軽くする方法の1つとしてこれまでに紹介したのが、がん患者の就職活動の支援にあたっているキャンサー・ソリューションズ代表であり、30代で乳がんにり患した桜井なおみさんの、「がんにとらわれない心の“オキドコロ”」を見つけるというものです。 NPO法人がんノート代表理事の岸田徹さんは、治療中に友人から贈られた言葉がきっかけになって、「オキドコロ」を見つけられたと話します。

画像(NPO法人がんノート代表理事 岸田徹さん)

「“Think Big(大きく考えろ)”という言葉です。『人生で起こるすべての出来事には意味がある。(今は苦しいけれど)10年後には得られるものがたくさんあるはずだからガンバレ』と。そう言われたら、今25歳でめちゃくちゃ苦しいけど、人生80年90年と考えたときの25歳って1つの通過点だなと。虫の目になっていたのが、鳥の目というか、ふかんして見れたときに、肉体的なつらさは変わらないけど、精神的にちょっとだけ楽になりました」(岸田さん)

「心のオキドコロ」を見つけるために、桜井なおみさんは、次のようにアドバイスします。

画像(キャンサー・ソリューションズ代表 桜井なおみさん)

「いろんな人の体験談を聞いて、『どう受け止めてきたの?』と聞くのも1つですし、私がやったのは、人生をふり返って、『ライフラインチャート』(自分の状態の上下を示すグラフ)を描くことです。生まれたときからどんなことを経験して、何が一番つらくて落ち込んだ、とか、このときこんなひと言を言われて上がった、とかを書いていくんです。そうすると、がんだけでない様々な出来事のひと続きのなかの『今』なんだということが見えてきます。そこから、じゃあそんな自分はこれからどうやって生きていこうかと、ちょっとだけ前を見ることができていくかなと思います。そのあと一番大事なことは、書いて自分にとどめるのではなくて、人に話してみる。他の人に説明してみると『私ってこんな人なんだ』と整理できるようになってくると思います」(桜井さん)

「がんって、診断された時から始まって全力疾走が続くんです、しばらく。止まる機会があんまりないままにずっと来ちゃうんですけど、“ふっ”と、そこで止まって見てみると何か違う景色が見えてくる時があるので、それも大切ですね」(桜井さん)

“産みたい”と向き合う

抗がん剤治療などで「妊よう性」(妊娠する・させる力)を失ってしまうこともあるため、AYA世代の当事者にとって「子どもを授かること」は大きな課題の一つです。

「乳がん発覚から3年。発覚当時1番大きな不安は結婚できるのか 子どもを持てるのかということでした。周りが結婚や出産のピークを迎えるなか、自分だけがそれを望めないという状況がつらくて悲しかったです」(ひまわりさん/30代女性)

25歳で乳がんになったSKE48元メンバーの矢方美紀さんは、ひまわりさんの思いに重なる部分があると言います。

画像(タレント 矢方美紀さん)

「将来は子どもが欲しいなと思っていたのが、病気になって、すぐにはそれができなくなったと知ったときに、自分だけ取り残されたのかな、と感じたことがあります」(矢方さん)

そんな矢方さんは「子どもを産む」ということ以外に、ほかの選択肢があることを知り、前向きになったと言います。

「同い年の友人が結婚したり出産したりして、『生まれたんだ』とすごくうれしい気持ちもあるんですが、自分は・・と正直悩む気持ちもありました。でも、自分の場合は今の時期は仕事に専念しようとか、気持ちを趣味に向けてみようかなとか考えて、切り替えました」(矢方さん)

ある男性のがんサバイバーからは、こんな声が届きました。

「入籍直後、35歳で精巣腫瘍に。手術して退院した日に妻から妊娠を告げられた。抗がん治療前に凍結保存した精子で第二子も授かった。がんばります」(すなおさん/40代男性)

現在、自身もこの問題について悩んでいるという岸田さん。こういった具体的な情報がとても少ないと話します。

「生殖機能の問題や精子保存のような、一歩踏み込まないといけないような情報は、ブログやSNSを見てもなかなかご本人は言わない。そういう意味でも、患者会や同じ仲間で話してみるのは大切だなと思います」(岸田さん)

仲間の存在が支えに

さまざまな悩みを抱えるAYA世代のがんサバイバー。自分がどう生きていくかを考えるときに助けになるのが、同じ病を持つ仲間の存在です。今、その出会いを支えるある施設が注目されています。

大阪市立総合医療センター。ここには、「AYA世代専用病棟」があります。がんだけでなく、さまざまな重い病気の患者たちが集まっています。月に一度開かれる交流会では、病気が違っても、同世代の患者同士、支え合うことができると言います。

画像(コウキさん)

「小児科も成人病棟も入った経験があるんですけど、同世代がいなくて寂しかったんで。こうやって同世代の人がいっぱいいるなかでいたら、結構安心というか、みんなと協力してがんばろうという気持ちになりました」(コウキさん)

画像(サクラさん)

「病気の話とか全然しない。普通にゲームしたりとか。たのしいことばっかり。周りがすごい病気の子がいっぱいおるから。別に全然自分だけが重い病気じゃないなって思います」(サクラさん)

大阪市立総合医療センター、副院長の原純一さんはこの病棟の意義を次のように話します。

画像(大阪市立総合医療センター 副院長 原純一さん)

「同じ世代で、似たような病気の方同士であればお互いに相談をしやすい。悩みも聞いてあげやすいし、お互いに理解しやすい。そういうことが支え合いになっていく」(原さん)

しかし、AYA世代の専門病棟は全国にまだ2箇所のみ。近くに同世代の仲間を見つける場所がない場合は、どうすればいいのでしょうか。

「僕の場合は、こんな人になりたいなという、1人のロールモデルとなる方を、Twitterで知りました。その人に連絡を送ってみたら返信が来たりして、知り合うことができました。あと、患者会もあります。はじめは不安で、『傷のなめ合いなのでは?』みたいに思っていたんですが、入ってみるとみんな気楽に飲み会してるだけで、がんだからといってがんの話ばかりするのではなくて、普通の話をしてる。そういう場が大切なんだなと思いました」(岸田さん)

患者会のような仲間を探す環境が近くにないときは、AYA世代を対象としたウェブサイトで探したり、がん診療連携病院に設置されている相談支援センターで聞いてみるのも1つの方法だと岸田さんは言います。

インターネットという若い世代の武器も活用しつつ、同じ病にこだわらずに視野を広げていくと、仲間が見つかりやすいかもしれません。

周囲は「ふだんどおり」に

「若いのにかわいそう」「若いから進行が早い」といった、AYA世代だからこそかけられる言葉に傷ついたという声も、多く寄せられました。

「20代前半でがんになりました。若いのにがんになって可哀想。それが一番辛い言葉でした。がんになっても私自身は変わりません」(りいなさん/20代)

AYA世代のがん患者に、言われて傷ついた言葉を募集したところ、「かわいそう」のほかにも、次のような言葉があげられました。

画像(AYA世代のがん患者が「傷ついた言葉」)

「頑張って」「大丈夫?」「でも早期でしょ?」「子ども作れるの?」「前向きにならなくちゃダメ」 本人は励ましのつもりでも、こうした言葉の根底には「無意識の比べっこ」があるのではないかと桜井さんは言います。

「言う側が上から目線になっていたり、あるいはそういう風に思っていなくても、言われる側がそう受け止めてしまったり。言い方とか、言われたタイミングとかにもよりますが、いろいろなところですれ違いが起きてしまう。患者同士でも『あなたより私の方が重いのよ』とか、逆に『私の方が軽いわ』とか、そういうのが結構ある」(桜井さん)

AYA世代の人たちは、周囲にどう接してほしいと感じているのでしょうか。

「がん患者として見てほしくない。ふだんどおりに接してほしい。病気について自分から話せるようになるまで時間かかるけど、長い目で見てほしい」(SAEさん・20代女性)

「がん患者自身もどうして欲しいか分からないときも多い。『こうだ』と決めずに、『力になりたい』と寄り添う気持ちを伝えてほしい」(えりこさん・30代女性)

画像(スタジオの様子)

矢方さんは、過剰に同情されたり心配されたとき、感じたことがあるといます。

「自分以上にみんなが悲しがったり、不安になったりすると、逆にどうしたらその気持ちを変えられるだろうと悩んでしまうこともありました。でも、例えば私の母は今までどおりの対応をしてくれて、すごく救われました。飲み物がなくて『買ってきて』と頼んだときでも買ってきてくれない(笑)。もちろん心配はしてくれているんですけど、これぐらいは自分でできるということは、母が『自分でやりなさい』と言ってくれました」(矢方さん)

AYA世代と一口でいっても、その悩みや思いはさまざま。そのなかで、「がんの誰それさん」ではなく、その人自身をしっかりと見つめ、接していくことが、気持ちに寄り添うことになるのかもしれません。

【特集】がんと共に生きるAYA世代
(1)就職活動でのカミングアウト
(2)職場でのカミングアウト
(3)妊よう性をめぐる葛藤
(4)子どもを巡る夫婦の選択
(5)がんとの向き合い方←今回の記事

※この記事はハートネットTV 2019年9月11日(水)放送 「がんと共に生きるAYA世代(3)反響編」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

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