かつて“不治の病”“業病”などと恐れられてきたハンセン病。戦後、特効薬による治療が始まり、完治する時代になったものの、国は患者の強制隔離を続けました。病気に対する差別意識が地域に根づき、その矛先は、患者とともに暮らしていた家族にも及びます。息をひそめ、隠れるように生きてきたハンセン病元患者の家族たち。知られざる被害の実態を通して、社会に根づく差別の問題を考えます。
日本では、明治末期の1907年にハンセン病の患者を強制的に隔離する法律が成立。その後も法改正を繰り返しながら、患者の強制収容が推進されてきました。その後、1947年に特効薬プロミンによる治療が始まり、ハンセン病は完治する時代になりました。
しかし国は、ハンセン病は恐ろしい伝染病であるという誤った考えを広め、1996年に法律が廃止されるまでおよそ50年間、必要のない隔離政策を続けてきました。そして2001年、元患者たちが起こしたハンセン病国賠訴訟で、こうした国の政策は憲法違反だと認められて、その過ちが明らかになったのです。
では、なぜ隔離政策が家族にも被害をもたらしたのでしょうか。国の政策によって、社会ではハンセン病の患者やその家族に対して、偏見や差別の目が向けられていました。患者は療養所に収容されることで、社会からは分断されることになります。ところが、残された家族はその後も迫害を受け、進学や就職、結婚といった人生のさまざまな場面で苦しみ続けてきたのです。
「私は父のことが大好きでした」
そんな思いを、長年押し殺して生きてきた50代の村上純子さん(仮名)。子どものころ、月に2回、父親に会いに熊本県にあるハンセン病療養所、菊池恵楓園へ通っていました。
ハンセン病を患っていた父親は、1960年に熊本の療養所に収容されました。ほどなく病気は完治しましたが、手に後遺症が残りました。
「父は左手が曲がっていたので、その手を出すことはほとんどなかった。いつも隠してましたね。いつも膝の上に抱かれて、曲がった手でなでてくれたんですよ。大好きでしたね、父の手は」(村上さん)
父親が療養所に隔離されたことは、すぐに町中に知れ渡りました。残された5人の家族は、住民から執拗な嫌がらせを受けることになります。
「『病気の子』『そばに行ったら菌がうつる』『どっか行けばいいのに』とかいろんなこと言われました。ちょっと家を空けた時に、燃えた跡があったんですよ。火をつけるぞ、この家燃やしてやるよっていう見せしめだと思うんですね。さらに、うちで飼ってた犬が首をつられて、体中棒で殴り殺されてたんですよ。泣くしかなくて、子どもだったので。なんでこんな扱いをうけなきゃいけないんだろう…。 (強制隔離の)被害を受けた患者さん、父たちもつらかっただろうけど、その家族は世間にさらされてどれだけつらかったか。本当に地獄の日々でしたね」(村上さん)
徳島県に暮らす、鈴木真一さん(仮名)もつらい経験があります。父親はハンセン病の患者でしたが、周囲には隠したまま、家族5人で一緒に生活していました。しかし真一さんが12歳のとき、父親がハンセン病療養所へ強制収容されます。
取り残された母親は、3人の子どもを養うため懸命に働きましたが、家計は苦しく、兄弟はみな、高校進学を諦めました。真一さんは中学卒業と同時に、集団就職でふるさとを離れました。5年後、地元へ戻り再就職の試験に臨みますが面接試験で落ちてしまいました。
「学科の試験問題、トップだったけどな。面接試験でいろいろ話よって、らい病って言うたら、3人の面接官がひそひそ話し出して、その雰囲気見て、あかんなとは思った。ちょっと恨んだな。おやじのせいじゃっちゅうて」(真一さん)
これを境に、父親の病気は絶対の秘密になりました。結婚するときも破談をおそれ、妻にも隠し通しました。
真一さんは、妻に内緒で、瀬戸内海の島にある療養所へ、父親を見舞いに通いました。病気は、すでに完治していました。それでも父親は、息子夫婦に差別が及ぶことを心配し、療養所にとどまり続けていました。
「自分が所帯もって子どもでけて、親父も普通であれば人並みの人生、家庭生活を送れたのに。それ、国が奪ったでな」(真一さん)
結婚から3年、真一さんは悩んだ末、父親の病気について妻に打ち明けました。2人は話し合い、父親を引き取ることに決めます。しかし、同居してもなお、父親のことを隠して生きるしかありませんでした。人目を忍んで暮らした父親は、地域の病院にも行けず、最期は療養所へ戻り、亡くなりました。
「世間のね、偏見が全然なくなるっていうことはないけん。自分の家族がハンセン病だったいうんはまだよう言わんね。長男の嫁にもまだ言うとらんしね。やっぱり偏見でずっと来とるけんね、差別。言うたら、どないなるか分からんしね」(真一さんの弟)
「ハンセン病っていうのを秘密でずっと人生送ってきとんは、もうわしの代で済まそうと思う。だましとうっていうんは、やっぱり苦しいし、味わわせとうないけん。子どもらには」(真一さん)
患者だけでなく、家族にまで及んだ被害。差別が広がった背景には、戦前から戦後にかけて展開された「無らい県運動」があります。
ハンセン病の撲滅を掲げ、住民たちは自治体への通報や投書に協力しました。ある小学校では、患者の子ども達の通学を阻止しようという事件まで起こりました。国の誤った政策と社会の偏見が、患者と家族を追い込んでいきました。
長年家族への聞き取り調査を行っている社会学者の東北学院大学准教授・黒坂愛衣さんは、家族ならではのつらさがあると言います。
「1つは、直接的に差別にさらされるつらさ、苦しみがあります。もう1つは、差別されるつらさを病気だった肉親のせいだと思い込まされること。それから、差別から身を守るために事実を隠し、周りをだましてるような罪悪感。そういうつらさ、苦しみがあっただろうなと思います」(黒坂さん)
こうした被害について、ハンセン病元患者の家族たちが国を訴えた裁判が、2019年夏に決着しました。
「ハンセン病家族訴訟」。国の誤った政策が、元患者だけでなく、その家族にも被害をもたらしたことを、裁判所が認めたのです。国は控訴を断念。元患者の家族に対し、国に賠償を命じた判決が確定しました。
弁護団の共同代表を務める弁護士の徳田靖之さんは、この判決は画期的な面と、課題の残る面があったと話します。
「判決では、『国の隔離政策によって家族が差別・偏見にさらされる社会構造ができた』と、明確に国の主張を切って捨てました。とくに画期的だったのは、隔離政策を廃止したあとも、国が偏見・差別を除去するために総力を挙げて取り組むべきで、厚生労働省だけではなく、法務省や文部科学省に対しても、偏見・差別を除去する義務を怠った、ということを認めてくれたことにあります」(徳田さん)
一方で、「隔離政策によって家族関係の形成を阻害された」という心理的被害については、一部しか認められませんでした。
「被害を物理的な関係の破壊に絞って、心理的な被害を認めなかったというところに非常に大きな不満を持っています。また、この判決には、平成14年以降に被害を受けた20人の方の請求が棄却されたり、1972年まで米国統治下にあった沖縄の原告が減額されたり、といった問題点がありますので、すべての方が被害に見合うような補償が受けられるように、国との間で協議を続けていきたいと思っています」(徳田さん)
家族への補償の道が開かれようとする一方で、裁判に参加したことがきっかけで、ある30代の男性の原告が離婚に至ってしまうという事態が起きました。男性の母親は60代の元患者です。30代の息子が、家族訴訟に原告として参加。これまで妻には母親の病歴については隠してきましたが、訴訟を機に打ち明けたと言います。
「子ども夫婦はすごく仲良くいい状態でやっていたと思う。こういう世の中だし、今になって差別や偏見があるとは思ってはいなかったので、わかってくれるだろうと相手方(息子の妻)にお話をさせてもらったんです」(男性の母親)
しかし、それから2か月も経たないうちに、男性の妻は孫を連れて出て行きました。
「どういうことなのか、と相手方の自宅まで行ったんですけど、ものの見事に門前払いをされてしまった。土下座までしたんですけど、『寄るな、近寄るな、触るな』くらいの感じで、感染をするとか汚いというイメージがすごく強いんですよ。やっぱり、一度受けてしまった偏見・差別・先入観はなかなか消えないのではないかなと思います」(男性の母親)
今もなお続く根深い差別や偏見の感情。黒坂さんと徳田さんは、必要な支援や政策について次のように話します。
「差別は、時間が経てばなくなるとか、世代交代すれば自然になくなると思われがちなんですけれども、残念ながら決してそうではない。ほかの原告さんでも、20、30代で差別の被害を受けている方がいますが、彼らは被害を誰にも言えない。安心して彼らが被害の相談をできる場所をまず作るというのが、急務だなと思います」(黒坂さん)
「正しい知識を普及させたところで差別・偏見はなくならない。ハンセン病患者や家族は差別・偏見されてもしかたがないという社会構造を、どう打ち壊していくのかということを正面に据えた政策がとられていかなきゃいけない。そのためには、そういう社会構造を作ってしまった国の責任を、あらゆる場面で国が徹底的に明らかにしていくことが大事です。そしてもう1つ、社会構造を構成している私たち1人1人が、このハンセン病問題においてどのような加害責任を負ってきたのか。自分自身の生き方の問題として、ハンセン病の問題にどう関わるべきかを考えることが、この社会構造を変えていく上でものすごく大事なことなのです」(徳田さん)
気づかないうちに自分も加害者側として社会に関わっているのではないか。そういう問題意識を持つことが、ハンセン病家族問題に限らず、さまざまな差別の問題を考える上で大切だと言えそうです。
※この記事はハートネットTV 2019年8月27日放送「隠して生きるしかなかった ~ハンセン病家族・知られざる被害~」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。