心臓や肝臓、腎臓など、臓器に重い病気を抱え、いのちをつなぐには“臓器移植”しか方法のない人がいます。いま、日本で臓器移植を待っている人は、1万3000人を超えています。
その中には、国内では移植手術を受けることができず、海外に渡航してその手術を受けざるをえないケースもあります。移植経験者たちの現状と思いに目を向けてみませんか?
9月上旬、千葉県柏市のバーベキュー場に、子どもたちの声が響いていた。炎天下の中で楽しんでいたのは、移植手術を受けた子たちとその家族。都内の大学生も加わって、普段聞くことのできない移植経験者やその家族の思いに耳を傾けた。
会を主催したのは、渡航移植者とその家族を支援してきた団体「トリオ・ジャパン」。代表の青山竜馬さん自身も、3年前、娘の環(たまき)さん(5)の心臓移植をアメリカで経験した。
「移植を経験した人は免疫抑制剤を飲み続けることになる。紫外線に対する抵抗力が落ちて皮膚がんになりやすいため、炎天下の外出は日焼け止めが欠かせない。また免疫力の低下により感染症にかかりやすいため生ものは避けるなど生活上の制約は多い。それでも、つないでもらった命を“十分に楽しむ”ことが、臓器を提供してくれた人にも感謝の気持ちを示すことにつながると思うんです」と話す。
青山さんの次女・環さんは、生後10か月の時、「拡張型心筋症」という病気が判明した。双子の姉・菫(すみれ)さんが心不全で亡くなった際、環さんにも心臓の検査をしたことがきっかけだった。最終的な治療法は心臓移植しかない難病だ。病状が悪化し、治療の選択肢が狭まっていく中で、たどり着いたのが、アメリカでの「渡航移植」だった。
「海外へ渡航しての移植は本人の負担も重く、当初はできれば避けたい選択肢だった。それでも、自分たちが直面した状況の中では、娘にしてやれる最善の決断だったし、医師や友人、支援者など本当に多くの人の助けで移植までたどりつけた」と、青山さんは語る。
補助人工心臓(VAD)をつけた重症状態での渡航はリスクも伴っていた。それでもなんとか受け入れ先のシアトル小児病院にたどり着くと、その2日後、ドナーとなる脳死患者が出たことを伝えられた。
嬉しさ、そして感謝の気持ちと同時に、同じような小さな命が失われ、そのおかげで娘の命が助かったことへの複雑な思いが湧き上がった。
7時間に及んだ移植手術、そして半年の療養で、環さんの命はつながった。手術から3年がたって環さんは5歳になり、地元の療育園に通いながら日々成長している。
青山さんのように移植を必要とする患者と家族が、海外に渡航しなくてはいけないのには理由がある。日本では、2010年に改正臓器移植法が施行され、15歳未満の小児からの脳死臓器提供が可能となった。それでも、臓器提供の数は十分でなく、心臓移植の場合、移植手術ができるまでの平均の待機年数は、3年。待っている間に病状が悪化し、命を落とす子どもが少なくないのが現実だ。
実は、日本の臓器提供は、世界の国々と比べてもきわめて低い水準にとどまっている。
2000年代、東南アジアや中国などで違法な手段で提供された臓器を海外からきた患者に移植する「移植ツーリズム」が問題化。それを受けて、2008年、国際移植学会で「臓器移植については、ドナー(臓器提供者)を自国で供給することを原則とする」と記された「イスタンブール宣言」が採択された。それ以降、各国で自国での臓器提供を増やすための試みが模索されてきた。
国によって制度などに違いはあるものの、人口100万人あたりの臓器提供の数を比べると大きな差が出ている(グラフ参照)。最も多いのが、スペインで100万人あたり48人。アメリカは33.3人、それに対して日本は0.88人だ。臓器提供の意思を確認する仕組みが整っているか否かの差が大きく、イスラム圏でもイランなど提供数が高い国があるなど、宗教的や文化的な背景だけではないことが伺い知れる。東アジアでは、2000年代に移植制度の改革に取り組んだ韓国なども、いまや日本の10倍以上にまで提供者数を増やしている。
日本の臓器提供が、世界と比べて圧倒的に伸び悩んでいる理由については、さまざまな点が指摘されている。
一つ目が、日本では、脳死からの臓器提供について多様な意見がある中で、生前に示された意思を 確認できた人から臓器提供を行う「オプティングイン 」の考え方を採用していることだ(※)。世界で臓器提供数が多い国は、生前に“提供しない”という意思が示されていないかぎり臓器提供を行う「オプティングアウト 」を採用している国が多い。
そうした基本的な考えの違いに加えて、移植医療を支えるシステムの整備が不十分だと指摘する声もある。脳死状態になった患者や家族に最初に向き合う救急医療の現場での負担が大きいという声。さらに家族に対してケアや意思確認を行うドナーコーディネーターが不足しているなど、移植に関わる組織間の連携や人材の確保などが十分にできていない現状がある。
また、運転免許証や保険証などの記入欄に臓器提供への意思を表示している人が、国民全体のおよそ1割など、移植医療に対する社会の意識が高まっていないことも、大きなネックになっている。
(※改正臓器移植法では、本人の意思が示されていない場合「家族の同意」でも提供が可能となった)
青山さんは、娘・環さんの移植をきっかけに日本の移植をめぐる状況に直面し、去年、自らも渡航移植を支援する団体の代表を受け継いだ。日本から、この団体などを通じて海外での渡航移植を受けた人は、2007年以降、確認できているだけで139人にのぼる(※)。
(※「臓器売買」や「ブローカー」が介在する違法な移植は含まない)
その中で、家族が共通して直面してきたのが、移植を希望する人への心ない声だ。
「死ぬ死ぬサギがまた出た」
「このお金でアフリカの子供を何人救えると思ってるんだ」
「(海外の患者もいるのに)横入りだ」
実際には、アメリカで渡航移植を受ける人は、現地の患者と同じように保証金(デポジット)を支払い、移植待ちリストに登録し、病状に応じて移植の順番を待つ。アメリカでは、補助人工心臓を装着するほど重症化する前に移植に到達できることが多いため、日本から渡航した重症度の高い患者は、必然的に優先して移植が受けられることになる。
青山さんの場合、補助人工心臓(VAD)を付けて渡航するための専用機をチャーターする費用、ICUに長期入院するための費用などを含めると、移植に必要となる金額は合計3億円以上にのぼった。
青山さんは、大学時代の友人たちを中心に支援を得て募金活動を行ったが、その最中には、上記のような心ない中傷の声をネット・電話・FAXを問わず、たびたび投げつけられた。ネット上で親族の名前を晒され、「資産がある」など根も葉もない中傷も受けた。
「私たちも募金を始める前に、こうしたバッシングがあることも聞いて、覚悟の上で募金活動を行った。それでも、毎回のように繰り返されるバッシングには、耐えがたい気持ちになる」
渡航移植を経験した家族の中には、心ない中傷が近所に広まったことが原因で、住んでいた自宅から別の街に引っ越すことを余儀なくされたケースもある。
国はこれまで、脳死からの臓器提供について激しい議論が行われてきた経緯から、<「臓器提供する」「臓器提供をしない」「臓器移植を受ける」「臓器提供を受けない」というどの立場も等しく尊重する>という立場をとってきた。
「臓器移植を考えるための啓発・情報提供はするが、“脳死者からの移植医療を推進します”とは言えないのが国の立場だ」(厚生労働省担当者)
一方で、移植を経験した青山さんたちは、自分たちが経験し支援してきた「渡航移植」ではなく、 日本国内での臓器移植がもっと広がって欲しいと考えている。団体のホームページには、「海外への 渡航移植がなくなること、それが私たちのゴールです」と思いを掲げた。
最近、青山さんは、渡航移植を希望する家族の相談に乗るかたわら、各地の講演会などで自らの経験を話す機会も増えている。そうした時、多くの人に伝えてきた言葉がある。
「移植を受けた子どもたちは、自分の傷を隠したがるけれども、その傷の向こう側には、移植までに関わった多くの人がいて、臓器を提供してくれたドナー(臓器提供者)という最大のヒーローがいる。 多くの人に支えられた命。そのことを、本人たちにも誇って欲しいし、周囲の人たちも、遠慮せずに、“よく頑張った”“なんてラッキーなやつなんだ”と讃えて、祝福してあげて欲しい。そんなところから、移植について考えてもらうきっかけができればと思っています」
執筆者:池座雅之(NHKディレクター)