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熊本地震 「また、取り残されるのか」被災地での障害者支援の実状

記事公開日:2018年04月13日

2016年4月14日に熊本を襲った大地震。県内の障害者団体で作る「被災地障害者センターくまもと」では、これまでに多くの障害者を支援してきました。一方で、事務局長を務める東俊裕さんが感じたのは、災害の中で障害者が取り残される状況は東日本大震災の時と何ら変わっていないという憤りでした。東さんの取り組みや言葉から、災害時の障害者支援に必要なこと、災害前からの孤立を防ぐために必要なことを考えます。

※「被災地障害者センターくまもと」は、2019年に活動を終了しました。

災害が生む障害者の孤立

熊本地震から4か月たった2016年8月。被災地障害者センターくまもとをたずねると、スタッフが被災した障害者から寄せられる相談の電話に対応していました。

センターの事務局長は、東俊裕さん。足に麻痺があり、車いすを使用しています。30年以上もの間、障害者の支援に携わってきた熊本出身の弁護士でもあります。センターでの支援を通じて見えてきたのは、想像をはるかに超えて障害者が孤立している状況でした。

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住まいを失い、行き場を失った被災者がたどり着くはずの仮設住宅が、そこでトイレもできず、お風呂にも入れなかったりするなど、障害者への配慮はほとんどありません。

センターが引っ越しを手伝うことになった坂本康博さん。下半身にまひがあり、車いすを使用しています。自宅は倒壊してはいないものの、土台に亀裂が入り、住むのは危険な状態です。
そのため、市から障害者が優先的に入れる住まいを紹介されました。しかし・・・。

坂本:
アパートの1階でしたけども段差がありまして。説明会の時に聞いたんですよ。説明会の時に一番最後に、階段はないですよね?と言ったら、いや階段が3段くらいありますと。3段もあるならこの車椅子では無理ですよねといってから。スロープをつけてくれるんですかと尋ねたら、いえ付けませんていわれたので。

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市から優先的に紹介された住まいは、車椅子で昇り降りするのは無理でした。自分でスロープをつけた場合、その住まいから引っ越す際には撤去しなくてはならず、入居を諦めたのです。結局、東さんに相談しながら自力で見つけたアパートに入居することにしました。

引っ越し先では、車椅子で室内を移動するための動線を確保するために、家具の置き方がとても重要。介助経験のあるスタッフ6名が協力し、てきぱきと配置することができました。

「あんなに人数がボランティアで来てくれたから良かったけども、これを1人で運送屋さんに頼むとなると大変なことです。ベッドもようやく入ったし。」(坂本さん)

また取り残された障害者たち

実は、東さんはこれまで、日本の障害者の権利を守るため最前線で戦ってきました。2001年からは国連の障害者権利条約についての会議に政府代表顧問として出席。条約の採択に大きな役割を果たしました。その後も内閣府で障害者に関する制度改革に携わり、当事者の立場から国の施策をまとめてきました。

そのさなかに起きたのが東日本大震災。障害者たちが支援から取り残される状況を目の当たりにして、対策の強化を繰り返し訴えてきました。

しかし2016年4月、東さんの地元・熊本を地震が襲います。すると、障害者たちは再び取り残されていました。
ここでもまた、同じことが繰り返されていたのです。

ある避難所へやってきた車椅子の障害者が、「ここは階段ばかりだから」と断られたり、発達障害で自閉症があり、水の配給の列に並べない子どもの分を求めた親に、「平等ですから」ともらえなかったり、「迷惑をかけるから」と避難所を追い出されたり・・・。

「一般の人の中の意識の中に、全然、障害者っていう存在がないんですよね。本当に悲しい話ですけれどね。東日本大震災の教訓をもとに、本来であれば、行政が避難所を指定する時に、そういう課題を、避難所の管理責任者みたいな人に、きちんと伝えるべきなんですよね。でもそういうことがなされていなかった。前例から学ぼうとしないから、学べないんですよね。」(東さん)

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震災発生後、東さんは自らも教壇に立っている熊本学園大学に働きかけ、すぐにバリアフリーのホールを障害者のために開放。車椅子でも移動できる十分なスペースを確保し、24時間介助にあたるスタッフを集めました。

避難所には、一時的に安全を確保するだけではない、重要な役割があると東さんは考えています。

「避難所には緊急物資、多くの人、情報が集中されるわけですよ。そこから仮設だったり復興住宅だったりと復興に至るまでの道のりっていうのができていくわけですね。しかしそこを利用できないと、本当に公的支援の1番の起点になる所を利用できないと、もうやっぱりそういう支援の網の目からみんなポロポロとこぼれていくしかないんですよね。だからこぼれ落ちたような状況に陥っている障害者を、誰かがやっぱりね、何とかしなきゃならない。実際、障害者がいるわけだから。障害の人も利用できるインクルーシブな避難所になればと思って、できることをやったということですね。」(東さん)

障害者が地域で当たり前に暮らせるように

地震直後の混乱が収まると、支援の現場は、仮設住宅などに移ります。しかし、ここでもさまざまな課題が浮き彫りになりました。

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橋村さんは重度の脳性麻痺がある高校生の長女、ももかさんを含めた家族5人、仮設住宅で暮らしています。入居している棟にはスロープがついており、ももかさんの車椅子で上ることができます。しかし、それだけでは解決できない多くの問題が残されていました。

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まず、玄関の間口が狭く、車椅子が家の中に入れないこと。

屋内を車椅子で自由に移動できなくなったももかさんは、寝たきりの生活。車椅子に座り、好きな詩を書き写していたももかさんは、日々の喜びまで奪われています。

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お風呂にも問題があります。

入浴には介助が必要なももかさん。浴槽や洗い場が狭く、十分に洗うことができなくなりました。お風呂が大好きなももかさんですが、湯船には入ることもできません。

せっかく仮設住宅に入居しても、当たり前の暮らしができていない障害のある人たち。東さんの働きかけにより、県は町内の別の場所に、特別に「福祉仮設住宅」を建設する方針を示しました。しかし、東さんは新たな問題を指摘します。

「コミュニティと分断して、1か所に障害者だけを集めてしまうのは、ある意味効率的にはてっとり早いのかもしれないですけど、日ごろの付き合いというのがすごく障害者にとっては大事なんです。日ごろの人間関係が一番ものを言うわけですよ。そういうコミュニティを保証するような形のものにね、してほしいなと。」(東さん)

声をあげられない障害者

声をあげられない障害者がたくさんいるはず。

そう考えた東さんは、熊本市に働きかけて、障害者手帳の所持者全員にセンターのチラシを郵送してもらいました。すると、新たな支援のニーズが見えてきました。

目に見えにくい障害とも言える、精神障害のある人からの相談が次々に寄せられるようになってきたのです。周りの人には自らの障害を隠している場合も多くあり、それまでなかなか支援につながっていませんでした。

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半壊の家に1人で暮らす、永田京子さん。30年以上、統合失調症を患っていますが、震災後は不安から生活リズムが崩れ、片付けなどができなくなっていました。

「精神科となると、どっかおかしいんじゃないとか、人間的に、人格的におかしいんじゃないとかね。やっぱ思うんじゃないでしょうかね。華やかなとか、人混みの中とかなると、身を引きますね。」(永田さん。)

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地震から抜け出せずに気力も体力もなくなってしまい、それでも、障害への偏見を気にして、家の修理や片付けのことを誰にも相談できずにいた永田さん。センターは、台風の季節を前に雨漏りの不安にかられていた永田さんの家の屋根を覆うシートを補強する手配を整え、NPOに助成金を申請することを提案しました。

支援を必要とする人たちはまだまだいる。現場を回り続けた東さんの実感です。

「災害の支援に入っているとやっぱり普段のサービスの貧しさというのをつくづく思いますよね。精神障害がある人が地域で孤立している状況があるんだなというのが今回、初めて分かりました。基本的には、何らかの支援を受けているんだろうなと思っていたんですが、全然そうではなかった。だから僕もそういう意味では現実に対してやっぱり無知だったと思います。ただこれは熊本市だけの話じゃなくて、恐らくほとんどの全国的な状況じゃないのかなと思うわけですよね。だからもう一度やっぱり福祉って何なのかってね。制度全体として考え直さないとならない状況かなというのは思いました。」(東さん)

※この記事はハートネットTV 2016年9月1日(木)放送「シリーズ 熊本地震(9)また、取り残されるのかー障害者支援・東俊裕さんー」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

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