性のあり方が少数派である、性的マイノリティーの子どもたち。学校生活では周囲から理解されず、恋愛や体の悩みを誰にも相談できないまま、ひとりで抱え込むことが多くあります。いまは大人となった当事者やその保護者に、どんなことで苦しみ、何が救いとなったのか、経験談を伺いました。
性的マイノリティーの当事者は、子どものとき、学校でどんなことに苦しんだのでしょうか。
モデルのイシヅカユウさんは、トランスジェンダーです。男として生まれましたが、小さなころから自分は女の子だと思っていて、黒いランドセルや男子用の制服が嫌でした。いつも男子として扱われるのがつらくて、無意識に髪を抜いてしまう「抜毛症」になりました。
「私は女の子として扱ってほしいんだけど、男の子としてこれを与えられてるっていうことに、どうしてなんだろうっていう気持ちが一番。感覚ではそうなんだと思っても、知識がないから伝えられないっていうのはあったと思います」(ユウさん)
中学生になると学ランを着るのが嫌になり、学校生活はさらに苦しくなりました。それでも、勉強が好きだったユウさんはジャージを着て学校に通いました。しかし、中学2年生のとき、二泊三日の宿泊訓練に参加したことなどがきっかけとなり、まったく学校に行けなくなってしまいました。ユウさんは、どうして学校に行かないのか聞いてきた母親に、初めて自分の気持ちを打ち明けました。
「男の子として行かなくちゃいけないのが本当につらいから、泣きながら。冷静なものじゃなくて、追い詰められて、バーンっていう爆発の仕方でした」(ユウさん)
学校の制服やトイレのことを聞いて母・令江さんは、ユウさんの学校でのつらさを初めて知りました。
「『ママは体育の授業のときに、女子と男子と分かれるけど、男子の中で1人でできる?』って言われて、うーん、嫌かなって言ったら、『私はずっとそうだった』って言われて」(令江さん)
そこで、令江さんは、まずはジャージ通学を許可してほしいと学校に頼みに行きました。しかし、「性同一性障害の診断書がないと対応できない」という回答でした。
「勉強するのが嫌いで学校に行きたくなかったわけじゃないし、むしろ勉強するのはすごく好きだし、なんならもっと学びたいことがあったし、それをそういうことで制限されるのは間違っていると思うんです」(ユウさん)
2015年、文部科学省は、医師の診断がなくても子どもの要望に応じて、制服やトイレなどきめ細かな対応を求める通知を各学校に出しました。
しかし、精神科医の針間克己さんによると、いまでも学校生活のために診断書をもらいに来る人はいると言います。
「診断がないと学校で対応が難しいと言われたというのは、よくあります。だけど学校というのは、勉強する機会でもあるし、権利でもあるわけですから、多少の配慮で済むのであれば、学校へ行って勉強できるようにするというのが、学校側に求められていることだと思います」(針間さん)
また、世界保健機関(WHO)の総会では、性同一性障害を「精神障害」の分類から除外することを合意しています。それなのに、なぜ学校では診断書の提出が求められるのでしょうか。
教師歴24年のトランスジェンダー、斎藤みどりさんによると、子どもや保護者からの学校への要望の多さが背景にあると言います。
「わかります、なぜ学校が診断書っていうのか。本当にいろんなことを言ってくるんですよ、子どもも保護者も。実際、学校は本当にさばききれない。そのときにお医者さんが言っているんですからって言うと、みんな納得してくれるっていうのがあって」(斎藤さん)
一方で、先生たちの意識も変わってきています。当事者親子とともに啓発活動を行うNPO法人を運営している松岡成子さんはこう話します。
「男女どちらかの制服とも着られないような人に、自分で何か持ってきてっていう学校があって。それをゴーにした学校もあります」(松岡さん)
学校生活がつらくて不登校になったユウさんでしたが、家では好きな服装で過ごせたことが心の支えでした。
「ミュールみたいなサンダルとか、Tシャツとかも自分でかわいいのとか選んでました」(ユウさん)
不登校のとき居場所になったのが、3歳から通っていた絵の教室。好きなことをして過ごすうちに少しずつ元気を取り戻していきました。
「自分の表現のひとつとして、絵だったり服だったりがあるということによって、自分を肯定できて、自分がこうであるっていうことを自分自身で認めてあげられることがすごくありました」(ユウさん)
レズビアンでパティシエの福田さんも同じような経験がありました。
「学生時代にレズビアンであることを陰口のように言われたのもあって。もう人とコミュニケーションを取るのも嫌だし。そういうときにきっかけがあって、お菓子を作り始めたんですけど。その作ったものを友だちにあげて喜んでもらうっていうのが、私の唯一の社会と関わる手段でした」(福田さん)
男の子として扱われることがつらかったユウさんは、ある高校に“女子生徒”として入学できることになりました。そこは、日中に通える定時制の公立高校で、制服や髪形などに規則がなく、さまざまな生徒がいたと言います。
ずっと望んでいた、「女性」としての学校生活。ユウさんは、こんなとびっきりのおしゃれをして、高校に通いました。女友達もできました。このときに学校生活を楽しめた経験が、いまにつながっています。
「高校は、自分が自分のあるがままの姿で、『そこにいていい』って言ってもらえた。『生きてていい』って思いますよね。ひとつの社会じゃないですか、学校っていうのは。その中で『自分がいていい』っていうことって、その後、もっと大きな社会に出て行く中で、すごい力になるし、勇気になる。それぐらい大きいことだと思います」(ユウさん)
理想は、多様性を認める関係。しかし、性的マイノリティーの子どもは、まわりと違うことで、自分に自信がもてない場合が多くあります。
そんな子どもの不安を母親のひと言が救ったケースが杉山さん家族です。
長男の和希さんは、性的マイノリティーであることをずっと悩んでいました。しかし、勉強もスポーツも頑張り、生徒会長や陸上部キャプテンを務める姿からは想像がつかず、両親は和希さんの悩みにまったく気づきませんでした。
和希さんは北海道の大学院まで進学したが、突然、休学。心配した母の眞規子さんは電話で「そんなことではいい父親になれないよ」と言いました。すると和希さんが次のように言いました。
「『僕は父親にはなれない、僕はゲイだ、僕は同性愛者だ』と結構強めに、おとなしい子で、いつもそんな声荒げるような子じゃないんですけど、わーって言われて」(眞規子さん)
それまでとは違う息子の様子に驚いた眞規子さんはあることをたずねました。
「『あなた自分のことをどう思ってる?好き?』って聞いたら、『わからない』って言ったので、これはちょっと本当に大変なことになったなと思って」(眞規子さん)
「自分を好きでいてほしい」と願って子育てをしてきた眞規子さんは、心配になり北海道へ会いに行きました。
すると、待ち合わせ場所で眞規子さんを待っていたのはこんな格好の和希さんでした。
「えー!って。身長180あるんですけど、20センチのヒールなので、すごい大きいんですけど、近づいていって、『え、あなたなの』って言ったら、『うん』って言って笑ってるし、『きれいじゃないの』って言って(笑)」(眞規子さん)
一方、和希さんはこんな格好で待っていたものの母親にどう思われるか不安でいっぱいだったと言います。
「ドラァグ・クイーンっていう格好なんですけれども、理解してもらいにくい。だからこそ、もうこのままの格好で会いに行こうって思ったんですけど、すんなり、『あんたはあんただよ』っていう形で、『本当にかわいい』って言って受け入れてくれて、びっくりもしたし、すごく安心もしたみたいな」(和希さん)
和希さんは、このとき大学院で哲学の研究者を目指していました。一方で、ドラァグ・クイーンという女装をしてショーを行う仕事に魅力を感じ、将来の進路を悩んでいました。しかし、母親から「自分のことを好き?」と聞かれてあることに気づきました。
「ゲイだっていうことを受け入れられていなかったのは自分だったんだっていうことに気がついて、偏見が自分の中にずっとあったんだなって、母親が認めてくれたときに初めて気がつきましたね。母親が受けとめてくれたことで、ふわーって溶けていったみたいな感じだったかもしれないです」(和希さん)
性的マイノリティーの子どもが自分らしく生きられること。このままでいいんだと思えること。家庭や学校がそうした環境を作ることが大切ではないでしょうか。
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※この記事は2019年7月27日放送 ウワサの保護者会「性的マイノリティーの子どもたち② ~学校生活の悩み」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。