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障害者の地域生活【後編】 地域生活を支える取り組み

記事公開日:2019年05月16日

平成元年にスタートした障害者のグループホーム制度。制度が広がり、障害者の生活の場が入所施設からグループホームへと移行するなかで、さまざまな課題も見えてきました。重い障害がある人の生活をどう支援するのか。地域社会にどう働きかければ理解されるのか。障害者の地域生活を支える取り組みを見ていきます。

広がる制度と新たな課題

平成元年、精神薄弱者地域生活援助事業の名のもとに、国の制度としてスタートしたグループホーム。障害者の生活に明るい変化が見られるようになった一方で、新たな制度には課題もありました。当初、入居できたのは仕事や身の回りのことがある程度できる人に限定されていたのです。元厚生省障害福祉専門官の中澤健さんはこう話します。

画像(元厚生省障害福祉専門官 中澤健さん)

「障害の重い人とか、収入が十分に得られない人とか、当面はそういう人たちは対象にはならないような仕組みになってるんですよね。制度としては未熟な状態で生まざるを得ないので、その未熟な制度を今後、実践を通じて育てていかなきゃいけない」(中澤さん)

そんななか、障害の重い人にも地域で暮らしてもらおうという取り組みが、一部で始まっていきます。

画像(けやきの郷 あかつき寮)

埼玉県川越市の社会福祉法人けやきの郷が運営するグループホーム「あかつき寮」もその1つ。法人の入所施設で暮らしていた重い知的障害を伴う自閉症の人たちのグループホームへの移行を支援してきました。

利用者の多くは言葉でのコミュニケーションが難しく、日常生活を送る上でさまざまな課題があります。そこで大切になるのが、一人一人の課題にあわせた個別の支援です。ある利用者の部屋には、数字のシールが貼ってあるハンガーがありました。

画像(数字のシールが貼ってあるハンガー)

「数字のシールを貼って、番号通りに干していってもらうと、数字が理解できる利用者さんとかは、この通りに干してくれるのでバランスも良く干せますし」(支援者)

このグループホームで暮らし始めて7年になる男性は相撲好き。部屋には相撲の番付表やポスターが貼ってあります。

画像(部屋でスポーツ新聞を見る男性)

男性の日課はスポーツ新聞を書き写すこと。文字や絵に自分だけの世界が込められたノートは、男性にとっての宝物です。

画像(番付表が張ってある男性さんの部屋)

しかし、ノートへの強いこだわりは、日常生活に支障をきたしていました。外出の際、100冊以上持ち歩かないと外に出られなかったのです。そこで支援者が始めたのが、大好きな相撲を使った支援。持ち歩きたいノートの数にあわせ、番付を設定。数が減れば位が上がる仕組みです。

画像(ノート番付を示す紙)

支援者「(番付の)上に行ったら前頭6だよ」
安達さん「23」
支援者「23冊にできる?」
安達さん「できる」
支援者「できたできた。もう1個頑張ったら前頭の5だよ」

7年かけ、持ち運ぶノートは外出に支障の少ない数にまで減りました。
「あかつき寮」を運営するけやきの郷総務課長の内山智裕さんはこう話します。

画像(けやきの郷 総務課長 内山智裕さん)

「自閉症の方の場合は一緒にやってやり方がわかるっていうことを通して、1人でできるようになるので。そこをちゃんと職員が見つけて、できるように一緒に伴走するっていうイメージは持ってます」(内山さん)

現場の実践に後押しされ、平成8年、国は障害の重い人がグループホームで暮らす際に、補助金を上積みする制度を開始しました。しかし、こうした試みは課題も浮き彫りにしました。けやきの郷では本来分散することが望ましいグループホームを近い距離に建てています。

背景にあるのは、障害の重い利用者に欠かせない個別の支援。医療的な支援や24時間の見守りを行うには多くの人手が必要です。けやきの郷では、国の基準よりも2人多く支援者を配置。それでも人手は足りていません。たとえば川を挟むようにホームが点在した場合など、1つ1つのホームが離れていると手厚い支援を続けていくことが難しいと言います。

「職員が倍近く人数がいるようになると思うので、そうなると人件費的には確実に赤ですね。(今の形で)なんとかギリギリで運営ができているっていう感じですね」(内山さん)

さらにグループホームの立地にも課題があります。周囲には民家が少なく、町中での暮らしは実現できていません。もともと、入所施設から始まったけやきの郷。当初は、施設を住宅街の近くに建設する予定でした。しかし、障害者が治安を悪化させると一部の住民が猛反対。周りに人の少ない、現在の場所に建てるしかありませんでした。過去の苦い経験から、グループホームを作る際も町中に建てる決断はできませんでした。

「グループホームの制度ができて、重度の障害がある人も地域で当たり前に暮らせるように大きく前進はしたとは思うんですけども、それでもやはり町に出ればまだ偏見や差別がまったくなくなったわけではないし。まだまだ我々からするとリスクも高いっていう感じで、それはもう本当に彼らの人生とか生活が関わってくるので、お試しでは出せないですよね」(内山さん)

地域福祉への転換と急激に増える需要

障害の軽い人から始まり、徐々に拡大したグループホーム制度。平成14年、国は新しい障害者計画「第2次障害者基本計画」決定のなかで、障害者の地域生活を一層進めることを宣言。「脱施設」を掲げ、入所施設を真に必要なものだけに限定することが計画に盛り込まれました。

これ以降、グループホームに入居する障害者の数は急増。過去10年間で3倍に増加しています。

画像(グループホーム入居者数の推移)

急激に増える需要は、それまでになかった大型のグループホームを生み出しました。岡山県倉敷市の社会福祉法人が運営する「グループホーム住倉」です。

画像(グループホーム住倉)

1つの棟で暮らすのは、法律で許される上限の10人。隣接する8つの棟に現在78人が暮らしています。朝9時、利用者は法人が運営する仕事場へ。職場に着いて、まず受けるのは体温測定。グループホームに常駐する50人以上のスタッフと連携し、利用者の健康に細心の注意を払います。

画像(検温する利用者たち)

午後4時になると、それぞれの仕事を終えた利用者はグループホームへ。外出は自由ですが、町中から離れていることもあり、平日は多くの人が敷地の中で過ごします。社会福祉法人三穂の園理事長の岡良夫さんは、入所施設の建設が限定されるなか、障害者の行き場がなくならないよう、大型のグループホームの整備を急いできました。

画像(社会福祉法人 三穂の園 理事長 岡良夫さん)

「グループホームは絶対的に足らないと思います。入所施設はもう増床しない、ということからもう10年以上経ってると思うんですが、その間に支援学校から毎年毎年、卒業者が出て参られます。じゃあどこで対応するかと。確かに4~5人だったら家族的で良いと思います。でも、大勢の利用者を受け入れるかどうかと。こういうことになると、ある程度合理的なことも考えていかなきゃいけないんじゃないかなと思います。4~5人は理想論だと思います」(岡さん)

2年前、グループホームの敷地内に岡さんたちが作ったものがあります。

画像(敷地内に立つ供養塔)

ここで暮らす利用者が亡くなったときのための、供養塔です。

「親とか親戚とか、引き取り手のない利用者さんが、亡くなられたときにここにお参り差し上げようと思っています。私どものグループホームはどちらかというと施設の延長のようなグループホームじゃないでしょうか? 遺骨を持って帰られない人がここへおられるということです。だから用意だけさせてもらったんです」(岡さん)

“普通の暮らし”に近づくための取り組み

平成と共に生まれたグループホーム。そこで暮らす人の数は、2020年度には施設で暮らす人の数を上回る見込みです。住民の反対運動にあい、町中から離れた場所でグループホームを運営してきた「けやきの郷」では、地域での普通の暮らしに近づけようと行ってきたことがあります。

画像(パレット作りに励む利用者たち)

それは仕事を通じて地域との関わりを作ること。地元企業と協力しながら、資材の運搬などに使うパレット作りに取り組んできました。この日も取引先の企業へ向かいます。集荷や納品には必ず利用者が同行します。

画像(取引先と挨拶する利用者と職員)

「それぞれ皆さんね、個性があってね、『ご苦労さん』って言う人もいるんですよ。初めのうちはちょっとなんてしていいかなって思ったんですけど、最近はごく自然に」(取引先の社長)

地域と関わりながら、いきいきと仕事に取り組む利用者たちについて、内山さんはこう話します。

「生活の場だけが整備されても、人として当たり前の生活はできないですよね。やっぱり、その地域に対して理解や協力を含めて、その地域に向かっての働きかけが同じくらい重要じゃないかなと思います。今はこの地で、この地が地域になるように、っていう思いでやっています」(内山さん)

制度が広がりを見せる一方で、まだ課題がのこるグループホーム。
グループホームに暮らすことだけではなく、「普通の暮らし」へ近づけるための支援が求められています。

※この記事の前編はこちら(『障害者の地域生活【前編】 “普通の暮らし”を求めて』)で読むことができます。

※この記事はハートネットTV 2019年3月5日放送「平成がのこした“宿題” 第7回『障害者の地域生活』」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

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