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がん患者の率直な気持ちを知ってほしい 写真家・幡野広志さんが語る生と死

記事公開日:2019年04月18日

「死に方は、自分の人生にあったものを選ぶべき」
「一分一秒でも生きて!は、患者のことを考えない、励ます側のエゴ」
余命3年の末期がんであることを自身のSNS上で公表した写真家・幡野広志さん(35歳)。その患者としての率直な言葉が、大きな反響を呼んでいます。残される家族への思い、がん患者としての率直な気持ち。かけがえのない時を刻み続ける幡野さんの6か月間に密着しました。

がん患者としての率直な言葉

写真家の幡野広志さんは、2018年1月、余命3年程の末期がんと医師から告げられました。

画像(ラジオ番組に出演中の幡野さん)

「結局がんになって、『余命が何年です』となっても明日死ぬわけじゃないし、1年、2年、3年、4年ってある程度の年数があるわけですよね。その人らしい生き方をするのが本当は正しいと思うんですけど、例えば今、こうラジオに出ていますけど、たぶん僕の親戚からすると『そんなことしてないで家で休んでなさいよ』とか言われちゃう。患者を弱者と捉えて」(幡野さん)

幡野さんは、がん患者がこれまであまり口にすることのなかった思いを言葉にしています。出演したラジオ番組でも、がん患者としての率直な言葉を語り出しました。

「僕が望んだものとは違うことをさせようとする人が、やっぱり多いんですよね。治療にしても、残りの人生の生き方にしても。こうしなさい、ああしなさいってことを言われちゃうので。患者さんが情報を発信していくっていうのは大切かな、って僕は思いますね」(幡野さん)

幡野さんは、がんになったことを自身のSNS上で公表。自分ががんになって初めて気づいたことなどを発信し始めました。

画像(2018年1月10日の幡野さんのブログ)

「余命の話。」

「『頑張って、一分一秒でも長く生きてくれ。』という旨の励ましを頂く」
「同じタイミングで、別々の人から同じお守りを頂いた」
「これを紐解いていくと、この心理は“自分が悲しみたくない”というところに着地する。実は利己的だったりする」
(2018年1月10日のブログより)

患者からはなかなか言い出しにくい、こうした言葉が、大きな反響を呼んでいきました。

安楽死という選択肢が救いに

幡野さんは、東京の近郊に妻と2歳の子ども・優くんと3人で暮らしています。

患っているのは、「多発性骨髄腫」。
全身の骨のなかにある「骨髄」にがん細胞が増殖し、免疫を低下させたり、骨の組織を破壊したりします。病気が見つかった1年前、がんは背骨に転移し、幡野さんは激しい痛みに襲われていました。

「死にてえなって思いましたよ。最初に入院してるときは、足を引きずりながら病院とか通って、日に日に歩くのができなくなって、車いすになって、痛みもつらくてって。だから、死にたいという人の気持ちがよく分かるし、『死んじゃだめだよ』とか『がんばんなよ』とか、正論ですけどね。正論なんだけど、たまんないよなっていつも思いますね。つらかった、つらかったですね」(幡野さん)

幸い入院中に受けた治療がうまくいき、痛みは治まりました。しかし、骨髄はがんに侵されたままで、いつまた全身の骨を蝕み始めるか分かりません。

同じ病気で亡くなった患者は死をどのように迎えたのか。幡野さんは遺族を訪ね、聞いてみました。

画像(遺族から聞いた話を語る幡野さん)

「もう想像を絶する死に方ですよね。つらい。これ、俺も経験するのかっていうのは思ったかな。亡くなる最後は『もう許してくれ』と言ったりするんですって。神様に許しを乞う人もいるし、家族に『もう耐えられない』って言う人もいるし。嫌だなと思いました。死ぬのはしょうがないにしても、この苦しみ方はちょっと、ちょっと厳しいなと思いましたね。これは何とか避けたいっていうのが一番最初に思ったことですね」(幡野さん)

死の迎え方は一様ではないけれど、自分も耐えがたい痛みのなか、最期を迎えるのかもしれない。そう考えていたとき、ある団体の存在が救いになりました。

画像(スイスの団体のWEBサイト)

スイスにあるこの団体では、医師が処方した薬を使って患者が自ら死を選ぶ、いわゆる「自殺ほう助」という形の安楽死を行っています。外国人も受け入れていると知り、幡野さんは会員となることを選びました。

「もし本当につらかったらスイスで安楽死ができるっていう選択肢があった方が、患者としては楽ですよね。それがあるから頑張れるし」(幡野さん)

痛みを和らげたいというだけでなく、幡野さんには、安楽死を望むもうひとつの理由がありました。それは2歳の息子、優くんの存在です。

画像(2018年7月8日の幡野さんのブログ)

「自分の死に方を選ぶ。」

「僕は自分の死を家族の不幸にしてほしくない」
「苦しんでいる姿を家族に見せ家族の後悔につなげてほしくない」
「死に方は、自分の人生にあったものを選ぶべきだ」
(2018年7月8日のブログより)

「いろいろなご遺族の方に会って、多くの方がトラウマのようなものを抱えていたりもするので。そういうものを僕は家族に残したくないかな。できれば楽しい思い出だけ残してあげたい」(幡野さん)

幡野さんにとって死に方を考えることは、残される人たちを思いやることでもあるのです。

死についての対話を重ねて

夏、幡野さんは「安らかで楽な死」をテーマとする対談に招かれました。
壇上に上がったのは、スイスなど海外の安楽死について詳しい、ジャーナリストの宮下洋一さん。終末期医療の現場で働く緩和ケアの専門医、西智弘さんです。

西さんの勤める川崎市立井田病院では、耐えがたい苦痛を抱え、症状が改善する見込みがまったくないという患者に限り、「終末期鎮静」を施しています。薬を使って患者の意識を低下させ、安らかに最期を迎えてもらう方法です。

しかし、それを行うかどうかを見極めるのは、患者ではなく、医師を中心とする医療者です。苦痛と向き合う患者の気持ちは、生と死の狭間で常に揺れています。死にたいと口にしていた人が生きる希望を取り戻すこともあるだけに、判断は容易ではありません。

西さん「緩和ケア医としては、苦痛を取る、なるべくその人が人生を全うできる方法を模索していくっていうのが僕らの仕事なので、こういうふうに下り坂になっていく、そこの過程すらも僕らはポジティブな方向に変える、変えなきゃいけないっていう方法を常に考えているんですよね。だからその追及する方法を、そこでパスって終わらせることによって諦めるのかみたいな葛藤がやっぱりあって」

画像(壇上で発言する幡野さん)

幡野さん「先生が言っていることは先生のゴールなんですよね、医療者としての。医療者の見るゴールと、患者自身が見るゴールと、家族の見るゴールって、全然違うんですよね。そうなったときに、誰のゴールを優先すべきなのかなって思ったときに、僕は患者の立場なので、患者のものだろうと思っちゃうんですよね」

幡野さんは西さんに尋ねます。

幡野さん「いざ施そうとするときに、家族が止めたらどうするんですか?」
西さん「基本的には、家族の了承を得ないことにはできない。日本の場合は」
幡野さん「結局そうなっちゃうんですよね。僕が一番鎮静で問題だと思うのは、患者の意思が保たれないということなんです。要は、医師の裁量だったり、家族の気持ちだったり。患者はたぶんもう、置いてきぼりになってしまうというのが僕は現実だと思うんですよね」

患者の気持ちがなぜ一番に尊重されないのか、不満を感じる幡野さん。一方で会場では、患者に決定権を委ねる安楽死に反対する意見も出ました。海外の現場を取材してきた宮下さんは、日本人にそぐわないのだといいます。

宮下さん「安楽死っていうのはそもそも、個人の明確な意思がないとだめなんですね。日本の場合、個人の明確な意思で死ぬって言える人ってどれだけいるのかなっていったときに、恐らく誰誰さんに迷惑だからとか、息子に迷惑をかけたくないから私は死ぬって言うと思うんですよね。欧米というのは、子どもの頃から個を確立させて生きる教育を受けてきているからなんですけれども、日本の場合って、なかなかそういう生き方ができない」

この日会場からは、患者が自分の意思で死を選ぶことに対し、賛成、反対、さまざまな意見が出ました。

大切な人たちを残して死ぬというのは、どのようなことなのか。幡野さんは、思索を続けています。 この日は、幡野さんの発する言葉にいち早く注目し、エールを送り続けてきたコピーライターの糸井重里さん(70歳)と語り合いました。

幡野さん「僕、病気になってからいろいろな人と会うんですけど、病気になってから会って仲良くなった人って、みんないい人なんですよ。距離感がうまい、いい人たちなんですよ。たまにふと僕死んだあと悲しませるよな、って思ったりするんです。今、悲しみの種をまいているような気がしちゃって、それがちょっと、申し訳なさと、居心地の悪さとがあって」

画像(語り合う糸井さんと幡野さん)

糸井さん「それはね、手を振ればいいのよ。みんなが悲しんでいるのを、手を振っていればいいのよ。つまり、悲しむことまで含めてが関係だから。息子さんとの写真を見ていると、ひっきりなしに手を振っているような気がして。(息子さんと)嬉しい顔で会いたいしっていうのを(幡野さんが)相当、意識しているから。でもお父さんが考え事をして悲しそうにしていたときがあったっていうのも、すごい貴重な思い出だと思うから。全部OKだと思うんですよね」

がんになって、分かったこと

2018年11月。幡野さんは東京・銀座で個展を開きました。集めたのは息子、優くんの写真ばかり、35点。それは、がんになる前と後、心の軌跡をたどるものでした。

とくに思い出深いものは?と尋ねると、幡野さんは迷わず一枚の写真を指さしました。

画像(幡野さんにとってとくに思い出深い写真)

「この写真を撮った3日くらい前に、がんがあることが分かって、撮っているときに、二人が僕がいない世界で生きているようにすごく感じて。撮っているとき悲しかったんですよね。この写真を見て思い返す感情って、『申し訳ない』ですね」

そのときから心境が変わったといいます。

「今は、申し訳なさとかはあんまり感じなくなりましたね。気持ち的にもね、すごく明るくなったと思うので、最初に比べれば」(幡野さん)

幡野さんは、がんになって気づくようになった様々なことと向き合っています。そうした気づきを糧にしながら、幡野さんはかけがえのない時を刻んでいます。

※この記事はハートネットTV 2018年12月27日放送「がんになって分かったこと~写真家 幡野広志 35歳~」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

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