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特別養子縁組・里親入門 後編 里親家庭で“絆”を育む

記事公開日:2019年04月03日

日本では、親と暮らすことのできない子どもがおよそ4万5千人います。2016年に行われた児童福祉法改正では、《家庭養育優先原則》が明確に打ち出されました。そのため、こうした子どもたちには「特別養子縁組」や「里親」といった家庭を基盤とする養育が優先されることになりました。後編では、実際に里親をしている家庭を見ながら、“里親の役割”や“里親にできること”を専門家とともに考えます。

里親・青葉夫妻と健太さんの場合

18歳まで里親の家で暮らし、大人になった当事者を訪ねました。

画像(中山健太さん(30))

中山健太さん(30)です。幼い頃からの夢を叶え、東京で大工として働いています。

「楽しいですね。やっぱり仕事は。少しずつ親方にも任せてもらえるようになったので、それが一番です」(中山さん)

仕事帰りに、度々立ち寄る場所があります。

取材者「気が向いたら行くの?何かあったら行くの?」
健太さん「何かなくても行きますよね。『あそこに行けばどうにかなる』っていう」

健太さん「ただいま~」

訪れた先は、かつて暮らした里親の家。

青葉紘宇(こうう)さんと妻のやよいさん。この日は、健太さんの好物を用意して待っていました。

画像(料理をするやよいさん)
画像(食卓を囲む健太さんと青葉夫妻)

やよいさん「は~い。できましたよ。しょうが焼きですよ~」
健太さん「うん。俺、丼ぶりがいい」
紘宇さん「あれじゃね~か、“牛丼”になっちゃうじゃないかよ」
健太さん「は~?なんでしょうが焼きが“牛丼”になるんだよ」
紘宇さん「“豚丼”になっちゃうじゃないか」
健太さん「俺がつっこんでんじゃないよ。親父が変なことばっかり言うから」
紘宇さん「早く飯食え!飯食うと絡まなくなるんだよ、お前。とにかくおめえは腹に入れなきゃダメなんだよ」
やよいさん「あなた様の好きな大根のおみおつけよ~!」
健太さん「はい。あ~、ありがとうございます」
みんな「はい、いただきま~す!」
健太さん「は~、あったまる」

10代の7年間を青葉夫妻とともに暮らした健太さん。ひとり立ちした後も、こうやって“家族”としての時間をともに過ごしています。

「青葉家は自分にとって“帰る場所”。『帰りたい』と思ったら帰る。嫌なことがあったら、文句言いにくるし、電話もするし」(健太さん)

“家族”になるまでの険しい道のり

いまは仲睦まじい健太さんと里親・青葉夫妻が、お互いを“家族”と呼べるようになるまでには、険しい道のりがありました。

画像(健太さんと実の両親)

健太さんは1998年に中山家の長男として生まれました。大工だった父親・守利さんと母親・純代さん。しかし、健太さんには“両親の記憶”がほとんどありません。

「“親”っていうのは、写真でしか知らないので。あんまりイメージが湧かないんですよね。母親もなんか特にそう」(健太さん)

母・純代さんは、健太さんが4歳の時に自宅で起きた火事で亡くなりました。

「“悲しいこと”は覚えていますよ。お母さんが亡くなったアパート。現場風景は覚えているんですよ。(火事の炎で)お玉とかがこうひねくれて、『こんなんになっちゃうんだ…』っていうのは断片的に覚えています」(健太さん)

父・守利さんの姿について、おぼろげに記憶していることがあります。

「お母さんが死んでからの“親父の記憶”っていうと、布団に俺が入って寝てて。で、障子か何かちょっと開いてて。仏壇みたいなのが置かれていて、母親の位はいが置いてあって。親父がお酒飲んで『なんで死んじゃったんだよ』みたいな印象しかなくて」(健太さん)

母親の死から2年後。あとを追うように、父親も亡くなりました。
ひとり残された健太さんは、親戚の家や児童養護施設を転々とする生活を余儀なくされます。

当時、健太さんが描いた絵が残されています。

「おこりんぼうおにをたいじするよ!」

画像(健太さんが子どもの頃に描いた絵)

「イライラはしていましたよね、常に。環境変わるし。わけ分からないし。大人は信用できないし。味方はいね~し。『施設から来ている』とか『親がいない』とかっていう目で見るというか。軽蔑された目というか。そういう風に扱われることが多かったんで、『なんだこいつら』っていうのはあったし。余計やっぱそれで“大人との関係”というのは、まずちゃんと作れないですよね。“信用できる存在”でも何でもないから。腹を割って話せないというか」(健太さん)

画像(青葉一家と健太さん)

そんな健太さんを迎え入れたのが、里親の青葉夫妻でした。健太さんは、小学校5年生(10歳)になっていました。

「ちっちゃくて、かわいくて。“いい子ちゃん”だった」(やよいさん)
「すごくかわいくて、いい子で。全然問題ない。『これならいけるよ』って。(施設の)園長に『大丈夫だよ』って言って」(紘宇さん)

しかし、青葉家に来て一か月が経った頃、次第に“別の顔”を見せ始めます。

画像(青葉やよいさん)

「一番そばにいて面倒みてくれる人を馬鹿にするみたいなような。こき使うみたいな感じで。『私、あんたの女中じゃないよ』っていう感じなんですね。例えば洗濯物なんか、ジーパンとか毎日洗わなくたっていいでしょ。『だから、洗わなくたっていいよ』って戻すとまた出してきて変なところへ置いとくとかね。そういう態度をとっておきながら、お父さんとかおじいちゃんになると全然すり寄って。コロッと態度変えて“いい子”になったりとか」(やよいさん)

画像(青葉紘宇さん)

「私はだからそれを感じない。私の前で“いい子”だから。(妻が)『悩んでいる』っていうことが分からなかった」(紘宇さん)

「こっちが『違うよ』って言いつけるとね、いかにも大人げないでしょ。だから、こっちが言わないと、いい気になってお父さんなんかのところへ行ってすり寄って行ったり。そういうの見るから、余計、ムカつくでしょ。かわいそうな子だから一生懸命、それこそ私の懐のところへおいでみたいな感じで。こっちとしてみれば、『せっかくのこっちの気持ちを』っていう感じですよね」(やよいさん)

健太さんは、子どもの頃、里親・青葉夫妻をどう見ていたのでしょうか。

「うん。あんまり顔を見ていないんじゃないですか。人の顔を。顔は見ているんですけど、“顔色”しか多分見ていないんですね。“顔色”はよくうかがいますよね。なんか、結局その場に馴染もうとするから。『あ、こいつ怒っている』みたいなのを見て、『あ、ちょっと、自分を変えなきゃ』とか」(健太さん)

健太さんの世話を焼こうとする、やよいさんとの“距離感”にも戸惑っていました。

「『よくなんか絡んでくるな』っていう感じですよね。本当は心配と言うか、目をかけられているはずなのに、『余計なおせっかい』というか。親じゃねえし、何かよく分からねえし。ぐいぐい来てくれる人だったので、『なんで、こんな近いの?』っていうのはあって。正直迷惑というか。自分の“出し方”も分かんないのに、なんかすごい来るから、何ていうか困りましたよね」(健太さん)

青葉家に来て2年。健太さんは地元の中学校に進学することになりました。しかし、素行は悪化するばかりでした。健太さんは当時の「心のあり様」を振り返り、次のように語っています。

画像(健太さんと紘宇さん)

「中学は『心ここにあらず』じゃないんですか。何でも本気でやらない。『本気でやったって、またどうせ環境変わるだろう』みたいなのがあったので。別に青葉さんたちを“親”とも認識してないですし。別に『人と関わりたい』っていうのがないんですよね。『また変わるし』みたいな。“友達”を“友達”と思っていないんじゃないですか。だから、自分の味方がいない。自分の味方だったはずの人も、自分からこう追っ払っちゃうじゃないですけど。俺は面倒くさかったですよね。『なんだよ、こいつ。関わってくるなよ』。もう、それさえも面倒くさかったんでしょうね」(健太さん)

人との交わりを一切拒絶するようになった健太さん。次第に、一人で街を徘徊するようになっていきます。青葉夫妻は、健太さんを育てることに限界を感じるようになっていました。

「お金を持ち出したりとかしたこともあったね。お金を持ち出さないようにしたら、今度、切手なんかも持ち出したりして。『うちじゃみられないわ』っていう感じ、『こんな子と離れたいわ』って思っちゃった」(やよいさん)

中学3年生の春。健太さんは、ついに児童相談所の判断で、青葉家への里親委託を解除されることになり、再び施設に行くことが決まりました。

「決まった瞬間はね、『これで離れられるからせいせいするか』と思ったんですよ。『こんなとんでもない子で、何ももともと関係ないのだから、せいせいして。どうなったって知らない』って思うかと思ったんですけど。だけど何だろう。彼、いつも『大人は誰も信用できない』って言ってたから。私たちがどういうっていうんじゃないけど『ここで見放したら、本当に一生誰も信じられなくなっちゃうんじゃないか』と思って、そんなになったら、『私たちのせいじゃないけど、でも、大変なことだ』と思ったんですよね。初めて『かわいそう』とか『かわいい』とかっていう気持ちになったんですね」(やよいさん)

画像(健太さんとやよいさんの写真)

施設に入所する日。“別れ際”に健太さんのつぶやいた言葉が、突き刺さりました。

「『俺、青葉の家にいてもよかったのかな…』ってぼそっと言ったんですね。そこで初めて『つながったのかな』って感じがしたんですよね」(やよいさん)

健太さんを“変えた”やよいさんの手紙

何とも言えない思いに駆られたやよいさんは、健太さんに宛てて手紙を書くことにしました。

「一番“自分の気持ち”を伝えられるのって手紙で。もう何ていうか、『この手紙に込めて!』っていう感じでやったんです」(やよいさん)

画像(手紙を書くやよいさん)
画像(やよいさんからの手紙)

「お元気のご様子何よりです。また、“必死”にお勉強しているとのこと、更に更に何よりです。あなたはもともとバカではないのですから、怠けたり横着したりしなければ、ちゃんとできるはずです。『他人を恨まず羨まず自分を見捨てず』よ。な~んて偉そうなこと言っちゃったけど、でもガンバレヨ!」(やよいさんの手紙)

しかし、手紙を受け取った健太さんはというと…。

「何も響いていないと思いますよ。『なんでこの人、ここまでしてくれるの?』っていう。“赤の他人”じゃないですか。だから、それが疑問でしょうがなかったですよね」(健太さん)

やよいさんは、一か月に一度手紙を送るようになりました。一通一通に健太さんを励まし、元気づける言葉を散りばめました。

「前略、お返事遅くなってしまい、ゴメンナサイ。でも、ケンタ。あなた頑張っているね、やるじゃない。もう“省エネタイプ”は終わりネ。『市民駅伝』というと、他の“市民の皆さん”も出たの。その中で2人抜きをし、4位から2位に上げたのは偉いヨ。一緒にいた時は正直言ってあまり心が通い合っていない時もあったでしょ。でも、今、頑張っているあなたの報告に接する度に、本当に嬉しく思います(面と向かって言うのは恥ずかしい)」(やよいさんの手紙を朗読する健太さん)

「これは自分で自慢したかったのもあるので。それが伝わって、伝わったことと。それをほめられていることと。あと、当時を振り返って『心が通っていなかった』というのは、やっぱりおかんも言っているから。やっぱりそうだったんだなと。『しょうがねえな』と思いつつ、でも、やっぱり嬉しいですよね」(健太さん)

画像(微笑む健太さん)

毎月必ず届く手紙。健太さんも、次第に心待ちにするようになっていきました。

「合格、卒業おめでとう!ところで卒業式、出席させていただきたいのですが、どうしても用があって出られないのです、ほんとにゴメンネ。でも、決して『面倒くさいから』とか、『あんな“わからんちん”どうでもいいや』などとは思っていませんから、心配しないでネ。見捨てたわけではないよ。これからまたいろいろな事があるでしょうけど、後ろ向きにならないで頑張ってネ。辛い時は“麦踏み”を思い出してネ。それではまた」(やよいさんの手紙)

「今、読み返すとですね、ちょっとこう、ホロッときちゃいますね…」(健太さん)

健太さんの中で、常に自分を見守ってくれるやよいさんは、“特別な存在”へと変わっていきました。

画像(やよいさんから届いた手紙の数々)

「どれ一つないと多分、“俺のパズル”にはまらないと思うし。『これ、一つ一つが自分なのかな』って。『表面上で』とかじゃなくて、ちゃんと『中山健太』として見てくれる人」(健太さん)

手紙を送るようになって一年。ある日、やよいさんのもとに、小包が届きました。送り主は、健太さん。修学旅行のお土産でした。

お土産の湯飲みには、『いつもきれいな“おかあさん” ガンバッテ!』との文字が刻まれていました。

画像(健太さんからやよいさんに届いた湯飲み)

「彼のメッセージかなと思ったんですね。すごいジーンときちゃったんですよね。なんか『少しは通じてたのかな』って感じでね。『ほんとに買ってあげたい』って思う人が、自分の心の中にできたっていうことじゃないかなと思って、それが嬉しかったですね。よくこんなの選んだなぁってね。もう割っちゃったら大変だと思って、もうずっと大事にしまってあるんです」(やよいさん)

画像(湯飲みを持つやよいさん)

「う~ん。まあ、多分、“お母さん”? これを渡したときは自分の中で“お母さん”だと思ったんでしょうね、多分。それは呼びたいでしょうね。だって施設にいたら“お母さん”いねえし。“お父さん”もいねえし。“お兄さん”、“お姉さん”と呼ばなきゃいけないですけど。『自分が多分こう思いたかった』というのがお土産として渡したかったのかもしれませんね」(健太さん)

高校一年生の春。健太さんは再び、里親・青葉夫妻とともに暮らすことになりました。

「変わりましたね、逆に意識しないで普通に接することができたみたいな感じですね。それこそ普通の親子だったら、そんな特別意識なんかしないでしょ。ああいう感じになったんです」(やよいさん)

その後、青葉夫妻は30人以上の子どもを受け入れてきました。

画像(青葉さん夫婦と健太さん)

「特別になんかしてあげようじゃなくて、ごくごく普通の家庭的なことをみんな案外知らないと思うんですね。だから普通に家庭生活していて起きるようなことが逆にみんな嬉しいみたいなんですね。彼が一番初めに来たときはむしろ一生懸命考えて、『こうしなきゃいけない』とか『こうしてあげよう』とか思ってたから、逆にそれが彼にとってはあんまり嬉しいことじゃなかったのかなと思うんですね。普通に“家庭生活”していれば、それが一番良いかなって感じですね」(やよいさん)

「一生懸命やらないほうがいいみたい」(紘宇さん)

「こっちも疲れちゃう。うん。結局空回りしてね。悪循環になるから」(やよいさん)

「お互い無理せずありのままを受け止めるというか。『ありのままでいいんだよ』っていうスタンスが俺は出してくれたら嬉しいのかなって思いますね。なんかやらかしても『あっ。これでもいいんだ、俺』っていう環境だったらホっとするのかなって思うんで」(健太さん)

里親にできることは

青葉夫妻が担っている「里親」とは、子どもに家庭を保障する制度の一つ。児童福祉法に基づき、実の親と暮らせない子どもを一時的に養育する制度です。対象となるのは、原則18歳までの子ども。里親と子どもの間には、法律的な親子関係はありません。里親には、毎月、里親手当や養育費などが支給されます。

画像(里親制度の内容)

しかし、現在の里親委託率(親と暮らせない子どもが里親に委託される割合)はわずか18%。早稲田大学人間科学学術院・教授の上鹿渡和宏さん(児童精神科医)によると、国はこうした現状を変えようしています。

画像(早稲田大学人間科学学術院・教授 児童精神科医 上鹿渡和宏さん)

「2017年に公表された『新しい社会的養育ビジョン』のなかで、国は里親養育の支援を充実させながら、“里親委託率”を今よりも向上させようとしています。具体的な目標としましては、就学前の子どもでおおむね7年以内に75%以上。そして就学後の子どもに関してもおおむね10年以内に50%以上。現在の3倍から4倍ぐらいの里親委託というものに変えていこうということで、今、自治体でも動きがどんどん出てきているところです」(上鹿渡さん)

画像(新しい社会的養育ビジョン(2017年))

上鹿渡さんによると、《里親家庭》が《施設》と大きく異なるのは、「家庭での当たり前の関係や経験ができること」だと言います。

健太さんと青葉夫妻も、最初はうまくいかなかったものの、“手紙”というちょうどよい距離感のやり取りを入口に“絆”を育み、次第に深い信頼関係を築いていくことができました。

里親家庭に託される子どもたちはさまざまな経験をしています。

画像(里親に託された子どもたち)

〇実の親や家族から分離されている
〇慣れ親しんだ環境から遠ざけられている
〇虐待や強いストレスなどを経験している
〇未来が不確定なまま

このような状況に置かれている子どもたちに対して、『里親にできること』は何なのでしょうか。里親経験17年のベテランで、静岡市里親会・会長の眞保和彦さんは、こう答えます。

画像(静岡市里親会・会長 里親経験17年のベテラン 眞保和彦さん)

「さまざまな子どもがいます。これまで育ててきた子どもたち、我が家で育ってきた子どもたちのなかには、虐待を受けた子どもや“生みの親”を知らない子ども。それから、経済的に厳しい状況のなかで、ほとんどネグレクト(育児放棄)の状態、あるいは身体的虐待を受けた子どもたちもいました。里親さんはまずその子どもたちを受け止めて、そして、子どもたちが自分の力で伸びていくことを信じて待ってあげることかなと思っています」(眞保さん)

普通の家庭が持つ“子どもを育む力”は、傷ついた子どもたちを癒し、着実に変えていきます。里親養育の可能性は広がりを見せています。

※この記事は福祉ビデオシリーズ『新しい絆の作り方 特別養子縁組・里親入門』(NHK厚生文化事業団・制作)「第2巻・里親家庭で“絆”を育む」を基に作成しました。

NHK厚生文化事業団では、福祉ビデオシリーズ『新しい絆の作り方 特別養子縁組・里親入門』(DVD全2巻)を無償で貸し出ししています。(送料のみご負担)

お問い合わせ NHK厚生文化事業団「福祉ビデオライブラリー係」
電話:03-3476-5955(平日午前10時から午後6時まで)
ホームページ: https://www.npwo.or.jp/video/13172(NHKサイトを離れます)

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