日本では、親と暮らすことのできない子どもがおよそ4万5千人います。2016年に行われた児童福祉法改正では、《家庭養育優先原則》が明確に打ち出されました。そのため、こうした子どもたちには「特別養子縁組」や「里親」といった家庭を基盤とする養育が優先されることになりました。全国的に先駆けて、新生児の特別養子縁組、“赤ちゃん縁組”を行ってきた愛知県児童相談所の取り組みを通して、専門家とともに子どもたちへの支援のあり方を考えていきます。
日本では、親との死別、虐待や貧困などの理由で親と暮らすことができない子どもの数はおよそ4万5千人。現在はその8割が施設で暮らしています。一方、欧米はその逆で、家庭で暮らす子どもが約8割、施設で暮らす子どもが2割程度となっています。こうした日本の現状を変えていこうと、国は2016年に児童福祉法を大幅に改正しました。
今回の改正の大きなポイントの一つは、《家庭養育優先原則》にあると早稲田大学人間科学学術院・教授の上鹿渡和宏さん(児童精神科医)は話します。
「子どもの権利と《家庭養育優先原則》というものを明確に打ち出したことです。子どもというのは生まれた家、家庭で暮らし続けることが第一なわけですけれども、それが難しい場合には『里親』や『特別養子縁組』といった家庭での養育を優先するということになります」(上鹿渡さん)
「特別養子縁組」とは、子どもの福祉を目的とした民法の制度。対象となるのは原則6歳未満の子どもですが、国は現在、原則15歳未満の子どもに引き上げる方向で検討を進めています(2019年4月現在)。家庭裁判所の審判が確定すれば、実の親子と同様の親族関係が生じます。
国が公表した『新しい社会的養育ビジョン』の検討会の構成員も務めた上鹿渡さんによると、国はいまこの特別養子縁組に力を入れてきていると言います。
「2017年に公表された『新しい社会的養育ビジョン』のなかで、特別養子縁組を5年以内に年間1,000件以上にまで増やしていくということが言われています。これは現在の2倍の数になります。社会的にも非常に注目されていると思います」(上鹿渡さん)
特別養子縁組とは、一体、どのようなものなのでしょうか。
愛知県の渡辺さん一家は、力(つとむ)さん・智美さん夫婦と5歳の長女、2歳の長男の4人家族。実は、家族全員血がつながっていません。2人の子どもは、新生児からの特別養子縁組、“赤ちゃん縁組”によって夫婦のもとに迎えられました。
渡辺夫妻は、2008年に結婚。子どもを望んでいましたが、なかなか授からず、4年にわたる不妊治療を経験します。
しかし、働いていた智美さんにとって、治療は肉体的にも精神的にもつらいものでした。「もうやめよう」と考え始めた頃、特別養子縁組の制度を知りました。
「こういう方法で子どもを持つことができるんだ、育てることができるんだということが分かったので。そこらへんから、夫婦でよく話し合ったんだよね。『子どもを産む』って何だろうとか、『子どもを育てる』って何だろうみたいな」(智美さん)
「『子どもがほしい』っていうよりは、『子育てがしたい』っていうことが、お互いに『あぁ、そう思ってるんだなぁ』っていうのが、確認し合えたっていうのもあって」(力さん)
渡辺夫妻が相談したのは愛知県の児童相談所。この児童相談所では、30年以上前から全国に先駆けて、新生児の特別養子縁組、“赤ちゃん縁組”に取り組んできました。縁組を希望する夫婦のための説明会や研修、委託後のサポートまで一貫して手がけ、これまでに200組を超える“新しい家族”が誕生しています。
多くの児童相談所が行う特別養子縁組の場合、赤ちゃんはまず乳児院に入所し、その後、“育ての親”へと託されます。
しかし、『愛知方式』の場合、“生みの親”が縁組に託す意思表示をすると子どもは乳児院を経ずに“育ての親”へと託されます。
里親等相談支援員の柴田千香さんは、『愛知方式』のメリットをこう説明します。
「赤ちゃんの養子縁組の場合には、多くの女性が『育てられない』という事情を持ってご相談におみえです。なので『もう育てられない』ということであれば、『少しでも早く育ててくださる方につなげたほうがいいな』と。出産は違うお母さんのお腹から生まれますけれども、すぐ新しいお母さん・お父さんに大事に迎えられるというところで、“愛着の問題”も、早く愛着関係が作りやすいということもあります。養親さんも赤ちゃんもみんなプラスになる、というところで“赤ちゃん縁組”を取り組ませていただいています」(柴田さん)
愛知県では“赤ちゃん縁組”を希望する夫婦に厳しい心構えを求めています。
愛知県の特別養子縁組の「確認書」
子どもの「性別、障害や病気の有無」を選ぶことはできません。また、裁判所の審判が確定する前に「実親の同意が翻った場合」、子どもは返さなければなりません。
この“赤ちゃん縁組”の心構えについて、渡辺夫妻は肯定的に受け止めました。
「自分たちの子でもどうにもならないことを人様に求めるのはどうなのかなと。性別だとか障害だとか男女だとかというところに何か言うつもりは一切なかった」(智美さん)
渡辺夫妻は、児童相談所が行う研修にも参加しました。乳児院を訪れた際の子どもたちの姿が、強く印象に残ったと言います。
「(子どもたちが)みんなウワッーと寄ってきてくれて。私の体が1つなのに5人も6人も私の膝のなかに入りたがるという経験をしたんです。私の目には一対一での親の愛情をほしがっているだろう子どもたちを『何とかしなければ』っていう気持ちになったんです」(智美さん)
渡辺夫妻が1人目の子どもとなる長女を迎えたのは2013年12月。
夫妻は、児童相談所から「もうすぐ生まれそうな子どもがいる」との知らせを受けていました。赤ちゃんの性別は分からないため、どちらでもいいように黄色の産着を用意して待っていました。
出産に臨もうとしているのは、若い女性。子どもを育てる環境が整わず、“赤ちゃん縁組”を選択肢の1つとして考えていました。
夫婦は神棚にあったお守りに、出産の無事を祈っていました。
「“お母さん”も元気に生んでくれるようにということで。これに手を合わせてお祈りしてるよね。毎日のように」(力さん)
12月11日の朝。赤ちゃんが生まれました。
渡辺夫妻は赤ちゃんとの面会に備え、自宅で待機していました。けれども、児童相談所からの連絡がなかなかありません。
力さん「早く会いたいなと思うよね」
智美さん「そうだよね。早く会いたいね。明日かな。明日には会えるといいなぁ。早く顔が見たいね」
力さん「そうだね」
ようやくきた児童相談所からの連絡は、出産した母親が「我が子を縁組に出すべきか、迷っている」というものでした。
智美さん「(母親が)迷っているからこそ、“初乳”はあげてないけど、(赤ちゃんと)会ってるんだって。面会はしている。面会はしているけど、『本当に自分が育てていけるのか』っていうのがあって。やっぱり(児童相談所は)お母さんの気持ちが優先だから、『育てたい』っていうのだったら、それを行政的にバックアップしていくってこと」
力さん「分かりました…」
智美さん「長いな、まだ。うん」
力さん「長いけど、“お母さんの苦しみ”に比べれば…」
智美さん「まあ、そりゃそうだ。生んだお母さんには、短期間の間に“一生のこと”を決めなくちゃいけないからそりゃあ、大変だわ」
出産から3日後。児童相談所の職員が、母親の意思を確認するため、再び病院を訪ねました。母親自身が「本当はどうしたいのか」、「赤ちゃんに対してどんな思いでいるのか」、じっくりと耳を傾けました。
里親等相談支援員の柴田さんは、その状況を次のように説明します。
「愛知の場合は最終的な“同意”の確認はお母さんが出産後、落ち着いてから、お母さんの方に再度確認をするようにしています。彼女の場合には出産中から気持ちが少し、『やっぱり育てたいんだ』みたいなところがよぎるようになっていた。今までは、たぶん思ってはいたけれども『自分にはできないんだ』というふうなところで、『養子として託したいんだ』というところを伝えてくれていたのだと思いますけど。そこでちょっと『やっぱり育ててみたいな』という思いも口にするといったほうがいいのかな。気持ちが揺らいだ…」(柴田さん)
母親の気持ちを細やかに確認するのには、理由があります。
「揺れているまま、“新しいお父さん・お母さん”に赤ちゃんに会ってもらってしまうと、(実母が)もう後に引けなくなってしまいますし。きちんと親御さんの気持ちが固まって『養親としてお願いしたい』のであればお願いするし、そうでなければ『選択肢はいくつかあるんだよ』という話は、こちらからもさせていただいています。ただ、お母さんのなかに『乳児院に預ける』という選択肢はなかったと思います。常に赤ちゃんのことを『赤ちゃんにとって一番いい方法を選んでください』というふうに言っている実母さんだったので。なので、私たちが乳児院という選択肢を伝えても、『乳児院という選択肢は、私にはありません』というふうに言っていました。なので、『養子として託すのか』、或いは、『自分がいろいろな生活環境を変えて育てるのか』、どちらかだというところで悩んでいたと思います」(柴田さん)
女性は赤ちゃんを「育てたい気持ち」と現実との狭間で3日間悩み抜いた末、最終的に養子縁組に託すことを決めました。
12月16日。渡辺夫妻は、赤ちゃんと対面するため、病院を訪れました。
智美さん「緊張する。あ~、来た来た来た。来ました!」
看護師「初めまして~」
智美さん「うわ~、小さい。初めましてだね」
長女「おぎゃ~」
智美さん「泣けちゃうね」
「我が子と初めて会った日の映像」を、渡辺夫妻は繰り返し娘に見せてきました。
「初めて会った日」の映像を見る智美さんと娘
智美さん「(赤ちゃんが)泣いとる!何回見てもいいやつだね。ほら、見てみい。ちっちゃい」
夫妻は、長女を迎えたときの心境をこう振り返ります。
「やっと連絡を受けていけるとなっても、なんかこう地に足がつかないというか。そういうなかでこの子が入ってきて、すごく可愛くて。ちょっとびっくりして。いろいろな赤ちゃんがいると思うのですけれども。すごく可愛くてびっくりして。そうね、すごく嬉しかった」(力さん)
「(実母が)『手放したくない』というか、『自分で育てたい』という思いをするのはごく自然ことだと思うので。そういうふうに思ってくれたことが、少しこうちょっと矛盾するんですけども、『嬉しい気持ち』も私のなかにあったんです。娘にとってはもちろんでしょうけど。私たちにとっても複雑ですけど、なんか『残念のようで嬉しい』というか。『嬉しいようで残念』というか。なんか“遠いところにいる家族”みたいな存在というか。そんな気持ちですかね。彼女がいなければ、娘もいなかった、私たちもなかった。“私たちのこの家族の形”もなかったという、今でも思いますね」(智美さん)
長女と出会った3年後。夫妻は、長男を“赤ちゃん縁組”で迎えました。娘に「同じ境遇の兄弟を作ってあげたい」と考えたためです。
一日一日。かけがえのない時間を重ね、“家族”になっていきました。
「私たちだけの子ではないというか、生みの人の思いも持った“特別な子”というか、もっと大きくいうと“社会の子”というか。私たちの所有物ではない子。社会の人に対しても恥ずかしくないような育て方をしなければいけない子なんだなあと思わせられる子どもですね」(智美さん)
渡辺夫妻が長女と長男に出会ったこの“赤ちゃん縁組”は、どのような経緯で始まったのでしょうか。愛知県児童相談所の元センター長で、現在はNPO法人CAPNA・理事長の萬屋育子さんにお話を伺いました。
「赤ちゃん縁組を始めたのは、特別養子縁組の法律ができる前です。1976年に愛知県の産婦人科医会が『赤ちゃん縁組無料相談』というのを始めていて、全国から妊娠出産、“予期せぬ妊娠・出産”で悩んでいる方と、それから育てたい方をつないでいたんですね。児童相談所のある職員がその手法を学びに行って、愛知県の児童相談所で始めたっていうのが最初のきっかけです。それが少しずつ広がっていった。時間をかけてみんなができるようなマニュアル作りをしてきたというところです」(萬屋さん)
そして、赤ちゃん縁組のメリットの一つは、“子どもの虐待死”を防げることだと言います。
「今、虐待で死亡する子どもの年齢は『0歳0か月0日が一番多い』と言われていますけれども、それに対してこの赤ちゃん縁組っていう手法はですね、“虐待死”を防ぐ1つの手法ではないかと思っています。また、生まれてすぐから、育ての親のところで育ちますので、親子の関係がスムーズにできやすいと思います」(萬屋さん)
愛知県の場合、“育ての親”を希望する方々には、どういったことを伝えているのでしょうか。
「まずこの制度は、親に恵まれない子どものための制度。子どもがほしい夫婦のための制度ではなくて、子どものための幸せ、子どもの幸せを願っての制度だということです。それから、『親子になる』、『家族になる』っていうことの覚悟をしてほしい。親の側から離縁の申し立てはできない制度ですので、『家族になる強い覚悟』を持ってほしいと思っています。そして、養子に出す親の側にはいろいろな事情があります。“予期せぬ妊娠”をした10代で未婚の方もみえます。現役の中学生、高校生が産んだ赤ちゃんもいます。それから、精神障害あるいは知的障害で“予期しない妊娠”をした方もみえます。そして、辛いことですけれども性被害を受けて妊娠をしたということもあります。そういうことについて、育てる側は事情を飲みこんでほしい、理解してほしいということを伝えています」(萬屋さん)
愛知県では赤ちゃん縁組を希望する人に、次の条件を説明しています。
〇性別・障害・病気の有無を選べない
〇家庭裁判所の審判が確定する前に実親が翻意した場合、子どもを返すこともある
〇“真実告知”を行う
これらの条件は、どのような意図で作られたのでしょうか。
「赤ちゃんですので、やっぱり生まれてみないと分からないですし、そこで分かる病気、障害っていうのは少ないと思いますので、そういうことは『選べませんよ』ということを説明しています。2つ目の実親が翻意した場合ですが、『6か月間の試験養育期間』っていうのが特別養子縁組の場合必要なのですが、その間に生みの親が『子どもを育てたい』と言い出す場合があります。『育てたい』って言い出した場合、いったんは話し合うっていうことで、もしどうしても生みの親が『育てたい。養子に出したくない』って言った場合には『子どもを返すっていうことも起きてくる』っていうことを承知していてほしいと、育ての親、育てたい方たちに伝えています」(萬屋さん)
最後にもう1つ、忘れてはならないことがあります。
「それから、子どもに血のつながりがないことを伝える“真実告知”なんですけれども、“赤ちゃん縁組”の場合ですね。生まれてすぐから育てている場合、生んでないんですけれども、生んでないことを忘れてしまう。自分が生んだような気持ちになってしまうことが多くみられます。けれども、『“真実告知”は必要です』ということで、条件の1つに入れています」(萬屋さん)
子どもの一生を決める大事なことだからこそ、“生みの親”も“育ての親”も、熟慮と覚悟が求められるのです。
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