東日本大震災から8年が経ちました。被災者の仮設住宅から復興住宅への移住は、ようやく終わりに近づきつつあります。元々住んでいた土地を失い、仮設住宅での支え合いの日々を経て、また新たな生活の場に移り住んだ人々。彼らが今直面しているのが、新たなコミュニティー作りの難しさです。
そんな中、去年、宮城県石巻市に誕生した「共助型復興住宅」が注目を集めてきました。住人同士が助け合いながら、ともに暮らすことを目指す住宅とは、どんなものなのでしょうか。
震災で家を失った被災者が数多く移住し、再開発が進む宮城県石巻市の新蛇田地区。真新しい再建住宅と、背の高いマンション型復興住宅が土地を埋め尽くす中、平屋で開放的な作りが特徴的な集合住宅があります。
2018年1月に完成した“共助型”という、住人同士の交流と助け合いに特化した復興住宅です。
部屋数は1号棟と2号棟合わせて30戸。共同玄関で靴を脱ぎ、廊下を歩くと入居者の部屋の扉が並んでいます。共有キッチンも備える広い多目的スペースがあり、入居者は自由に利用可能。寮やシェアハウスに近い設計になっています。自室以外が共有スペースになっていることで、住人同士が顔を合わせる機会が多く、会話が生まれやすい環境です。また、住人の多くを占める高齢者にとって、常に誰かの生活感を感じられることが安心感につながっていると言います。
左:広々とした共同玄関、右:廊下に面して各居室があり、住民は交流しやすい
この共助型復興住宅は、市と県内の大学、医師などの専門家チームが話し合って設計をしたものです。入居者、特に単身高齢者の孤立を防ぐため、福島県相馬市や、阪神大震災で被災した兵庫県の先駆的な共助型復興住宅を参考にしました。
共助型復興住宅のコミュニティーづくりに必要不可欠なのは、住人たちによる自治会の存在です。現在、自治会長を務めているのが、阿部昌則さん(69)です。昌則さんは、妻の啓子さん(64)と6年前から続けているボランティア活動を通じて、多くの被災者が復興住宅で孤立していることを痛感してきました。
左:阿部啓子さん昌則さん夫婦、右:手に触れながら思いに寄り添う
阿部さん夫婦が行っているのは、アロマオイルによるタッチケアをしながら、様々な思いに耳を傾ける傾聴活動です。ある時タッチケアを受けにきた70代の女性は、マンション型復興住宅で一人暮らし。仮設住宅の頃に比べ、近所付き合いやボランティアの人が来る機会がなくなり、日々の楽しみもなくなったと言います。さらに、今住んでいる地域には元々縁もゆかりもなく、自然と引きこもりがちに。眠れない日が続いていると言う女性に、啓子さんは話しかけます。「お昼寝はできてる?少しでもするといいよ」
昌則さんは、被災者が新たに抱える悩みに触れ、憂いてきました。「復興住宅に移っても、仮設住宅の方が良かったと言う人は多い。仮設のときは、ご近所同士でいろんな思いを言い合えた。今はそういう場が減ってしまったのではないか…」(昌則さん)
当初は、平屋で開放的な作りに魅力を感じて共助型復興住宅に入居を決めた阿部さん夫婦でしたが、すぐに“共助型”の理念に共感しました。ここで住人同士の交流や助け合いが実現すれば、被災地の新たなコミュニティー作りの手本になるのではと考え、自ら自治会長になることを決意しました。
左:住人たちの交流に尽力してきた昌則さん、右:全員この住宅で初めて出会った人たち。時間をかけて打ち解けていった
6人の役員からなる自治会を作り、声がけや見廻り活動を開始。また、去年4月から月に一度、住人たちでお茶会を開いています。続けていくうちに参加者は増え、今では、全世帯の8割程度の20数名が集まります。他の復興住宅では、このように住人全体が集まる場自体が実現していないところがほとんどだと言います。
いま、阿部さん夫婦が特に気にかけている住人がいます。病気の後遺症があり、車いすで生活をしているAさんです。頼れる人が近くにおらず、毎日ヘルパーによる日常生活支援を受けながら一人暮らしをしています。自分の部屋から出ることも少なく、他の住人と接することはなかなかありません。
住宅の各部屋には、何かあったときに近くの住人を呼ぶためのボタンが5カ所ほど設置されています。Aさんは、誤って車いすが触れてボタンを押してしまい、ブザーを鳴らしてしまうことが数回ありました。その度に、隣の部屋の人や阿部さん夫婦が、昼夜関わらず、すぐに駆けつけます。
昌則さんは、Aさんが喫煙者であることが気になっていました。車いす生活のAさんが、タバコの不始末を起こしてしまわないか、どうしても不安でした。
部屋に数カ所ある非常呼び出しボタン。周りに助けを呼ぶための設備だが、住人の負担になることも…
昌則さんは、毎月のお茶会に参加していないAさんの代わりに、ある人に来てもらうことにしました。Aさんの後見人になっている、社会福祉士の髙橋恵美さんです。お茶会のあと、昌則さんは髙橋さんに率直な思いを伝えました。「住人同士の助け合いは、体を動かしてできることだけじゃない。言葉や挨拶だけでもいい。できる範囲でいいから、お互いの思いやりの心を見せて欲しい。そのための自助努力は必要だと思う」
髙橋さんは、Aさんでも他の住人のためにできることがないか、考えていました。「Aさんは、体が不自由でもヘルパーとかのサービスを使って、自分の家で自分らしい生活をしようとしている。こういう生き方もできるんだよっていうお手本になれるかもしれない」(髙橋さん)
復興住宅に住む単身高齢者の割合は高くなっています。髙橋さんは、将来に不安を感じている住人たちにとって、Aさんの存在が安心材料になってくれたらと願っています。
髙橋さんと阿部さん夫婦。“共に助け合う”ことについて話し合った。
後日、髙橋さんは、昌則さんの思いをAさんに伝えました。「居心地が良いこの住宅にこれからも住み続けたい」というAさん。髙橋さんと相談し、部屋の呼び出しボタンにカバーをつけて誤作動を防ぐことにしました。そして、タバコをやめることも決断。少しずつ周囲の住人とも挨拶を交わすようになり、前向きに歩み始めています。
昌則さんが特にこだわってきたのは、“ここは施設ではない”という思いです。復興住宅の入居者を募集し、決定するのは市です。この共助型復興住宅には、様々な理由で他の復興住宅への入居が決まらなかったり、なんらかのサポートが必要な人が入居したりするケースがあります。共助型ならではの住人同士の支え合いに、市は期待しているのです。しかし昌則さんは、不安も感じています。
「お互い助け合う場ではあるけれど、誰かが誰かの“面倒を見ないといけない”だったり、ただ“助けてほしいから入居する”ということでは困る。ここは施設ではなく、あくまで日常生活の場なのだから」(昌則さん)
線引きの難しさを感じながらも、住人同士思いを交わし合いながら、歩んでいこうと思っています。「コミュニティーっていう言葉は、横文字で堅苦しくてしっくりこない。やりたいのは、新しい“お隣さん”作りです。震災前も仮設住宅の時も、お隣さん同士はいろんなことを言い合えていた。時間はかかるけど、またそういう関係作りをしていきたい」
ここ数年、大規模災害による被災地は全国各地に生まれています。新たなコミュニティー作りが必要な地域が増えている中、石巻の共助型復興住宅の住人たちが模索する姿は、一つの道しるべかもしれません。
執筆:ハートネットTV ディレクター釼吉民和