「自由であること」を最大の特徴とする福祉施設「アルス・ノヴァ」。重い知的障害や精神障害のある人たちが通い、毎日のびのびと過ごす場所です。運営するNPO法人クリエイティブサポートレッツ代表、久保田翠さんは、息子の壮(たけし)さんの存在をきっかけにこの施設を設立しました。重い障害のある人たちの新しい生き方を模索し続ける、久保田さんの取り組みを紹介します。
床に寝そべっている人、ドラムで爆音を響かせる人・・・。利用者が思い思いに過ごしているのは、静岡県浜松市の郊外にある福祉施設「アルス・ノヴァ(意味:新しい芸術)」。ここには、決まりもなければ、規則もありません。何をするわけでもないこの場所が、今、福祉関係者だけでなくアーティストや著名な哲学者などからも注目されています。
アルス・ノヴァで自由に過ごす利用者たち
立ち上げたのは、自身も重度の知的障害の息子・壮さんと暮らす久保田翠さん(55)です。食事や排せつが1人でできないなど、障害が重い壮さんを育てる中で、何かをやらせる場所ではなく「やりたいことを思いっきりできる場所を作ろう」と13年前にNPOを設立しました。
久保田さんと壮さん
この施設の最大の特徴は、自由であること。好きな場所で、好きなことを、思い思いに楽しみます。そんな自分らしい“表現”を楽しむ、利用者のあるがままの日常の姿を、インターネットなどでも積極的に発信しています。ホームページには「タレント名鑑」と名付けられたページも。迫力満点の歌声が自慢のヴォーカリストやあだ名を付ける名人、電化製品が大好きな人など、顔写真付きで、それぞれの“個性”が紹介されています。
アルス・ノヴァのホームページにある「タレント名鑑」
施設のスタッフも、ミュージシャンや元劇団員、美大を出たデザイナーなど、個性的な面々です。利用者の“表現”をサポートし、一緒に楽しんでいます。
アルス・ノヴァは、重度知的障害の人たちのありのままの姿を見て、多様な価値観を感じ取ってほしいと、施設を「観光」する事業など様々な取り組みを続けています。
「障害のある人たちを理解してくださいと言ってるわけではなく、むしろこの世の中に壮みたいな人っているんです。本当に存在してるんですね。施設の中にどうしても閉じこもりがちにはなってしまうけど、存在してる。その存在してる人たちと出会った時に、皆さんどう感じますか。皆さんどうですかということを言いたい。そういうことをやってみたい。福祉施設は、もしかしたらそれをやることが仕事なんじゃないかなと。正しく知るなんて知り方はないわけで、とにかく出会ってほしいというのがあります」(久保田さん)
大学院で環境デザインを学んだ久保田さん。卒業後、自ら事務所を立ち上げ、がむしゃらに働いてきました。
仕事も軌道に乗ってきた時、壮さんが生まれました。口唇口蓋裂という病気、そして重度の知的障害があることも分かりました。成長するにつれて、“当たり前”とされることができず孤立。居場所がなくなり、家に引きこもることも多くなっていきました。
生まれた頃の壮さんの姉弟との写真
「私は本当に“普通”に育てたいなと思ったけど、それはかなわない。自分も居場所、社会から周縁化してしまう。ふと思い返すと、きょう誰ともしゃべってない、主人以外と誰ともしゃべってないみたいな日が連続してくるんですね」(久保田さん)
壮さんは大好きな石を肌身離さず持ち歩き、入れ物に入れて音を鳴らします。しかし、「危ないから」と石を取り上げられたり、問題行動だと否定されたりすることに疑問を感じました。
「12年間(特別支援)学校に行って、結局、彼が獲得できたものはなかった。だけど、入れ物に石を入れてずっとたたき続けることは、やり続けたこと。それを問題行動だといって排除すると、彼の人格がなくなるんです。だから本人がやり続ける、手放さないことをいちばん大切なものとして扱うと思ったんです。それをいちばん大切に扱うということで、施設を作ってみようということになって、アルス・ノヴァができた」(久保田さん)
そして、久保田さんは障害のある人たちの存在を通して、あることに気付きました。
「何かをやらせるとか、既存のことができるようになるっていう価値感ではない生き方が、この人たちの中にはあるんだって言うことがやっと、自覚できたんですよ。好きなことをすることが、悪いことではないと思う。何のかいもないと言われたらそうだけど、かいがないかどうかは、やってみなければ分からない。そういうことを考えていくと、私たちがいかに何かに縛られているか、何かにとらわれながら生きているか、という息苦しさみたいなものも見えてくるんですよ。だから私たちの社会のルールを疑ってかかるというか、そのきっかけ作りをしてくれるのが、実は障害のある人じゃないかなと私は思っている」(久保田さん)
久保田さんは今、重度知的障害の人たちの“新しい自立のあり方”を模索し始めています。
21歳になった壮さんに「家族以外の支え」の必要性を強く感じているのです。
壮さんは、食事、着替え、排せつなど身の回りのことを1人ではできません。ヘルパーの利用は、週に1回、3時間だけ。ほとんど家族だけで、壮さんの生活を見てきました。
しかし、久保田さんは、今後少しずつ、ヘルパー利用や宿泊サービスの回数を増やそうと考えています。壮さんは子どもの頃よりも腕力がつき、対処できないことも増えてきているからです。
食事のあとは、お決まりのお菓子バトル。お菓子の詰まった袋を力ずくで取ろうとする壮さんを必死に止めます。
久保田さん「こら!ちょっとやめてそれは危ないから。全部はだめ!全部はだめ!」
お菓子を取ろうとする壮さんを止める久保田さん
壮さんとの生活に、日々奮闘する久保田さん。最近は、今の生活を続ける危うさを感じています。
「この生活は、長く続けられないなとは思います。今はいいけど、何かがちょっとショートすると、もうどうにもならなくなるなとは思うから。セーフティーネットじゃないけど、もうちょっと、それなりの“逃げ場所”を作っとかなきゃいけないなっていうのはありますね」(久保田さん)
そんな中、久保田さんは地元の入所施設を訪れました。
現在、月に1度、壮さんが利用している宿泊サービスを増やせないかと相談に来たのです。
しかし利用希望者が多く、常に2か月待ち。すぐには回数を増やせません。壮さんは、生活環境が変わるのが苦手なため、慣れるまでつきっきりのサポートが必要だと言われました。人員の確保が大きな課題です。
重度の障害者にとって、選択肢は限られています。家族で見るのが難しくなれば、今のところ入所施設やグループホームに入るしかありません。しかし、入所すると今のような自由な生活が続けられなくなります。
地元施設の職員さん
「壮くんが好きな感じを入所施設で提供できるかというと、結局言い訳がましくなっちゃうけど『新聞紙があれば食べちゃう』とか、『石を持ってると食べちゃう』と言って、どんどんどんどん好きなものがなくなっていっちゃうだろうなと。そうすると、入所施設とかグループホームじゃないスタイルの方が合ってるのかな。そんな感じがしましたね」(施設の職員)
しかし、久保田さんには、壮さんが自立できると強く感じた出来事がありました。
それは、壮さんがアルス・ノヴァの仲間と一緒に旅行に行ったときのこと。久保田さんがいなくても、壮さんは食事をきちんと取り、眠ることができたのです。旅行から帰ったあとも、壮さんはしばらくニコニコと過ごしていました。
仲間と行った旅行先で浴衣を着て踊る壮さんの写真
「親と一緒に行くと、とにかくごはんも食べられない、部屋に入ったとたんに障子を破るとか、そんな大惨事ばっかりです。気の合う仲間と、若い子たちとわいわいと行くのは楽しいんですよ。うれしかったんですね。やっぱり、親じゃないんですよ。親じゃないんだなというのは、つくづく思います」(久保田さん)
壮さんが自立できると感じた久保田さんは、今、「新しい居場所」を作ろうと動き出しています。
ある日、建築家とデザイナーがアルス・ノヴァを訪れました。現在のアルス・ノヴァと同じ通所施設をもう一つ作ろうと考えているのです。その中に将来、壮さんのような重い障害のある若者たちが住む部屋も作ろうと計画しています。
一般の人も気軽に立ちより、障害のある人と一緒に過ごせる開かれた空間。その上に、障害のある人と一般の人が暮らせる「シェアハウス」を作ろうという構想です。重い障害のある人たちが、普通に暮らせる社会はどう実現できるのか。久保田さんは、自分たちの手で障害のある人の自由で多様な生き方を模索し続けています。
新しい通所施設の模型
「挑戦したいというより、挑戦しなきゃいけないんじゃないかと。ここから始まりですよ。拠点がやっとできるだけですからね。ここで何ができるのか、というのが問われている。どれだけ外に出て行けるか。ここから勝負ですよね」(久保田さん)
新しい施設の建設予定地は、浜松市の街の中心にある、人通りの多い大通り沿いをあえて選びました。障害者の“あるがまま”の姿を、今度は街の中から発信するためです。
「アルス・ノヴァができたのも、今度新しい施設ができるのも、私が作りたくて作ってるんじゃないんです。壮と私の関係の中からいろんなもの生まれるんです。だから、入れ物に石入れて、本当に無駄なことしかしてない人が、これだけ多くの人を動かすということ。それが、まざまざと障害のある人ができることなのかなと思えるんですよね」(久保田さん)
※この記事はハートネットTV 2017年10月30日放送 ブレイクスルー File89「“あるがまま“を受け止めて 障害者の新しい生き方を探す 久保田翠」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。