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いつも子どもたちの命をど真ん中に ~「こどもの里」荘保共子さんの40年~

記事公開日:2019年02月05日

認定NPO法人・地域包摂こども支援センター「こどもの里」理事長の荘保共子さん。大阪市西成区釜ヶ崎地区で、地域の子どもたちのためのさまざまな活動を40年に渡って行っています。困難を抱えた子どもたちに常に寄り添ってきた荘保共子さんが、どのような思いで活動を続けてきたのかお話を伺いました。

photo 荘保共子(しょうほ・ともこ)
認定NPO法人・地域包摂こども支援センター「こどもの里」理事長
兵庫県宝塚市に育つ。聖心女子大学卒業。

釜ヶ崎の子どもたちのきれいな目

大阪市西成区釜ヶ崎地区は、日雇い労働者が多くいる街として知られてきました。ここにある「こどもの里」は、最初は児童館として始まりましたが、しだいに家庭的養護の場や、泊まることもできる子どもたちの居場所となりました。

登録している子どもは約100人で、幼児、小学生、中高生がそれぞれ三分の一。生活保護世帯が約40%、母子家庭が約50%です。毎日遊びに来るのは30人ぐらいで、土日や夏休みになると人数が多くなります。

画像(こどもの里 外観)

荘保さんが初めて釜ヶ崎の子どもたちと出会ったのは、大学卒業後の1970年に参加したカトリック教会の青年会のボランティア活動でした。

「子どもたちはすごい元気、いや、元気を通り越して荒々しいのだけれども、すごくきれいな目をしていたんです。そのとき私は違う地域で、羽仁もと子さんが始めた『幼児生活団』で指導員をしていました。そこの子どもたちと、元気のいい釜ヶ崎の子どもたちとの目の違いにカルチャーショックを受けたんです。なんでこんなきれいな目をしているんだろうと、そのことが気になって私はそこに居つくことになります」(荘保さん)

その後7年間、荘保さんは保育園に勤めたり、食堂を手伝ったりボランティア活動をしたりしながら生活してきましたが、「本当に釜ヶ崎の子どもたちと一緒にいたい」と思い、子どもの居場所をつくりました。

遊び場所から居場所へ

荘保さんは、釜ヶ崎の子どもたちは学校から帰ったあとの居場所がない、といいます。

「公園で野宿のおじさんがいるところで遊んだりするしかなかった。家庭は三畳とか四畳半の狭いところですから、ゆっくりできない。だから子どもたちも大人たちも外にいるような状況でした。『児童館においで』と4、5人の子どもたちに声をかけたら、その子たちが右手に弟、左手に妹、ちょっと上のお姉ちゃんが背中に赤ちゃんをおぶってやってきました。皆、兄弟姉妹が多く、すぐに60人以上になりました。集まってきた子どもが赤ちゃんから中高生までだったので、自然に誰が来てもいいよということになり、40年間続けてきました」(荘保さん)

画像(子どもたちの様子)
画像(子どもたちの様子)

幼児から中高生まで集う「こどもの里」

子どもの遊び場として始まった活動ですが、だんだんと子どもたちの生活の“しんどさ”が見えてくるようになりました。それは、親たちの生活のしんどさでもありました。

ある子どもたちは、毎日遊びに来ていたかと思えば、1週間、2週間、時には3か月とまったく来なくなり、それが過ぎるとまた毎日遊びに来ました。実は、その子どもたちは、父親が日雇いの仕事で1週間や3か月と家を空けている間、児童相談所に保護されていたのです。

「高校生のお兄ちゃんにお金を渡してあり、お兄ちゃんは学校を休んで子どもたちの面倒を見るんですが、小さな子どもたちが道端をうろうろしていると、やはり通報があって子どもは保護されてしまう。お父さんは帰ってきたら、子どもたちがいないから、もちろん迎えに行きます。迎えに行くと、『お父さん、日雇いの仕事ではなく、まともな仕事に就きなさい。その間、子どもは預かりますよ』と、なかなか帰してくれない。私は、児童相談所だから子どもたちにも安心な場所だと思っていたんですけれど、『ほんとにお父ちゃん、迎えに来てくれんの?』と実は子どもはすごい不安のなかにいたんです」(荘保さん)

子どもたちの父親と信頼関係ができたころ、荘保さんは父親から「一週間の仕事なんだけど、小さな子どもたちだけ預かってくれないか」と頼まれます。それが、「こどもの里」での緊急一時避難・保護の始まりでした。

画像(川の字になって寝るこどもたち)

児童相談所は、子どもたちが暮らす街から離れた場所にあるため、保護された子どもたちは寂しい思いをすることになりますが、「こどもの里」は子どもたちの生活圏。子どもたちは地域から離れなくてすみ、学校にも休まず毎日通うことができるのです。荘保さんは、これがこどもの「最善の利益」になるといいます。

また、「こどもの里」は里親の役割も担っています。

「預かっている期間が3か月とか長くなってくると、里親になって緊急一時避難・保護をすれば、子どもたちの生活費が下りると教えられ、それが里親の始まりになりました。今は2010年からファミリーホームに変わっています。一時は12人くらい預かっていたこともあるのですが、里親は今は4人まで、ファミリーホームは6人までです」(荘保さん)

画像(遊び場)

「こどもの里」は、1階は地域の子どもたちの遊び場、2階は図書室や緊急一時避難・保護の部屋、赤ちゃんが昼寝したり遊んだりする広場、3階がファミリーホームで、生活をする場所と、いろんな要素が入り込んだ形になっています。

「私はこどもの里を『包摂的な子どもたちの支援センター』と言っています。こういうセンターは大人のはあるけれど、子どものはないんです。子どもの生活圏の中にあるように、中学校区に1か所ずつあるといいと思います」(荘保さん)

子どもの力は「生きる力」

多くの子どもたちを見つめてきた荘保さん。何より大切と感じるのは、子どもたちの自己肯定感です。

「子どもが安心であるということは、自分が生きていてもいいと納得することです。自己肯定感というのですけれど、もともと子どもたちがもっているものです」(荘保さん)

画像

「こどもの里」が開いたキャンプにて

しかし釜ヶ崎の子どもたちは、周囲の事情によって自己肯定感が低くなってしまっているといいます。虐待されていたり、放ったらかしにされていたり・・・。そうした子どもたちは「生まれてこなければよかった」「なんで生きているんだ」という考えになっていきます。

「そうじゃないよと伝えること、そして、一生懸命遊ぶことで今日楽しかったと思うことによって、ほっとすることが必要です。そうすることで、居場所が安心の場所になっていくんです。そして、その中で子どもたちはしんどいことを出してくれる。しんどいと泣き出す子もいます。泣くということはSOSを出してくれていることなので『何かあった?』と話が聞けます」(荘保さん)

荘保さんは、さまざまな子どもたちのしんどさを見てきました。
親にお金がないことを察し、夕飯時になったら突然「今日、おなか痛い」と言い出す子。体操服がすり切れてきてるから買って持参するようにと先生に言われても、「忘れた」と言って持っていかない子。パチンコ屋の前で「100円ちょうだい」とおじさんたちに言って回る子。

「親を困らせないために、知恵を絞りながら生きているのです。本当に子どもたちは与えられた環境を一生懸命生きています。釜ヶ崎の子どもたちの目の輝きが違うのは、一生懸命生きているからだったんです。子どもの力とは、生きる力です。それはどの子も生まれながらにもっています。それが子どもたちの人権だということも、私は子どもたちから教えてもらいました」(荘保さん)

命を学ぶ「こども夜回り」

「こどもの里」では、冬期の毎週土曜日に「こども夜回り」をしています。子どもたちが、野宿生活者を訪問する活動です。

「子どもたちは、野宿しているおじさんを見つけたら走っていって、普通に声をかけています。おじさんたちも喜んで『ありがとう。これで、明日また生きれるよ』と言ってくれます。『ありがとう』の言葉は子どもたちの自己肯定感を高めます。お互いにエンパワメントされる関係が生まれました。今年の冬は31年目でした。それは命を学ぶことです」(荘保さん)

画像(こども夜回りの様子)

冬の寒いときには、凍死者も出る釜ヶ崎。荘保さんにとって、忘れられない出来事があります。

「小学校3年生の女の子は、父子家庭で、お父さんがアルコール依存症でした。お父さんがしょっちゅう道端に倒れていたり、お父ちゃんに酒を買いに行かされたと『こどもの里』に家出をしてきたりしていました。ある日、私が『こどもの里』の近くまで帰ってくると、珍しくおばさんが倒れていたんです。私は『女の人が倒れているな、珍しいな』と思って、そのまま中に入りました。そのあと、女の子がやってきて、おばさんを見つけて駆け寄っていって『大丈夫』と声をかけました。ちょうど警察官が2人通りがかって、女の子が『おまわりさん、このおばさん、倒れているからなんとかしてよ』と言うと、警察官は『そんな、放っとけよ』と言ったんです。そのときに彼女は、警察官にぴしっと『このおばさんが死んだら、あんたらのせいやで』と言いました。それを聞きながら私は、『あんたらとは、私のことだ』と思いました」(荘保さん)

困難を抱えた子どもたちに常に寄り添ってきた荘保さんは、今後の展望を次のように話します。

「今、私たちが必要としているのは、20歳になって自立支援ホームなどを出て行った子たちの支援です。すぐに一般の生活をするのはなかなか難しいですから、ちょっと練習できるようなステップハウス、あるいはシェアハウスのようなところがあればいいなと思って、今、それをやり始めました。居場所があって同じ人がいたら、いつでも帰ってこられます。たぶんそこが行政側の施設と民間がやっている施設の違いだと思います。私たちの活動はいつも子どもたちの命をど真ん中に置き子どもたちに必要なことをやっていきます。だから、これからどんな活動が加わっていくかわからないですね」(荘保さん)

地域の子どもたちのために活動してきて40年。荘保さんの優しいまなざしは、これからも子どもたちに向けられていきます。

※この記事は2018年3月24日放送「社会福祉セミナー 3月ゲストトーク 福祉と私 荘保共子」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

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