ハートネットメニューへ移動 メインコンテンツへ移動

日本の「盲ろう者」その歴史と未来 ヘレン・ケラー没後50年に福島智が語る

記事公開日:2018年12月18日

今年はヘレン・ケラーが亡くなって50年。親日家として知られたヘレン・ケラーは度々来日し、日本の障害者福祉の発展に大きな影響を与えました。次々に養護学校などが作られ、障害者への支援は大きく前進。しかしその一方で、ヘレン自身がそうであった「盲ろう者」への教育や福祉は、多くの困難があり立ち遅れてきました。1991年に全国盲ろう者協会ができ、声を上げたことで少しずつ状況は改善されていますが、まだ支援が十分とは言えません。

日本の盲ろう教育の歩み

日本の盲ろう教育が大きく動いたのは、ヘレン・ケラー2度目の来日の翌年、1949年です。この年に身体障害者福祉法が公布され、日本の障害者福祉が大きく前進。それに伴い、それまで制度的にきちんと扱われていなかった「盲ろう者」にも、教育の機会が提供されるようになりました。

画像(日本の盲ろうの歴史)

そして1949年、日本初の盲ろう教育が山梨盲学校で始まりました。地域の盲ろうの子どもを探し出し、ヘレン・ケラーが学んだ方法を参考に教育を試みます。しかし、点字を学ばせようとしましたが、その難しさに子どもたちは拒否し、教育は進みませんでした。

そんな中、偶然学校を訪れた東京大学の心理学者・梅津八三が子どもたちに興味を持ち、別の方法を試みます。梅津が大切にしたのは、子どもとのコミュニケーションでした。さらに、子どもたちが元気に遊ぶ姿を見て、これを学習に取り入れ、徐々に言葉を覚えさせることに成功したのです。

画像(東京大学 教授 梅津八三の当時の写真)

当時教育を受けた2人の盲ろう者が、山梨の福祉施設で暮らしています。

画像(盲ろう者の秋山忠男さんと山口成子さん)

秋山忠男さんと山口成子さんです。70歳を超えた今も作業所に通い、袋詰めの仕事をしています。
施設のスタッフとはローマ字式の指文字を触ってやりとりします。

画像(ローマ字式指文字で施設スタッフとやりとりする秋山忠男さん)

教育の成果が、盲ろう者の充実した人生につながることを秋山さんと山口さんが証明しています。

この2人を教育した梅津の教えを受けたのが、横浜訓盲学院の学院長を務める中澤惠江さんです。
40年にわたって盲ろう教育の普及に取り組んできました。

画像(横浜訓盲学院学院長 中澤惠江さん)

「盲ろう教育の研究も進めようといった気運と同時に、ほかの障害、『重度の障害、重複障害の子どもたちも、みな養護学校に入れよう』という動きがちょうど重なり、その中で人数の少ない盲ろうが重複障害の一部として組み込まれてしまい、盲ろうという独自の障害に対して十分に対応できないまま制度化されてしまったという経緯があります。そのために、盲ろうという極めて独自の障害のための教育方法の開発というよりは、重複障害という大きな枠の中の一部として、かなり薄められた形で展開してしまったという歴史的な背景があると思います。」(中澤さん)

盲ろう独自の教育を発展させるために

盲ろう独自の教育とは、一体どのようなものなのでしょうか。

中澤さんが学院長を務める横浜訓盲学院では現在、8人の盲ろう児が教育を受けています。
小学部6年の井本美希ちゃんは生後間もなく盲ろうと診断されました。わずかな音と光しか感じとることができません。

以前は盲学校に通っていましたが、「音」中心の授業についていけず、7年前、ここに転校してきました。当時は反応も薄く、表情も乏しかったのですが、徐々に笑顔が増えてきたと言います。

中澤さんが盲ろうの子どもたちと信頼関係を築くために大切にしていることがあります。
それは「予告」です。

画像(井本美希ちゃんの勉強の様子)

担任:「今日の勉強」
その日の予定を、象徴するモノを触らせて、順番に伝えていきます。
担任の先生は、美希ちゃんに木琴のバチを触らせます。
担任:「音楽」

「丁寧に、これから何が行われて、どんなことが必要になる、ということを事前に伝えないと、いわゆる『闇鍋の世界』ですよね。分からないことに突然触らされる恐怖を与えるので、ひとつひとつ丁寧に予告してくれると、とっても安心できる。人も信頼できる。」(中澤さん)

中澤さんの学校で重視しているのは、将来、社会生活をしっかりと営める知識を養うことです。
この日は、トマトがどんな食べ物かを学びます。

画像(トマトを触り、形や味を学ぶ美希ちゃん)

実際にトマトを手で触り、形や質感を学習。匂いや味も大事な情報です。包丁で切って半分になることを実際に体感もします。こうしたことを丁寧に繰り返すことで、必要な知識を学ぶことができるのです。

しかし、こうした専門的な盲ろう教育を行えるところは、まだごくわずかなのが現状です。

今、中澤さんが力を入れているのが、後進の育成です。今年、筑波大学で開かれた盲ろう者教育セミナーには、盲ろう児と関わる盲学校や養護学校の教員が、全国から50人集まりました。

画像(第1回盲ろう者教育セミナーの様子 主催 国立特別支援教育総合研究所)

こうして一堂に会して盲ろう教育の講義が行われるのは初めてのことです。

「同じような子どもがまわりにいないので、他の先生方がどうしているか、まったく分からなくて。」(参加したろう学校講師)

盲ろうの状態の体験などを通して、子どもたちに適切な教育を行うための理解を深めていきます。
専門の教育者を数多く育成できれば盲ろう者の未来は変わる。中澤さんはそう信じて活動を続けています。

画像(日本の盲ろうの歴史 学習指導要領について)

また、今年は大きな動きがありました。学習指導要領が改定され、その自立活動についての解説に盲ろう教育の具体例が初めて掲載されることになったのです。

「1つではありますけれど、全国の教員の手元に届く資料の中に盲ろうの事例がある。また盲ろうの子どもをたまたま担当した時にまず見てみる事例がその中にあるっていうのは大きな1つのステップだと思います。」(中澤さん)

福島智さんが盲ろう者にもたらした光

1983年、1人の男性の快挙が大きなニュースになりました。福島智さんが盲ろう者として初めて、大学に進学。その存在は、必要な支援を受ければ、盲ろう者の可能性が大きく広がることを世間に知らしめました。

画像(東京都立大学入学式に出席している福島さん)

当時のことを、福島さんはこう話します。

「通訳介助というサポートを受けて、例えば講義で先生が話している声は遠くから届いてくるわけですね。ゼミ形式になると、みんなでディスカッションするので、まさに同時通訳者的な存在がいないと、ディスカッションに加われない。でも逆にそういったサポートを受けて、大学2年生の頃でしたけれども、教育哲学という授業でそうしたディスカッションに加わった時に、ああ僕は大学に来たんだなというふうに実感しましたね。非常に知的好奇心も刺激されるし、とても面白かったですよね。」(福島さん)

そして、福島さんの活躍に励まされた盲ろう者や支援者が声を上げ始め、1991年に全国盲ろう者協会を設立します。コミュニケーションや移動をサポートする通訳・介助員の養成を始め、公的な派遣制度を作るよう、国や自治体に働きかけました。1996年、東京で公的なサービスがスタートし、その後も粘り強い活動で、2009年、全国に拡大されました。

今後の課題は就労

今年8月、27回目を迎えた「全国盲ろう者大会」には、当事者・支援者などを合わせ、893人が参加しました。大会では、盲ろう者同士が福祉の課題を話し合います。

画像(全国盲ろう者大会で発言する参加者)

「もっと『同行援護』の事業の利用が増えていけば生活の保障ができるようになります。」(参加者)

「同行援護」(※)は、視覚障害者向けのサービスで、盲ろう者が使うことが難しいという問題がありました。それが当事者の働きかけで、今年から使えるようになったのです。これによって、移動を支援できる人の幅が広がりました。スポーツや旅行などを楽しめる盲ろう者も増えるのではないかと期待されています。

「同行援護」とは?
視覚障害のある人たちを対象とした、外出を保証するという制度です。
「同行援護」が始まる前にあった「移動支援」という事業は、あくまで移動をお手伝いするものでした。それに対して、「同行援護」は情報提供を中心とした制度。たとえば外出時に役所に出す書類を代わりに書いてもらう(代筆)や、それをヘルパーさんに読んでもらう(代読)といった支援が挙げられます。

そんな中、今一番の課題になっているのは就労です。
同行援護や通訳介助者の派遣制度は、通勤には使えません。例えば、せっかく国家資格のマッサージの資格を持っていたとしても、通勤に対する支援を受けられなければ仕事ができません。

この課題について、東京大学 先端科学技術研究センター教授の福島さんも解決に向けて働きかけています。

画像(東京大学 先端科学技術研究センター 教授 福島智さん)

「盲ろう者だけではなく、他の障害者も、そして障害がない人にとってもみんな共通で、仕事をするっていうことは人生における大きな意味のある行為だと思うんですよね。本当は仕事はしたいという気持ちがあって、力も能力もあるのに仕事ができないっていう人が、かなり障害者の中にはいます。同行援護と通訳介助者の派遣制度を重ねて、なんとか全国のどこに住んでいる盲ろう者でも最低限度のコミュニケーションのインフラとして利用できるようにしたいと思っている。現在進行形で取り組んでいるところです。」(福島さん)

ヘレン・ケラーが亡くなって50年。彼女が日本にもたらした影響を絶やすことなく、盲ろう者の教育や福祉などの支援をさらに発展させていくことが望まれています。

※この記事はハートネットTV 2018年10月24日放送「日本の「盲ろう者」その歴史と未来~ヘレン・ケラー没後50年に福島智が語る~」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

あわせて読みたい

新着記事