女性障害者に対する差別は、「障害者への差別」だけでなく「女性への差別」が複合されることで、解決への道のりは複雑になりやすいと考えられています。性的な被害や虐待を受けやすいだけではなく、教育、就労、結婚など社会生活に関しても制約は大きく、彼女たちの「生きにくさ」はより深刻です。
日本には「女性障害者」という概念が定着していないために、その生きにくさについては長年実態が把握されていませんでした。そこで、2011年の5月から9月にかけて「DPI女性障害者ネットワーク」が、女性障害者の実態調査を行いました。
調査の名称は「障害のある女性の生活の困難―人生の中で出会う複合的な生きにくさとは―複合差別実態調査」。
全国の20代から70代までの女性障害者87人に調査票への記入を依頼し、併せて聞き取り調査を行いました。調査を行った「DPI女性障害者ネットワーク」は、障害者の当事者団体であるDPI日本会議と密接な連携を取る別組織で、女性障害者のネットワークづくりと情報交流を目的としています。
女性障害者の生きにくさは、障害者であることに女性であることが加わることで、たんなる足し算ではなく、掛け算となり、複合的で、深刻なものになると言われています。
例えば、性的被害に関しては、女性ならば誰でもそのリスクは負っていますが、障害による身体能力の弱さから、さらにそのリスクは高まることになります。また、性別を無視した障害者への対応から、女性として守られるべき尊厳が損なわれることもあります。男女共通する障害への無理解に加えて、「女性であるゆえの困難とともに、女性であることを考慮されない困難」も抱える複雑さをもっています。
生きにくさの回答でもっとも多かったのが「性的被害」。回答者の35%が被害を受けたことがあると答えています。
平成27年度の『犯罪白書』によれば、日本国内で強制わいせつを受けたことのある女性の割合は11%、強姦の割合は1.9%となっています。被害を申告しない女性もいるので、実際にはもっと多いとしても、女性障害者の被害の数字は、女性全体よりもはるかに比率が高く、性的被害を受けやすいと推測されます。
障害別では、6割近くが視覚障害者の女性で、次に多いのは肢体不自由の女性で2割となります。目が見えない、声が出せない、手足が動かせないなどの障害ゆえに、抵抗できなかったり、逃げられなかったり、助けを呼べないことを見越して、つけ込んでくる男性たちがいることがわかります。
また、身体的な介助をされることが多い女性障害者は、男性からのセクハラの被害にも遭いやすいと言えます。職場や家庭などでの性的被害も事例が上がっていることから、立場の弱さによって足元を見られ、不適切な関係を強いられる事情も見えてきます。
<性的被害>
●マッサージ師として働く職場で休憩中、上司と2人きりになると後ろから抱きつかれて胸を触られた。白衣をめくれられて下着に触られたこともあった(40代、視覚障害者)
●社員旅行で上司に飲みに付き合えと言われ、酔って眠ったのを良いことにホテルに連れ込まれて、上司から性的暴行を受け、その後も関係を強要され続けた(30代、肢体不自由)
●母親の恋人から性的虐待を受けた。母親の恋人が、私のお風呂介護をして胸等をさわられ、非常に辛い思いをした。母にそのことを言うが、信じてもらえず最悪だった(30代 肢体不自由)
●夜間、自宅までタクシーに一人で乗った際、かなり遠回りをされ、人気のない場所に連れていかれた(40代 視覚障害)
●ガイド中の駅員から、両脇に腕を差し込んで抱き上げられるなど、不快かつ危険な行為をされた(50代 視覚障害)
●上司の性的暴行に耐えきれず、会社のセクハラ相談室に訴えたが、まるでセカンドレイプを受けるようだった(30代 肢体不自由)
「障害のある女性の生活の困難―人生の中で出会う複合的な生きにくさとは―複合差別実態調査」
身体接触をともなう「異性介助」への不満の声は多く寄せられています。
施設や病院で、男性が女性の入浴やトイレの介助をするのは、力仕事であることから男性が当たることも少なくありません。
介助する側の事情を優先し、業務として淡々とこなす態度に、女性としての尊厳を無視されたと感じる人もいます。
<異性介助>
●施設で入浴の際、男性職員に体を洗われた(70代 肢体不自由)
●養護学校で、知的障害の同級生のトイレ介助を独身の男性教諭がしていた。見ているだけでも不愉快だった(40代 肢体不自由)
●かつて国立病院に入院中、女性の風呂とトレイの介助、生理パッドの取り換えを男性が行っていた。女性患者はみな嫌がって同性介助を求めたが、体力的に女性では無理だと言われた。トイレの時間も決まっていて、それ以外は行かれない。トイレを仕切るカーテンも開けたままで、廊下から見えた(50代 難病 肢体不自由)
●施設では女性職員が介助をするが、病院では異性介助が行われ、半ば規則化している。女性のトイレ介助も男性がする。物として扱われているようで、とても嫌だが、次第に麻痺してしまう自分が辛い。女性看護師の負担と男性職員の増加が、異性介助の理由とされた(50代 肢体不自由)
また、スタッフの配置や設備の点で、女性への配慮が欠けている事例もあります。
<スタッフ配置・設備の配慮不足>
●妊娠の検診のとき、女性手話通訳者がいなくて、男性だった。私も抵抗があったが、通訳者本人も困っていた(30代 聴覚障害者)
●理学療法士や車いすの業者は男性の場合が多く、性をまったく意識せずに身体に触ってくるので不愉快だ(40代 難病 肢体不自由)
●義足の技術者はほとんどが男性。作るとき、男性技術者の側にも遠慮があり、必要な相談をしにくい。身体介助と同様、同性の技術者あるいは同席者が必要だ(20代 肢体不自由)
●福祉の職員は若い男性が多く、女性としての悩み―とくに、生理にかかわる症状は話せない(40代 難病)
●スーパーの身体障害者用トイレが男性用トイレの奥に設けられていた。しかたなく利用したが、いまもこんな状況なのかと大変ショックを受けた(40代 肢体不自由)
性的被害やセクハラだけではなく、社会的に女性としての尊厳を損なわれる事例も多く見られます。
日本では、性別役割分業の考え方はいまだに根強く、まだまだ女性は家族の身の回りの世話をすることを期待されがちです。その点でハンディがあったり、ハンディを感じさせる女性障害者が女性としての価値を低くみられたり、恋愛や結婚の可能性を否定されることがあります。
社会で差別的な扱いを受けるだけではなく、親や親族からも心無い言葉を投げかけられることがあります。
<結婚に関して>
●いくつかの結婚相談所から入会を拒絶された。拒絶されない場合でも、入会後、不利に感じることが多かった(40代 視覚障害)
●車いすだと恋愛対象になりにくい。親戚からも結婚話はタブー視され、「結婚だけが人生じゃないし」と慰められ傷つく。まるで私は一生独身が決まったかのよう(50代 肢体不自由)
●男性は障害者でも、障害女性だけではなく、健常者女性とも付き合ったり、結婚できる人が多い。障害女性はなかなか結婚できず、障害者同士での結婚がほとんど。私も未婚(30代 肢体不自由)
●私が占いの本を読んでいて「私って晩婚らしいよ」と言ったら、家族は私の結婚などあり得ないと思っていたらしく、空気が凍りついた(40代 難病 肢体不自由)
●結婚に反対する義母が、私だけを呼んで言った。「息子は同情してるだけ。不幸になる。あなたと歩くと人に見られて恥ずかしい。家族に障害者はほしくない」と言われた(50代 肢体不自由)
結婚に対してだけではなく、出産や育児に関しても、強い偏見があります。
母子を温かく見守るのではなく、障害が遺伝しないかどうか、子どもを一人前に育てられるのかどうかという冷たい視線に苦しめられることがあります。
<出産に関して>
●初めて出産した時、見舞いに来る人は必ず「耳は大丈夫?」「聞こえる子でよかったね」と言った。ふつうは「おめでとう」なのに悲しかった。がんばって産んだのに、耳が聞こえない子だったら悪いのか(30代 聴覚障害)
●妊娠した時、障害児を産むのではないか、子どもを育てられるのか、といった理由で、医者と母親から堕胎を勧められた(40代 視覚障害 難病)
●妊娠7か月に入ってから、夫が自分の両親に手紙で子どもができたことを知らせると、夫の母親から「生ませるつもりか、すぐに始末しろ」と手紙が来た(60代 視覚障害)
●10代だった1963年ごろ優生手術(不妊手術)を受けさせられ、生理時の激痛やだるさなどの不調が出た。20歳のころ結婚したが離婚。再婚の夫も家を出た。原因は私が子どもを産めないから(60代 精神障害)
●子宮筋腫がわかったとき、ドクターは子宮を取れば治ると言った。私が「赤ちゃんが産みたい」というと「えっ!!」と驚かれ、それを聞いて私は大泣きした。女である自分を否定された気がした。両親にも同じ反応をされたらと怖くて、言えなかった(40代 肢体不自由)
結婚のハードルが高い一方で、女性障害者の就労はきわめて難しく、経済的に自立して暮らすにも困難をきわめます。
障害者であるだけで、年間収入は障害のない人に比べて少なくなり、女性であることで、男性障害者よりもさらに少なくなります。有業率3割弱。年間収入は、年金や手当を含めても平均92万円で、男性障害者の約半分という厳しい現実があります。
<就労と自立のハードル>
●出産後の職場復帰で正職からパートになり、夫の扶養に入ることを勧められた。半年後、健常女性が出産した時は正職のままで復帰できた(40代 視覚障害 難病)
●勤め先の病院で管理者から、「身体が不自由で子育てが大変だろう」と退職を勧められた(50代 肢体不自由)
●障害女性だから無理して働く必要ないのでは?と周りに言われた。障害女性は経済的自立を前提とした自己実現が難しい(30代 聴覚障害者)
●最初にかかった精神科で主治医に、「女性でよかったね。障害者になっても家族や配偶者に養ってもらえる」と言われた。女は働かない、家族が面倒を見るという考えは許せない(20代 精神障害)
●研究職への就職活動で、業績には高い評価を受けたのに男性候補者に決定した。“乳幼児を抱えた障害女性”は激務に耐えられないとの理由だと漏れ聞いた(50代 肢体不自由)
●5年後に正社員にする約束で就職したが、7年後退職するまで嘱託のままだった。その間、私を障害者雇用制度で雇用することで会社は恩恵を受けたと聞く(50代 肢体不自由 言語障害)
「女性障害者」が意識されるきっかけとなったのは、2006年12月に国連で採択された「障害者の権利に関する条約」です。この条約の策定のプロセスでは、「私たち抜きに私たちのことは決めないで(Nothing About Us Without Us)」という精神が尊重され、当事者自身が策定に参画し、さまざまな障害者の課題についての認識が共有されました。
その結果、女性や児童などの個別の権利についても明文化されることになりました。
障害者権利条約の前文には「(性の違いにより)複合的または加重的な形態の差別を受ける」ことや「障害のある女子が、家庭の内外で暴力、傷害もしくは虐待、放置もしくは怠慢な取扱い、不当な取扱い又は搾取を受ける一層大きな危険にしばしばさらされている」ことが指摘されています。
このような認識を踏まえて、「障害のある人による人権及び基本的自由の完全な享有を促進するためのあらゆる努力に性別の視点を組み込む必要がある」とされ、権利条約には「障害のある女性」という条文が盛り込まれています。
第6条「障害のある女性」
1)締約国は、障害のある女子が複合的な差別を受けていることを認識するものとし、この点に関し、障害のある女子が全ての人権及び基本的自由を完全かつ平等に享有することを確保するための措置をとる。
2)締約国は、女子に対してこの条約に定める人権及び基本的自由を行使し、及び享有することを保障することを目的として、女子の完全な能力開発、向上及び自律的な力の育成を確保するための全ての適当な措置をとる。
日本政府公定訳
日本では、障害者権利条約は2007年9月28日に署名を行い、2013年12月4日に条約の批准を承認。2014年1月20日付けで国際連合事務局に承認されています。批准までに7年もの歳月がかかったのは、障害者基本法や障害者差別解消法などを成立させ、国内法を国際水準まで引き上げるのに時間がかかったためです。
この権利条約では、障害のない人だったら当然に享受している権利を障害者にも保障するために「合理的な配慮」が重視され、「保護の客体から権利の主体へ」と各国の障害者施策を変革していくことが求められています。
そして、女性障害者に関しても、その存在が意識され、固有の課題の解決がはかられ、生活の援助だけではなく、社会参加のしやすい環境づくりが進められていくことが期待されています。
今回取り上げた2011年に実施された実態調査は87人の限られた女性障害者の声を反映したものでしかありません。しかし、それを超える本格的な調査は、まだ国内では行われていません。
この調査が初めて女性障害者のニーズや困難を可視化するための試みとなりました。この実態調査によって、「複合差別」と呼ばれる女性障害者の生きにくさの一端が明らかになってきたことで、今後さらに本格的な調査が行われ、女性障害者の生活の困難をなくしていくための制度設計や意識改革が進むことが期待されます。
執筆者:WEBライター木下真
※この記事は2016年7月のハートネットTVブログ『女性障害者 第1回 女性特有の生き難さを考える』と『女性障害者 第2回 女性障害者の生きにくさとは何か?』を基に作成しました。情報は2016年7月時点のものです。