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忘れられた病 筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群の患者たちの現実

記事公開日:2018年11月21日

身体が衰弱して身動きもままならず、痛みや記憶力の低下、感覚過敏などさまざまな症状を伴う難病「筋痛性脳脊髄炎」。1990年代には「慢性疲労症候群」という病名で注目され、国は研究班を設置。原因の解明に乗り出しました。しかし10年近くたっても成果は上がらず、研究班は解散。治療法も見つからぬまま、社会から忘れられていきました。それからおよそ20年。患者がどのような現実に直面しているのか、必要な支援は何かを探ります。

診断が得られない苦しみ

東京都内に暮らす佐藤理恵さん(仮名・47)は、10年ほど前に「筋痛性脳脊髄炎(慢性疲労症候群)」を発症しました。全身が鉛のように重く、音や光にも敏感なため、一日の大半を、電気を消した部屋で横になって過ごしています。

画像(横になっている佐藤さん)

病気で動けないため、家事の多くは高校生の娘、絵梨奈さん(仮名・17)が担っています。
病気になる前、佐藤さんは仕事と育児に奮闘する日々を送り、娘の目から見ても“頑張り屋のお母さん”だったといいます。

「お父さんが居なかったので、すごい一生懸命働いてくれてて。帰ってきてからはご飯とか作って、朝もちゃんと起こしてくれて、休みの日とかも一緒にどっか連れて行ってくれました」(絵梨奈さん)

佐藤さんが発症したのは36歳の時。まだ幼い娘を、ホームヘルパーとして働きながら、1人で育てていました。

ある時、肺炎にかかり、微熱や倦怠感などがいつまでも続きました。次第に起き上がれない日も増えていき、やむを得ず、40歳で退職。治療に専念することにします。

さまざまな病院を回り、検査を受けましたが異常は見つかりません。それでも体調は、どんどん悪化していきました。

「パニックでしたね、本当にどうなっているんだろう自分の身体は、って思いましたね。とにかく眠れなかったり、光とか音とかに過敏になってしまって、とにかく立っていられない、本当にしんどい。もう寝てても横になっていてもしんどい」(佐藤さん)

自分の病はいったい何なのか。たまたまある病院のスタッフから、「慢性疲労症候群」という病気があると聞いた佐藤さんは、インターネットで患者会のホームページを調べました。すると、そこには疲労や睡眠障害、身体の痛み、音や光への過敏など、自分とまったく同じ症状が書かれていたのです。

画像(筋痛性脳脊髄炎(慢性疲労症候群):極度の疲労、痛み、集中力/記憶力の低下、体温調節の不全、睡眠障害、音や光の過敏、自律神経の不調、免疫の不調 こうした症状が6か月以上続く)

佐藤さんは患者会の資料を持って大きな病院を受診しました。しかし、血液などの検査結果には異常が見られないため医師の理解を得られませんでした。

この病気を診てくれる医師はいないのか。佐藤さんは必死で探し、ある病院にたどり着きました。発症から8年。ようやくそこで、診断を受けることができたのです。

佐藤さんを診断した静風荘病院・特別顧問の天野惠子さんは、「筋痛性脳脊髄炎」の診断の難しさをこう語ります。

画像(静風荘病院・特別顧問 天野惠子さん

「どんな病気でもそうですけど、教科書に載らないとなかなか一般のお医者さんが、この病気を認知することは無理なんですよね。病院に行って検査をしても『何でもない、気のせいでしょう、もうちょっと様子をみましょう』となります。その『様子をみましょう』が、あっという間に何年か経っているという状況になるわけで。その間どんどん悪くなって、普段できていたことができなくなって、お仕事を辞めることになったりするのです。教科書以外のいろんな病気を拾って、患者さんを治そうという気持ちがない限り、門前払いになってしまいますよね」(天野さん)

ようやく診断はついたものの、根本的な治療法はまだ見つかっていません。佐藤さんは、今もつらい症状に悩まされ、生活保護を受けながら娘に支えられて暮らしています。

日本の患者は、およそ10万人。そのうち3割が、佐藤さんのような重症の人たちです。いまだに診断さえ受けられない人も少なくありません。

患者会の取り組み

一方で、患者が置かれた状況を変えようとする取り組みが始まっています。

患者会(NPO法人筋痛性脳脊髄炎の会)代表の篠原三恵子さんは、28年前にこの病気を発症しました。6年前に患者会を立ち上げ、病気への理解を求めて活動しています。

画像(患者会の篠原さん)

この日は、ドキュメンタリー映画の上映会。来場者の中には、情報を得られず困っている患者たちの姿もありました。夫とともに来ていたのは、最近発症したという若い女性です。篠原さんは女性に話しかけます。

篠原さん「発症から短ければ回復が早いので、早く動いたほうが絶対にいいと思います。若いので早く良くなっていただきたいので。中には職場復帰した患者さんって本当にいらっしゃるんですよ。」
女性「ありがとうございます。」

篠原さんは現在、障害者手帳を取得し、ヘルパーの介助を受けながら生活しています。しかし、篠原さんのように福祉制度を利用できる患者は、まだ少ないのが現状です。

画像(陳情の様子)

患者会では、国に対して病気の実情を知ってもらい、医療と福祉を充実させるように、陳情を重ねてきました。

「最終的な目的は、やはり治療薬ができて少しでも働けるとか、学校に戻って勉強するとか、そういうことが患者さんの本心ですので、それを目指したいと思っています。」(篠原さん)

新たな研究と治療への取り組み

今年の4月、国は新たな研究班を立ち上げて、病気の解明に乗り出しました。

国立精神・神経医療研究センターでは、患者の血液からリンパ球を分離して解析。すると免疫を司る細胞に、明らかな異常が見つかったのです。研究班の班長・山村隆さんは、病気のメカニズムを読み解くカギになると考えています。

画像(国立精神・神経医療研究センター 研究班班長 山村さん)

「免疫系が暴走して、脳の中に免疫系が入り込んで、炎症を起こしているんじゃないか、ということが一つの仮説です。血液を採るだけでこの病気の確率がどれくらいあるのか、100%あなたはこの病気にかかっていますよ、と言えるような時代が来ると私たちは思っています。」(山村さん)

新しい治療法についての研究も始まりました。強い電磁石を頭に当てて、脳の表面に電流を発生させる、「rTMS(反復経頭蓋(とうがい)磁気刺激療法)」と言われる治療法です。

画像(rTMSを受ける女性)

この女性は、4年前に発症し、一時は家事さえできずに、家で寝たきりだったといいます。

「浮き沈みはあるんですけど、今、症状悪化してから、自分の中では一番体調がベストな状態になっていると思って、自分でもちょっとびっくりです。嬉しいです。やっぱり仕事とか社会とつながりたい」(女性)

他にも「和温療法」という、体を温めて血行を良くするとともに、自律神経の働きを整える治療法も始まっています。
研究班では、こうした治療の効果を検証し、全国に広めていきたいと考えています。

正しい診断と治療を待つ患者たち

医療が進歩する一方で、時間との闘いを迫られている人たちがいます。

新潟市に暮らす斉藤美幸さん(仮名・52)。9年前に発症し、今はほぼ寝たきりの状態です。病気で仕事を失い、生活保護を受けながら1人で暮らしています。

画像(斉藤さん)

新潟市内の病院では診断がつかず、知り合いの患者から富山にあるクリニックを紹介してもらいました。そこでは近くの医療機関と連携してrTMSにも取り組んでいます。斉藤さんは今年2月に受診し、ようやく診断を受けることができました。

定期的に受診したいと思い、新潟市に医療費の支給を申請しました。ところが、申請は却下されてしまったのです。理由は、クリニックが近くでないこと。対症療法は新潟市内でも行うことができるはず、とされています。

生活保護を受けている人は、健康保険に入れません。行政から医療費を支給されないと、全額自己負担になります。

現在、斉藤さんは弁護士を通じて、処分の撤回を求めています。まだ結論は出ておらず、次に受診できる見通しは立っていません。

富山のクリニックで指定された薬で、痛みだけは少し和らぎました。しかし、全身の疲労感や筋力の低下は進み、体調は悪化しています。

最近は食事をとることも困難なため、栄養剤でしのいでいます。この2か月で、体重は10キロ以上減ってしまいました。希望を見失いそうになる日々が続いています。

画像(横たわる斉藤さん)

「もう元気になる自信が無くて、気力も体力も限界に来ていて、もしかしてこれが解決する前に、自分がダメになっちゃうのかな、と思うことのほうが、何もかも時間がかかりすぎていて、それ待っている間にどんどん自分が弱っていくのがわかるので、どうなっていくんだろうという不安しかないです」(斉藤さん)

日本で患者が確認されて、およそ30年。
正しい診断と治療が受けられることを、患者たちは願っています。

※この記事はハートネットTV 2018年10月23日放送「忘れられた病~筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群の現実~」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

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