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特集セクハラ(1)平成がのこした宿題 日本初の“セクハラ”裁判を振り返る

記事公開日:2018年11月14日

セクシュアルハラスメントに関する報道が目立った今年。実は「セクハラ」が日本で初めて注目されたのは30年も前のことでした。平成元年、福岡で初めてセクハラを争点にした裁判が起こされ、「セクシャル・ハラスメント」はこの年の流行語大賞新語部門の金賞を受賞。これを機に、セクハラという言葉は広く社会に浸透しました。しかし、それから30年。いまも被害を訴える声が相次いでいます。日本初のセクハラ裁判からこれまでに何が変わり、何が変わっていないのか。そして次の時代の“あるべき姿”についてシリーズで考えます。

 ■セクハラ特集
 (1)平成がのこした宿題 日本初の“セクハラ”裁判を振り返る ←今回の記事
 (2)日本ではセクハラが法律で禁止されていない?! 世界の中の日本
 (3)ある企業の研修 「無意識の偏見」と向き合う

上司の性的嫌がらせがエスカレート

30年前、日本で初めてセクハラ被害を問う裁判を起こした、晴野まゆみさん。現在は、福岡で地方情報誌を出版する会社を経営しています。

画像(晴野まゆみさん)

大学時代からライター志望だった晴野さんは、28歳のころ、小さな出版社で働き始めました。
すぐに頭角を現し、上司にあたる編集長の穴埋めをするまでになった晴野さん。しかし活躍するにつれ、大学の先輩だったという編集長からの嫌がらせが始まりました。

「対外的には、私のほうの評価が上がっていって。すると彼がどんどん、日ごろの態度が陰湿に変わっていった。『晴野は夜遊びがお盛んで』とか、『夜な夜な、男と遊び歩いて』とかそういうことを。私も、半分は冗談だと思って『何言ってるの』と思って聞き流してたんですけど。」(晴野さん)

画像(当時の晴野さん)

そのころ、晴野さんは卵巣腫瘍を患い、手術のため1か月入院することに。その報告をしたあと、編集長が電話口で社外の人と話すことばに耳を疑ったといいます。

「『晴野が入院することになって。盲腸じゃなくて、ほらほらあっち、あっちの病気。そうそう、もう夜遊びが激しくって』って。『だから、あそこがちょっと不具合ができたんだよね』みたいなことを目の前で言われて、女性としてどれだけそれが屈辱というか、ほんとに『この人、何を考えてるんだろう?』って。」(晴野さん)

退職に追い込まれ、裁判で争うことを決意

晴野さんへの性的な中傷は2年半に渡りました。精神的に限界を感じた晴野さんは、親会社の社長や、会社の専務に個別に相談。しかし、返ってきたことばは、「大人の女性なら笑ってやり過ごせ」。具体的な措置も、まったくとられませんでした。

そしてそれから半月後。晴野さんは突然こう告げられます。

「『とにかく明日から来るな。今すぐ荷物まとめて出ていけ』って。そんなばかなって。『私のほうが被害者なのに、なぜ私が、今ここで会社を辞めなきゃいけないんですか』って食い下がったんですけど、もうほんとに問答無用と。」(晴野さん)

晴野さんは、簡易裁判所に調停を申し立てます。しかし、ここでも思わぬ対応を受けました。

「年配の男女の調停員2人が『あなたは若くてきれいだから、いろいろとやかく噂を立てられたんでしょ。(女性は)そういう噂を立てられるうちが花じゃないですか』と。1人の人間として働いてきて、その尊厳を傷つけられたのに、『花でいいじゃない』とくくられて、ポイと捨てられるという、そのことに対してすごいショックを受けましたね。」(晴野さん)

誰からも理解を得られず、孤立を深める晴野さん。名誉棄損で調停を起こすものの、証拠もなく、調停は不調に終わりました。

画像(晴野さんが訪ねた「女性のための法律事務所」)

そんなとき、晴野さんは新聞記事で女性弁護士による女性のための法律事務所ができたことを知ります。わらにもすがる思いで事務所を訪ねたところ、相談を受けた弁護士の1人、原田直子さんに「これは、あなたが女性だからだ」と伝えられます。

「もし私が男性で彼も男性だったら、会社はあなただけを辞めさせることはしなかっただろうと。けんか両成敗だったら、2人それぞれに話を聞いてどうするか判断をしただろうと。逆に、彼が女性だったなら、ハラスメントというか、そういうことをしたということと、また女性であるということで、相手が会社を追い出されただろうと。でも、被害者であるあなたは、被害を救済されるどころか、会社を追い出されたのは、何よりも彼が男性、あなたが女性だからと。だから、これは不当解雇だと。性差別に基づいた不当解雇だよと。」(晴野さん)

弁護士の原田さんは、当時をこう振り返ります。

画像(弁護士 原田直子さん)

「今でも覚えてるんですけど、彼女の相談のあとに、『これ、性差別としてやれるんじゃない?』と(事務所内で相談した)。やっぱり女性の働き方として、これまで女性は、優秀であることが必要だけど、男性の下で補助的に働いて、その成果を自分のものにすることを望まない。望まれる女性労働者像に、彼女がそうではない働き方をしたことによって、排除されたと。これはやっぱり性差別だし、これから女性が社会に進出して働いていく上で、いつまでもこんな働き方で、安く使われるのはたまらない。」(原田さん)

地元紙への投稿で広がる共感の輪

受けた被害は不当であり、性差別だと告げられた晴野さん。裁判を起こす決意をしますが、厳しい戦いが予想されました。男女雇用機会均等法の施行から3年がたっていた平成元年。企業は、男女平等に努めるべきとされたものの、実態は、男性中心の職場が多く、女性が声をあげることは容易ではありませんでした。

弁護士に女性の賛同者を募るよう薦められた晴野さんは、地元紙に自分の体験を投稿し、女性たちに呼びかけました。

画像(晴野さんが投稿した新聞記事)

「男性の何気ない言動でも、女性にとっては苦痛であることを、それが差別意識の表れであることを、1人でも多くの男性に認識してもらうために、あなたの経験や意見を寄せていただきたく、投稿した次第である」(晴野さんの投稿記事より)

晴野さんの投書を掲載した元新聞記者の藤井千佐子さんは、この投稿への反響を鮮明に覚えています。

画像(元新聞記者 藤井千佐子さん)

「4月に新聞に載ったんです。それに対する反響を、読者のご意見を求めたら、ものすごい反響があった。彼女の受けた被害は彼女が女性だから受ける被害であって、性差別なんだということは、私もそのときストンと自分の中に落ちた。」(藤井さん)

3か月後、藤井さんは、届いた反響の声を特集記事にまとめました。そこには晴野さん同様、孤独に思い悩んできた女性たちの切実な声があふれていました。

画像(裁判の支援の会の女性たち)

そして、共感の輪は広がり続け、裁判を起こすなら支援したいという女性たちもでてきました。

日本初のセクシュアルハラスメント裁判

平成元年8月。多くの女性に背中を押され、晴野さんは、元上司と会社を提訴。日本初の「セクシュアルハラスメント裁判」として注目されました。

裁判が注目される一方、女性が声をあげたことを批判する世間の声も多くありました。“モテない女が騒いでいるだけ”などと揶揄する報道もあり、晴野さんの心を傷つけました。しかし、全国各地で女性たちが声をあげる動きが高まり、無視できない大きなうねりになっていきました。

画像(平成元年当時の週刊誌)

提訴から2年半。福岡地裁の判決は晴野さん側の全面勝訴。セクハラを行った元上司だけでなく、女性が働く環境調整を怠った会社にも、損害賠償が命じられました。

「負けても裁判やったことに意義があるよね、ぐらいの気持ちでいたので、まさか全面勝訴は予想してなかった。もうびっくり。」(晴野さん)

そして、判決から5年後の平成9年。男女雇用機会均等法に規定が設けられ、企業は、セクシュアルハラスメントの防止や対策に努める義務があるとされました。晴野さんたちが声をあげたことで、セクシュアルハラスメントは社会に広く認知されるようになったのです。

画像(男女雇用機会均等法の文言)

変わらない日本の構図 晴野さんの思い

平成の初めに起こされた裁判から30年がたった今年。各地でセクハラ被害の訴えが相次ぎました。さらに、近年注目を集めた#MeTooの動きでも、日本では被害を訴えた人が反対にバッシングを受けるなどの事態になりました。

晴野さんは、声をあげた被害者がバッシングを受けやすい構図は、30年前と変わっていないと感じています。

「女性のほうに隙があったとか、女性の売名行為とか枕営業とか、いろんなこと言われてるじゃないですか。そういうのは全然変わっていない。私は声をあげた人に対して『あなたが周りから何を言われようとも、あなたは間違っていない』と。そのことばだけは必ず贈りたい。」(晴野さん)

セクシュアルハラスメントの被害を訴えるため裁判を起こした晴野さん。当時から、変わらない思いがあるといいます。

「男女の対立構造を築くために裁判を起こしたわけではなくて、むしろ、男女が理解してほしい。世の中は、男性、女性、トランスジェンダーも含めていろんな人たちがいて、今『多様性』と言ってるけれど、やっぱり相手が嫌だということがわからなかったりする。こちらも嫌だと言わなきゃいけないし、私たちも男性が『女性からこういうふうに言われたらすごく嫌なんだ』ということを気づかずに言ってるかもしれないし、やってるかもしれない。それをお互いに認識し合って、よりよくしていく。よりよい社会を築いていくためには、どっちかがどっちかのために我慢することではないと思うんです。」(晴野さん)

日本初のセクハラ裁判から30年。平成が終わりに近づく今、何が宿題としてのこされているのか、考え続けていかなくてはなりません。

【特集、続きは・・・】
(2)日本ではセクハラが法律で禁止されていない?! 世界の中の日本
(3)ある企業の研修 「無意識の偏見」と向き合う

※この記事はハートネットTV 2018年10月2日放送「平成がのこした“宿題” 第1回『セクシュアルハラスメント』」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

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