芸歴70年、喜劇俳優として活躍してきた芦屋小雁さん(84)が認知症を公表しました。本番前の舞台の袖で「ここどこや」と戸惑い、散歩に出たまま行方不明になったこともありました。昔のことは覚えていても、直近の記憶が根付きません。それでも小雁さんは死ぬまで「芦屋小雁」として生きていこうと思っています。その思いに触れ、最初は施設を探したという妻・寛子さんも覚悟を決め「わたしのことがわからなくなるまで一緒に暮らそう」と。夫婦二人三脚で歩む、晩夏の記録です。
芦屋小雁さんは15歳の頃から芸能生活を始めました。
兄は『裸の大将』の山下清役だった芦屋雁之助さんです。
幼い頃は絵が好きで、映画の絵看板を描く仕事がしたかったという小雁さん。しかし、父親に勧められ、兄と2人で漫才コンビを組みます。やがて時代はテレビ全盛期。出演した「番頭はんと丁稚どん」は、視聴率62%を記録。小雁さんは同じ年に9本の映画に出演するなど、売れっ子として活躍してきました。
「番頭はんと丁稚どん」
芸歴70年になる今、京都市上京区の自宅で寛子さんと2人で暮らしています。
小雁さんは血管性認知症とアルツハイマー型認知症の合併型という診断を受けています。
小雁:「知らん。全然知らん。認知症ってどんな?どんな病気や?」
寛子:「忘れんねん。」
小雁:「忘れる、あ、それはね、邪魔くさいから、忘れたって言うてしまうのよ。そんなんありますかいな。どこが認知症や!」
小雁さんはこう続けます。
小雁:「仕事のことばっかしか考えてへん。あんまり普段のことよりも仕事があったらええなとかね。どっかぼーんてあたって、死んでも、その死ぬ前までは芦屋小雁でいたいっていう。」
ある朝。寛子さんが出かける支度をしていると、小雁さんが不安げに話しかけます。
小雁:「お母ちゃんどっか出て行くん?」
寛子:「お母ちゃんお仕事や。」
小雁:「えー。僕はどうしたらええのかな。」
薬を飲む、タオルで顔をふく、ひげを剃る、髪をとかす・・・。身支度のほとんどに、寛子さんの手助けが必要です。
寛子さんは、自分の外出中に訪問介護員が来ることなど、スケジュールを丁寧に書いて見せますが、小雁さんは理解できません。
小雁:「お買い物のお兄さん来はるいうのがわからん。」
寛子:「うん。そやな。」
小雁:「お昼のおかずよろしく、これもわからん。」
寛子:「うん、そっか。大丈夫。今、ちょっと忘れてるだけやから。例えば、お買い物のお兄さん来はって、顔見たらな、いつもすぐ思い出してる。ほんとよ。『あー』って言って、行ってくれてるから。」
小雁:「お金はどうするん?」
寛子:「お金はほら、書いてあるやろ。お金は預けてますって。だから大丈夫。大丈夫やで。」
寛子さんは、万が一のために用意してあるGPSを見せてくれました。
「靴にGPS。彼が動くと携帯に入るのでメールとして。現在地が調べられるので、地図上に出てくるんですよ。」(寛子さん)
寛子さんの外出後、自宅の外で一人座っている小雁さんのもとに、訪問介護員の西本豊さんが到着しました。
西本:「またお昼ご飯の買い物いきましょか。」
小雁:「そうですか。ええー。」
「買い物同行サービスといって、ご本人が買い物したいものを、一緒に買い物するっていう形なんです。小雁さんの場合は奥さんからのご希望で、一緒に行って運動もかねてみたいな所があります。」(訪問介護員 西本豊さん)
スーパーで西本さんと一緒に買った昼食を食べ終えると、小雁さんは携帯をいじり始めました。
小雁:「わからない。電話ありと書いてある。なんでやろ。メッセージありやろ。お母ちゃん連絡つかへんのやけどなんでや。5時まで帰って来ないのかな。」
少し不安げな小雁さん。寛子さんが帰宅するまでの時間が長く感じられます。
夕方5時。寛子さんが自宅に戻ると、小雁さんの姿が見当たりません。
寛子:「てっきり家にいると思ってたから。油断してたな。とりあえずGPSで探してみますね。わかった。今、北ですわ。」
GPSを頼りに外を探し回っていると、遠くに小雁さんを見つけました。寛子さんは小雁さんに電話をかけます。
寛子:「もしもし。道がわからないのねー。大丈夫よ。迷ってんのわかったわかった。後ろ振り返ってくれたら、手振ってるのわかる?手振ってる女の人いる。」
寛子:「普通にお散歩しようと思ったん?」
小雁:「散歩して自分の家に帰ろう思ったけど、どこがうちかわからへん。えらいこっちゃな。自分のうちがわからんのや。」
寛子:「その自覚症状があるだけええわ。」
小雁:「ああ、良かったここで会えて。」
小雁さんは、不安からか文章も入っていない空メールを寛子さんに送っていました。
無事に帰宅したあと、夕食をとりながら話します。
寛子:「空メールがきてたから、あ、なんかちょっと不安なんだろうなと思って、返信はしといたんですけど。」
寛子:「メール送ったん、見た?」
小雁:「見てないな。」
小雁さんは携帯を取り出して見てみます。
するとそこには、寛子さんからのメッセージ。
「大好き 17時に帰ります」とありました。
寛子:「恥ずかし。恥ずかし。あほや。また言われる。西陣のばか夫婦ってまた言われる(笑)。」
小雁:「はい、ありがとう。」
寛子:「どういたしまして。恥ずかし。」
小雁さんが、女優の勇家寛子さんと再々婚したのは平成8年のことです。
30歳年下の寛子さんとは、「裸の大将」の地方巡業で共演したのがきっかけで知り合いました。今年で結婚23年目になります。
寛子:「結婚生活新記録更新中。」
小雁:「10年っていうのはないな。」
寛子:「なかったですね。今まで二桁のったことなかったですね。今まで最高9年ですからね。」
認知症の症状がとくに目立つようになったのは、2017年秋のことでした。
舞台の仕事で劇場に入ると「何やこれ。何やってんねんや」「なんでこんな格好してんねんや」と小雁さんが言い出します。寛子さんが舞台袖までついていき、出だしの台詞を伝え、なんとか出番を終えて戻ってきました。
「だんじり囃子の舞台」
その後、2018年4月には、要介護2の認定を受けます。
寛子さんは様々なサービスを試しますが、デイサービスに行っても脱走したり立てこもったりする様子をみて、途方に暮れたといいます。
「去年の小雁さんと今年の小雁さんが全然違うし、壊れていく感じが手にとるようにわかるから、怖くて。自分の中ですごくしんどくなってて。考え方を変えないといけないな、って。」(寛子さん)
そんななか、認知症との向き合い方が変わったのは、小雁さんの「わし、死ぬまで仕事するでー」という言葉がきっかけでした。
「『本当に死ぬまで仕事したいの?』って聞くと『うん』って言うから。引退するって言ってくれたら私たぶん隠してたと思うんですよ。でも『死ぬまで仕事したい』って言ってる。これはもう隠しても仕事はできひんし。ちょっとずつ『仕事になったらできるんなー』って。芦屋小雁ってスイッチ入ったら、もしかしたらそんなに皆様にご迷惑かけずに、できることがあるんじゃないかなって思い出して。」(寛子さん)
寛子さんの言葉に、小雁さんは続けます。
「芦屋小雁として自分は生きてきたから、最期まで芦屋小雁を通していきたいっていう。面白いこと今すぐにでもやりたいな思ってんのにねー。誰もやらしてくれへんだけや。踊れと言われれば踊りますし。何でもしまっせー。」(小雁さん)
大阪のある劇場に、小雁さんの姿がありました。
小雁さんの兄・芦屋雁之助の三男、雁三郎さんの披露公演です。
舞台終了後、雁三郎さんに促され、小雁さんはステージに上り、雁三郎さんに名入りの手ぬぐいを渡します。
小雁:「お金はありませんよ。」
雁三郎:「それは私が出さなあかん。」
小雁:「ありがとうございます。こんなことでよろしいか。がんばってな。」
劇場は笑いと拍手に包まれました。
小雁さんはシニア向け演劇教室「元気☆塾」で指導も行っています。教室には、小雁さんの大きな「よーい、はい!」の掛け声が響きます。
小雁:「あーあかん。もうちょっと普通に、もう少し普通に。なんか格好つけすぎ。ゆっくりでええさかいね。あまりリアルにさささーって行ってしまわんで。よろしいか、ゆっくりやで。よーい。」
小雁さんと寛子さんは、地域の行事にも積極的に顔を出します。地蔵盆に浴衣姿で現れた2人に、町の人々は次々と声をかけたり、握手を求めたり。小雁さんの人気は健在です。
女性:「がんばってや小雁ちゃん!」
小雁:「ありがとうございます。」
女性:「また舞台出られるように!」
「大きな劇場に出て拍手をもらうとね、当然それは芦屋小雁だと思うんですけど。そういう機会がどんどんなくなっていった時に、やっぱり地域の方々と触れ合う。正直に色んなことをオープンにしていって、病気があってもどんな姿になっても、最期まで芦屋小雁でいるっていうことが大事なんじゃないかと。」(寛子さん)
認知症であることをオープンにして、最期まで“芦屋小雁”として生きていく。
それが、小雁さんと寛子さんの、ふたりらしい認知症との向き合い方なのかもしれません。
※この記事はハートネットTV 2018年9月20日放送「リハビリ・介護を生きる 認知症になっても死ぬまで芦屋小雁でいたい」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。