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元アイドル・新田恵利が向き合う介護、病、そして終活

記事公開日:2018年10月16日

1980年代におニャン子クラブの中心メンバーだった新田恵利さん(50)は現在、母親の介護をしています。きっかけは4年前、母親が、骨折が原因で寝たきりになったことでした。右も左も分からないまま突然始まった介護生活。そして、時を同じくして、新田さん自身も病に—。老いや死が身近に感じられるようになり、自分の終活にも力を入れるようになったという新田さんに、お話を伺いました。

突然始まった母の介護

1980年代に一世を風靡したおニャン子クラブの中心メンバーだった新田恵利さん。
その後、バラエティー番組や舞台、ドラマで活躍しました。

アイドルとしてデビューした17歳のときに、父が他界。
多忙な新田さんを常に支えてくれたのは母・ひで子さん。ずっと友達のような存在だったといいます。

画像(新田さんのアイドル時代)

29歳で結婚。母と一緒に暮らすことが念願だった新田さんは・・・。

「プロポーズをされたときに、『私と結婚したら、もれなく犬と母がついてきますよ。それでもいい?』と(笑)」(新田さん)

しかし、ひで子さんを介護することになるとは、想像もしていませんでした。

母の介護が始まったのは4年前の夏。ひで子さんが、85歳のときでした。骨粗しょう症だったひで子さんが背骨を骨折し、リハビリのため入院。ところが退院後、自分の足でまったく歩けなくなっていました。

画像(入院時の様子)

「痛いよ、痛いよって子どものように、ただ痛さを訴えていて。兄が持ち上げると、母の足が、だら~んとして、つま先が、ずるずるずる~って引きずられていったんですね。そのときの絶望感っていうか、悲しかったですね。」(新田さん)

初めて経験する寝たきりの母の世話。
介護用品をどこで買ったらいいのか、介護ベッドはどうするのか・・・まさに手探りでのスタート。
なかでも排泄ケアが悩みの種でした。

「シーツまで漏れちゃったのもありますし。マメに取り替えていても、冬場はどうしてもお布団を必ずかけますので、洗っても洗っても臭いがこもるんですよね。介護独特の臭い、病人がいる独特の臭いに部屋が変わっていくのも切なかったですね。」(新田さん)

1人で頑張りすぎない工夫

先の見えない介護の日々。母に対して感情的になることもありました。
そんな中、新田さんはある行動を起こしました。

長年続けている新田さんのブログに、母の介護が登場したのです。

画像(新田さんのブログ『E-AREA』より)

「今日から、新しいコーナー?を立ち上げちゃおうかなぁ~」
「直面しないと分からない現実をこのブログにアップしていこうと決めました」

世間に自らの介護を公表した新田さん。戸惑いはなかったのでしょうか。

「最初に母が寝たきりになったと告白するときはすごく悩みましたね。でも、それを書くことによって理解を得られたり、情報を得られたり、自分の気持ちが整理できたりってあったので書きました。」(新田さん)

ブログには、その日その日の介護の日常が綴られていました。

「寝たきりになり、食事に関してのわがままに拍車が。食べたいものは?と聞けば、ない・分からないと答えるのに用意すれば、ほとんど食べない。」

「まぁ、でも寝たきりの母の楽しみは食事くらいだろうと、私なりに頑張っているんだけど・・・ね。」

介護の悩みと本音に思わぬ反響がありました。

「もう介護に疲れ果てて、何もかも投げ出したいっていう方がいたんですね。でも、私が『頑張る』って言ったので、『えりちゃんが頑張るなら、私ももう1回頑張る』って言ってくれたので。逆に、一緒に頑張ろうねって力をもらえた、それが一番。」(新田さん)

前を向いて介護に向き合う新田さんに、母も応えてくれました。
骨折から1年後、要介護度は4から3に改善しました。

母のできることを少しでも増やそう、と新田さんは考えました。

車いすで移動しやすいように、床を介護リフォーム。
そしてキッチンの収納扉を撤去し、車いすで奥まで行けるようにしました。これによって食事の片付けを母が1人で担えます。

画像(収納扉)

さらに、「おむつフィッター」という資格取得にもチャレンジ。今まで自己流だったおむつの替え方も、プロから学ぶことで、格段に楽になったといいます。

「普通にすると、足の股関節が自由に動かない。でも、オムツフィッターで教わったように、ちょっとした工夫で足がよく開くし、背中のパカパカがなくなる。オムツでも、つけ方一つでこんなにも違うんだって。」(新田さん)

1人で頑張りすぎてはいけない—。
独身の兄とも介護を分担し、入浴はデイサービスを利用していると言います。

「母は、食に対してわがままを言ったりもするんですけど、私が一生懸命やっているのを見ているので、我慢してくれるようになりました。『1食くらい(抜いても)平気』なんて言ってくれるので、気が楽になりますね。」(新田さん)

偶然見つかった「脳動脈瘤」

母の介護が始まった頃、新田さん自身にも大きな出来事がありました。
2013年、テレビ番組の企画で脳ドックを受けたところ、脳の血管にコブが見つかります。「脳動脈瘤」であると告げられました。

画像(新田さんの脳動脈瘤の画像)

「見つかって2年くらいは、大きくならなかったんですけど、3年目で、母の介護になって1年後に大きくなっちゃったんで。」(新田さん)

大きくなったコブは命の危険があると、おととし、手術をしました。手術は無事成功しましたが、再発がないかどうか確認するため、定期的に病院に通っています。

年に一度の検診、やはり不安が募ります。

画像(新田さんの検診の様子)

医師「どうですか? その後は?」
新田「元気です。」
医師「結果は、上々ですね。非常にうまくいっていると思います。動脈瘤があったのは、ここにコブがあったんですね。きれいに塞がっていて、まったく再発する心配もないと思います。」

受診のたびに医師から、必ず聞かれることがあります。

医師「ちゃんと休んでいますか?」
新田「うん。」

医師の村山雄一さんは、脳動脈瘤とストレスには密接な関係があると言います。

画像(村山雄一医師)

「『私は体力もあるし、頑張る』って、メンタルの強いような方が一番危ない。やっぱり、1週間に1回でも、そういうものから解放されるような時間をちょっとでも作るとか。」(東京慈恵医科大学 脳神経外科学講座 主任教授 村山雄一さん)

後悔しない人生を送りたい

自身の病がきっかけで、新田さんは老後のことを身近に感じるようになったといいます。
去年、熱海の高台に築50年の家を購入。これを改築して終の住処にすることにしました。

画像(新田さんの終の住処)

1年かけて床や壁を取り除きました。
時間をかけて、自分たちの手で「理想の家」を作ろうと考えています。

「5年後、10年後には、ここでゆっくり住むんだなっていう目標があるとやっぱり頑張れますから。おうちにいたら、母のこと、喧嘩してても気になっちゃう。離れちゃうのが、一番気分転換になりますね。」(新田さん)

介護は悲しくつらいことばかりじゃない。楽しいことも報われることもある。
今では、母とのつながりが、より愛おしくなったといいます。

画像(母・ひで子さんをヘアカットする新田さん)

母「ありがとう、眠たくなっちゃった。」
母「幸せだね。」
新田さん「えっ?」
母「幸せだね。」
新田さん「幸せですか?虎刈り寸前なのに?(笑)」

「介護っていうものは、母のためにやっているようですけど、結局は、自分が後悔しないためにやっています。まず、後悔しない人生を送りたい。なので、母の介護もやりますし、最後は、世界一周したいとか、そういう夢があるので、そういうものを叶えていきながら、後悔のない人生を送りたいと思っております。」(新田さん)

いつ訪れるか分からない親の介護。
戸惑いながらも手探りで奮闘してきた日々を経て、「頑張りすぎず、後悔のない人生をおくりたい」と語る新田さんの笑顔は輝いて見えました。

※この記事はハートネットTV 2018年8月9日放送「リハビリ・介護を生きる 新田恵利・母から学ぶ介護と終活」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

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