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ヘレン・ケラーが伝えたかったこと 第1回 私が住む世界

記事公開日:2018年09月21日

今年はヘレン・ケラー没後50年。ヘレン・ケラーと言えば、誰もが思い浮かべるのは、言葉の存在に気づいた「井戸端の奇跡」のエピソードではないでしょうか。しかし、井戸から流れる水が「ウォーター」だとわかっても、ヘレンは暗黒と沈黙の世界から抜け出せたわけではありません。盲ろうのヘレンがどのように外界と接し、言葉や知識を身につけ、日常を生きていたのか。自伝やエッセイをもとに、ヘレン自身が語る真実の姿をお伝えします。

全身を目にして外界を知る

暗黒と沈黙の中で、人はどのように生きるのか。幼い頃に盲ろうになったと聞くと、多くの人々は絶望的な「無」の世界を想像しますが、ヘレン・ケラーの著作を読むと、ヘレンは決して「無」の中に寂しく放り出されていたわけではなかったことがわかります。

ヘレンは生涯にわたって、多くの雑誌に寄稿し、7冊の著作を世に送り出していますが、28歳のときに著した『私の住む世界(The World I Live in)』というエッセイ集で、自分がどのように外界と接してきたかを記しています。この著作は、障害のない人を盲ろうの世界へといざなう導きの書であるとされ、ヘレンのお気に入りの1冊です。

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『私の住む世界』(ヘレン・ケラー)

「感覚にいくつか障害があったとしても、多くの人々が考えるように、道しるべもなく、案内人もいない荒野に追い出されたわけではありません」(『私の住む世界』)

スミレの花弁のやわらかさ、馬の鼻のビロードのようななめらかさ、すり寄ってくる愛犬のぬくもり、朝露にぬれた草の葉の冷たさ、そのようなさまざまな感触がヘレンの世界を彩りのあるものに変え、喜びを与えてくれました。へレンが強調するのは、触覚の驚くほどの豊かさです。

ヘレンは自分の手を昆虫の触角にたとえて、私の手は外界を認識するための「ものを見る手(seeing hands)」であり、視覚と聴覚を合わせもつようなものだと言っています。

ヘレンは、私たちが人の顔を認識するように、握手の手触りによって、男女の別や年齢を探り当て、個人が特定できるぐらいに、はっきりとその人を記憶しました。ときには、握り方や勢いで、その人の性格やその日の気分、自分に対する感情までも言い当てたと言います。

さらに、ヘレンの触覚は、手で触れるものだけにはとどまらず、木々のざわめきの微かな振動、皮膚に感じる太陽の温かみ、頬をなでる風のさわやかさにも及び、野山を散歩しながら、自然の営みを全身で感じるのが、ヘレンの大きな楽しみのひとつとなりました。

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ヘレンは、野山で動物を手にすると、その小刻みな体のふるえに「命」を感じたという 写真提供:ピクスタ

ヘレンは、13歳のときにナイアガラの滝を訪れますが、私たちが雄大な眺めや波音を記憶するように、ヘレンは体に伝わる振動と頬に感じる水しぶきで、怒号のように下り落ちるナイアガラの滝を体感します。

「時として、私の肉体そのものが、それぞれ目であって、毎日創造される世界を、心のままに眺めているような気がすることがあります」(『私の住む世界』)

同じ13歳の年に、ヘレンは、ヘラルド紙の記者から、「(重い障害があるのに)なぜ、そんなに楽しそうでいられるのか」とたずねられますが、「私は神様の贈り物のうち二つを失っただけです。その二つを除いていろいろな贈り物をいただいています。そのうちの一番大きなものは“心”です」と答えています。

「井戸端の奇跡」の真実

ヘレンは、触覚や嗅覚や味覚によって世界との接触を保ってはいましたが、サリバンに導かれる以前は、人と人とのコミュニケーションは不可能だったと思われています。しかし、これもまた、ヘレンの自伝やサリバンの教育の記録を読むと、別の姿が浮かんできます。

ヘレンは、サリバンと出会う前にも、自ら60種類の身振りを工夫して生み出し、周囲とのコミュニケーションを取ることができたと言います。

パンが食べたいときには、パンを切ってバターを塗る真似をして、アイスクリームが食べたいときには、アイスクリーム機を回す仕草をして、冷たさを表すためにぶるっと震えてみせました。「大きい」を表すときには大きく手を広げ、「小さい」を表すときには、自分の手の甲をつまんでみせました。

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ヘレン・ケラーの生家(アラバマ州タスカンビア)。現在は記念館になっている

ケラー家の料理人の子どものマーサ・ワシントンはヘレンの遊び相手でしたが、マーサはヘレンが何をしたいのか、それらの身振りから察知することができました。例えば、ヘレンがホロホロ鳥の卵を見つけたいときに手で地面に球体を示すと、マーサはすぐにそれに応じたと言います。

そんな誰もが認める賢い少女だったヘレンに、唯一欠けていたのは言葉でした。

それを補うために雇われたのが家庭教師のサリバンです。彼女がケラー家を訪れたのは、ヘレンが6歳8か月のときでした。サリバンがヘレンに教えたのは、指文字(manual alphabet)です。出会うとすぐに、人形を手渡し、指で「doll」と示しました。手遊びだと勘違いしたヘレンは、おもしろがって、すぐに真似をしました。

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ヘレン・ケラーが学んだと言われる指文字

ヘレンは1か月で30近い単語を覚えました。サリバンの教育の記録によれば、目(eye)、指(finger)、足指(toe)、頭(head)などの体の部位の呼び名は、ヘレン自らが知りたがったと言います。ヘレンは洗面の際にサリバンに水の名称をたずねて、それが「ウォーター(warter)」であることも知っていました。これらは「井戸端の奇跡」よりも前に起きていた出来事です。

それでは「井戸端の奇跡」は作り話なのでしょうか。実は、ヘレンは「water」という綴りは知っていても、それが器のことを指すのか、中の液体のことを指すのか、飲む動作を指すのか、あいまいでした。ヘレンは指文字をただの手遊びと考えていましたから、サリバンがそのあいまいさを正そうとすると、かんしゃくを起しました。

「water」が何であるのかすっかり混乱していたヘレンを、サリバンは井戸端まで連れて行き、ポンプの水をヘレンの片手の手のひらに注ぎながら、別の手のひらに指文字で何度も「water」と綴ります。

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ヘレンは「water」の綴りはすでに知っていましたが、そこで探り当てたのは、その意味でした。そして、指文字はジェスチャーのようなものではなく、森羅万象を理解するための何ものかであると天啓のように悟るのです。ヘレンは23歳のときに発表した自伝の中で、そのことを「言葉の神秘が、あらわに示された」と表現しています。生まれて初めて知った言葉が「ウォーター」だったのではなく、言葉の本質的な仕組みを直感したというのが、「井戸端の奇跡」の真実です。

ヘレン・ケラーと言えば、すぐに「三重苦」という枕詞がつきますが、過去の資料をていねいに読み解くと、ヘレンは残された能力を生かしながら、私たちが想像するよりもはるかに豊かな世界を生きていたことがわかります。

もちろん、盲ろうと言っても、視覚と聴覚をともに失った時期がいつなのか、知的な障害をともなうのかどうかによって、障害の影響は人それぞれです。それでも、私たちは、本人たちの発言や記録をもとに、盲ろうの人の生きる世界への想像力を広げ、ヘレンの教育がなぜ可能になったのかを、予断を排して、もう一度振り返ってみる必要があるように思います。

参照:『わたしの生涯』(ヘレン・ケラー著 岩橋武夫訳)、『ヘレン・ケラーはどう教育されたのか―サリバン先生の記録―』(サリバン著 槇恭子訳)、『愛と光への旅 ヘレン・ケラーとアン・サリヴァン』(ジャゼフ・P・ラッシュ著 中村妙子訳)、『The world I live in』(helen keller)

執筆者:Webライター 木下真

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