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報道写真家・石川文洋が考える戦争と平和

記事公開日:2018年09月20日

報道写真家・石川文洋さん(80)。その人生は、常に旅とともにありました。20代後半、世界各地を放浪する旅の途中、ふとしたきっかけで、ベトナム戦争の最前線に身を置くことになります。以来、戦争が終わった後も、石川さんはベトナムへの旅を続けました。65歳のときに日本を徒歩で縦断。長い旅路の中で、石川さんは生きることの意味を問い続けてきました。80歳を迎え、残された人生の時間に向き合う中で、今、何を思うのでしょうか?

残酷な心は誰にでもある ベトナム戦争を見つめた4年間

長野県諏訪市に移り住んで25年。ベトナム戦争を記録した写真家として知られる石川さん。当時、戦闘の最前線で撮影した写真は世界中に配信され、高い評価を受けました。

画像(カメラを構える報道写真家・石川文洋さん)

石川さんが戦地へ身を投じることになったのは、26歳のとき、ふとしたことがきっかけでした。

1964年、東京オリンピックに沸き立つ日本の空気になじめず、世界一周を目指して旅に出ます。その途中、旅費を稼ぐために働いていた香港の撮影スタジオで、ベトナム戦争の取材を持ちかけられたのです。

画像(従軍中に休憩する石川さん)

知らない世界を見てみたい。石川さんは好奇心からアメリカ軍の従軍カメラマンになりました。

「このときは、私が初めての従軍です。ベトナム政府軍の海兵隊がダーッと攻めてったわけです。そうすると向こうから、上には機銃の陣地、要するに解放軍の陣地があるわけです。そこからバラバラバラ撃ってきたんです。そのときは、私はもう夢中で、立って写真撮っていて。で、その血だらけのレフトウィッチ少佐は、伏せろ、伏せろと言う。そしたら、後で、彼はベトナムの海兵隊の軍事顧問で、海兵隊では、すごいって、日本人っていうのは勇敢だって言ってるわけ。そうじゃないんですよ、私はもう。戦争を知らないから、(弾が)飛んできても、怖さを知らなかった。」(石川さん)

画像(レフトウィッチ少佐)

南北に分断されていたベトナムの統一をめぐって始まったベトナム戦争。アメリカの軍事介入により、戦況は泥沼化していきます。ナパーム弾や枯れ葉剤などの近代的な兵器が使われ、さらに、大規模な地上戦で、多くの犠牲者がでました。

画像(ベトナム戦争での写真)

「カメラというのは私にとっては武器です。だからカメラがなかったら、私はとてもこういう戦場に耐えられなかったですよ。写真を撮るからそういう危険にも耐えることができて、それから写真を撮るから残酷な場面にも耐えることができた。」(石川さん)

戦場の実態を知りたいと、夢中でシャッター切る日々。石川さんは4年間、ベトナム戦争の最前線に立ち続けました。そうして記録された膨大なネガの中には、敵味方の区別なく、戦場に生きる人々の日常が残されています。

「人間は変わるわけですよ。基地にいるときは普通の人間である。お酒を飲んで笑ってですね。時々、日本にいた経験のある兵士もいますよ。沖縄にいた経験のある兵士はたくさんいます。沖縄は良かったなぁとか、コザのバーに飲みにいったと。それは要するに平常心のときである。戦場になっていくと変わる。戦争を見てると、その変わり方というのは分かります。理解できる。なぜかというと人間というのは優しい心、それから怒りの心、残酷な心、そういうのがいくつもある。これは私にもあります。それがいろんな場面で、そういう状況になったときにでてくると。だから私にも残酷な気持ちはありますよ、心はですね。だけどそういう場面にあまり遭わないから、その面はあまり表面にでてこない。だけど戦争になると私は、そういう場面に気持ちはでてきます。だけどそれは軍隊であって、それは戦争であるから。だからこの、子どもたちに向かって機関銃を撃ってる彼は、私は戦争の被害者だと、そういうふうに思います。」(石川さん)

画像(村を燃やす兵士の写真)

「徹底した傍観者」へ コンプレックスから生まれた決意

ベトナムから日本に帰国した石川さんは、報道カメラマンとして新聞社に入社。高度経済成長の時代の中で、石川さんが記録したのは、発展の裏で起こるさまざまな社会問題でした。

帰国して3年。石川さんは、日本への返還が決まった生まれ故郷の沖縄を取材することに。取材を続ける中で、ある思いにとらわれます。

「沖縄には4歳までしか生活していなくて、本土で生活している方が長いけど、私は沖縄人と思っているわけだ。ただ、私の中では、コンプレックスがあるんです。というのは、私の親戚も、話し合っていると、沖縄戦を逃げ回っていると。そういう体験を持っているわけです。逃げ回って、生き残って、大砲の砲弾が爆発するのを聞いて、周りで多くの人が…。体験しているわけだね。で、沖縄戦が終わって、みんな収容所に入って、『アメリカ人の残飯を盗みに行ったんだよ』とか、何をしたとか、そういう話を同じ年代の人たちから聞くわけです。そうすると、私はそういうのを体験していないから、『もうとてもこの人たちには、体験としてかなわない』と。そういう気持ちがあります。それがコンプレックスになっていくんですね。」(石川さん)

沖縄で生まれながら、沖縄戦を体験していないというコンプレックス。心の奥底にある負い目に気付いた石川さんは、改めてベトナム取材の意義を自らに問うようになります。

画像(真剣な眼差しで語る石川さん)

「私のベトナムでの体験と、その人たち(ベトナム人)の体験とは、違いますからね。その人たちは、被害者となって戦争から逃げていく。私は、被害者ではありません。ベトナムで戦争取材をしてるときは、どっちかといえば傍観者です。被害者になって逃げた。傍観者として戦争見てる。被害者として見てる。その差というのは、やっぱり大きいですよ。」(石川さん)

「被害者でないならば、徹底した傍観者でいよう」。
ベトナムと沖縄での取材を通して、報道写真家としての姿勢を定めていきます。

「私は、カメラマンにいちばん大切な要素は、第三者に伝えていくことだと、そしてこれは自分の義務なのかなという考えでいるわけですね。前は、私はカメラマンだから写真だけを撮ればいいと思っていたわけですよ。写真を残せばいいと。だけれども、こういう戦争の体験というのは、写真を撮ることとは違った、伝えていく義務かな。義務ということは、やっぱり、二度と戦争は起こしてはいけない。戦争を防ぐためには、その戦争がどういうものか知ったうえで、今度次に起こる戦争がもし予想されたら、そういう戦争の悲劇を想像することが、戦争を防ぐ力になると、私はそう信じてるわけです。」(石川さん)

戦争を伝える大切さと、新たなる旅路

70歳を過ぎた頃から、石川さんは、全国の学校を回り、戦争取材の経験を伝える活動を始めました。

画像(中学生を前に講演する石川さん)

「今は次の世代に伝えていくのが私の仕事だと思っている。」(石川さん)

自分や、戦死したジャーナリストたちが見てきた戦争。その実態を、写真と言葉で語ります。

石川さんがこうした活動をするようになったのには、きっかけがあります。68歳の秋、心筋梗塞で倒れ、一時的に心停止の状態に。生死をさまよいました。

生と死が、いつも紙一重だったベトナム。それでも、生と死の境には、大きな隔たりがあると石川さんは感じていると言います。

「死というのは、見てると、生きてる間、息がある間は、どんなに重傷でもこういう肌色をしているんです。でも、心臓が止まった瞬間に、さーっと白くなります。そうすると、まだ息をしているときは、人間なんですよ。治ればまたその後の人生があるわけです。だけど、息を引き取って真っ白になってしまうと、これが物体化してくるわけ。その変化というのは、私は戦場で初めて知ったんですね。」(石川さん)

画像(入院中の石川さん)

心臓の半分以上が壊死したものの、一命をとりとめた石川さん。退院後、自分に残された時間を考えるようになります。

「与えられた命というんですかね。いろんなことはまだできるなと。そういう希望が生まれてきた。新しい力が生まれてきたということがあります。これは後に自分が残された大切な時間ということも分かりましたよ。」(石川さん)

生きているだけで、希望がある。講演活動に加え、今年、石川さんは新たな挑戦を始めようとしていました。

後遺症を抱えながら、15年ぶりに、徒歩で日本を縦断する旅に出ることにしたのです。北海道から沖縄まで8か月かけて3,500キロの道のりを巡ります。

26歳のあの日のように、好奇心のおもむくまま、まだ見ぬ出会いに期待をふくらませています。

「私にとっては、未知の世界。やっぱり自分にとっては、まだ未知の世界があるんだという、そういう関心ですね。好奇心ですね。」(石川さん)

画像(15年ぶりの日本縦断の出発点に立つ石川さん)

「80歳になって私にとっての大事業は、北海道宗谷岬から沖縄県那覇市までの徒歩の旅である。
何故、80歳になって徒歩の旅なのか。
歩いている間は自由時間で、自分が解放された気持ちになる。
歩いていて、飽きることがない。
歳月が移っても、その瞬間は人生に一度しかないからだ。
だから、旅に出る。」
(石川さんの手記より)

石川さん「沖縄、那覇市に向かって歩き始めます。スタートします。」

いよいよ、旅が始まりました。

戦争と平和について考え続けて来た写真家・石川文洋さん。戦後73年を迎えるこの国の姿は、その目に、どのように映るのでしょうか?

※この記事はハートネットTV 2018年8月14日放送「シリーズ 戦争と平和① 生きていてこそ ~報道写真家 石川文洋の旅路~」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

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