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そよ風の扇風機

鈴愛(永野芽郁)律(佐藤健)が開発する“そよ風の扇風機”は、「扇風機に革命を起こした」とも評される実在の製品をモデルにしています。その扇風機の開発者であり、ドラマで「扇風機開発部分 原案」を務める寺尾 玄さんにお話を伺いました。

自然界の風を再現する扇風機を、どのように発想したのでしょうか?

記憶に残る心地いい風を再現したい、という思いからでした。特に思い出されるのは、高校を中退して地中海沿いを放浪する中で立ち寄った、スペイン・バレンシアのビーチです。40℃の暑さの中、日陰で飲んでいる大人たちに混ざって話していると、日が暮れて涼しくなってきた。そこへ吹いた一陣の風が、ものすごく心地よかったんです。

だから、「扇風機から自然の風が出たら最高だな」と思ったのが企画の原点ですね。弊社の製品は全て、こんなふうに感覚的なところから企画が始まっています。放浪の旅を終えてから会社を立ち上げるまでに、10年ほどミュージシャンとして活動した経験も影響していると思います。

ものづくりも音楽も、結局は科学とアートの融合なんです。この場合の「アート」とは、数字で測れない、心地よさや格好よさなどの感覚的なこと。ドレミファソラシドは、音の振動数をもとに科学的に構築されたものですが、人間が聴いて心地よく感じる並びでもある。科学とアートが高度なところで一致しているんですよね。そして、メロディ、リズムなどにも同様に科学があるので、それらが絡み合う“楽曲”を作るともなれば、科学とアートをすごい濃度で融合していることになります。

ものづくりも私の感覚としては同じです。違いといえば、科学とアートの割合が、音楽では3対7だったのが、ものづくりでは7対3になっただけ。この「3」の部分、ものづくりの発想やセンスが、弊社の製品を独自たらしめていると思います。

扇風機の開発は、どのように進んでいきましたか?

ドラマと同じように、まずは風を知るところからのスタートです。書店で流体力学の本を3冊買って読みました。すると最後に読んだ難しい本に、「いまだ流体力学は解明できない部分が多い」と書かれていて。「なんだ、自分と一緒じゃないか」と勇気づけられ、自由に仮説を立ててやってみることにしました。

自然界の風と扇風機の風を観測する中で気付いたのは、扇風機の風にだけ“渦”があること。自然の風を再現するために、渦をなくす方法を探しました。ドラマでは100円ショップでの記憶が鍵になりましたが、私の場合は過去に訪れた工場にあった扇風機。職人さんが扇風機の風を壁に当て、「こうすると風がやわらかくなるんだよ」と話していたのを思い出し、ヒントを得ることができました。

その先は、ドラマより私のほうが楽だったかもしれません(笑)。「30人31脚」の番組(30人以上のチームが二人三脚の要領で足をひもで結んで走り、タイムを競う番組)を偶然テレビで見て、速い子が遅い子に引っ張られて転んでいることに気付き、流体でも同じことが起きるのでは?と思ったのが大きかったですね。速い風と遅い風を同時に出せる二重構造の羽根を試作してみると、予想通り、風どうしがぶつかって渦がなくなった。自然界の風に近づきました。

いろいろなラッキーが重なったこともあり、2か月程度の開発期間で済みました。ラッキー以外に理由があるとすれば……私が、既成概念を崩すのがすごく得意だからだと思います。「みんながこう言っている」という類の言説が全く信じられず、なんでも試したい性格なので。自分で言いますが、可能性の信じっぷりが半端じゃないんです(笑)。

ドラマでは鈴愛と律の二人で“そよ風の扇風機”を製作していますが、寺尾さんは一人だったそうですね。

社員とアルバイトが一人ずついましたが、実質的な開発を担うのは自分だけでした。この扇風機の立ち上げは、私の人生におけるクライマックスの一つ。ミュージシャンの経験がなければ発想できなかったし、その後のものづくりの経験がなければ具現化できなかった。そういった前後のある開発ストーリーなので、今回、「ドラマで一部を拝借させてください」とご相談をいただいたときには、成立させるのが大変そうだと思ったのですが、「(鈴愛と律の)二人で作る」と言われて膝を打ちました。
鈴愛は緻密なものづくりには向かないけれど、数字で測れないものに対する嗅覚が利き、ヒット商品の発想ができる。一方の律は、ヒットの嗅覚は利かなそうですが、ものを作れる。うまいこと組み合わせていますよね。

とはいえ、同じものづくりの人間として、鈴愛にはもう少し頑張ってほしいところです。まず、鈴愛は全体的に人に流されすぎ!(笑) もっとガッツを持って自分で流れを作らないと、この業界でやっていくのは厳しいと思います。
律に関しても、扇風機の開発ですごく苦しんでいますが、大きなチャレンジに大きな苦しみが伴うのは当たり前だと私は思ってます。苦しいことにもっと慣れることで、そのチャレンジが現実のものとなり、開発者として無限の可能性が広がるのだと思います。

寺尾さんが扇風機を作った2009~10年当時は、会社としても大変な時期だったそうですね。

2003年に会社を立ち上げて、ノートパソコンの冷却台やLEDデスクライトなどの製造販売をしていたのですが、リーマンショックで全く売れなくなり、倒産寸前の状態でした。それでも、通勤でファミリーレストランの横を通ると、中で楽しそうに食事している人たちが見える……。「なんでこういうことが起きるんだろう」と感じたのを、よく覚えています。世の中がいくら不況でも、人間は経済活動をやめない。それなら倒産は景気のせいじゃなく、自分のせいだなと思いました。自分の作ってきた製品が、人に必要とされないものだったと分かったんです。

ミュージシャンの道を挫折し、ものづくりの道も絶たれたように思えて、個人的にも苦しかったですね。ただ、「不況で自分の夢を止められるのは断る」という思いも湧いてきた。倒れるなら前に倒れよう、扇風機であがいてみようと思いました。「半分、青い。」はトータルで見るとハッピーな話ですが、私の人生はハードコアなんです(笑)。

自然界の風を再現する扇風機が大ヒットした理由を、いまはどのように捉えていますか?

はるか昔から、売れるものには「安全」か「アート」の二種類しかありません。基本的には「安全」が先に売れて、十分に行き渡ると「アート」が売れ出す。平和な現代においては、特に「アート」が売れますね。私たちの扇風機は、ほかにはない「アート」を備えていました。

そうできたのは、ものづくりにおける「数字」と「体験」の違いを理解して作ったから。扇風機より前に販売したLEDデスクライトは、世界で初めて1,000ルクスの明るさを達成した製品にもかかわらず、不況下では売れなかった。結局のところ、この1,000ルクスという「数字」にとらわれて、その先にあるユーザーの「体験」を見据えていなかったんです。自然界の風を再現する扇風機にも、風速や風量といった数字は付いてまわりますが、あくまでも「素晴らしい体験」を提供するものだった。ハードでありながら、ソフトなんです。我々は、風を送る機械ではなく、心地いい涼しさを得る道具を作った。この違いは完成形に表れます。

ハードウェア(建物、機械などの形あるもの)メーカーも、クリエイティビティを発揮すれば、すばらしいソフト(情報、意識などの形のないもの)を提供できる。人々に喜んでもらうことができます。現代はITサービスなどのソフトウェア全盛の時代ですが、人間も、体というハードと心というソフトの組み合わせなので、ハードウェアはこの先もなくならないでしょう。私はものづくりの人間なのでえこひいきかもしれませんが、ハードウェアの提供する喜びはソフトウェアのそれよりも、リアルなものだと思っています。

■寺尾 玄(てらお げん)
バルミューダ株式会社 代表取締役社長

1973年生まれ。17歳で高校を中退。地中海沿いを放浪する旅から帰国後、音楽活動を開始。2001年、バンドを解散し、ものづくりの道を志す。03年、有限会社バルミューダデザイン(現・バルミューダ株式会社)を設立。

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