
「娘は海にいるから」
2011年に発生した東日本大震災は、今なお2500名を超える行方不明者がいます。私はカメラマンとして発災直後から宮城、岩手、福島に通い、被災地で生きる方々の言葉や現実を撮影してきました。その中で6年前に出会ったのが、娘を捜しに海に潜る男性でした。
(福岡拠点放送局・技術部 上泉美雄カメラマン)
<関連番組>
「娘のもとへ 潜り続けて ~行方不明者家族の10年~」(3月4日放送)
娘を捜して 海に潜り続ける父
動画:海に潜り捜索を続ける成田正明さん
「娘は海にいるから」。成田正明さん(64歳)はそう言って、毎週のように宮城県女川町の海に潜ります。間もなく潜水を始めて7年、潜水回数は500本に迫ります。冬場は水温が5℃を下回り、水深30mを超えると伸ばした手先も見えない程、不透明で真っ暗な海です。NHK潜水班で特別な訓練を受けている我々でも「過酷だ」と感じる環境で潜り続けるのは、津波で行方不明になったままの一人娘である絵美さん(当時26歳)を捜すためです。
「何としても見つけたい」「捜したい」と話す成田さんは、震災から3年が過ぎた2014年に57歳でダイビングを習い、潜水士の国家資格を取得して海中捜索を行っています。海底に埋まる衣類やカバン、時には自動車の中に痕跡を探ります。そのたびに舞い上がる砂泥は視界を更に悪くしますが、成田さんの手は止まりません。自分の手で娘を捜したいという強い思いが、全身から伝わってきます。
肖像画のVサイン

成田さんとの出会いは2015年11月、震災5年を目の前にして様々な取材が行われていた時でした。ご自宅を訪れると絵美さんの肖像画が大きく飾られていました。笑顔でVサインを出している絵美さんは静かに時を止めているようでした。
震災後に建てたお墓には絵美さんの事を思って「絵美」と彫られています。毎朝、夜明け前に掃除をして花を生けますが「ここに絵美はいないから」と手は合わせません。毎朝顔を洗ってあげるように「絵美」の文字を丁寧に拭いています。その日課である所作を撮影しながら私は「人を思い続ける」尊さを感じます。
捜索活動は平日に行われるので、成田さんは午前中に2本潜ってから出勤していきます。「娘がいないので人生を楽しむ気持ちにはならない」と言います。
「あれから3653日目」
未曾有の被害をもたらした東日本大震災から10年が過ぎようとしている現在、町中には道路や建物ができあがり、歩いても笑顔が多く見られるようになりました。
しかし会話を続けていくと皆さん自然と「あの日、あの時」の話になります。当時東北に住まわれていたほとんどの方は、家族や友人、知人が被災されています。
いまだに2500名余りの方が行方不明のままです。
地元の人の中には「大好きだった海ですが、今は近づくのが怖い」と語った高校生や、穏やかな海を眺めながら亡き人の事を思う時が落ち着くと語った漁師さんもいました。受け止め方は様々です。
10年という時間を考えれば、生きていることを想像することすら難しいのは分かっています。しかし大切な人との別れが出来ないまま時が流れる事は、年月の区切りでは考えられないものだと思います。
2021年3月11日を多くのメディアは「あれから10年」という節目の様に扱うと思います。その方が理解しやすいからだとは思いますが、成田さんを始めとする多くの方々は「あれから3653日目」という思いであると感じています。
被災地の海は「言葉」に包まれる

被災地の海に潜っていると静かだと感じます。南の海に比べて色が少ないということもありますが、私が聞いてきた多くの方々の「言葉」に包まれる感じです。
2017年、私は気仙沼市の舞根湾を一年に渡って記録しました。カキ漁師であり作家でもある畠山重篤さんが提唱する「森は海の恋人」という思想を番組にしたのです。畠山さんは「海の恵みで生きていく我々漁師は、森に木を植えるんだ」といって30年以上植樹の活動をされています。
津波で油や不純物が流され、汚染された海を見て「海が死んだ」と言った専門家もいます。しかし、長年森を守ってきた舞根の海の快復の力は凄まじく、2011年の秋には立派なカキが大量に採れました。
岩手県大船渡市の越喜来湾、南三陸の志津川湾も同じでした。静かに自然の循環が起きていると感じました。
海は荒波の日もあれば、鏡のように穏やかな日もあります。「復興」を目指して日毎変わる陸上とは対照的に、海底ではゆっくりと時間が過ぎているように感じます。
同じ期間、陸上に放置されたら朽ちてしまう食器やストーブ、壁掛け時計など生活を感じる多くの物が、そのまま残っています。砂に埋まって点在しているそれらは、海底に馴染んでいるように見えます。
水深30mの海中で「娘を感じる」

しかし成田さんが捜索している女川湾のポイントは雰囲気が異なります。水深30mを超えると太陽の光は殆ど届きません。水の濁りで自分の手先も見えません。突然目の前にボンネットが現れても、大きすぎて全体を見渡す事ができないため車だと認識するのに時間がかかります。
それでも水中ライトの明かりを頼りに手がかりがないかと砂泥を舞い上げながら進みます。背負った空気ボンベの残圧を確認し、体内残留窒素による潜水病を回避しながら過酷な状況での捜索になります。
捜索活動を撮影する我々も、「見つかって欲しい」と毎回本気で思いながら潜っています。海底に沈む車を発見した際には、ひるむ心を抑えながら車内に残された人がいないか確認します。
真っ暗で過酷な状況ではありますが、成田さんは「海に入ると娘を感じる」と言います。あまり魚影のないこの場では珍しく、産卵期を迎えた黄色いアイナメが成田さんの周りを泳いでいたのが印象に残りました。
海中捜索を支える人々

写真中央:「ハイブリッジ」の高橋代表
海中捜索は多くの方々の理解と協力によって実現しています。主催をしている女川ダイビングサービス「ハイブリッジ」の高橋代表は、震災の直後から、被災地の海でがれきの撤去や行方不明者の捜索を行ってきました。最初は捜索することを受け入れてもらえるのか不安だったと言います。それでも口コミで活動が広がり、大学や研究機関と共同で海底調査を行ったこともあります。地元の漁師さんと関係を作り、船を出してもらいながら少しずつ捜索を広げていったのです。
当初は企業や個人からも捜索のための寄付が届いたようですが、現在ではほぼ手弁当です。船舶代や空気ボンベなどを手配しながら、これまでの捜索範囲は女川湾の沿岸20kmに及びます。地道に継続してこられた捜索活動に感動するばかりです。
我々が取材を始めた5年前はまだ施設が整っていませんでした。潜水後に海水を流す水はポリタンクに入れて運びました。冬は寒いので地元の床屋さんにお願いしてお湯を分けてもらったこともあります。その床屋さんのご夫婦にも行方不明の家族がいらっしゃいました。「是非捜して欲しい」と協力してくださったのです。
「娘は海にいるから」
2021年2月11日。海上保安庁による海中捜索が行われました。成田さんは事前に捜索して欲しい場所を訪ねられたそうです。「捜してもらえるだけでありがたい」と感謝しながら、現在捜索している場所に近い沿岸部を指定しました。
雪が強風に舞う寒い中、7人の潜水士が一斉捜索する様子を、行方不明者の家族が岸壁から見つめていました。そして子供用の長靴や旅行かばん、漁師が使う胴長など遺留品と思われるものが引き上げられました。
津波で流されたものなのか、所有者を示すものはなかったけれど、3625日間待ち続けた人がいるかも知れないと感じました。
取材を始めた5年前は「捜したい」「見つけたい」と強く話されていた成田さんですが、今回「娘は海にいるから」と穏やかに話されました。娘を思う気持ちはあの日のままだと思いますが、広い意味では「行方不明」ではなくなっているのかもしれません。
3653日目も静かに「思い」をつのらせたいと思います。
上泉美雄
NHK福岡拠点放送局技術部に所属。
潜水カメラマンとして震災後から被災地の海をテーマに取材を続けてきた。