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“行き場がない”すぐそばにいる『Aさん』の危機

“行き場がない”すぐそばにいる『Aさん』の危機

2020年6月12日

新型コロナウイルスの影響で“居場所”と“職”を同時に失う事態が相次いでいます。
取材で出会ったのは、43歳の女性。ここでは匿名の『Aさん』と紹介します。Aさんはもともとネットカフェで寝食をしながら、派遣社員として働いてきました。
しかし、コロナの影響で、ネカフェを出ることに。彼女が雨風をしのいだのは、自家用車の中でした。「ずっと孤独に耐えてきた」という彼女の言葉から、今起きている危機を見つめます。

(アナウンサー 栗原望 首都圏放送センターディレクター 斉藤仁美)


日本社会の“あちこち”にいたAさん。

Aさんと出会ったのは都内の公園です。新型コロナの影響が広がる直前までは「ネットカフェ」で生活しながら、派遣社員として働いていました。
これまで、一度正社員として働いたものの、その職場の雰囲気になじむことができず、十二指腸潰瘍を患ったこともあり、職場を自分のペースで選ぶことができる派遣社員として働いてきたのです。
明るくコミュニケーションが好きだというAさんは「ホテルマン」「新幹線の食事サービス」「パン工場」「配送センターの仕分け」など私たちの生活になじみの深い様々な職場で、一生懸命働いていました。

一方で住まいに関しては借金の返済を抱え、なおかつ、頼れる親族もいないことから、ここ10年は、アパートを借りることはできませんでした。 

Aさん
「借金を支払うことしか頭になかった。親が絶対に保証人になってくれず、自分のお金を持っていても、保証人付物件は絶対探せなかったんです。昔から、そういうハンデみたいなのがあったので、普通の方だったら、親御さんがなってくださるみたいなんですけど、私は親戚とかも厳しくて人に頼るなみたいな感じのところがあり厳しいですね。」


新型コロナで失った“住まい”と“仕事”

緊急事態宣言が出された4月上旬。ついに東京都がネットカフェに休業を要請します。
その日も、派遣の仕事で工場から都内のネットカフェに戻ると、日付が変わる深夜0時に、休業になることを店側から突然告げられたと言います。

Aさん
「夜中の12時に閉まると聞いたんで、え? と思って。でも、焦ってもしょうがないし、閉まると決まっちゃっているし。それから泊るところを探したんですよ。でもその時間は電話をしてもつながらなかったし。そのときは疲れて眠たかったんで、ネットカフェに話して4時間だけ寝させてもらって、朝を迎えましたね。」


疲労が限界に・・・車中泊の2週間

その日から2週間。“家”を無くしたAさんが住居代わりとしたのは、「車」でした。

Aさん
「ネットカフェだとシャワーとトイレが使えたんですが、それがなくなった。車だとろくに足ものばせないし、気が休まることはありませんでした。」

もともと車が好きだったAさんが、3年前貯金をはたいて、中古で買ったコンパクトカー。派遣の仕事でさまざまな現場に行かなければならない中、電車よりも車で移動した方が経済的負担が少ないからと所有していました。


彼女が眠っていたのは、後部座席。しかし、4月の夜は気温が10度前後になる日も多く、寒さで2時間おきに目が覚めてしまうといいます。
横になると足をまげなければ体が収まらず、何度も寝返りを打たなければ体の節々が痛くなると言います。

Aさん
「寒くて目が覚めるとトイレに行きたくなるんです。我慢はできないので近くのコンビニまで歩いて10分ぐらいかけて行くしかなく、ほとんど寝られません。エアコンをつけたいんですが、エンジンをかけると近隣の方の迷惑になると思ってできませんでした。」

週に2日ほど、仕事があるときは、日の出とともに起きて、派遣会社から紹介された仕事に通っていました。寝不足のまま仕事に出かける日々が続き、疲労が限界に達していたと言います。


支援を受けたいけど、受けられない

さらに、仕事がない日は、数少ない派遣の求人を検索して応募する一方で、住まいを支援してくれる場所がないか、電話で問い合わせたり、神奈川県や東京都内の、自治体などの窓口に「緊急で入れるシェルターがないか」と相談に出かける日々が続きました。
しかし、なけなしの電車賃で向かった役場でも難しい対応が続いたと言います。
「住民票がないから難しい」などと、門前払いとなったこともありました。
また、紹介されたシェルターでは、門限が定められていたり、シャワーの時間も決まっていたりと仕事をしながら生活するには不自由な環境だったため、数日で滞在を諦めたこともありました。
さらに、生活保護の案内を受けることもありましたが、「親への扶養照会をする」と言われ、折り合いの悪い親への連絡を受け入れることはできませんでした。
2週間で15件ほどの窓口に相談したというAさん。当時を振り返ってこう語ります。

Aさん
「自治体の福祉の窓口の中には、ネットカフェで寝泊まりしている人がいることすら知らない人もいて、どんなに説明しても事情を理解してもらえないこともありました。誰も助けてくれないのかと絶望しそうにもなりましたが、なるべく考えないようにして、とにかくどこか助けてもらえるところを探さなければと必死でした。」


雇用が戻るかどうか、募る不安

4月下旬、東京都の支援窓口の存在を知り、支援により、一時的にホテルでの生活を送ることになったAさん。この支援で、一定期間はホテルで過ごすことができ、その後、都が用意したアパートで3か月間暮らすことができます。
しかし、その後は、自ら住居を探し、移り住まなければなりません。そのため、家を借りるために必要な敷金や礼金などまとまった資金をこの3か月で貯めないといけないのです。
そこで重要となってくるのが仕事ですが、Aさんは“雇用”が戻ってくるのか危惧しています。
コロナの前までは月に20日程度派遣の仕事に入り、借金の返済やネットカフェの代金などを捻出していました。
しかし、4月以降、派遣求人がほぼ無くなってしまい、配送センターの仕分けなどの仕事はあるものの、応募が殺到しているため思うように、仕事につくことができなくなってしまいました。
このまま派遣の仕事が少ない状態が続くと思うと、不安が募ってしまうといいます。

Aさん
「仕事量ですよね、仕事の日数。例えば20日間をちゃんと出勤ができたら、貯蓄ができると思います。でも、このまま仕事量が増えなかったら、無理ですね。そうすると入居を希望することが無理だから、諦めて、ネットカフェが復活したら戻らなきゃいけないかなとは考えている。」

このやりとりをしている中で、Aさんは、突然涙を流し始め、止まらなくなりました。心の中にあった『さみしさ』が堰をきってあふれてきたと言います。


Aさん
「あんまり、1人のときはこういうことは考えないんですよ。考えないように、たぶんしているんでしょうね。だから、いろんなことを思い出すとやっぱりつらかったんだろうなと、自分で思っちゃいますもんね。不安とかというより、やっぱり寂しさというか、悲しさというか、そんなことがあるんでしょうね。きっとね。1人で誰にも話せなかったですから、本当に10年間、誰も知らないんですよ、10年間本当に孤独ですよ。だから、本当は自分でなんとかしなきゃと思うんですけど、やっぱり今は、どうにも選択肢がないので、流れに沿うしかないかなと思っちゃっているんですけど。」

派遣社員として、一生懸命働いてきたAさん。今は、配送センターで仕分けの仕事をしています。
ネット通販を使う人が増えていますが、『Aさん』がその流通を支えているのです。
取材をして一番感じたのは、「Aさんは、私たちのすぐそばにいる」ということです。見えにくい場所かもしれませんが、私たちの社会を確かに支えている一人なんです。
今回、Aさんが取材を受けた理由は、たくさん同じ状況の人がいるということを知ってほしいという思いからでした。

どうしたら支えることができるのか考えて続けていきたいと思います。

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新型コロナウイルスの影響で住まいを失う危機に陥った人たちを取材した
「まさか、家を失うとは… ~広がる 住居喪失クライシス~」の放送内容はこちら
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4424/
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