
【留学生30万人時代】“働く”留学生 私たちはどう支える?
- 人手不足
- 外国人労働者
国が掲げた「留学生30万人計画」。外国人留学生の数は年々増え続けています。日本に学びに来た彼らの姿を、アルバイトをしているコンビニやレストランなど身近なところで見かけることも多くなりました。しかし中には、声を上げられずに苦しんでいる人も…。
「私たちにいま出来ることは?」
番組放送後、“働く”留学生たちを支える現場を取材しました。

“Please help me”(助けてください)
今年6月。都内のNPO法人に1通のメッセージが届いた。送り主はフィリピンからの留学生。アルバイト先で不当な扱いを受けたことを、切実な言葉で訴えかけてきた。
「私はとてもおびえています。どうか助けてください」
メッセージが届いたのは、NPO法人POSSEが開設する「外国人労働サポートセンター」(以下、センター)。今年4月に仙台と東京に開設され、日本で働く外国人留学生を中心にアルバイト先で受けた不当な扱いの訴えや、支援を求める相談などに応じている。
日本を訪れる留学生には,週28時間までの就業が認められている。この制度を利用して介護や小売り、飲食業界などが、留学生をアルバイトとして受け入れている。留学生が通う日本語学校が企業と連携して、学校から働き口を紹介することもある。
しかしセンターによると、留学生の中には日本語がよく分からない人も多く、アルバイト先で不当な扱いを受けたり、「日本語学校を退学・強制帰国させる」ということを盾に、それを学校・職場が黙認させるような事例も相次いでいるという。
働きながら学ぶことを前提に日本に来る留学生も多く、仮に強制帰国となった場合は、留学時に負った借金も返済できなくなる―日本で働く留学生はそうした弱い立場にある。

センターに駆け込んだ留学生の中には、不当に「強制帰国」を命じられたとして、日本語学校を提訴する事態も起きている。日本で学び、将来は介護士として日本で働きたいと夢を抱いてきた30代のフィリピン人留学生。アルバイトしていた介護施設で「ボランティア」という名目の未払い賃金があったことなど、来日前に聞いていた条件と全く違っていたことを介護施設に訴えると、施設が提携していた日本語学校から退学と「強制帰国」を迫られた。さらに、日本語学校は留学生が逃げられないように自宅にまでおしかけていたという。彼女が最初にセンターを訪れたときには「日本人は誰も信じられない」と会話を拒むほどに追い詰められていた。その後、時間をかけて数か月コミュニケーションを取る中で、ようやく問題の背景が見えるようになったという。
「日本に来てみたら、全てが地獄だった」とインタビューに対して語った、この留学生。彼女の場合、成田空港に連れて行かれる前に寮を逃げ出して、手当たり次第に駅で助けを求めたところ、たまたま知り合った日本人を経由してセンターとつながることが出来たが、泣き寝入りとなり、埋もれていく声のほうが多いと担当者は語る。

「留学生の声なき声をすくいあげたい」
その思いから始まったセンターは今、日本語と英語の2つの言語で相談窓口を開いている。留学生からの問い合わせを待つだけでなく、学生ボランティアを中心に街頭で留学生へのアウトリーチ活動も行い、彼らの置かれている状況や悩みを聞き取り調査。ゆくゆくは統計化して、問題を可視化していくことを目指している。センターの存在はSNSなどを通じて留学生のコミュニティーなどで拡散されて、認知も広がり始めているが、まだまだ問題の氷山の一角しか見えていないという。
「来日する留学生の中には英語圏の出身ではなく、かつ日本語もままならない留学生も多い。多国語を話すことのできる学生ボランティアなどを募集し、相談体制も強化したい」とセンター代表の岩橋誠氏は語る。さらに、そうした留学生がアルバイト先や周りにいた場合は、センターの存在を教えてあげてほしいとも話している。「私たちも、ただ困っている留学生の相談に応じるだけで終わりではだめだと思っています。支援をしながら、問題の背景に何があるのかを調査し、場合によっては問題提起し、社会への働きかけを強めていくことも必要です。」と岩橋氏は力説する。

(NPOが留学生に配布している案内)
センターを運営するNPO法人POSSEでは今、クラウドファンディングを通じて相談窓口の運営資金や訴訟資金を集めるとともに、相談を受ける学生ボランティアを募っている。相談窓口の存在をSNSで拡散してもらうだけでも、小さいながらも大きな支援の一歩につながるという。留学生の存在がより身近になる中、私たちに何が出来るのか、そして支援の輪をどう広げていくか―考えていく必要がある。
※外国人労働サポートセンターには、NPOの公式ページ、またはフェイスブックページよりお問い合わせください。
(取材:「外国人留学生」取材班 板橋俊輔)