みんなでプラス メニューへ移動 メインコンテンツへ移動

みんなでプラス

20代で子宮頸がんに 当事者が語る手術後の仕事復帰や日常生活

子宮頸がんは誤解や偏見が多く、当事者が「打ち明けにくいがん」だといわれています。
「#がんの誤解」では、子宮頸がんの正確な知識や理解につなげるため、当事者の声を集めます。

今回取材に応じてくれたのは、23歳で子宮頸がんになった女性。大好きなスカートをはけなくなり、10年以上仕事を転々とし、“婚活”もうまくいかない状態が続きました。そんな彼女が3年前、イタリア人男性と結婚。「ようやく自分の幸せを見つけた」と話しています。
子宮頸がんになって17年、彼女がいま伝えたいこととは。
(科学文化部記者 池端玲佳)

(2022年4月15日放送のニュースウオッチ9をもとに作成しています)

「あの日突然、子宮頸がんと告知された」

27歳の阿南里恵さんと、父親の信秀さん、母親の洋子さん

23歳の誕生日を迎えてまもなく、阿南里恵さんは婦人科を受診しました。
1か月ほど不正出血が続いていたからです。
生理が長引いているのかな、そのくらいに考えていたという阿南さんでしたが、診察した医師から意外な言葉が返ってきました。

医師

「すぐに両親を呼んでください」

両親と診察室に入り、告げられた病名は「子宮頸がん」。突然のがん告知でした。
阿南さんは、泣き崩れる両親を横目に、ただ呆然としていたといいます。

阿南里恵さん

「先輩の勧めで子宮頸がんの検診を受けてから半月も経っていませんでした。そのときは異常が無かったし、若い人は死ぬかもしれない病気にはかからないとどこかで思っていたので、がんと言われても、ピンときませんでした」

痛みはありませんでしたが、がんの診断は「ステージ2B」。子宮とリンパ節などを切除する手術が必要でした。

抗がん剤治療中の阿南さん

子宮頸がんは、主に性交渉のとき、ヒトパピローマウイルス=HPVに感染することがきっかけで発症するがんです。 仕事も結婚もこれから、という20代から増え始めます。

子宮頸がんは、性交渉を一度でもしたことのある女性なら誰でもなりえます。原因となるHPVはありふれた、どこにでもあるウイルスなのです。

しかし、阿南さんが「子宮頸がん 原因」とインターネットで検索すると、ブログやコメント欄には目を背けたくなる言葉が並んでいました。

『性に奔放な女性がなる病気』『性交渉が多いことが原因』・・・

世間には、子宮頸がんに対する誤解や偏見が数え切れないほど存在していたのです。

阿南里恵さん

「母は『あんたはそういう経験が多いんか?』と半分怒りながら私にぶつかってきました。ネットで誤った情報を目にしていたんだと思います。だけど、何も答えられなかった。付き合った人が1人だったらよくて、2人だったらダメなのかとか、わからないじゃないですか。だから、私自身、そうなのかなって考えてしまいました」

家族の中には“里恵が恥ずかしい病気になった”という空気があり、 阿南さんは子宮頸がんになった事実を、親戚や同級生に隠し続けました。

「子宮がなくなる恐怖で家を飛び出した」

手術前にがんを小さくするため、2回の抗がん剤治療を経験した阿南さん。
副作用のつらさに加え、髪の毛が抜け落ちる現実を受け入れられずにいました。

そして、子宮を摘出する手術の入院前日。
阿南さんは、大阪の実家から突然姿を消しました。

家を飛び出したのです。

当時、母親に送ったメールが残っています。

阿南さんが母に送ったメール
母さん、ごめん。東京に来ちゃった。りえ、手術する覚悟ができてないねん。手術がどうこうじゃなくて、子どもを産めなくなることに対して。ちゃんと入院までには戻るから。それまで、一人にしてほしい
阿南里恵さん

「子どもを産めなくなるってことを短期間で受け入れないといけなかった。言われるがままに治療をこなしてきたけど、自分で納得してから手術を受けたかったんです。結婚して子どもを産んでという漠然とした夢があったのに、子宮を失ってまで生きる価値があるのかとか、一人でひたすら泣きました」

その2時間後、メールが苦手な母、洋子さんから返信が届きました。

母:洋子さんからのメール
りえ 必ず帰って来て下さい。人間生きてるだけでまるもうけ。子どもが産めなければそれはそれで、また生きていく道があると思います。何時でもりえの事はお母さんの命がある限り応援したいと思います。きっと、きっと思い切り力いっぱいわらえる時まで頑張ってくれませんか。お母さんとお父さんのためにも。元気なりえがやっぱり1番カッコイイとお母さんは思います

翌朝、阿南さんは、新幹線で大阪に戻り、子宮を摘出する手術を受けました。

治療による合併症 「リンパ浮腫」を抱えた日常とは

がんの治療を終えた阿南さんは毎日、分厚いタイツとゴム手袋、それに筒状のナイロン生地を使う生活を送っています。

左:筒状のナイロン生地 中:医療用ストッキング 右:ゴム手袋

これは、治療による合併症「リンパ浮腫」の症状を抑えるための必須アイテムです。

リンパ浮腫で足がむくんだ状態

リンパ浮腫とは
がんの手術でリンパ節を取ったり、放射線治療を受けたりした人に多い合併症。老廃物を運び出すリンパ液の流れが滞ることで脚などにむくみが出る。子宮頸がんでは、子宮とともにリンパ節を取った人のうちの2割から3割に起きるとされる。

“脚のむくみ”と聞くと、1日中立ちっぱなしで疲れた日のパンパンなふくらはぎをイメージするかもしれません。

しかし、「リンパ浮腫」ではリンパ液が排出されないことから、脚の太さが2倍以上になる、関節が曲げられない、痛みで歩けない、高熱が出るなど、深刻なケースもあります。

阿南さんの場合、子宮頸がんの手術をした翌年から症状が出始め、リンパの流れをよくする手術を5回繰り返したことで改善しましたが、今も日常生活に大きな影響が出ています。

先にナイロン生地をはき、その上から医療用ストッキングをはく

阿南さんが使う分厚いタイツは、むくみの悪化を防ぐ医療用の弾性ストッキングです。
締め付ける力がとても強く、はくときに引っ張ると手の皮が擦りむけるため、ゴム手袋が欠かせません。

筒状のナイロン生地を素足に身につけてから医療用ストッキングを滑らせるようにしてはき、最後にナイロン生地だけ抜き取ります。

医療用ストッキングをはく様子を実演

どんなに暑い日でもこの分厚いストッキングが欠かせません。
着脱には10分以上かかるそうで、温泉にも行かなくなったといいます。

阿南さんのワイドパンツ

阿南さんが次に見せてくれたのは、35着のワイドパンツ。
がんになる前は、スカートにピンヒールが日常でしたが、脚のむくみでどちらも諦めざるを得ませんでした。

ふだんの生活について話す阿南さん
阿南里恵さん

「周囲の人の視線が私の脚にいくのが気になり始めて、スカートをはけなくなりました。ピタっとしたパンツも入らないから、ワイドパンツばかりはくようになりました。スカートは衣装ケースの中にしまっていたんですけど、このあいだ全部処分しました」

「子宮を失った私 仕事は・・・」

仕事にまい進していた阿南さん 当時22歳

脚のむくみは続き、情熱を注いできた仕事にも影響が出ました。

阿南里恵さん

「毎日夜遅くまで仕事をして帰るのに、明日も早く仕事に行きたいという毎日で仕事に燃えていた時期でした。ですが、立ちっぱなしの仕事をしたり、歩きすぎたりすると、その日の夜に急に脚が腫れ上がって、40度近い高熱が出るんです。そうすると、翌日仕事を休まなければなりませんでした」

高熱は月に一度は突発的に起きました。

前日まで元気なため、「本当に阿南さんは病気なの?」という同僚からの声もあり、皆と同じように働けない申し訳なさから会社を退職。

30代半ばまでの10年間、転職を繰り返しました。

転職の面接では、どうしても合併症のことは言い出せなかったといいます。

「子宮を失った私 恋愛は・・・」

がんの治療後、20代半ばを過ぎると、友達の結婚ラッシュが始まり、出産の知らせも届くようになりました。

しかし、阿南さんは恋愛にも二の足を踏むようになったといいます。

阿南里恵さん

「子どもが産めなくなったという勝手な負い目がありました。温かい家庭を築きたいという夢があって、いいお父さんになりそうな人を好きになるんです。でも自分と結婚すれば、その人も子どもを持つことを諦めなきゃいけないのかと思うと、自分自身が身を引いてしまうんです」

婚活もしました。

恋愛を始める前に子どもが産めないことを伝えて、それでも受け入れてくれる人を見つけたいと思ったからです。

結婚を意識した男性とも出会いましたが、子どもができないことを伝えると離れていったといいます。

「私は生き直す」 転機となった父の死

子宮頸がんの体験を講演で語る阿南さん

28歳のとき、阿南さんは講演活動を始めました。
自分の経験を誰かの役に立ててもらいたいと、自分にできることを模索していたのです。
活動は広がり、さまざまな学校に呼ばれるようになりました。

その一方、仕事も、恋愛もうまくいかない日々は続き、自暴自棄になることもありました。

阿南里恵さん

「治療を終えてからの方が長かったし、つらかった。どうやって人生を築いていけばいいのか分からない。一時は社会を恨んだり、なんて生きづらい国なんだと思ったりしていました」

常に生きづらさを抱えていたという阿南さん。
35歳のとき、人生の転機となった出来事がありました。

父、信秀さんが肺がんで亡くなったのです。

肺がんの治療を受ける父 信秀さんと阿南さん

信秀さんの最後の望みは、「里恵にそばにいてもらいたい」というものでした。

仕事を休んで病室に寝泊まりしながら二人だけの時間を過ごした阿南さんは、父が亡くなるまでの1週間が「かけがえのない時間になった」といいます。

阿南里恵さん

「父の愛を今までで一番感じて、愛されていたんだなって思ったんです。父はやっぱり私が人生を諦めることを望んでいなかったんじゃないか、私が幸せになることを誰よりも望んでいたんじゃないかと思えました。これは私にとって、すごく大きなきっかけになったんです」

日本を飛び出す 最愛の人との出会い

父親の死後、阿南さんは、海外に行くと決意します。行き先は、以前からインテリアやデザインを学んでみたいと思っていたイタリアでした。

イタリア語を学び始めて1年半、阿南さんは37歳でイタリアに渡りました。ここで運命の人に出会うことになりました。

3歳年上のアレッサンドロさんです。

アレッサンドロさんと阿南さん

語学を学ぶ人が集まる交流サイトで知り合い意気投合。なぜイタリアに来たの?という彼の質問に、おぼつかないイタリア語で、子宮頸がんになったことや子どもを産めなくなったことを伝えると、意外な言葉が返ってきました。

阿南さんの夫 アレッサンドロさん

「イタリアは子どもをつくるために結婚する国じゃないよ。
それより、里恵の体は大丈夫なの?」

阿南里恵さん

「彼は私の体のことをすごく心配してくれて、子どもを産めないことにも本当に抵抗感がないと感じたんです。すごく優しくて、こんな人を逃して日本に帰ったら、もう二度と出会えないだろうなって思いました」

出会った翌年の2019年12月、38歳で、アレッサンドロさんと結婚。
今は、二人で日本に移り、暮らしています。イタリア流の濃い目のコーヒーとさまざまな形のパスタを楽しむのが二人の日課です。

アレッサンドロさんとの結婚式 イタリアにて

「がんで失ったキャリアはこれから立て直す」

阿南さんは新たなキャリアを築き始めました。

オートバイに乗る阿南さん

バイクが好きで、10代で運転免許を取得していた阿南さん。
イタリアから帰国してまもなく、バイクを販売する会社に就職しました。

新たな事業も立ち上げました。

仕事中の阿南さん

今は海外の観光客を先導し、ツーリングを楽しんでもらう「バイクツアー」という旅行スタイルを日本に普及させることが目標です。

阿南里恵さん

「がんになったことと関係なく、一人の阿南里恵として認められたい。そういう仕事に就きたいと思って、キャリアを立て直すことを決めました。今はコロナで難しいですが、海外から観光でやってくる人たちに、美しい日本の自然を全身で感じながら、走り抜ける感動を味わってもらいたい」

「若い女性たちへ 子宮を失った私が伝えたいこと」

花見をする アレッサンドロさんと阿南さん

阿南さんが23歳で子宮を失ってから17年。
この4月からは、子宮頸がんを予防するためのワクチンについて、接種の積極的な呼びかけが再開されました。

阿南さんは何を感じているのか、 最後に話を聞かせてもらいました。

阿南里恵さん

「子宮頸がんになって失った選択肢はあるんですけど、自分の幸せのかたちは見つけることはできると思っています。ただやはり、合併症があったり、早発閉経のリスクがあったり、いつまでたっても、子宮頸がんになったことが私の人生からなくならないんですよね。あのとき予防できていたら、早期発見できていたらという思いはずっとあるんです。接種の積極的な呼びかけが止まっていた9年間で、子宮頸がんへの偏見も変わっていないし、その辛い状況の中で子宮頸がんにかかってしまう人がいるんじゃないかと心配しています。本当にゼロから、子宮頸がんというものを正しく伝えて、ワクチンのきちんとした情報を知ってほしいと願っています」

子宮頸がんは適切なタイミングでのワクチン接種と検診で予防できます。詳しくまとめた記事はこちら。
“子宮頸がんは予防できる” イチから分かる子宮頸がんとHPVワクチン"

「#がんの誤解」では、今後もがんに関する最新の情報に加え、当事者の声も紹介していきます。
ご自身の体験や、生きづらさを感じた「がんに関する誤解や偏見」をコメント欄にお寄せください。
そうしたみなさまの声をもとに取材を進め、世の中にあふれる「がんの誤解」をとく発信を行っていきます。

健康チャンネル「女性が気になるがん」特集はこちら

担当 藤松翔太郎ディレクターの
これも読んでほしい!